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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第四章(下)

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 その場所は、デュッセンドルフの西端にある学園より更に進んだ山の奥にあった。

 蔦の這い回る石壁はあちこちヒビが入っていて、剥落した破片が、石畳を割って伸びる草花の上への散らばっている。壁の上部を見やれば、崩れて大きく抉れたような箇所が幾つもあった。それに対して舗装された壁周辺の石片が少ないように感じるのは、先日の大雨で流されただけではなく、何者かの手によって整理されたことがあるのだろう。


 石壁というのは正しくないかもしれない。

 壁の周囲二メートルほどが石畳で舗装されている。

 おかげでこの壁が比較的緩やかに円を描いているのが容易に見て取れた。


 ここは学園で使われている試合会場と同じものだ。


 各地の貴族の子息令嬢が利用することもあって、壮麗な装飾や品の良い調度などが並ぶ今の会場とは随分と異なる。

 質実剛健と言えば聞こえはいいが、とりあえず枠を作りましたと言われた方が納得出来る。


 この山奥、学園の裏口から出てしばらくは踏み固められた道が続いたものの、途中からは獣道さえない状態で移動には相当苦労させられた。雨の後だからか地面が異様にぬかるんでいたり、水溜りが出来ていたり、ただでさえ起伏の激しい地形を魔術も無しに進んできたんだ。

 俺もそうだがメルトが一番苦労していた。

 重たいハルバードや現地で必要になるだろう道具を持ち出していたことで、足場が不安定極まる森の中、しかも勾配が緩やかとはいえ山の上へ向かって進むというのは無茶が過ぎる。


 これから勝負を控えた人に負担は掛けられませんと豪語するメルトから、途中で幾つか荷物を強奪することに成功はしたものの、流石に息があがってしまっていた。

 まあ俺も結構辛かったから、荷物を持ってもらえたのは助かった。男として情け無いとは思うんだが、肝心なのはジークとの勝負だ。ひょいひょいと散歩みたいに進んでいくアイツはやっぱりおかしい。


 ジークが通用口らしき場所へ歩いていくのを追いつつ、汗を拭い終えたらしいメルトへ目をやる。

 昼を過ぎて少しむわっとする熱さになってきた。しかも街中ではなく周囲は森だらけで、湿気のせいか普段よりずっと熱く感じる。風が吹けば途端に涼しさを覚えるのだから、気温そのものはそこまで高くないと思うんだが。


「大丈夫か、メルト」

「はい」


 簡潔に答えるものの、息を整えるにはまだ少し掛かりそうだ。肩が上下している。


 俺が見ていると無理に抑えようとするから、敢えて見ないようにしていたんだが、予想以上に体力が落ちているように思える。


「ジーク」


 鉄格子の扉に苦戦していたジークへ声を掛ける。

 鍵はとっくに壊されているようだが、錆びて歪んだ扉の端が地面に噛んでいる、持ち上げるようにしてやれば開くだろうが今はそんな話じゃない。


「なんだ」

「少し休む時間が欲しい。慣れない山道でかなり疲れた」


 ここまで散々時間稼ぎをしてきたからか疑うようにこちらを見てきたが、すぐに息をついて「そうだな」と答えた。


「楽な道を選んでくれたんだろうが、すまないな」


 素直に言うと、今度は嫌な顔をされる。


 とっくに整理のついている俺とは違い、ジークの中ではまだ戦うことに対して思うところがあるのかも知れない。


 だが、状態の分からない山道を先行して進むジークに対し、俺たちは後を追って行くだけだったから、負担そのものは随分と軽減された筈だ。


「暇な間にそっちの荷物だけでも運び込んでやりゃ良かったな……そこまで大荷物で来るとは思ってなかったから……」


 俺の登山者が使いそうな大きさの背負い袋にハルバード、そしてメルトの持つ薙刀、当然のように背には小さいながらも荷物があり、彼女は腰に巻きつける形で更に荷物を増やしていて、ジークにしては珍しく気遣わしそうな顔をしている。


 半分くらいは詰め所にあった薬や包帯なんかの応急処置セットだ。

 残りは俺やメルト、一応ジーク向けの着替えもある。


 なにせ今から殺し合い寸前までやるつもりで、僅かな手元の狂いで重症を負わせるか、負うことになるんだ。


 会場内にいざとなれば介入出来る腕利きの審判を入れ、いつ怪我人が出ても良いように施療士を配置している学園の会場とは違い、ここには万一の時、俺のなんちゃって医療を学んだメルトくらいしか動ける者が居ない。

 魔術と違って手加減の難しい実在の武器を扱う以上、備えは幾らしてもし足りない。

 生き残らせる為に戦線離脱させようとしたら殺しましたでは笑えないにも程がある。


 着替えは当然、返り血対策だ。


 処置をして、上手く事が運んだとしても二人揃って血塗れでは学園の詰め所へ戻るのさえ危うい。

 俺はあまりこの事を表に出すつもりはないんだ。


 最終的に扉を蹴り開けることに成功したジークは、ちらりとこちらへ目をやりつつ、そのまま待たずに奥へ進んで行った。

 時間の指定もしない辺り、本気で山道で無理をさせたと気にしているらしい。


「メルト」


 ジークが居なくなったことで、俺はメルトへ寄って行き視線を下げていた彼女に手を出す。


「あ……申し訳ありません」

「いい。荷物を置いて、少し休もう」


 二人して壁際まで行き、脇に荷物を纏めて地べたに座り込んだ。

 俺が床に座るという行為をとてもメルトが嫌がったものの、こんなボロい会場だと内部はいつ崩れるかと落ち着かないし、椅子も机もどうせボロボロになっているし、屋内は確実に薄汚れている。掃除しますからお待ち下さい、なんて言われたら俺はメルトの頭にチョップを入れるのに何ら躊躇しない自信がある。


 落ち着かなさそうなメルトを見やり、落ちた体力についての心配を口にしようとしたが、止めた。


 今しか出来ない話をしよう。

 きっとこの先、忙しくて休む間なんて無くなるだろうから。


「メルトは、何かしたいことはないのか」


 前にもこんな話をしたな、なんて思いながら、不思議と当時のような強く求める気持ちが薄れているのに気付く。

 大仰な、身構えるような話題じゃないんだ。次出かける時、何処へ行こうかとか、その程度のもので。


 メルトもあまり悩んだ様子はなく、力の抜けた表情で俺を見て、少し逸らして、息をつく。

 そよ風が吹いた。


「……こうして、いたいです」


 指先に感触が来て、顔が熱くなるのを感じた。

 つい顔を背けると体温が近くへ寄ってきて、けれどそれ以上は触れ合わないまま、風が熱を冷ましてくれるまでの間じっとしている。


「っ、この前観に行った舞台はどうだ? シンシアの処女作は根強い人気があって、大きな劇場では毎年一度はあの話をやるんだ」


 なんとか搾り出した話題に自分でしまったと思う。

 あの時はデートだなんだと連れ出しておきながら、人前では関係というか、親しさを隠そうとした。

 メルトが具体的にどう思っているかは分からないが、敢えて出す話でもないだろうに。


 けれど彼女は気にした様子もなく、少し遠くを見詰めながら答えた。


「とても楽しく思いました。内容もそうですが、あれだけ人が集まる様子というのは故郷ではまず見ません。そこに、使用人としてではなく、個人として立っていることが不思議で……少し不安で、怖くて……ですけど、ハイリア様が近くに居てくださいましたから、落ち着いていた、んでしょうか……?」


 最後は自分でもよく分かっていなさそうだったが、嫌な思い出にはなっていないのなら、良かった。


「昔から遊ぶ経験があまり無く、姉さんに引っ張り出された時くらいで、それでも無茶をする姉さんの後始末をしたり、同じように出来なかったりで……それ以外は、ずっと勉強や鍛錬や、家の手伝いばかりしていました。ハイリア様が望むような、遊興? 趣味と呼べるものが自分にあるのかも分かりません。この先どうしていきたいのかも、私は分からなかったんです」


「そう、か」


「ですが」


 くっ、と触れ合う指先が握られた。


「それは知らなかったからだと気付きました。私は、私が思っている以上に欲深でした」


「メルトが? 俺が知る中で一番無欲に思えるぞ」


「いいえ。今になって思い返せば、本当に欲深なんだと思います。ハイリア様にとって欲がないと感じるのは、私の環境があまりにも、私の欲を満たしてくれていたからです」


 メルトの指先が俺の手のひらを撫で、なんともこそばゆい気持ちになってくる。

 戸惑っていると、すぐ近くで息が抜けて、わざとやっているのにようやく気付く。


「私がこれまでしてきたことは、すべて義務であったんだと思います。勉強も、鍛錬も、巫女になることも、私以外の誰かから求められて、私はそれを嫌とも思わず義務感の中でこなしてきたんです。両親には愛情がありました。上手くいってなかった姉さんとも、それほど特別なものではなく、ありふれた姉妹のすれ違いと不満などからくるもので、決別していた訳ではありませんから。それでも、いつでも私がしている事には義務感が付き纏ったんです。強迫観念などではありません。ただ、やらなくちゃと、それを当たり前にしていただけで」


 なんとなく分かる気がする。


 小学生や中学生時代に勉強をやりたくてやっている子なんてそうそう居ないだろう。けど、殆どの子どもは授業を受ける。宿題が出れば終わらせて行くし、家では苦手だからと残す食べ物でも学校では口にしたりする。そうじゃない人も居るだろう。年を重ねるほどに反抗もすれば放り出したりもする。

 メルトは単純に、そうならなかった側だというだけだ。


 決まりを守る。

 やれと言われたらやる。

 他人に押し付けこそしないけど、真面目であることに疑問を持たず、不真面目な振る舞いに興味を持たなかったというだけの事。


 人の意見や求めに流されやすかった俺にも、似たような経験が幾つもあった。

 部活でキャプテンに推薦されれば、それほど入れ込んでいなかったにも係わらず、率先して練習をこなしたり他の部員を気遣ったりと、役割に求められるようなこともするようになる。やらなきゃ、とは思っていても、あれは確かに強迫観念ではない。


「厳しかった父から褒められることは滅多にありませんでしたが、それでも時折、満足そうに言われることはありました。ただ、その時には姉さんと距離が出来ていて、褒められていることに後ろめたさを覚えていたんだと思います。次第に達成出来るように練習をしてきたのだから、出来るのは当然で、褒められるようなことではない……なんて、とても傲慢なことを考えて、いました」


 過去を思い返し、想像するメルトが敢えて断定を口にしたのが分かった。

 思います、とあやふやに表現することが不誠実だと彼女は考えたのかも知れない。


「変わったのは、ハイリア様にお仕えしてからです」


 言い切る言葉を訂正するのは止めた。


「ハイリア様は、義務としてお仕えする私に、ありがとう、と仰ってくださいます。よく出来たと褒めるだけでなく、感謝をされる。義理や礼だけでなく、お心の篭った感謝だったのは私にだって分かります。私にとっては、それはとても大きなことでした。出来るのは当たり前でも、それを喜んでくれる人が居るというのは、それがはっきり示されるというのが、私は嬉しかったのです」


 それはきっとフィオーラや、メルトの両親にもあったものだ。

 けれど姉の立場を奪ってしまった後ろめたさと反発で、真っ直ぐにみることの出来なかった両親の愛情の代わりを、偶々俺が差し出したのだろう。


 それだけだと思うことは簡単だったが、俺で良かったと、思うことを認めよう。

 別の人間には譲りたくないな。


「ですから力一杯お仕えしました。自分のすることで喜んで貰えるなら、他のどんなことでも嬉しく、楽しく思えました。私は、これ以上無いくらい充実していた、つもりだったんです」


 肩に重みが乗る。

 頭を凭れ掛らせたメルトが恐る恐る手に力を込めて、指先が絡む。


 メルトが、彼女の方からそんなことをするとは思ってもいなかった俺は、緊張に自分の身が固くなるのを感じ、気付かれないようそっと息を整える。


「私は、とても、とても、欲深なのです」


 触れ合う手のひらに湿り気がある。

 どちらのものかは、もう分からない。

 あまりに熱くて溶け合いそうだった。


「己のすべてを下さると、ハイリア様は仰いました。私が命を捧げる代わりに、私だけを愛して下さるとも。貴方の死さえ手に入れることに私は頷き、受け入れてしまったんです」


「俺も同じだ。メルトの死を己の選択として扱うことで、俺は目的を果たそうとしている。すべてを捧げるのは当然のことだ」


「……はい」


 否定はせず頷いてくれるメルトに、胸の奥で焦げ付くような想いがある。

 取引としての言葉でないことは伝わっている筈なのに、俺の知らない所で何かがズレているような気もする。


「それでも私にとっては、主への奉仕は当然のことで、代償を求めようとは考えていませんでした。今日まで私に感謝を下さったハイリア様に、最後のご奉公として命を捧げよと言われたなら、私は納得できました。簡単では……ないんです。決して安易に受け入れたつもりはありません。それでも、いいと、思ったんです」


 けれど。


 そうか。


「けれど」


 そうメルトは言って、また少し身を寄せてきた。

 今度は手と、指と、頭だけでなく、俺の腕を抱くようにして、身体を預けてきた。


 肩越しに見えた耳が赤く染まっている。

 俺もきっと同じだ。

 俯くメルトの表情は見えないけれど、抱かれた腕から伝わる彼女の体温は、とても高かった。


「どうして、私などにすべてを下さると仰ったのですか」


「君の事が好きだからだ。失いたくないと、心の底から思うからだ。冷たくなっていく君の身体を抱いている時、この世が終わってしまうような苦しみをいつも感じていた。そして明け方になって、ほんの僅かな熱が灯り、小さな鼓動が聞こえ始めると、ようやく自分の中で止まっていた時間が動き出したように思えた。失いたくない。傍に居て欲しい。そう、強く思うようになった」


 今、彼女から感じる熱がある。


 なのに心のどこかで不安が潜んでいて、この暖かさが消えてしまうんじゃないかと怖れている。


「それでも」


 呟きの続きをメルトは呑み込んで、


 俺も問い掛けることは出来ないまま、



「行きましょう」



 雲の増えてきた空へ背を向けて、二人廃墟となっている会場内へ入っていった。


    ※   ※   ※


 そこへ立って、俺はようやく今居る場所がゲームで見たことのあるのだと思い出した。

 デュッセンドルフから離れた森の中、一部に崩落などが見られる廃墟と、草木の生い茂った会場内。


 『幻影緋弾のカウボーイ』にて、ジークが発見することの出来たラ・ヴォールの焔の安置される祭壇へ繋がる地下通路、その入り口がここにある。


 本当は学園内からも行けるし、敷地の直下に祭壇はあるからずっと近い。

 けれど今は地下道が崩落で塞がれているし、祭壇へは東端の鉱山から西端の学園へ向けて大きく迂回しながら道を確保している筈だった。中継地点を決め、地上との連絡口を家ごと買い上げて確保してあるが、もしかしたらここからならすんなり辿り着けるかもしれない。

 以前人を使って探させようとしたことと、見付からなかったことを思い出す。

 こんな山奥の、半端な窪地に隠れされていたのであれば仕方が無い。千人規模を動員して山狩りでもしなければ無理だろう。ジークに案内された今でさえ自力で辿り着けるかと言われると不安になる。せめてゲームで詳細な地図でも出ていたら違ったのだろうが、などと思うが。


 過ぎた話だ。

 それ以上に、祭壇への道を陛下に知らせ、ホルノスという国家規模で探っている今なら出来ただろうと思わずに居られない。


 記憶が随分と曖昧になってきていた。

 その殆どが日本での暮らしであったり、家族や友人のことであったり、好きだった小説のタイトルだったりする。

 あまり動揺しないで居られたのは、自分がハイリアであるという自意識がより強固になってきているからだ。


 アリエスが居る。父と母が居て、学園には多くの友人が居る。

 一抹の寂しさは覚えても、完結してしまった物語の先が読めないように、本を閉じて現実を生きていくようなものだ。


 そう、感じている。

 不安を覚えはしても、血肉を持ち、俺という熱はここに居るのだから。


 記憶の欠落が何を意味するのかは分からない。

 が、現状分かっている部分だけから予測するなら、今の、この世界をゲームとして体験した記憶を持つ()は、遠からず消えてしまうのかもしれない。欠落を続けるのであれば、そうならざるを得ないのだと思う。


 構わない、とあっさり納得出来た。


 もしそうなら、メルトとの約束を違うことなく全うできる。


 仮にハイリア=ロード=ウィンダーベルという人間が残るのだとしても、約束をした俺という人間が消えるのであれば。


 メルトが納得してくれるかは分からないけど、だから大丈夫だ、なんて言えないけれど。


 顔をあげた。


 光が差す。

 雲に隠されていた影たちが、光に追い立てられるようにして駆けて行く。

 場内中央、五階建てほどになるだろうかという大木の上から、緋色の魔術光を纏ったジークが降り立った。

 片腕を挙げているのはきっとバンジージャンプの応用だ。引き絞り、伸びた分だけ威力が増すのなら、戻そうとする力も同様に働かせられる。ぶら下がり、引き伸ばし、けれど伸びる力に反発を得るのなら、落下の勢いを殺すこともそう難しくは無い。


 場内には幾つかの大木と、腰上にまで達する背の高い草で覆われている。

 手入れなどされている筈もない。ゲームの背景で目にしたのは冬頃だったから、今の時期と印象が大きく異なる訳だ。

 そして、見える草花の上端が揃っていたとして、根を張る地面がそうとは限らない。


 もう十分待っただろ。そう言わんばかりに、短剣を逆手持ちにしたジークが指先で手招きする。


 荷物はメルトに預けてあった。

 肌着を変え、水分補給も行った。

 手にしているのは慣れたハルバードの重みだけ。


 これ以上時間稼ぎは要らない。


 俺が一歩を踏み出そうとした時、不意に、袖口を引く力が加わった。

 メルトだ。


「私も共に戦わせて下さい」


 言われた途端に、外での会話や、これまでが一直線に繋がり、同時に、言い返せなくなった。

 彼女は、俺が驚くほど真っ向から言葉をぶつけて来てくれた。

 どちらかと言えば、求められなければ言葉を秘することの多いメルトが、あれだけ分かり易く好意を伝えてきて、羞恥を覚えながらも身を寄せてきた。

 嘘だったとは思わない。そして、この作為もまた、彼女なりの想いなのだと分かるから、余計に言葉が浮かばない。


 それでも、の続きが頭に浮かぶ。


「そうだな」


 誇りか、プライドか。

 どちらでもあり、ただの意固地でもあったが、ここまでされてようやく俺は自分を曲げられた。


「負ける訳にはいかない」

「はい。確実な勝利を」


 袖口から手を離したメルトが、そっと距離を取る。


「少し時間を稼ぐ。その間に安全な場所を確保しろ」


「はい」


 掠めた指先の感触が熱となって、全身へ沁み込んで行く。


 そうして俺は、俺の敵を見詰めた。


    ※   ※   ※


   ジーク=ノートン


 離れていくメルトを見送って、肩透かしを食らったような気分になる。

 薙刀を持ち込んでいたから、大方あそこで仁王立ちをして、いざとなれば問答無用で斬りかかって来ると思っていたからだ。


 ハイリアなら、決闘と区切った場所でそういうことはしない。


 神父との決闘であのハルバード一本と自分の身体のみで戦い抜いて、勝利した男だ。

 決闘という形式を崩さなくたって、使おうと思えば幾らでも手はあった。刃に毒を塗るなり、仕込み武器で不意を打つなり。


 まあだからあっさり離れていくのに少し驚いた。

 あそこまで最大限ハイリアの勝率を底上げしようと突っ掛かってきたんだから、と。

 今思えばいっそ痛快で、もっと楽しめた筈だ。楽しむ前に困惑して、やり辛さに嘆息していたのは、俺にもやっぱり余裕が無かったからなのかも知れない。


 ただ、油断はしない。

 屋内へ姿を消した事で一層警戒を強める。

 彼女がハイリアの大一番を見学しないなんて嘘だ。

 それ以上の理由が無い限り、絶対に無い。


 風が正面から吹いてくる。

 見れば、ハイリアがゆっくりと歩を進めてきていた。


 なんでもない歩み。


 なのに、一歩を踏むごとにどんどんと息苦しさが増していく。


 コレだよ……ホント、しばらく見ない間に雰囲気を纏うようになった。

 本人がどう思ってるのか知らないけど、戦いへ向かっている時のハイリアは、それが自分に向かっていないのだとしても、胸の奥を押されるような圧迫感を覚える。どうしてかは分からない。時折、その感情に引きずられそうになる時もある。助けたい、守りたい、負けたくない、勝ちたい――応えたい。そんな単純な想いもここまで重みを持って伝わってくればぶん殴られたみたいな衝撃がある。


 向き合っているだけでこうなのに、あの馬鹿でかい刃を向けられた時にはどうなるのか…………心が躍って仕方ないだろう?


 いっそ威圧してくるだけなら脅えもしたのに。

 ここまで強さを感じる相手から、手を差し伸べられるようなものまで感じてしまうと、つい頬が緩むってもんだろ。


「ジーク」


 だから余計に腹も立つ。


「ん?」


「一人の犠牲が、本当に避け得ないものだとしたら、お前ならどうする」


「っ――」


 アンタだって分かってんだろうが!!



「最後の最後まで諦めない!! 成功すれば皆で笑うさっ、失敗したなら、涙が枯れるまで全力で泣き通してやるだけだ――!!」



 答えが分かっていながら、途中で勝手に降りようとしてんじゃねえよッ!!


 腕を振り上げ、緋弾を抜き放つ。

 仕込みは先んじて、ハイリアたちを置いて会場入りした時点で済ませてある。

 こっちが魔術を使用した状態であることに疑問を持たせないよう態々木登りして降りる所を見せたんだ。


 そうして大きく手前を打ち抜く形で地面を抉り、土砂を巻き上げた。

 まずは視界を塞ぐ。先んじての仕込みでハイリアの現在位置を狙い打つなんて不可能だ。だから狙いはある程度の予測と、外れた上でも効果的な使用できる位置を設定した。


 もう一振り、俺の位置からだとハイリアの脇を大きく外れて通り過ぎる位置に仕込みがある。

 『銃剣』の糸の伸び縮みは俺の自由自在だ。腰元へ収めれば一々抑えなくても状態を固定出来る。

 新しく生み出した刀身で現在位置へ引っ掛け、自分を飛ばす。


 巻き上げた土砂がまだ浮かび続ける中、土塊にまじって背後へ回り、位置を調整して背後から撃ち抜くんだ。

 挨拶代わりの不意打ちには丁度いい。

 先の動きは見えた。

 だけど、


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」


 土砂と共に飛んだ先、目を銀色に発光させるハイリアが、寸分違わず俺の右脚を斬り飛ばした。


    ※   ※   ※


   ハイリア


 屋内に入ってすぐ、メルトが巫女の力を使い、接続は完了している。

 安全な場所を探せとは言ったが、四属性のように動きへ制約がつくものでもない。

 周辺への知覚を優先とした彼女の判断に助けられたとも言えるだろう。


 何より。


 ――遅すぎる。


 リースほどではないが、ジークは元々戦いで遊ぶ癖がある。

 徐々にギアを切り替え、最終的には手が付けられなくなるが、集中し切っていない最初の内ならこうもあっさりケリがつく。

 身体の調子は悪くない。色々とありはしたが、負けて尚、俺の意識は対ヨハンとの戦いから完全に途切れてはおらず、気持ちの上ではほんの一日前の出来事に思えるのだ。張り直すには苦労したが、身体も精神も、十全と呼ぶに十分な状態にある。


 まともな着地も出来ないまま派手に地面を転がり、斬り飛ばされた右大腿部から大量の血を撒き散らしながら呻くジークの姿に、胸の奥が痛みを訴えてくる。

 軽さを得て勢いのまま壁にぶつかる脚の音も、ただただ不快で仕方なかった。

 後悔か。思いながらも、息を吸った。

 覚えのある感覚だ。

 ジークに『機神』の使い手が誰であるかを晒した時。

 あの時もこうして、哂っていたのだったか。

「は、はははは――」

 溢すほどに胸が締め付けられる。



 まだだ。



 むしろここから。



 決着を付けるには距離があり過ぎる。

 間に合わない。


 『銃剣』(ガンソード)の真髄。

 神にも等しい力の発露。

 あるいは、主人公にのみ許された特権。


 ある地点へ楔を打ち込み、異なる地点から、いつでも己を引き寄せ飛べるという性質が意味する本当の力にどこまで対抗出来るか。


 俺の魔術はもう発動している。

 メルトによって巫女の力が添えられ、精度は確実に上昇している。

 どこへ行こうとも、絶対にお前を捉えて逃がさない。



 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ジーク=ノートンの世界が巡る。



    ※   ※   ※


   ジーク=ノートン


 戻ってきた。

 斬り飛ばされた脚の痛みは消え、未だ地面を踏んでいるのを知る。

 先の記憶から継続する意識とは別に、既に動き出していた身体は前の流れを踏襲していく。


 腕を振り上げ、緋弾を抜き放つ。

 巻き上がる土砂を見て取り、その向こうに隠れたハイリアの動きを思い浮かべる。


 危険か。


 魔術の使用状態に対する工作はしたが、こうして一発目を放った以上、次を予測されていたら、その軌道は極めて読みやすい。

 加えて時間稼ぎにも思えたハイリアの会話誘導が、そう思わせる為のものだったら。

 男爵の反乱を受けて、三人でデュッセンドルフへやってきた時を思い出す。

 彼女は見えない場所の敵を感知して、ハイリアへ伝えていた。


 結論へ至ると、素直に諦めて糸を解いた。


 不意打ちの土砂が降りかかったらしいハイリアは不快そうに顔を歪めていて、その瞳は、銀色に光を放っていた。


    ※   ※   ※


   ハイリア


 捉えたぞ、ジーク=ノートン。





主人公特権、セーブ&ロード。

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