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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第四章(下)

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   ジーク=ノートン


 手元から削り落とした木屑が風に舞って、敷いていた布からはみ出ていく。


「よっと」


 座ったまま咄嗟に足が出て親指の爪上で受け止める。

 落とさないよう足を折り畳みつつ腰元へ寄せ、やや身を前傾させた。

 手にしていた短剣を逆手に持ち替え、自由になった人差し指と親指で木屑を摘むと今度こそ布の上へ落とした。


 突風でも吹けば盛大に散らかるのは分かっていても、最近は暑くなってきたから締め切った室内でやるのは御免被る。

 幸いにも、今日は風があまりない。

 つまり部屋の中の空気が中々入れ替わらないおかげで地味に暑い。

 唯一通りのいい位置は占領されていて、俺は壁越しにも伝わってくる陽の熱さを噛み締めながら部屋の隅に置いた木箱へ腰掛けていた。それほど大きい部屋じゃない。積み建て形式で増築された部屋の一つで、外部からじゃ存在にも気付かないような奥まったところにある。日当たりだけは良好だが、どうにも風通しは悪いらしい。


 額から流れ落ちる汗が耳元を掠め、顎へ。


 また手元の木片を回しつつ、刃を当てて削る。

 木屑が落ちた所で肩と顎を寄せ、服で汗を拭う。


 ブーツも帽子も今は脇に置いていて、上着は人に貸している。

 シャツとズボンだけの軽装で当然靴下なんて履いていない。

 なのに暑い。そんな中、黙々と木片を削っていた。


 昔から細工物は得意だ。


 行商が持ってくる民芸品を見覚えて、素材の違いはあるものの、そっくりに手彫りするのは村でも一番の腕前と言われてきた。

 深く考えるまでもなく、一度色んな方向から見たものを掘り出していくのはそう難しくない。

 黙々と手を動かして形を作っていくのは結構楽しいんだ。

 こうして手作業しながら考え事をするのは昔はよくやっていた。

 やらなくなったのはいつからだったか。


「……」


 身動ぎする音に目をやって、すぐ手元に戻す。

 そこの机でつっぷして寝ている赤い髪は、かれこれ半時ほどそのままだ。


 飯時も近い。これまでの経験からしても、そろそろ目が覚める頃合いだろう。


「んー、こんなもんか」


 形の出来た木片を目の高さまで上げていろんな角度から確認する。

 彫刻刀も使わず短剣一本でやったにしては十分な出来だ。やすりで表面を整えてニスでも塗ってやればそれなりに見れるものになる。


「ん、んん……」


 もぞもぞと机の上の赤い髪が動いて顔を上げる。

 だがどうにも起きてはいないようで、瞼は閉じたままだ。下敷きにした本の跡がしっかり肌に残っていた。


 本を読めば数行で眠りに落ちるという致命的な特技を持つ女、リース=アトラは頭をふらふらさせながら不思議と丁寧な手付きで本を捲り、捲り、固まった。


「ジーク……おすわり」

「どんな夢見てんだよ」

「よく出来ました。ご褒美をあげましょう」


 いややってねえよ、ツッコミを入れたくなる気持ちを抑え、半眼で眺めていると、大きく息を吸い始めた。

 吸ってー、吸ってー、吐かずに吸ってー。

 ついでに暑いからと緩めていた胸元が膨らみ膨らみ、そっと目を逸らした直後にガンと机を打ち付ける音が響いた。


「っ、痛――!?」


 涙目になって額を抑えている辺り、景気良くぶつけたらしい。


「よお、起きたかリース」


 呼びかけにリースは目を瞬かせ、左右を確認し、緩めていた胸元をしっかり留め直して隠すように腕を交差させた後、危険人物を見るような目で身を引いた。


「おっ、おあずけだ!!」


 なにがだ。


「とりあえず顔洗ってこいって。歴戦の戦士でも中々そこまで顔面に跡残してないぞ」


 言われるまま顔に手をやり、指で触れるだけでもはっきり分かるほど跡がついているのに気付いたのだろう、あからさまに表情が引き攣った。

 ダッと駆け出したリースが寝起きとは思えないほど機敏な動きで水場へ向かい、けれどすぐに戻ってきて叫ぶ。


「上着はありがとう!! 今度洗濯して返そう!!」

「いやそのまま返せよ、着るもん無くなるだろ」


 どうやら俺の言葉は耳に入らなかったようで、リースは肩に掛かった上着が落ちないよう摘まみながらまた駆けて行った。


 リースがあのまま水場で洗濯を始めないことを祈りながら、足元の布に乗った木屑を纏め、手近な箱へ流し込んでいく。木はその辺で拾ってきたもんだが、完成品はともかく木屑はそれなりに用途が多い。

 着火材にしてもいいし、燻製するのにも使える。もっと集めて布に包んで縫い合わせれば枕にもなる。

 前にティアへくれてやった人形の中身にも木屑が詰めてある。綿を買うような無駄金も無いから、とりあえず取っておくと後で使い道は出てくるもんだ。


 フロエからは変なものを集めてくるなと小言を垂れ流されてきたが、冒険で得た宝物みたいなもんで手放し難い。

 アイツだって俺が昔作った人形を気に入っていたじゃないか。まあ、似たようなのをティアへ作って渡した時は四日も姿を晦ます家出をかましてきたし、ティアはティアでしばらく「へぇ~」しか言わなくなった。欲しがったから作ったのにあんまりだ。


 机の上に彫った居眠りリース人形を置いて、また別の木片を取る。

 床に敷きなおした布の端を足で抑え、木片を回して当たりをつけていった。


 実際の職人がどうやっているのかなんて知らないけど、こうして木目を眺めながら色んな角度から確認していると、なんとなく像が浮かび上がってくる。

 最初はその像に合わせて余分な所を削り落として、あとは深く掘る部分を中心に形を作っていって、細かい所は後からやる。でもたまに気が向いて一部分だけ先に仕上げてみたり、結構適当だ。失敗もそこそこあるし、職人並の出来栄えだとは流石に自分でも思っていない。今は彫刻刀もないしな。

 考え事をする時の手慰みみたいなものだ。


「すまない、どうにも途中で眠ってしまったみたいだな」


 戻ってきたリースは普段とは違って髪を後ろではなく肩越しに前へ降ろすようにしていた。

 どうやら左のこめかみから頬へしっかり残った本のページ跡を隠す為らしい、いつも後ろへ流すようにしていた横髪が目元へ掛かかるようにして纏められている。此処に鏡なんて無いから、水瓶を見て確かめたんだろう。


 活発な印象が強かったけど、こうしていると随分落ち着いて見える。


「……随分と作ったんだな」


 お下げを机へ垂らしながら、そこに並ぶ仕上げ前の人形たちを、リースは物珍しそうに見る。

 隠したくせに落ちる髪を抑えようとして止まり、挙げた手を誤魔化すように指先で木彫り人形をつつく。

 三頭身くらいに崩してあるからか、自分の寝姿を見ても気付いた様子はない。

 鏡なんて金持ちしか持ってないからな、俺だって俺の顔を良く知らない。リースも元は騎士の家系だったみたいだけど、今は没落して財産なんてない。苦労話一つ聞かせようとしてこないが、生真面目に理想の騎士を目指すコイツは、色んな無理を重ねて今ここに居る。


 半端に踏み込みはしたけど、随分前に結局は自分だけで納得を得たようで、俺が首を突っ込んでいける雰囲気じゃなくなった。

 もう少し、例えば入学してから夏季長期休暇が始まるまで、あるいはその休暇中が変われば違ったのかもしれないし、思い上がりなんだろうって考えもするけど。あぁ、ティアが聞いたら、自分の話に影響されすぎだなんてツンツンしながら言われるに違いない。アリエスならどう言うかねえ? 前みたいに心底見下した顔作って思い上がるななんて言われるか、それか、案外周囲との調整にこそっと甘いことを言ってくるのかも。


 得難い……仲間? 友人? ハイリアの周りを見た後じゃ、上手い言葉が浮かんでこない。


「気が付いたらな」

 とりあえずリースへ言葉を返し、角を落とす。

「器用なものだ」


 あんまり熱心に見詰めるもんだから、出来が気になって自分でも目をやった。

 切り株に座ってぼうっとしてるティア、高笑いするアリエス、そして机につっぷして居眠りをするリース。居眠リースを見て少し表情が変わったから、ティアとアリエスを見て察したんだろう。敢えて何も言わない。


 手元に視線を戻し、さて次は何を作ろうかと、ぼやけた像の中に幾つかの人間を当て嵌める。


 ポーキー君にするか。

 我が小隊の大エースことポーキー=コーデュロイは、王都に残るティアの護衛として今は王都守備隊やカラムトラへの橋渡しをしている筈だ。

 ヴィレイと同じ出身地で、大司教の末息子というのもあって、内乱直後は異端審問官らにも口利きをしていたなど顔は広い。

 彼の特筆すべき能力は、あの周囲を和ませる懐の深さだろうか。なんか話していると心が落ち着くというか、世の中の苦しみを忘れそうになる辺り、将来はやっぱり父親のように神職につくのがいいと思う。

 あれで結構やんちゃな所もあって、『槍』の術者としても相当に優れているということで、癖の強いウチの連中を纏める良い緩衝材になってくれている。


 折角だから一.二頭身くらいにするか、とあの大きな顔を思い浮かべながら削っていく。


「手慰みみたいなもんで、売り物には程遠い出来だよ」


 まだ眺めているから、もういいだろってつもりで声を掛けたが、リースはいっそ楽しむように応えてくる。


「私には良く出来ているように思える。実物そのものとは言えないが、なんだろう、こうやって愛らしく作り変えているのはかなり珍しいんじゃないか?」

「そうなのか?」


 俺にとって工芸品と言えば行商のおじさんが持ってくるもので、芸術なんてものには縁がない。

 ただ確かに、学園に飾られている彫刻や絵は、俺のみたいに崩して作られてなんていなかった。皺の一つ、木目の一つに至るまで精密に描き写す事を目的にしているみたいなものばかりだったのを思い出す。その頃には木彫り細工を止めていたから、あまり見ないようにしていた。らしくないから、なんて思い込みで。


「その内、民芸品とか、木工? とかの職人にでも弟子入りする道があるのかもな」


 リースがあんまりにも興味深そうに見ているから、つい気を良くしてそんなことを口にする。

 昔は似たようなことを考えていた時期もあったんだったな。


 らしくない。


 横暴で、自分の意思を曲げず、どんな相手にも怯まず立ち向かうジーク=ノートンらしくない、平凡でささやかな人生だ。


 少なくとも今の俺には不要な話だった。

 ハイリアにぶん殴られて、告げられた言葉もあるから、目を背けようとはしないけれど、きっとここに小さな村で木を削って生きていくだけの男は必要無いから。


「いいんじゃないか」


 だから、心底嬉しそうに賛同するリースに思わず手が止まった。


「……どうして」


 すぐ削り始めたけど、つい削り過ぎた。

 後で形を整えていくことを考えれば、明らかに深い。


「お前の未来を決めるのはお前だ。人は何にだってなれる。それなのにこんな苦労を抱え込んで、不安に思ったり侮辱されたとしても、騎士を目指そうって思えるなら、お前の望みは本物だ。そうお前が言ったじゃないか」


 懐かしい話をする。

 確かに以前、家の名誉回復を望みながら、儘ならない現実に落ち込んでいたリースへ贈った言葉だ。


 笑みを浮かべながら、こちらを真っ直ぐ見てくるリースを見返した。

 髪のせいもあるけど、一年前に見た時よりずっと大人びて見えてくる。


「……せめて、俺向けに言い換えてくれれば惚れたかもな」

「惚れさせない為の予防線だ」

「言ってろ」


 第一に私は言葉選びが苦手だ、なんて負け惜しみを言いつつ顔を背けるリースだったが、すぐ目尻を落として向き直ってきた。


「お前の中のヒーローとは、ささやかな趣味に没頭することも許されないような、息苦しさの中で生きているのか?」


 問い掛けに答えるより先、そっと目を閉じて言葉を噛み締めた。


 あぁ。

 下手に言い換えた言葉よりずっとありがたい。


 ちっぽけな俺を認めるだけじゃなく、そんな俺が親父のようであることを望んでいることさえ、彼女は受け入れてくれているんだ。


 手の中にある、削り過ぎた木片をくるりと回し、透かすようにしてリースへ重ねた。

 ポーキー君にするには小さいが、今の髪を前へ降ろしたリースを掘るには十分だ。全身ではなく肩から上だけにしよう。崩して掘るのとは違って、実物を描くのは結構神経を使う。特に髪は、木彫りじゃ細かく表現するほど割れを引き起こしやすい。適当に拾ってきたものだから、木彫りに適した材質とも言いがたい。

 でもやってみたいなと思ったから、手を進めた。


「何もかも完璧に、定規で測ったみたいな正しさを求めてるんじゃない」


 そいつは力を持った連中の掲げる正しさとは違って、俺が思う正しさに過ぎないけど。


「そうだな。お前は器用だけど、根が不器用なのはもう知ってる」

 苦笑する。

「不器用なりにヒーローを目指していれば、それでいいんじゃないか?」


「そんなのに誰かの手を取れるのかねぇ」

「出来るさ」

 木屑を落とし、唾を飲んだ。

「不器用なりにヒーローを目指し続け、諦めないのなら――いずれお前は不器用に人を救えるヒーローとなるんだ」


 なんの問題もないじゃないか、なんて言われて、こっちは帽子を被ってなかったことを思いっきり後悔した。

 手にした短剣でぺたぺたと額を叩き、口元が緩んじまうから、負け惜しみみたいに言い返す。


「それでもさ、苦手を克服する為に頑張ろうとするのも、やっぱ大事だろ?」


 机の上に広げたままの本を指差してやれば、リースは一気に苦々しい顔をして顔を背けた。


    ※   ※   ※


 聖女セイラムが完全に復活した時、四人の眷属も同時に現れる。


 『剣』

 『弓』

 『槍』

 『盾』


 それぞれの魔術に於いて、彼女の作り上げてきた歴史で最も力ある術者を写し取り、呼び出されるのだという。

 魔術による加護を与え続けてきたセイラムを背後に立ち塞がる四人は、ティアから見ても化け物じみた強さだったって話だ。そいつらを倒した状態でなければセイラムにチェックは掛けられない。同時に大きな弊害が発生することも、ティアから伝えられて知っている。

 対セイラムの戦闘じゃあ、イレギュラーだけが頼りになる。

 難しい上に、厄介この上ない相手だ。


 ティアを器とした仮封印はそう長く持たない。

 アイツの心を守る為に膨れ上がった樹は俺が最後に見た時はもう空を割るほどに伸びてやがった。

 セイラムはいずれ完全復活する。


 これまでの歴史全部が襲い掛かってくるような戦いは、もう避けられるものじゃない。


 きっと、ハイリアはそこに焦点を合わせ、今まで戦力の増強を図ってきたんだと思う。

 弊害への対策も、珍妙に思えたいろんな事が繋がってくる。

 思考の規模がでか過ぎて呆れるけどな。


「……いい風だな」


 呟きが夜風に乗って、何かの花びらを運んでいった。

 屋根の上で腰掛けていたから、身体が回らず見失う。


 端から片足を垂らして仰向けに。

 普段は埃っぽかったり砂っぽかったりしている屋根は、この間の大雨で随分綺麗になった。

 今なら裏路地の臭いもかなりマシになってるだろう。川で汲んだ水を飲むには濁りが酷かったが。


 身体を伸ばしながら息を抜いた頭に浮かんでくるのは、このデュッセンドルフで惨殺されたフーリア人の姿だ。


 ぐちゃぐちゃになるまで叩き潰され、壁や床にこすり付けたような破壊ぶりには今でも胸糞悪くなる。あの時はこんなことになるなんて思わなかったし、先回りしていく手段もなかったけど、犠牲を仕方ないで済ませるようなことは出来ない。


 アレは明らかに人の手に余る殺し方だった。

 破壊というなら『槍』の魔術が浮かぶけど、あんな通りに近い場所で派手な魔術光を撒き散らせば確実に人目につく。

 集めた話によれば、怖ろしい叫び声を聞いて駆けつけたら、もう事は終わっていたらしい。屋根の上まで吹き上がる『槍』の魔術光を見たって話はない。『剣』ならもっと綺麗な断面をしていただろうし、隠蔽に優れた『弓』でもどうだろうかと首を捻りたくなる。少なくとも、死体だけじゃなく周辺の壁や地面にも矢傷は見付かっていなかった。


 なら魔術に拠らないものなのか?


 ピエール神父との決闘から、ハイリアが魔術を使わず戦いに出る姿がよく人の噂にあがる。

 一部じゃセイラムの加護を失っただの、導きに反した者だなんて言われてるけど、決闘前に姿を現した時、誰の目にもはっきり分かるくらい膨大な魔術光を発してたんだ、まず否定されて口を閉ざす。


 肝心なのはそこから先で、鉄甲杯なんていう大勢の前でもあの人は魔術を使わなかった。

 使えないんじゃなく、使わず、戦い続けている、と言われるようになった。

 なぜか、って所には色んな話を聞くけど、フーリア人であるシャスティが自ら出場し、次々と術者を撃破していくこともあって、自分たちにも同じことが出来るぞと自前の武器を持つような連中も増えているらしい。


 魔術が無くたってあれだけの戦いが出来るんだ。

 だったら、あの惨殺は魔術ではなく、人の力だけで行われたものなのか。


 確かにハイリアの得物みたいな重量物であれば人の身体をあれだけ壊すことも出来るのかもしれない。


 けどなんだろうな。

 あの現場には、人間の理性や感情というより、獣の本能に近いものが感じられた。

 獣は食う以上に殺しをしない。そいつは矜持なんかじゃなく、生き物を殺すということが自分の身にも極めて危険が及ぶものだからだ。

 だから食うでもなく、感情を暴れさせたような現場には獣というには疑問が残るのも確かで。


「デートの誘いに乗ってくれたらありがたいんだけどなぁ」


 アリエスのおかげで何度も先回りに成功したけど、不確かな存在を見て取った以外に成果はない。

 こっちに気付くとすぐ消えちまうんだ、戦いようも、確かめようも無かった。


 犠牲が出ていない、っていうのが唯一の救いか。

 化け物による惨殺を防いでたら、便乗した人間による事件が起きてるってのは救いようも無い話だけど。


 息を抜く。


 曇り空を蹴り上げるようにして後ろへ飛び起きると、改めて眼下の通りへ目を向ける。


 浅黒い肌と、白い髪を持つ少女が店じまいを始めている。

 よく知る相手だ。声を掛ければきっと上手くいく。いつも通りに。これまでのように。


 だけど、掛ける言葉が見付からない。


 フロエは、俺が知るような女の子じゃないらしい。

 ティアは多くを教えてくれなかった。ハイリアも俺に教えるつもりはないんだろう。本人に聞くなんて論外だ。

 内乱の時、叩きのめしたヴィレイが何かを語ろうとした時、咄嗟に顔を蹴り飛ばした。あの汚い口からフロエの名前が出るのさえ虫唾が走る。知りたいとは思っても、そいつはあんな奴の口から耳にしていいことじゃない。

 ヴィレイと関係していたこと、性根の腐りきった奴のすることに幾つかの予想は浮かんでも、確証はどこにもない。


 きっとこの先、事実を俺が確かめることは出来ないんだろう。


 けどそんなことは問題じゃない。

 フロエが知って欲しいと思うのなら聞きたい。

 どんな内容でも受け止めたいと思う。けど、教えてはくれないんだろう。


 それはあんなに近くで暮らしながら気付けなかった俺への罰みたいなもんだ。

 だから、いい。


 奴隷狩りの再来と言われる、その最初の現場で、フロエがハイリアと居るのを見た。

 アイツを庇って、酷い景色を見ないように前に出た姿を、俺は離れた場所から見ていた。

 向き合った二人と、フロエの肩にやったハイリアの手に、アイツの手が重なって……。


 思い浮かべた光景を切り裂くように、目の前を小さな鳥が飛び過ぎた。

 顔をあげ、姿を追えば、長い尾を風に揺らして身を翻してくるのが見える。


 すぐに通りから見えない位置へ移動して、手を掲げてやった。

 片手で一掴みに出来そうな細身の鳥が器用に人差し指へ留まって、その足に結われている筒を確認する。

 預かっていた餌袋を広げて差し出してやると、よほど腹が減っていたのか小刻みに、素早く餌を啄んでいく。

 筒の口を回して中の紙を取り出し、すぐに締めた。

 あまり与えすぎてはいけないわ、なんてアリエスが言っていたのを思い出して餌袋を閉じると、小鳥は用が済んだとばかりに飛び立って、暗闇の中に消えていった。身体の大きさの割に尻尾が長く、飛んでいる姿はかなり綺麗だ。


 灯り灯り、などと考えて足を留める。


「いらないか」


 手の中に生み出した短剣をくるくると回し、柄を握り込む。

 慣れた感触に条件反射みたいな笑みが浮かぶ。コイツがあればどんな相手とだって戦える。そういう積み重ねてきた自信と、思い込ませてきた過去がある。


 振り払うように腕を広げれば、足元から緋色の魔術光が燃え上がった。


 普段は光を抑えることが多いけど、今欲しいのは灯りだ。

 内容は大体分かってる。把握すれば、すぐにでも現場へ駆けつけなくちゃならない。

 方向が不確かだったから手近な所へ引っ掛けて、短剣を回して引き絞るだけ。後は行きたい方向の反対へ駆け出し、引かせれば『銃剣』(ガンソード)の魔術は刀身を飛ばすのと同じように俺を夜空へ吹っ飛ばしてくれる。


 だが、内容は俺が思っていたものとはまるで違っていて、


「そうか。あぁ……どうなるにせよ、相手を譲るつもりはねえよ……」


 倒れた俺を、辛そうに見下ろしていた男を思い出す。

 あの時掛けられた言葉以上に、その表情が忘れられなくて、そいつが何よりも俺の間違いを指摘していたようで、苦しかった。


 あの人はあの時、何を失ったんだろう。

 そして、今日まで、何を得てきたんだろう。


 本物のヒーローだと思った。

 親父を真似て、作り上げてきた根拠も無い自信を振り翳していた俺とは違うんだと。


 いや、違うかどうかなんて関係ない。


 負けてしょぼくれた自分を恥じる前にやることがある。


 借りだの貸しだのもきっと違う。


 ハイリアは言った。

 俺が今持ってる名前は、元はあの人のものだったんだって。


 だから、そうだ。


 俺はもっと単純に――


    ※   ※   ※


 「そして果たすべき責任を果たした後、俺の命を君に捧げよう」


 違う。そうじゃないだろ。

 どうしようもなく自分たちの犠牲だけで何もかもを納めようとする言葉を聞いた時、怒り以上に涙が溢れてきた。

 ふざけんな。思って、顔を抑えて、無理矢理にでも引っ込めた。

 縋り付いて止めてくれなんて言いに来たんじゃない。


 アンタはこの先の答えを知っている筈なのに、それでもここで止まることを選んじまった。


 それを否定する俺が正しいかなんて分からない。

 本当にどうしようもなくて、ただ苦しみを広げるだけなのかもしれない。

 抗っていたら失う時間があるのかもしれない。


 だから、選んだ後悔だけは背負わせない。


 俺をここまで連れて来た、本当に大勢の願いを受けて、アンタに希望(ぜつぼう)を強要する。


「はい」


 二人の表情から険が消えていく。

 本当に、心の底から安堵しているのが分かった。


 そいつを踏み躙る。


 覚悟を決めろ。


 踏み出した。


「そうなっちまうよな。あぁ……そうでなけりゃ、どれだけ良かったか」


 メルトは驚いて、ハイリアは当然のように俺を見た。

 その目に宿る息苦しいほどの意思に、作っていた言葉が出遅れる。


「待っていたぞ、ジーク」

 気圧されるな。

「俺はアンタを見損なったよ、ハイリア」


 たとえ俺やフロエを救おうとしているんだとしても、自分から席を降りて、満足そうに逝くなんて認めない。


 俺一人ならこんな風に向き合うことも出来なかった。


 分かれよ、なあ……。


 なんで俺なんかがここに居るのか。


 アンタ自身が手を取って、背を押してきた連中が今、どんな想いでそのツラを見ているのか。


 分かれよ。

 いや、


「っっざけんじゃねえ……!! 俺がそんなの許す訳ねえだろうが!!」


 アンタが俺に示したんじゃねえのか!!

 人の事ばっかり気にして世の中みんな巻き込む癖に、どうして自分のことになったらあっさり諦めちまうんだよ……!!


「納得の行く手段も示せずに否定だけするな。第一、お前にだけは言われたくないな」


 あぁそうさ。俺だって解決策なんて浮かばない。こんなの状況を引っ掻き回すだけの馬鹿でしかないのかも知れねえ。


 けど絶対に認めない。


 人に力を与えて、希望を見せてきた奴が、幕の裏に都合よく隠されて消えていくなんて。


「今のアンタはナイトですらない。目ぇ覚まさせてやるよ!!」


 勝手に幕を下ろしてんじゃねえよ。


 俺はジーク=ノートンだ。


 アンタがくれたんだろ。

 だったら俺は俺を全うする。


 綺麗に飾り付けられて下りていく幕を引き千切り、本番はこれからだって、カーテンコールに並んでいた連中まとめて引っ掻き回すことになっても構いやしない。笑顔で終われる筈だった連中の表情を曇らせようと、お前のせいだと怒りを向けられるんだとしても、絶対に納得なんてしてやらない。



「覚悟しろ、以前のようにはいかないぞ――カウボーイ」



 HA! と、当たり前みたいに声が出た。

 そうさ。無茶でも無謀でも構わない。不可能なんて蹴っ飛ばせ。


 悲劇を抱えて明日を笑うなんて嫌だね。


 俺が目指すのはいつだって完全無欠のハッピーエンドだ。


 どいつもこいつも馬鹿みたいに幸せそうで、ご都合主義を嫌うクソったれな評論家をこそ笑い飛ばして、最高の今を終えて、明日に向かう。


 もう十分引き絞ったろ。

 下がるのも、沈み込むのもたっぷり味わった。


 最後の引き金は重たいけどさ、



「覚悟が足りてないのはアンタの方さ、周回遅れ。都合良く諦める理由ばっかり探してんじゃねえぞ――!!」



 アンタが与えてくれた絶望(きぼう)を、俺は越えていくぞ。





四章下、始動です。

定期更新はまだ少しお待ちください。

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