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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第四章(上)

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 打ち合わせる毎に研ぎ澄まされていく。

 紙一重の向こうは勝利か敗北だ。

 何気ない一合が決定打足り得るほどの凄みと覚悟に裏付けされた攻防で満ちている。


 欠けて、毀れて、なのに切れ味はどんどんと増していく。


 分からない。

 一体、どこまで。

 ヨハン。

 お前は。



 今目の前に居る男がどこまで強くなっていくのかが分からない。



 使える切り札は全て晒した。

 技巧も、力も、考え抜いてきた手の全てが、通用はしても決め切れなかった。

 手応えはあるのに勝利へ繋がっていかない。


 なのに今、焦りはない。


 戦いは将棋の指し合いとは違う。

 同じ手順が同じ効果にはならない。

 ただ歩を進める行為一つに差が生まれる。

 錬度か、勢いか、疲労か、体調の良し悪しか、あるいは天候か、踏み出した先の地面か。


 晒した手を更に上位へ。

 もっともっといける筈だ。

 もっともっと強くなれる筈だ。


 泥を跳ね飛ばして駆け込んでくるヨハンの一振りを硬守で受ける。

 進む勢い、腕の振り、角度、刃先の揺れ。全てを捉えきることは出来ずとも姿勢を崩すには十分な反発があった筈だ。なのにヨハンは反発で崩れるどころか身を動かす勢いの一つとして処理して駆け抜けていく。


 散った火花が目の中に残った。

 受けた鋼鉄の柄に切れ込みが入っている。


 『剣』の魔術による切断の加護が増している。


「っ……ハハ!」


 再び身を返して駆けて来るヨハンが笑みを溢す。


「あァ、いい感じだ。なあ、そう思うだろォ……!!」


 速度が増す。

 目測を誤った。

 コレを受けるのは拙い。

 踏み込んで、真っ直ぐ突っ込んでくる勢いを叩き返すようにハルバードを振るう。


 当然のように対処してきた。

 カウンターが来るのは承知の上、という動きじゃない。

 目の前に発生した障害へ咄嗟に対処している。


 思いつきの、場当たり的な行動だ。


 なのに、鋭さが増していく。


 魔術光の変化を読んでさえ手が遅れる。


 ヨハンは徹底した一撃離脱を繰り返していた。

 考えてのことかは分からない。だがコレは、当初最も避けたいとしていた構図だった。


 彼の攻撃には勢いがある。

 思い切りの良さ、そしてそれを支える振りの速さと太刀筋の真っ直ぐさは安易な防御ごとこちらを切り裂いてくるものだ。

 通常真っ直ぐ突っ込んでの一撃なんてカウンターの餌食だ。

 俺が主に狙っているのもソレだ。


 初手で相手を沈みきれない状況下、待ちの姿勢は反則的な強さを持つ。

 銃弾のように対処不可能な速度で飛来するならともかく、人が踏み込んで攻撃を放つにはどうしても時間が掛かる。

 動きの鋭さに驚かされることはあっても目視確認すら不可能というのは稀だ。

 ましてや今のヨハンはひたすら真っ直ぐ突っ込んで攻撃を仕掛けてくる。

 反撃を狙いやすく、姿勢を整えて静止している俺には動きの選択肢が豊富で、速度に任せて突っ込んでくるヨハンには手が限られてくる。フェイントを入れようとしても速度をつけようとすれば距離が開いて、確認するだけの余裕も出来る。


 けれど。

 だからこそ、そこへ注力するようになれば迷いが消える。


 先だっての試合で見せた、副団長相手の打ち込みは実に見事なものだった。


 奇策を弄する相手へ圧倒的な力でねじ伏せる。

 あれはそういう類のもので、王都を離れるまで終ぞ俺には到達出来なかった場所だ。


 経験は得た。

 心身を鍛え上げ、武器へ馴染み、戦いで勝利へ至る自分なりの流れを掴めて来た。

 時に相手の思考が自分へ重なるように先が視えることも増えてきて、勝負強さのようなものも出てきたんだろうと思う。


 だが、届かなかった。


 ピエール神父に対する最後の一撃ですら、あの男が何かに気を取られたことでようやく入ったのだから。


 速度の問題じゃない。

 そんなことなら軽い武器に持ち替えれば済む話だ。

 振りが速ければ達するものじゃなく、力強ければ近付くものでもない。


 俺の感覚や膂力はこの重い武器を扱うことに慣れている。もっと言えば感性の問題だ。時間があるのならともかく、今から持ち替えるというのは下策以前の愚挙だろう。


 足運び、体捌き、指先に掛かる力一つ一つに、刃先が辿る軌跡と、一振りの中身。

 どうすればいいかなんて俺にも分からない。


 ただ、今俺に浴びせかけられる全ての攻撃は、そこへ至ろうとする一撃だと感じる。


 反撃を入れ損なって、また離れていくヨハンを見送る。


 こうなると分かっていたから、序盤から徹底して攻め続けたんだ。

 追いつけないのが問題なんじゃない。

 ヨハンに腹を括らせ、気持ち良く剣を振らせないことは勝利への重要条件の一つだった。


 守りきれない。


 いや、まだ防御だけならなんとかなる。


 だが攻めへ転じることが出来ない。


 この天秤もいつ傾くかが分からなかった。


 静止状態からの打ち込み合いならまだ勝てる自信がある。

 いつくるか、どれだけ押さえ込もうとしても漏れる魔術光の変化を見て取り、速さに頼らずとも後の先を行くだけのことは出来る。


「っしゃあらァ……!!」


 けれど読めて尚それ以上の結果を叩き出されては流れそのものを押し流されてしまう。

 力勝負なら負けないのに、勢いに押されて攻防の際に下がることが増えてきた。得られた余裕でやりくりしつつ、いつしか静止して待つ俺の方が選択肢を狭められていることに気付く。

 歩を合わせて攻防の間を作るにも、まずあの速度を崩さなければどうにもならない。

 追いつこうとしても振り抜くときには間合いの外へ逃げてしまうんだ。


「………………あぁ、そうだな」


 もう随分と前に問われた気もするが、ヨハンの呼びかけにようやく言葉が出た。


「悪くない……!! ならいっそこちらも腹を括れる」


 選択肢が狭まったのならそれでいい。

 相手に自分より優れた何かがあることなんて今に始まったことじゃない。

 憧れもする。手に入れたいと足掻いて、無様を晒すこともあるだろう。


 だが俺は、俺を貫く。


 受ける。

 受ける。

 受けて、いなして、かわして、弾いて、滑らせ、打って、引き込んで、絡めて、抑え込み、あるいは逃げて――。


 雨音が消えていく。

 晴れつつあるのかどうかも分からない。

 意識の全てがヨハンへ向いて、他の全てが消え去っていく。


 ただただ防御に徹した。

 反撃の機会は常に伺う。

 出来なくてもいい。

 攻防の一瞬一瞬に発想を忘れず、けれどひたすら攻撃を受け、防ぐ。


 この行動の先に機会があるかどうかなんて知らない。


 俺が持てる選択肢で最も優れているのが防御というだけだ。


 浜辺へ描いた砂絵のように、いつ風が吹いて消えるとも知れない攻防を重ねていく。


 身体はまだ動く。

 肉体の疲労より精神の磨耗が問題だ。

 休みたい、疲れたと訴える脳に鞭を入れ、また一つ、また一つと越えていく。


 この攻防の向こう側で待つ、たった一瞬の機会を、俺は待ち続けた。


    ※   ※   ※


   ヨハン=クロスハイト


 崩せない。

 どれだけ打ち込んでも届かなかった。

 一合一合、全身が痺れるくらいの怖ろしさを振り切って攻撃してるってのに、肩のかすり傷以来まともに攻撃が入らない。

 自分でも信じられないくらい上手くいったと思う攻撃を止められ、あまつさえこっちを崩しにまで来る。


 打ち込むほどに息苦しさが増していった。

 どうすればこの人を倒せるのかが分からない。


 なのに今にもぶっ壊れそうなこの勝負が、楽しくて仕方なかった。


 どこまでいける。

 どこまでやれる。


 これは、こいつは、思いつきですらない本能による攻撃を、繰り返すほどに磨いて、研ぎ澄ませていく。


 雨粒でもうびしょ濡れだってのに、冷や汗の流れる感触がはっきりと分かる。

 勝てると確信出来た攻撃は一度や二度じゃない。

 それでも決めきれず、危うく反撃を受けそうになったのを逃れているだけだ。


 俺にはあんな上手い足運びも、防御一つで相手を崩す手も、『剣』の術者の攻撃を指先一つで受け止める目も無い。


 ただ一振り。


 気が遠くなるほど繰り返してきた素振りと、予告無しに襲い掛かってくる女への警戒。

 一点に集中しながらも外をなんとはなしに感じていくのは、正直まだまだ出来てるとは言えねえ。


 今だってジンと相手の一年坊が落ちたのは分かるが、どうなってそうなったのかは見落とした。

 セレーネは思ってたよりずっと粘る。オフィーリアは少し動きが鈍い。無理をしたか、上手くしてやられたのか。


 どの道俺のやることは変わらねえ。


 つーか水浸しだなこの会場。

 確かに雨も酷いが街中でここまで溢れ返ってるのは見たことねえぞ。


 距離を稼ぎながら視線を回すと、客席のある外壁からどばどばと水が流れ込んでるのが見えた。

 ああいうのが何箇所でも起きてるから、内側に水が溜まっちまってるのか。

 まだ足首が沈む程度だからなんとか出来るが、膝下までになんてなったら拙い。

 雪の中でハイリアと戦った神父の二の舞だ。

 待ちの姿勢を取る相手に駆け回って翻弄しようとすれば、こっちは速度を付けるほど不意の隙が大きくなる。

 いやそもそもそこまで沈んできたら走り回る余裕なんてねえぞ。


 急ぐなよ……。


 焦って倒せる相手じゃない。

 けど腰を据えて倒せる相手でもない。


 やれることは一つ。

 分かりきってることだ。

 ほんの少しでも気を散らせば俺が負ける。

 攻撃の質を落とせば、余裕を与えてしまえば、最初に受けた攻撃みたいにあっさりぶち抜かれるんだ。

 さあ行くぜ――思って、目標を見据えて駆けた時だった。


 俺とハイリアの間に、オフィーリアとセレーネが駆け込んできた。


 ハイリアの姿を一瞬だけ見失う。

 だがそいつは向こうも同じだ。


 二人が唐突に交差してきたのは偶然だろう。

 互いに必死な横顔が見えて、俺たちの間に入ったことを未だに気付いてない。


 魔術光を静かに。


 二人も同じ『剣』だ。


 俺はこの影に隠れて行ける。


 向こうはどうだ?

 見えないが、姿を見失う寸前に動く気配は無かった。


 行くぞ。


    ※   ※   ※


   セレーネ=ホーエンハイム


 あ、と思った時にはもう二人の間に割って入ってた。

 ハイリア様と、ヨハンの間。

 少し距離はある。

 けどヨハンは、下がるオフィーリアさんを追う私の影へ滑り込むように駆け込んできていて、ハイリア様は私たちに驚いて見失ってる、多分。


 このままじゃ拙い。


 でも、オフィーリアさんを放置も出来ない。


 ジェシカを落とした直後の、無理の入った攻撃へ連続破砕を重ねることで大きなダメージを与えられたけど、咄嗟に半身を向けられて崩しきることが出来なかった。続く連打も身を逸らし、刃を跳ね上げ、反撃によって私の腕の動きを操って逃げられた。

 ただ明らかに余裕がなくなってきてる。

 積極的に攻める私の攻撃から逃げるばっかりで、転機を見出せていないんだ。

 今必要なのは慎重さじゃない。勢いに乗った思い切り。押せているっていう事実を足がかりに踏み込んでいく。


 振り下ろしたトゥーハンデットソードから左手を離し、その前から生み出していたソードブレイカーで横薙ぎにする。

 大降りの後を狙おうとしても短剣の一振りには叶わない。

 扇状に広がる攻撃を交差させられたら飛び込む隙間なんてない。


 だから、ほんの少しだけ目を離して、ハイリア様を見た。


 目が合った。


 何故だろう。

 その瞬間、考えてることが繋がった気がする。


 もう一合、そう、この次。

 ハイリア様が駆け込んでくる。

 ヨハンとの距離が近い。


 雨が落ちる。


 心臓が脈打った。


 息を吸う。


「っっ――づぁぁあ!!」


 急制動を掛け、ソードブレイカーでの薙ぎ払い。

 相手はオフィーリアさんじゃない。

 隠れ、私たちの影から飛び出してハイリア様へ斬り込もうとしていたヨハンにだ。

 大きな牽制にはならない。まだ少し遠くて、回り込めばなんとかなる。でもそれでいい。あんまり引き寄せれば、私じゃ呆気なく斬られてただろうから。


 同じく連続破砕から逃れたオフィーリアさんが即座に身を投げて突っ込んできている。

 無理な動きをしたから膝が少し固い。血を流し過ぎてるのは、なんだか気にならなくなってきた。拙い気もするけど、今はいい。どうでもいい。


 ズン――と、私たちの攻防には無かった力強さが私の背後を抜け、オフィーリアさんへ肉薄する。


「ォォォオオオオオオオオオ……!!」


 叩き付けられたハルバードが泥を割り、地面を砕いて本当に大地を揺らした。

 その柄を踏んで反対側へ跳ぶのと同時に、ハイリア様がヨハンの方へ向き直る。ハルバードは私の跳ぶ力を利用して動き出している。


 オフィーリアさんは攻撃で受けた衝撃に身が竦んでいた。

 固くなりつつあった動きが、確実に縮こまってる。

 分かる。訓練で何度受けても、ハイリア様がああやって強襲してきた時、自分の全部が逃げろって訴えてくるから。物凄い攻撃を前に、巨大な獣の咆哮を聞いたみたいに動けなくなる。


 斬り込む。


 背後でハイリア様による振り払いの一撃が、多分、寄せてきたヨハンを強襲していく。


 私は外へ、オフィーリアさんを、ハイリア様の間合いから逃がさない。

 あの重い武器による大降りは隙を生む。だけどその隙を狙えば、外から差す。視線がこっちを向いて、足先がヨハンの居る方へ向いた。切り返す。滑りながら、一度、二度と足を空転させながらも加速して追う。いけるか、という思考と同時に、見失っているヨハンを意識した。来る。絶対来る。


 そして来た。

 オフィーリアさんと交差する形で地面を這うように飛び込んできたヨハンからの切り上げに、たまたま防ぎに入ったソードブレイカーをあっさり弾き飛ばされて腕を斬られた。もう痛いのかどうかもわからない。興奮し過ぎてて頭が痛いくらいだ。続いてもう一撃が来る。突きだ。サーベルの切っ先はとっくにこっちを向いていて、前へ勢いをつけた私の方からそこへ飛び込んでしまう。


「掴まれ!!」


 声に引き摺られて、単純に目が向いた。

 ヨハンを強襲して振り切ったハルバードが、ピタリと私の背後につけていた。どころか、残る私の手元へ矛先が差し出されていて、咄嗟に強く、力一杯柄を握りこんだ。


 信じられないくらい簡単に身体が引き寄せられて、反対側をハイリア様が駆け抜けていく。


 空を刺したヨハンのサーベルが構わず距離を詰めたハイリア様を襲う。

 けど、先にハイリア様の蹴りが入った。

 蹴飛ばされた小石みたいに跳ね跳ぶ姿を見ている余裕はなかった。


 オフィーリアさんが、身を返して踏み込もうとしていた。


 今から私が差し込もうとしても間に合わない。

 自分の中にない力強さで引かれて、身体がちゃんと制御できてなかった。

 けど、立ち位置を入れ替えた私は、引かれるまま柄の表面を撫で、石突きに触れている。


「ハイリ、わぁ!?」


 あんまり格好良くは行かなかったけど、泥に足を取られてすっ転んだ私は足で石突きを蹴り上げた。

 ハイリア様は矛先を握っている。

 オフィーリアさんが腕を振るう。


 鉄板を引っかいたみたいな音がして、刀を振り切ったオフィーリアさんが膝を付いていた。私の攻撃が入った右脚が踏ん張れてない。

 彼女の剣筋は厄介で、掴み処が無かった。真っ向からの防御は危険。そう思っていた。

 だけどハイリア様は、その剣を受け止め、抑え込み、流しきってしまう。


 矛先は下を向いているから、私も転んでしまったから、決定打には繋げられない。

 ヨハンがこっちへ向かって来てる。

 もがいて起き上がろうとする私より、オフィーリアさんの決断は早かった。


 即座の離脱。


 ハイリア様の間合いから逃れ、ヨハンの攻撃を邪魔しないよう距離を取る。

 ようやく地面を踏んだ私の前で、二人の攻防が弾ける。


 凄まじく鋭い打ち込みと、それを完全に受け切った防御。


 まるで初めての恋みたいに胸が高鳴って、目を奪われた。

 私が頭で思い描いていたものよりもずっと綺麗で、凄くて、夢中になってしまうくらいの熱が篭った光景だ。


 まだ、届かない。

 私には追いつけない、ずっとずっと先の光景。


 瞼の奥に焼き付けて、私は私の相手を追った。


    ※   ※   ※


   ハイリア


 今のすれ違いでようやく自分たちの状態を把握できた。

 いつから意識を外していた。集中はしても全体の把握など長として最低条件だ。


 双子が脱落した所までは把握していた。

 ジェシカは落ちた。

 ジンも居ない。


 残っているのは俺と、セレーネ。

 そしてヨハンと、オフィーリア。


 後誰か一人が落ちた時点で勝負が決する。


 そんな状況をまるで理解せず戦っていたのか。

 まだ試合が継続している以上、反省など放り捨てる。

 ただあの一瞬の判断、目の前に跳び込んできた二人の影へ隠れて距離を詰めてきたヨハンは、完璧ではないにせよ俺より広い視野を持てていたということになる。実際に俺は動き出しが遅れ、位置的に二人から近かったという好条件を逃した。あれは、ヨハンが詰めるより早くオフィーリアを二人掛かりに出来ていれば、一気に決めきれていただろう場面だ。


 乱暴な所ばかりが目立つヨハンだが、この鉄甲杯では長として振舞って、ここまで欠員を出しながらも人を率いてきた。


 本当に、ようやくだ。


 気が付けば二番手に甘んじ、強気ではあってもどこか力の抜けた振る舞いをするようになっていた。

 雑魚だ雑魚だと罵っていたクレアに初めて負けた時も平然としていて、俺と直接稽古をすることも無くなって、徐々に埋もれていく姿を遠巻きに眺めた。声を掛ければ良かったんだろう。だが俺も、いつものことだと、どこかで見切りをつけてしまっていたんだと思う。


 クレアは階級ではなく、自らを貴族たらんと欲して人を率いようとした。


 ヨハンがどういう理由だったのかは知らないが、少なくとも彼もまた貴族社会の魑魅魍魎に対して勝負へ出ていたんだ。


 人の姿を見てようやく動いた俺とは違って、お前たちは自らに生じた望みを形にしていけた。


 本当に尊敬出来る、頼れる仲間だ。


「っ、っっ――!!」


 だからこそ勝ちたい。


 受け流すまま振り抜いていくも、ヨハンの背はあっという間に小さくなってしまって、矛先は空を斬る。

 慌ててはいない。相手の失敗に期待するのでもなく、己の技量を過信するのでもなく、今打ち合わせている攻防を更に鋭く、強固なものとへ磨いていく。追求の足が止まった時、相手より少しでも上回った時が勝敗の決する時だ。


 なあヨハン。


 俺はまだ、お前たちの長で居たい。


 解散させておいて何を言うのかと思うかもしれないが、お前たちが先を望んだ時、前に立っているのが俺でありたいんだ。


 失敗ばかり重ねる頼りない奴だけど、この位置だけは譲れない。


 もっと先へ。


 もっと強く。


 踏み込んでいく。


 そして、圧していく。


    ※   ※   ※


   ヨハン=クロスハイト


 勝ちたい。

 勝ちたい。

 勝ちたい。


 この人に勝ちたい。


 もっと早く、もっと鋭く、もっと、もっと、防御すら許さない攻撃を。


 首から滴り落ちる血が腕を伝い、手を伝い、サーベルの刃を濡らして行く。


 駆けて、すれ違い様の一撃を加えていく。


 何度も何度も繰り返した。

 一つとして同じ攻防は無かった。


 力の全て、今までの全て、ハイリアの見せた凄さに身を引いちまった馬鹿な自分さえ含めて、この一振りを先へと推し進めていく。


 泥を蹴立てて進んでいたのが、いつの間にか平らな普通の地面を走っているような気がしていた。

 足の指先一つ一つが地面を噛んで、足首が、膝が、股が、腰が、胴や腕や首や頭や、いっそ髪の毛一本まで、その先の動きを全部足先で操ってるんじゃないかと思えるほどに、鮮明で大雑把に感じてる。


 行くぞ、そう思って身を跳ばした先で、ハイリアがまた異様な雰囲気を膨れ上がらせた。


 なのにハルバードは、今までにないほど静かに動いた。

 刃先に触れた雨粒が断ち切られず、表面を滑って切っ先へ抜けていく。


 呼吸を潰されたような気がした。

 息苦しい。いや、いっそ止まれ。


 だが、同時に思う。


 アレに打ち込むのは拙い。


 逃げるべきだ。

 無数に打ち合わせた攻防の一幕、もしかすると奇跡の一動作かもしれないアレは、次に振り返った途端消えている。


 二度はない。


 だから、


 なあ、オイ。


 行くしかねえよな。


 思い、足先に力を込めれば、途端に直感した。


 キタ――、この一歩から生み出される攻撃は、今までのソレより数段先へ達したものだ。


 まるで最初からそこに道が作られていたように二振りのサーベルが動き始める。

 血が巡る。

 滴り落ちる血が、刃先に染み込んで、肉体の一部になっていく。

 刃が雨粒に触れた感覚を確かに得た。


 熱い。


 熱が来る。


 いっそこの熱で溶かし斬れとばかりに踏み込んで、



 入った。



 防御を抜け、刺し貫き、圧したハイリアの身体から流れ出す血を刃先で舐め取るように――、それら全部の感覚が吹き飛ばされ、俺の身は宙を舞った。


    ※   ※   ※


   フロエ=ノル=アイラ


 店を出るのが遅れてしまって、道が混雑していたから大きく迂回した。

 以前ならどこかへ隠れて魔術を使えば手軽に越えていけただろうけど、内乱の時に這いずり上がってきた聖女が私を掴み、ティアが引き剥がしてくれた時に、力の殆どを持っていかれてしまった。

 ハイリアには大丈夫と言ったけど、前みたいに完全な形で姿を消すことも出来なければ空を飛んでいくことも出来そうに無い。


 間に合わないかなぁ。


 関係者用の入場券というのを貰ったおかげで、表とは別の所から出入り出来るみたいだけど、会場までが思っていたよりずっと遠い。

 あんな所出入りしたことないし、近寄ったことも無かったし、お店とは別の賑やかな場所はちょっと苦手。


 挙句にこの大雨だ。

 足が濡れるのは気にしないけど、人が右往左往してるおかげで中々進んでいけない。

 こんなことならアリエスに言って、一緒に観に行けばよかった。


「…………」


 吐息は雨音に消えて、もやもやした気持ちは少しだけ洗い流される。


 アリエスとは碌に会えてない。

 友達だとか親友だとか、いろいろ一方的に言ってきたくせに、たまに手紙や言伝を寄越すだけで顔も見せない。

 シンユーだったらお店に来たりすればいいのに。

 代わりに父親という人が時々顔を出して、少しだけ話して去っていく。

 なんでかハイリアに会おうとしないから、一度裏口から逃げ出してたこともある。アレって凄い貴族の偉い人なんだよね……。


 ううん。

 そんなことはいい。

 会えなくても、元気にしてるならそれでいいし、十分過ぎるくらい助けられてるから。


 むしろ、アリエスが誘ってこなくて良かったんだと思う。


 行くとは言ったけど、義理を果たして置こうとは思えても、やっぱり少し、辛い。


 全部が自分の為じゃないのは前にも言われた通り。

 それで誰かが辛い思いをするのも、多分、受け入れきることは出来なくても、大丈夫だとよ言いたくなるけど、前よりは納得出来るようになったから。

 なんで嫌なのか。

 あんなに頑張って、必死になって、怖さを感じない筈ないのに、立ち向かう人が居る。



 それに応えることの出来ない自分が嫌なんだ。



 嘘で塗り固めるのが精一杯だった。

 裏切りだって、拒絶するよりもずっと酷いことなんだって分かるのに、そうする以外の方法が浮かばない。


 頑張る姿を見るほどに追い詰められる気がする。


 最低だ、こんなの。


 これでもし、挫けて、折れて、崩れ落ちる姿なんて見たら、私は自分の全てが許せなくなる。

 違うと分かっていることに意味なんて無い。

 気持ちの全部を自由自在に操れるなら、私はとっくにあのヴィレイ=クレアラインを好きになってる。そうすることが自分を幸福に出来る唯一の道だから。でも出来なかった。諦めて、何も持たずにいることだけが、最後の最後に何もかもを助ける礎になって消えてしまうことが、私が持てた最後の希望だった。


 続いてしまった命をどうすればいいのか分からない。

 唯一つ力になれると思えた方法も拒絶されて、私にはもう何も無い。


 せめて……どうか、


    ※   ※   ※


 悲鳴のような歓声が会場を渦巻いてた。

 場内は水浸しで、観客はずぶ濡れになるのも構わず何かを叫んでる。

 関係者室の場所が分からなくて、一般席に迷い込んだ私がようやく試合の様子を見た時、もう決着はついていた。


 ハイリアが負けた。


 髪の長い女の人が、正面の人の首元へ剣を突きつけていて、直接的な決着はそこだったらしい。

 けど、長い武器に寄り掛かるハイリアはまだ立ち上がれずにいて、お店に来ていたヨハンが駆け出す寸前の姿勢で固まってる。続いていたら、トドメが入っていたように私は思う。


 やがて力を抜いたヨハンに応じてハイリアが小さく息をついて、ゆっくりと、仰向けに倒れていく。


 止めればいいのに、咄嗟に魔術を使って見てしまった。


 悔しそうなのに満足げで、嬉しそうなのに寂しそうで、軽くなった自分を嘆きもせず、どこかを見詰めたままそっと目を閉じていくのを。


「…………馬鹿」


 また一つ、彼は大切なものを失ったんだ。





次の更新は8/18(日)の11時を予定しています。

上手く纏まれば四章上の最終話、小さな話がひっついて一段落となります。

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