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16

 「では、午後からは予定通り試合形式での訓練ということで――」

 打ち合わせを終え、席を立ったリースが丁寧に礼をして天幕を出て行った。俺は小さく伸びをすると、同じく小隊の代表として列席していたアリエスを見る。


 真剣な表情で副長の女と言葉を交わす表情に翳りはない。

 むしろ覇気に満ち満ちていて、先の打ち合わせにも積極的な発言が多かった。リースも、当初は遠慮しようとしていたものの、小隊の代表として参加している以上ここでの立場は均一であるというアリエスの言を受けて、真っ向から意見をぶつけ合う場面が幾つもあった。

 合宿は五日目にして順調。疲れに気力が萎えるどころか、彼女たちは一層周囲を鼓舞して周り、皆の雰囲気を明るいものに変えていた。


「では、私も皆に伝えてまいります」

「あぁ頼む」

 面倒を嫌がったビジットの代わりに列席していたクレア嬢が、先の打ち合わせを纏めた紙を手に立ち上がる。

「すまんな」

「いえ」

 長い文章を読んでいると眠ってしまうリースの為に、彼女はあの手この手で資料を纏めてくれていた。お陰で図解が多く、説明文は手短で分かりやすい。

「あの悪癖はいずれ直すべきでしょうが、今出来ないことをやれと言って全体の能率を下げる訳にもいきません」


 初めてこの席を設けた時、すぐさま居眠りを始めたリースにクレア嬢は激怒した。だが、リースはリースでかなり生真面目な人間だ。クレア嬢の長い長い小言に一々反応を返し、真剣に向き合っていたこともあって多少軟化し、彼女向けな資料を用意している。

 くり子の件でも思ったが、やはり面倒見が良い。女性に対しては、俺やビジットでは関わり辛い問題もあるから、それを解決してくれているクレア嬢には頭が下がる。

「それでは、失礼します」

「あぁ。休憩時間はまだあるから、話をビジットに伝えたら君はゆっくりしてくれ。断るようなら、午後からの訓練でずっと魔術を使わせるぞと伝えてくれればいい」

 クレア嬢は薄く笑い、しかしすぐいつもの落ち着いた表情に戻して礼をした。

「分かりました。ビジット様にはそのように。では」


 天幕を出て行くのを見送って、改めて俺はアリエスを見た。

 ちょうど、副長の子と席を立つ所だったから、声をかけようと俺も立ち上がる。


「では、失礼致します、お兄様」


 取り付く暇もなく俺の脇を抜けていく。

「メルト、お兄様をよろしくね」

 途中、控えていたメルトへもやわらかく声を掛け、そのまま天幕を出て行く。


 はめ込み式の扉がそっと閉められ、この天幕内に居るのが俺とメルトだけになった。そして、俺は崩れ落ちて膝を付いた。


 な……なぜだアリエス……!?


 今まではあれほどべったりだった我が妹が、この合宿場所に到着した翌日から見違えたように自立した行動を取るようになった。それは確かに俺の望んだことでもあり、しっかりと小隊を掌握している姿に兄として誇らしくも思う。

 だが以前なら何かと理由を付けて一緒に居る時間を作った筈だ。

 些細なことで相談に来て、二人で考えを巡らせる時間はとても有意義だった。食事となれば必ず席を共にしたし、夜眠る時はこちらの寝床に潜り込んでくる。


 なぜなんだ……!


 決して俺を無視しているとか、怒っているような様子はない。

 不安になって聞いてみたが、やわらかに微笑んで否定された。メルトに聞いてみても怒っているような様子はないと言う。一応クレア嬢やリースにも聞いてみて、それでも何もないようだからアリエスの小隊へ顔を出して話を聞いてもみた。

 アリエスの小隊から合宿へ参加している者の多くは女性で、先輩後輩同級生らに囲まれて俺が話をすると、何故かとてつもなく優しくされた。

 大丈夫です、大丈夫ですよ、なんて優しい表情で言われるともっと不安になるじゃないか。


 先日、いやこれは相談相手にどうだろうかと思いながら、休憩中のくり子と赤毛少年にも尋ねてみたが、結局優しくされて終わった。

 なぜ皆俺に優しくするんだ……。


「食事はどうなさいますか?」

 控えていたメルトが声を掛けてくる。俺の前で屈み込み、スカートと一緒に膝を抱えて居る。メイドとしてはかなり格好を崩したような姿勢だ。

「食欲が……いや、食べなければいかんな。午後からはハードな訓練になる」

「すぐご用意致します」

「あぁ……あ、メルト」

「はい」

 立ち上がって礼をするメルトが、俺の声に背を向けかけた足を止める。


「一緒に食………………いや、忘れてくれ」

「はい」


 危うく馬鹿なことを言い掛けた。

 アリエスが一緒に食べてくれないからといって、メルトにその代わりをさせようなんて。

 駄目だ駄目だ! どんどん弱気になって頼ろうとする!

 こんなにも俺へ尽くしてくれる者の主人として、もっとしっかりしなくては!


「食事は簡単なものにしてくれ。訓練が始まる前に少し走りたい」

「はい」

 心地良い声で返事をくれたメルトが天幕を出て行く。

 俺は改めて打ち合わせをしていた席に着き、軽く身を伸ばした。


 あれから五日。

 結局俺とメルトの服を用意してくれた者が誰なのかは分かっていない。管理していた者に聞くと、確かに俺の服が一着無くなっていたということで平謝りされた。彼女には俺が自分で持っていった事にして話を収めたが、更に謎は深まった。

 ゲルは動く家と称されることもあって、出入口にはしっかりとした扉がある。当然鍵も。確かに必要な手順を踏めば解体は可能だが、そこまでしてこっそり俺の服を持ち出す理由が浮かばない。

 ただ、俺とメルトが夜中に海で遊んでいた話が広まっている様子も無かった。使用人たちにもそれとなく探りを入れてみたが、やはり反応は微妙。


 上手く隠されている可能性もあるにはあるが、どうにも悪意というか、反抗する意志が感じられないのも確かだ。

 このまま問題が無いのなら、頭の端に留める程度でもいいのかもしれない。


 少しして、メルトが持ってきた腸詰め肉と小麦のパンで簡単に腹を満たすと、俺は無駄な思考を吹き飛ばすべく、休憩時間が終わるまで走り続けた。


   ※  ※  ※


 昼からの訓練を終えた後、俺はビジットとリースに連れられて、近隣の村までやってきていた。無駄な誤解というか、不和を避けるためにもメルトを合宿場所へ残して、その辺に居たくり子と赤毛少年を連れてきた。

 他にも数名、大きな袋を抱えた小隊員らが同行していて、彼らは村の反対側に回って生ごみを始めとしたいろんな物を引き取ってもらっている。

 人数にして二百人近い人間が過ごしていれば、当然出るごみの量は凄いものとなる。村にもそれ用の場所があるだろうが、この量だ。相応の金額を渡して処理を頼んである。


 他にも、村からは幾つかの食料を買い付けたりしており、その大盤振る舞いにさぞ潤っていることだろう。

 ここへ来る途中、通過する町や村や庄でも目的地の話をしたからか、二日目を過ぎた頃から行商がかなり増えた。村の代官は最初、こちらを強く警戒していたらしいが、人が増え、税が増えると共に台帳の誤魔化しへ精を出し始めたとビジットが笑いながら話していた。


 無駄な揉め事を避ける意味もあって、村からは距離を取った場所に拠点を作ったが、どうやらいつのまにか小隊員らが行き来を始めていたらしい。のんびりやってきた俺たちより先に、特に『剣』や『弓』の術者が多く村へ顔を出していた。

 こんな時間でも市が開いていて、威勢の良い声が行き交っているのには驚かされる。

 人が人を呼ぶというのか、俺たちとは関係なさそうな一団もおり、そこはそこでまた賑わっているらしかった。


「で、この村のどこがおかしいんだ?」


 騒がしい市を歩きながら、俺はビジットへ問い掛けた。

 そもそも、彼が俺を呼びださなければ、この村へ顔を出すこともそう無かっただろう。ビジットみたいな放蕩男ならともかく、俺は正式に家を継ぐことが決まっている侯爵家の人間だ。位の高すぎる者が村へ顔を出して、万が一にでも村人が失礼を働いてしまえば、俺が止めようが関係なしに代官や村長の首が飛ぶ。物理的に。

 今もこの熱い中、フードを被って顔を隠しているんだ。


「表向きは歓迎してくれてるさ。村人の大半も素直に喜んでる。けど、アレだな……村の教会へ近づこうとすると飛んできて止めるんだ」

 今まさに小隊の者が祈りに行こうとしていたのを、村人らしい男が複数で止めていた。

「理由は」

「神父が伝染病に掛かったんだと。赤い糞を垂れ流してて、危ないから村の奥へは近づいちゃいけねえって言うんだが」

 なるほど、確かにおかしい。

「そんな状況にも関わらず、これほど派手な市を認めて、金儲けに勤しんでいる訳か。感染者は神父一人か?」

「何人か居るって話だがな。代官を通して届け出はしているらしいが、五日待っても領主から人が派遣されてくる様子はない」

 伝染病は、ともすれば国を傾けるほどの猛威を振るう。

 現代ほど衛生意識も管理もしっかりしていないだけに、一度広まると封鎖するのも難しく、下手をすれば生存者ごと周辺の村を焼くしかなくなる。もし領主の耳に届いていれば死に物狂いで対応する筈だ。

 伝染病の発生している村にこれほど人の行き交いがあるなら尚の事。


「ここで市を開いている連中はその話を?」

「知ってるな。だが、神父様が病の床でお告げを聞いたらしい」

「神がこれ以上広がることはないから安心しろと言ってきたか。暇な神も居るものだ。お告げのついでにその神父を治してやればいいだろうに」

「よっぽど神様の逆鱗に触れたんじゃないかと、俺は思ってる」


 なるほどな。

 しかし、連中に後ろ暗い所があろうがなかろうが、俺たちはただ合宿終了までを平穏に過ごしたいだけだ。何かしら事件性があるなら代官の仕事だが、そちらごと丸め込まれているのは確実だろう。

 本当に伝染病であれば不用意に人をやるのは危険でもあるし、連中が安心できるだけの距離を保つのが無難か。

「分かった。小隊の皆には、極力村へ行くのは控えるよう伝える。完全に関係を断つのは難しいだろうし、急に現れなくなったらなったで村側も不安になるだろう。常に判断の出来る者をここへ残し、万が一が起こればすぐに行動が起こせるよう気をつけさせる」


「それだけではいけません」

 と、ここで周囲を警戒していたリースが口を挟んだ。

「伝染病の可能性もそうですが、出来るならこの市で信頼の出来そうな行商人を直接雇い、近隣の町の、しっかりした商会から食料を買い付けた方が安全です」

「……盛られることも考えるべきか」

 そこまでになると、余程見られると拙いモノがあるということになるが。

「食料に関しちゃ、伝染病を言い訳にすれば連中も諦めるだろ。その辺は自業自得だな。最大の収入を持ってかれるが」

「訓練場所の専有も含めて、代官には相当な額を渡してある。領主にも予め話は通してあるから、問題はそうそう起こらないと思ってたんだがな」

 市場から少し離れて、村の様子を眺めた。


 長閑な村だ。海近くの、主要な街道から外れた場所ながら、それなりに豊かさがある。大きな家は木造で、そうでないものは土を固めたモノが主流だ。

 学園のある町のように住居が密集はしていない。一つ一つが離れていることがほとんどで、その間に踏み固められた砂地の道がある。市が立っているのは俺たちが拠点を置く側の街道と、この中央広場。ここからなら例の教会も影くらいは見える。

 広場の外では、ビジットの言った通り、その奥へ進ませないよう数名の見張りが立っていた。


 俺たちが海近くの低地、この村はそこからやや距離を取った高地にある。

 漁村かとも思ったが、聞く所によると何十年も前に、嵐で船が全て流され、その時に漁の出来る者が運悪く病に倒れてそのまま、ということらしい。そうして漁の権利書も失効し、今や海との間に岩場を挟んだ、塩害の少ない場所に農地を作って暮らしているという。

 それでこの豊かさというのは妙だ。

 普通に考えれば、何かしら別の繋がりを持っていて、そこから富を得ているとしか……。


「隠し畑や家畜であればいいんだがな」

 税を軽くしようと申請以上の畑を開墾して隠すのは、まあよくある手だ。民の生活など考えない税を取るこの時代、彼らも生きるためにそういうことをする。

「隠し……? 言われてみればありそうだが、お前も妙なこと知ってるな?」

 俺の言葉に、ビジットが眉を寄せて言う。

「お前も本を読んでみろ。知らないことが山ほど書いてあるぞ」

 お決まりの言い訳をして話を切り上げた。まあ、本当に本で読んだ知識だしな。

 だがビジットは欠伸をしながら一言追加してきた。

「いつからそんな読書家になったんだよ、お前」


   ※  ※  ※


 教会からは距離を置いて村を歩いていると、妙なものを見つけた。

「井戸か」

 普通よりも一回りは大きい井戸だ。蓋をするだけでなく、鎖で雁字搦めにして錠まで付けてある。枯れ井戸にしても妙だ。


「どうかしたんですか?」

 赤毛少年と神の言葉を騙るなんて、と憤っていたくり子が俺に寄ってきた。ちょこちょことした動きは小動物を思わせる。

 彼女は、俺の見ているものを確認して、疑問を察したらしい。

「枯れ井戸はああして閉じておかないと、子どもなんかが落っこちてしまうことがあるんです。まあ、普通は鍵なんか作るより、板を打ち付けてしまいますけど」

「ほう……」

 そういうものなのか。

「もしかしたら、近くの井戸がまだ使えるから、また水が出るのを期待して残しているんじゃありませんか?」

 くり子の視線に従うと、村の女の子が井戸水を汲んでいるのが見えた。本当にすぐ近くだ。女の子は頭に巻いた布の上に桶を一つ置き、両手に一つずつ持って歩いて行く。小さいのに器用だな。ふらついているのは危なっかしいが、問題はなさそうに見える。


 海に近いから塩っぽくて使えないじゃないかと思ったが、どうやら違うらしい。

「近くに川がありますから、そっちから来てるんじゃないですか?」

「なるほど。畑が作れる程度には塩害もないようだし、岩場が良い具合に守ってくれているのか。何気にいい立地なのかもしれないな」

「ふふん」

 俺が素直に感心していると、くり子が得意気に鼻を鳴らした。

 なんだ? と見ると、少しだけ「ぁー」と唸った後、正直に答えてくれた。

「私がハイリア様に何かを教えられることってあまりありませんから、嬉しかったんです」

 お前にはいつも教えられてるよ。

「生意気な奴め」

「きゃーっ」

 頭をくしゃくしゃにしてやると、くり子は余計楽しそうに笑った。


 俺の知識なんて、結局は本の中で得た文章でしかない。この世界に生きて、実体験を元に語られる皆の言葉には、本当に教えられることが多い。

 しかし、メルトもくり子も、妙に俺へ教えたがるんだな。


 と、その時、少し離れた場所で大きな水音がした。

「あっ」

 赤毛少年が一歩を踏み出して止まる。

 先ほどの、井戸水を汲んでいた女の子が、どうやら俺たちとは別の一団とぶつかって桶の水をぶちまけてしまったらしい。足元に注力する余り、前が見えていなかったという所か。

 俺は、足を止めてしまった赤毛少年の背中を軽く叩いて先に進む。

 どうにも、難癖を付けられているようだった。


「いくら熱いからといって、服を着たまま水浴びか?」


 とりあえずは嫌味で注意をこちらへ向けてもらおう。

 思ったとおりに一団の視線が集まる。五人か。比較的軽装、ということは宿でも取って荷物を置いているんだろう。腰元には短剣も見える。旅の護身用、にしてはやや大振りだ。

 長居するつもりだとすれば揉めるのは避けたかったが。

 髭面の男が言った。

「このガキにぶっかけられたんだよっ」

「折角冷やしてもらったのに、そう熱くなるな」

「なぁんだと?」

「何か貴重品でも駄目にされたか?」

 俺の問い掛けに、後ろで様子を窺っていた者たちの目が変わる。まあ、俺の格好を見れば世間知らずな貴族のぼんぼんだと分かるし、金づるとでも思ったんだろう。

 その為の言葉でもあった。

「あぁそうだよ。おかげで――」

「分かった。俺が出そう」

 話も聞かず気前よく金の詰まった袋を渡してやる。それを見て連中は目を剥いた。後ろで見ていたくり子が素っ頓狂な声をあげて、赤毛少年に至っては絶句していた。


「え……? あ、あの……話とか、いいの?」

 急に態度が弱々しくなった連中へ、俺は頷いてやる。まあ、確かに過ぎた小遣いだが、無駄な争いを避けられるなら問題はない。ただ、これだけだと余計な欲を出すこともあるだろうから、

「一つだけ言っておくぞ」


 遅れてやってきたリースとビジットへ合図して、俺は青い風を広げて『騎士』の紋章を浮かび上がらせる。

 武装を出すほどには力を使わない。

 そして、リースが赤い魔術光を燃え上がらせて『旗剣』の紋章を、ビジットは面倒そうにしながらも『盾』の上位能力を示してくれた。


「今この村に出入りしている俺たちくらい年齢の者は、皆俺の関係者だ。何か問題が起きれば、俺たちが持ちうるあらゆる手段を以って対処する。分かるな?」


 四属性の内、三つの上位能力を見せつけられた男たちは明らかに狼狽し、その表情に苦笑いが張り付いた。一人が腰を抜かして倒れ、慌てて仲間が助け起こす。そんな連中の肩にやさしく手を置き、笑って言った。


「この事は、酒でも飲んで忘れてくれ。いいな?」

「は、はいぃぃぃっ!」

「うむ、いい返事だ。楽しんでくれ」


 血相を変えて走って行く一団を見送って、改めて女の子に向き直る。

 既に赤毛少年が怪我なんかを確認していて、その様子から大したものじゃないのが分かった。なによりだ。

 折角だから俺たちで桶を持ってやり、彼女の家まで運んでやった。

 面倒見が良いのか、赤毛少年はよく女の子に話しかけ、冗談を言ったりしながら笑わせていた。別れ際には、くり子と一緒に神の与えてくれた出会いへ感謝まで捧げて。


   ※  ※  ※


 日も暮れ始めた頃、俺たちは村へ残っている小隊員らへ呼び掛けて戻るよう言って回った。皆素直に帰っていくのを見送って、俺たちも村を出る。

 これじゃあまるで引率の先生だな。


 帰り道、馬車には買い付けた食料なんかを載せていったから、俺たちは歩いていくことになった。せめて俺だけでもと言われたが、それほど距離がある訳でもない。

 周辺には同じく帰る途中の小隊員の姿があり、皆して騒ぎながら歩いていた。

 街道沿いに丘を下っていくと、丘一つ越えた先に俺たちの拠点が見えた。森を挟んだ向こう側には無人の浜辺があり、水平線も見える。遠く空が焼け始めたのを背に、でこぼこした道を進んだ。


 ビジットはとうに何処かへ行ってしまったから、同行しているのはくり子、赤毛少年、リースの三人だ。リースは俺を護衛でもしているつもりなのか、少し下がった位置で周囲を見渡している。

 なにやら小さな紙を見て、クレア嬢がどうの、心得がどうのと言っていたから、もしかすると彼女の指示かもしれない。

 あぁいかん、文字を見過ぎてリースが眠りかけてる。


 やや慌ててくり子をフォローに行かせる。

 すぐに話し声が聞こえてきて、足取りが確かなものとなった。


 ホッとしていると、少し遠慮がちに赤毛少年が近寄ってきた。

「あの……先ほどの、こと……ありがとうございました」

 ん?

「何か礼をされるようなことがあったか?」

 聞くと、赤毛少年はバツが悪そうに目を泳がせると、そのまま口を閉じてしまった。いかん。また妙にプレッシャーを与えてしまったんだろうか。


「ハイリア様にとっては、当たり前のことなんですね」


 危うく聞き逃しかけたが、言葉に目を向けると、赤毛少年は歩を緩めて後ろへ下がってしまった。

 少し考える。

 そして俺は立ち止まると、追い付いてきた彼に並び、歩を合わせた。


「あの時、この中の誰よりも先に反応し、一歩を踏み出したのはお前だ」

「……すぐ足が竦んでしまいました」

「だが、最後には進めただろう?」

「ハイリア様が先に行ってくれたからです。僕は、その影に隠れていただけで」

 それでもお前は進めただろう。


 俺はあの時そうしたように、彼の背中を軽く叩く。

 驚いたようにする赤毛少年へ悪戯っぽく笑い掛け、言う。


「それなら、俺がお前の望む道を進む限り、この背を追いかけてこい。それで救われる人が居るのなら、お前の行動は、決して恥じることじゃない」


 息を詰める姿に一つの満足を得ると、俺は先へ進んだ。

 背後から聞こえてきた「それでも僕は……」という呟きに、尚も胸を張って進む。不安で一杯な俺が出来る、精一杯の強がりだ。


   ※  ※  ※


 そして合宿八日目にして、事件は起きた。


「村が何者かに占拠された……?」


 打ち合わせをしていた天幕へ飛び込んできたくり子の言葉に、その場の全員が息を呑んだ。

 アリエス、リース、そして副官たちが揃って緊張する中、俺はメルトへ言って開けっ放しになっていた扉を閉めさせる。静まり返った天幕でくり子は語った。


 時間は昼過ぎからの訓練を終えた後、日暮れまでにはまだまだ時間があり、注意喚起を受けながらも数名の小隊員が村へ出ていた。

 そこを、軍人らしき者たちが襲撃してあっという間に制圧してしまったらしい。


 咄嗟に抵抗しようとした監視役のビジットが、人質を取られて投降。

 アイツの機転でくり子は逃され、こうして報告に来ていた。


 一人逃げ出してきた彼女の表情は硬く、声は震えていた。

 俺は立ち上がると、いつもより強めにそのくりくり頭を撫でてやり、

「よく報告してくれた。お前の取った行動は間違っていない」

 もし責任があるのなら、それは俺が取るべきものだ。

 村への不信感はずっとあった。なのに全面的に禁止しなかった甘さを悔いる。俺は、なんだかんだで自分たちの力を過信していた。

 俺たちはまだ、学生なんだという意識が、受けた賞賛の中に埋もれていた。


「人質か……」


 俺のつぶやきに全員が顔を伏せる。

 敢えて胸を張った。


「犠牲者を出さず、助けることは可能だ。連中は自らの体内に毒を抱え込んだ」


 机の上に出していた周辺の地図へ、手を叩きつけるようにして言う。

 今現在、ここが襲撃を受けていないことからも、相手は俺たちを把握していない。


「敵に俺たちの存在が気付かれる前に仕掛ける……! 覚悟のあるものだけを集め、部隊を編成しろ! 足手まといになりそうな者は置いていく」

 いいか。

「捕らわれた仲間たちを見捨てるという選択肢はない! 俺たちは実戦さえ越えられるだけの訓練を、誰に強制されるでもなく自らの意志で積んできた。敵が何者であろうと、その誇りを打ち砕けるものか!」


「素晴らしい! それでこそハイリア=ロード=ウィンダーベル。貴人を名乗るに相応しき高潔さよ……!」


 不意に扉が開け放たれた。

 表で番をしていた者たちが抑え付けられているのが見える。そして、その中央を進んでくる、鳶色の髪をした少年を見て、全身が凍りつくような怒りに満たされた。


「ヴィレイ=クレアライン……!」


 イルベール教団の中核を成す、クレアライン家の嫡男。

 そして始業式のあの日、メルトの右手の指を切り落とそうとした男。なによりお前は……!


「話はこちらでも把握しております。困りました。我々としても予想外です。こちらでも探らせてみた所、どうやら戦場から逃げ出した脱走兵のようですね。敵から逃げ、味方からも逃げ、どれほど逃げ続けてこんな所まで来たのか……自らの分を全うするどころか、醜くも生き残ろうと他者を巻き込む」

 ヴィレイは緩やかに手を広げ、神の言葉を告げる神父のような静粛な表情で言った。

「彼らはここで死ぬ運命にある。ハイリア卿と私、二人に出会ったことからも明白でしょう」


 差し出された蛇の手を、俺には握る以外の選択肢はなかった。

 彼らの戦力は本物だ。仲間の命が掛かっている……俺だけの感情で退けていい話じゃない……。


「イルベール教団の実力、見させてもらおう」

「雷帝とまで謳われる貴方には及びませんよ」


 怒りを殺し、心を殺し、ただただ俺は自分自身を嗤い続けた。





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