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オフィーリア=ルトランス
セレーネさんとお会いしたのがいつだったか、あまり覚えていません。
ハイリア様に誘われて小隊へ加わった後も、私は自分の内側を整理し切れないでいて、周りを見る余裕なんてなかったから。
だから私が知るセレーネさんとは、とても明るくて、華やかで、力強い……元気をくれる人。
上手く対話も出来ていなかったヨハンさんやアンナさんとの間を強引に取り持ってくれたのも彼女で、ビジットさんが取り成してくれたおかげもありましたが、腰の引けていた私を押してくれたのは彼女だったから。
『暗ぁぁぁぁあああああい! もっと笑おうよっ、オフィーリアさん美人なのに勿体無いよっ、ほらアレ見て、さっきアンナのお尻触ろうとして吹っ飛ばされたヨハン、逆さづりで水桶に頭突っ込んでるんだよ笑えない!?』
どうしてそうなったのかととても疑問に思いましたが、私は笑うより慌ててしまって、けれどしばらくはそんな日々が続いた。
『あっ、今オフィーリアさん笑ってましたよ。いいなぁ、清楚で可憐なお姫様って感じで。私オフィーリアさんが笑ってるの見るの好きだなぁ』
自覚するのも難しくて、戸惑う私に彼女はいつでも笑いながら声を掛けてくれた。
いつの間にか、私は彼女が自分のところへやってくるのが楽しみになって、一人で居るとそわそわしてしまうことが増えた。
そんな時に彼女が別の誰か、ヨハンさんやアンナさんと騒いでいるのを見ると急に心細くなってしまって、手持ち無沙汰な私にあの人が小隊内での色んなやっておくべきことを教えてくれた。
『このようなこと……当家の者に言ってやらせておきますよ?』
総合実技訓練へ主力として幾度も出場することもある方でしたから、何故と、問い掛けた私に、ダット=ロウファはほんの少しだけ口端を上げた。
『確かに、俺でなくとも出来ることだ。下男下女の仕事なのかもしれない。だが、俺たちが使うものだから、俺たちでやっておきたい。そして俺は、出来れば俺の手で、彼らを支えていたいんだ』
時折私は、誰の目にも留まらないような雑用をする彼を、手伝うようになった。
目まぐるしく、日々が動き出していった。
それぞれが役割を見つけて、何かをしようと歩み始める中、未だにクレアさんと話の出来ていない私は、ちょっとだけ出遅れていて、
『行きたいんでしょ、大丈夫、私が保証するっ』
あの時、彼女の前へ歩み出ていけたのは、こっそり背を押してくれたセレーネさんのおかげだから。
「私はこの部隊のエースだっ! そんな簡単に負けるかァ……!!」
これが私の親友だ。
私に元気をくれた、勇気をくれたのは彼女なんだ。
ハイリア様はとても大きな人だけど、セレーネさんはとても身近な、私の英雄だから。
「はいっ! 全力で行きます!!」
叩き付けられる豪雨に押し潰されないように、顔をあげ、天高く吼えた。
「手加減無用、半端は無礼、殺すつもりで来いって事ですね――!!!!!!!!!!!」
「ぇ、ちょっ――」
皆に見てほしい。
私の英雄の、本当の姿を。
※ ※ ※
セレーネ=ホーエンハイム
怖い怖い怖い怖い怖い怖い――!?
オフィーリアさんがめっちゃ怖いいいいいい!!!
もうちょっと余裕を! もうちょっと手加減を! 攻撃入ってもなんか吹っ飛ばされて終わるくらいの安心を私に下さい!!
この大雨の中で髪を纏めていないもんだから、びっしょり濡れた腰元を覆うほどのソレがばっちんばっちん跳ねながら彼女の背中で踊ってる。前髪も長いし下手すると水死体みたいな有り様で、しかもお姫様みたいに整った顔立ちのオフィーリアさんが目を爛々と輝かせて追ってくるのが何よりも怖い!!
えっ、あれ私の友達なんですー、とか街中じゃとても言えないくらいにおっかない。
ねえ大雨なの分かってたんだから髪くらい括っとこうよとか、誰か気を利かせられる人が居なかったんだろうか。ウチはナーシャさんがいつもとは違う髪留めを用意してくれて、ハイリア様から頂いたへあぴんで補強までしてきたのに。あぁジェシカの髪をもっと弄ってみたかったのに最後は部屋の隅で威嚇までしてきたから諦めるしかなかったのが悔しい。最近はお洒落への興味も強くなってきて結構弄り放題だったのに髪はなんか恥ずかしいらしい。
駄目だ、逃避してる余裕もない。
もう第一段階だとか第二だとか放り出してソードブレイカーでの防御に専念してる。
だってなんか滅茶苦茶なんだもん。
猛攻、更に猛攻。
さっきなんか殺すとか言われてた気がするんだけどどういうこと……?
私そんなオフィーリアさんに恨み買うようなこと、ヨハンと一緒になって隠語を相手への褒め言葉や好意を伝えるのに最高のものだって騙してたくらいしか覚えは無いよ!!
指二本立てて、貴方ならコレで相手をしてさしあげますわ、とか。
私は小さくたって気にしません、とか。
最近道具を用意したので攻めも任せてください、とか。
疲れた時は物陰でコーインしてあげますからね、とか。
駄目だ、殺されても仕方ない気がしてきた。
だって全く疑わないし、まるで知識がないもんだからそのものな名前を出しても小首傾げてくるんだもん。何処までいけるのか気になってついやりすぎたというか、穢れないものを汚していく快感を覚えないでもなかったんだ、もん!!
全部ヨハンがそそのかしたことにしよう。
私は無罪、友情は素敵、だから殺さないでオフィーリアさん。
「ふふっ、ふふふふふふふ――!!」
だめだ許してくれそうにない。
一年半分くらいの恨みが積もり積もって怒りのあまりつい笑っちゃう、みたいな、娼館街を取り仕切ってる人らの頭領が昔こんな風に笑ってみせた後で相手を生皮剥いで引き摺り回したって聞いたことある……!
で、でも私だってエースですから、その、ちょっとくらい顔を立ててもらえると嬉しいんだけどなぁ…………。
駄目駄目弱気厳禁。
命を懸けろと、そういうことだ。
思えばこの肩の傷だって容赦無かった、普通に入ってたら私死んだんじゃないかなってくらい肩からバッサリだったと思う。
つまりオフィーリアさんは最初から私を殺すつもりで……いやそんなまさか、でも今絶対殺意満点だからね、怖いね……。
現実に命の危険が出てきたので、ここからは今まで以上に慎重な試合運びが必要になってくる。
そう、ちょうど今上手くいってる第三段階。
興奮して畳み掛けてきてるせいか気付かれていないようだけど、この状態でなければとっくに私の身体は二つに別れちゃってたよね。
手にしているのはソードブレイカー。
右手に一つ、左手に一つ。
そして、振り回しても連続破砕なんて飛び出さない。
つまり今私は『旗剣』ではなく『剣』の状態で戦ってる。
オフィーリアさんは私の振りを警戒するし、押さえ込もうとする。私も敢えて振り抜くのは避けて防御に徹する。やってもフリ。多分、バレてない。
『剣』と『旗剣』で武器の制限はない。あのリース=アトラっていう一年生の子がそうだったように、本来は得意武器そのままで性質が変化するものだ。
だけど私はこの大会中、大体『旗剣』はソードブレイカー、『剣』はトゥーハンデットソードで戦ってきた。最初の防戦でも印象付けをして、この武器の場合は『旗剣』であると刷り込んできた。紋章の変化を見て取られたら簡単に知られてしまうけど、大雨で視界がいつもより悪い上に、最初から『剣』の状態で武器を持ち替えただけ。変化するものは注目するけど、そうでないものは見落としがち。
動きのキレも、反応も速度も、『剣』としてのものになっている。
だけど見落としているオフィーリアさんは『旗剣』相手の警戒をして動きが鈍る。
序盤とはいえ『旗剣』で対処出来ていたんだから、コレで防ぎ切れないなんてことはない。
まあ本気で命懸けなんだけどね。
オフィーリアさんの動きは一層鋭く、予想のつきにくいものになっていくけど、刃先や全体像に惑わされなければ及第点の対処をしていける。
相手に勝るんじゃなくて、相手の勝利を通さない、そんな動きだ。
力勝ちできることが分かっている以上、ソードブレイカーの溝に引っ掛けてしまえば肉薄できることもはっきりした。
腕を斬られる。浅い。だけど肩から流れる血も、雨が当たって感じる痛みも私にとっては泣きたくなるほど辛いものだ。
傷を受けるのが怖い。痛いのは嫌いだ。試合の中で互いに容赦しながら交わされる攻防なら問題無かったのに、命の取り合いがこんなに怖ろしいなんて思わなかった。
これを戦い抜いてきた人が居る。
ハイリア様だけじゃない、他の皆、あの内乱で最前線を張り続けた人たち全員だ。
そしてオフィーリアさんは、きっと誰よりも命を危険に晒して戦った。
ヨハンでさえ、近衛の団長でさえ、そしてハイリア様でさえ敵わず手傷を負わされていた虐殺神父を相手に幾度も交戦して生き残ってきた。
ハイリア様の活躍にばかり目が行きがちだけど、もしかしたらそれ以上の快挙って言えるんじゃないだろうか。
圧倒的強者を相手に生き残っていける底力。
理屈を並べるだけで勝てる相手じゃない。
理屈の上に覚悟を乗せて、それを使いこなす腕があって初めて掴める勝利。
オフィーリアさんの『剣』はどんどんとキレを増してきて、徐々に私の身体に傷が増えていく。
そんなに激しくは動いてないのに息が荒くなって握りが甘くなる。肩をやられた右腕は、しっかり意識していないと剣を握っているかどうかも分からなくなりそうだった。
もう私には剣筋を捉え切れない。
根元の動きを意識していても、幾度も付けられた傷の痛みがつい切っ先を怖れて目を向けてしまう。
跳ねた銀光を追って目線が右上へ、追った時にはもう視野の中にオフィーリアさんの姿が無かった。
直感で左後方だと分かった。
私の意識が逸れたから死角へ飛び込んだんだ。
でも動けない。
踏み込みを間違えてる。
足先が内へ向いているせいで外への対処が遅れる。
身体を前傾させすぎた。
防御に徹しているなら重心を前へ向けてちゃいけないのに。
でも動け。
必死に命じて、つま先に力を掛けた瞬間――カクン、と膝から力が抜けてしまった。
「っ、っ――!?」
前へ進む勢いがあったせいか、ついた膝と肩を盛大に泥だらけにして転がり、起き上がるまま足を滑らせ距離が出来た。
跳ね飛ばした泥が周囲の葦へ掛かって、それもまたすぐに雨で洗い流されていく。
滑った跡に幾つか残る血痕も徐々に滲んで消えてしまう。
目視確認。
オフィーリアさんはこの不安定な足元の中、見惚れるくらい綺麗な姿勢で刀を振り抜いていた。
豪雨に晒された姿はいっそ凄絶で、絵画に見る神話の一幕にさえ思えてくる。
回避できたのは偶然だ。
足の力が抜けていなければ胴を断たれていたかもしれない。
振り抜きの姿勢からゆるりをこちらへ向き直る、その些細な動きを見た時、胸の奥へ突き刺さるような確信が去来した。
なんて強さ。
凄まじい攻撃でもなく、回避や踏み込みの足捌きでもなく、ただ身を戻すだけの動きにどうしてそう感じてしまったのかも分からず、抜けない痛みに悔しさを噛み締めた。
「っふん」
口の中を切ったみたいで、足元へ血を吐き捨てる。
そんなの分かりきっていたことだ。
それでも勝てると信じてくれた人が居る。
覚悟を決めなおす必要さえない。
第四段階。
紋章を『旗剣』に、武器をトゥーハンデットソードに。
今の状態ならきっと気付かれた。
でもいい。
皆と作ってきた勝利への道を私は進む。
そして、
「手古摺ってるようだな、セレーネ」
「遅いって……ホントにもうやられる寸前だよぉ……」
ジェシカが、頼れる味方がやってきた。
ソードランスを振るう『騎士』はいつも通りの好戦的な表情でオフィーリアさんを見据える。
「これは集団戦を前提とした試合だ。卑怯とは言うまいな?」
「――あぁ、まあ、いいんじゃねえの?」
近くの葦林から青い風が吹き上がる。
魔術光。それも、『槍』のもの。
そういえばすっかり意識から外してたけど、もう一人居るのを忘れてた。
ジン=コーリアは、こっそり接近しての不意打ちを狙っていただろうことをおくびにも出さず長槍を握りこんだ。
「やっぱ見てるだけって訳にはいかねえよな。美女に囲まれて嬉しい限りだが、実は俺ってハーレムより一人に愛を囁きたい性質なんだよ。そんな訳で二人には脱落して貰って、残り一人が俺とよろしくするってのはどうかな?」
前髪をかき上げ、得意気に言ってみせる学園でもそこそこ噂にあがる好色男へ、
「いえ、私はハイリア様が居ますので」
「わ、私もっ、想い人が居ますので……申し訳ありませんが……」
「………………………………」
「最後何か言えよ!? ほらほらジェシカちゃんってば、何度か一緒にご飯食べた仲だろ? おっとこんな奴居たかって顔は止めてくれちょっと悲しくなるから」
うちの後輩はとても素直だから、興味の無い人は顔も名前も覚えないんです。
多分そっちの部隊については意識してたけど、ジンさんとかは会場内に生えてる雑草くらいにしか思ってないんじゃないかな。
「…………まあ小バエがうろついた程度は問題ないだろう」
あー、虫扱いだったかー。
雑草よりは鬱陶しく感じてるってことは好印象なのかどうか悩む所だね。
「オフィーリア=ルトランス、お前の力量を試させてもらう。がっかりさせるなよ」
「はい、喜んでお相手致しましょう。それでは」
「あぁ」
早速ぶつかり合う二人を余所目に、私はジンを眺める。
正直この人とはあんまり絡んだことがないし、まだ小隊へ加わった当初によく口説かれたおかげで苦手意識もある。
実力は中の下、私と同じくらいか、ちょっと低いくらいだと思う。
ただ、ハイリア様は油断するなと言っていた。
ちらり、と彼の方から私を見て、すぐ伏せられた。
何かを狙っているんだろうか。一度はっきりとこっちを向いてきたのが気掛かりで、今のが私に見せるための行動だったのか、見られていたのに気付いて逸らしたのかが判断し切れない。
じっと見る。
この状況で身を隠して接近してきていたことも含めて、何か介入してくる手があるんじゃないかと思ってしまう。
『槍』の魔術なら私たち三人の攻防にはついてこれない筈。
でも放置するのも危ない気がする。
どちらにせよ一つ言えることは、あの視線一つで私は出遅れて、ジェシカとオフィーリアさんが一対一で切り結ぶ時間が生まれてしまったという事実だ。
駆けていく。
距離を詰めて、『旗剣』による援護が出来る場所へ陣取ろうとした。
「わっ、っ!?」
足の踏ん張りが利かずにまた膝をついてしまう。
ちょっと血の流しすぎかも知れない。
まだだ。
まだ、終われない。
ジェシカは双子を倒してこっちに来た。
敵の残りはヨハンと、オフィーリアさんと、ジンの三人。
私たちはハイリア様と、ジェシカと、私。
残り二人になった方が精神的にも辛くなる。
そうだ、ハイリア様は。
思い、つい注意も忘れて目を向けた時だ。
ハルバードに叩き飛ばされていくヨハンが見えた。
やった、と思ったのも束の間、身体を支えきれなくなったハイリア様が矛先を泥へ沈めて崩れ落ちたのだ。
「っ、ハイリア様――!!」
※ ※ ※
ヨハン=クロスハイト
あっぶねぇ……!
咄嗟にサーベルで受けて上手く身体を逃がせたから良かったものの、少し違えてたら防御の上から腕の一本くらい潰し切られる所だった。
冴えてるのかクソったれなのか、今日は今一落ち着かねえ。
なんというか浮付いてる。
地面を踏んでてもたまに理由もなく踏み抜きそうな、川に浮かべた板の上にでも立ってるような気がする。
かと思えば思っているより半歩先に足が届いて、アレと思った時にはもう攻撃を終えている時だってある。
自分で自分の状態が良く分かってないのは昔は当たり前だったが、最近じゃ頭使ってるせいで狂いがあると気持ち悪い。
歯止めを掛けてる訳じゃねえんだ。
想定以上の動きに対処も出来てる。
普段の俺を考えたら出来過ぎなくらいだ。
好調ってんなら好調なんだろう。
だがなんか上手く噛み合っていかねえ。
一つ一つが上出来でも、全体の流れが滞ってたらハイリアはそこをあっさりぶち抜いてくる。
たった一つの改心で崩し切れるほど防御も甘くねえ。
副団長相手に勝てたってのは相性なんだろう。
がっつり斬りあう相手じゃないから、単純な一振りで押し切れると呆気無く勝てる。
だが相手は攻撃も防御も高い水準にある正統派。上回った攻撃一つじゃ足りなくて、不意打ちの連打で勝利するようなのが効果的。まあ俺に手品は向かねえから、アレの真似をするつもりはねえ。
息苦しさがどんどん増してくる。
勝つつもりで来たってのに、考えていた道筋はとっくの昔に塞がれた。
でもいい。
いっそ腹が括れる。
こっからは真っ直ぐ行って――んあ?
俺を吹っ飛ばした筈のハイリアが膝をついて顔を俯かせてやがる。
なんだ、振った時にどっか痛めたか?
それとも俺自身意識してない内に反撃かまして大勝利とか、流石にねえか。
俺ァなにもやってねえぞ……、やってねえ筈だ。
右のサーベルを振るって、左のサーベルを前に掲げる。
血も何も付いてない。
違和感、て言えばいいのか、それは自分自身だけじゃなくて、ハイリアの方にもあったんだ。
凄みだけじゃない、何かの狂いを斬り合いの中で感じていた。
上手く言葉に出来ねえ。
ジンに言えばまたぶん殴ってきたかも知れねえが、言い表す言葉に心当たりがねえんだから仕方ねえだろ。
敢えて、
敢えて言うなら、そうだな……、
「俺の先を視られてる」
ハルバードを支えに立ち上がる姿を見る。
少しふらついて、けれど半歩広げた足は泥の中でしっかり己を支え、こっちを見据えてくる。
豪雨が互いの間を打ち付けて、今も滲み出す首元の血が服をどんどん赤く染めていく。
雨音が消えた。
踏み出していく。
自分でも今からどうやって攻撃を仕掛けるのか分からない。
思っても好しか悪しかにズレやがるんだ、その場その場で上手くやっていくしか手はねえ。
目が合う。
ゾクリと来た。
ハイリアの目は碧眼だ。
妹さんと同じ。
あの日振り上げた槍の先にあった空みてえな色。
それが今、銀色に光ってやがるってのは……どういうことなんだよ。
同じ色を一つだけ知ってる。
『機神』――教団が連れ出してきて、結局倒せないままだった、イレギュラーの魔術光。
隊長殿よ。
アンタ、一体何を掴もうとしてやがるんだ。
ハルバードを振り被った身体が沈みこむ。
踏み出す足は地面を割るようで、
続く猛進は、割れた山が崩れ落ちるように。
※ ※ ※
オフィーリア=ルトランス
「物語を書いているとね、時折自分が描こうとしていたものとは違う方向へ転がり始める事がある」
劇作家を名乗る彼女は、鞘へ収められたままの刀を見詰めながら朗々と語りました。
「何気なく浮かんだだけの記号が不意に意味を持ち始め、大きな伏線として機能したり、無理して決めた大筋を通そうとすれば筆が滞ってしまったり、何気なく書き始めた展開に思っていたより筆がノってきたりとかな。無難に終わらせるつもりの場面で登場人物が思っていた以上の反応を見せたりってのもある。すべてがそうなのか、あるいは時折どこかへ引っかかるのか、検証不足は否めないが、いつしか私はこう思うようになっていた」
シンシア=オーケンシエル。
ハイリア様より注意が呼び掛けられ、発見したのなら知らせて欲しいと伝えられていた方。
強引に押し切られた所があるものの、今はまだ、と納得してしまっている自分も居て、色々と手を回したりもしましたが、後ろめたさが強いのも確かで。
悲劇を描く、そう語られる作家は、
「これは既に在る世界の物語だ、とね」
苦々しく哂い、目を伏せたのでした。
笑みを通そうとする口元は、内側で歯を食いしばっているのがはっきり分かる。
「自分で創造出来ないことが悔しいんじゃない、納得のいかない物語の存在が悲しいんじゃない」
冷や汗を拭いながら、幾度も幾度も筆を滑らせては紙を握り潰す。
そうやって放り捨てる様をどれだけ見たでしょうか。
「……書き留める瞬間まで、その世界は幾つもの可能性を孕んでいる。異なる展開であっても描いていけるんだからな、別の道だってきっとある。だがいつからか、いや誤魔化しは止そう……兄が死んでから、私は彼らが苦しむ様しか視えなくなった。目を逸らして、描かないことで、仮初めの幸福は描けても、悲劇は厳然とそこに在る。気に入らないから、直視し難いからといってもそこに在る事実は消えてくれない。なにより私がそれを知っている」
私は読み終えた脚本を膝の上へ置いて吐息をつく。
そこに描かれていたあまりもの熱量にどれだけ息を吐いても心が醒めてくれない。
彼女の話の全てを理解した訳でも、信じきれた訳でもないのだと思います。
けれどこの分厚い紙の束へ書き留められた物語には、そこで言葉を交わす人々には、どうしようもなく息吹を感じてしまう。
生きた人間たちが、自分自身で考えて、間違えて、行き違って、届かないまま別れてしまうこともあれば、些細な奇跡で結ばれることもあれば、何の障害もなく成し遂げられることだってある。
間違いを起こすのが現実的ではなくて、愚かであれば人間味があるのではなくて、何の変哲も無く成功するのが嘘っぽいのではない。
そこに在るものをどれだけ視て取れるか。
視落とさず書き留めていける力が彼女にはあるのかも知れません。
だからこれが現実だと言われると、胸の奥へ落ちていって、納得出来てしまう。
彼女は、シンシアはインク壺へペンを落とし、再び書き始める。
「名前を変えるだけとはいえ、中々に苦労した。これが頭のイカれた私の妄想なのか、厳然と存在するものなのかは、この先の未来でしか分からない。いずれにせよ君たちは最善を求めて動き続けるんだろう?」
「今は少し、バラバラですけどね」
「画一的であるより健全だ。あのまま小さな枠組みの中で纏まっていたら、きっと止める手立ては限られていった。危機感を持たせ、計画を前倒しさせる為にあんな誤魔化しだらけの駄作を作って送りつけた甲斐があったというものさ。君たちは少々、彼へ肩入れし過ぎるからね」
触れた紙には熱がある。
乾いたインクを指先で辿れば、物語の帰結を思い浮かべてしまう。
表向きは栄光を、影では悲劇を。
裏を描かなければ、きっと華々しく幸せな物語のように視えるのでしょう。
どうすれば。
だからこそ今こうしているのだとしても、なら私に出来る事は、
「気をつけろ。事の起こりは一年以上も前だ。ならば彼にももう……視えているかもしれない」
でもそれは、状況の改善を意味しないのだと彼女は言う。
「未来は変えられる……」
「時に人の背を押すこともある言葉だが、だからこそ厄介なんだ。確定した障害を取り除いても、必ずしも幸福へ辿り着くとは限らない。誰も彼もが未来を変え得るからこそ、物事は思い通りには進まないんだ。そして変化は、とてつもない障害を前にした時、本当に容易く悲劇へ転がり落ちていく」
栄光を追いやる。
あの人の影に在るものを知る為に、黄金で彩られた外套を引き剥がす。
ハイリア様に敗北を。
私や、私たちにとっては、最も想像出来ない出来事だというのに。
「己を燃やせ。恋をしたんだろう? お前はまだ、そこに居るんだ」




