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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第四章(上)

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 馬車を降りた途端、凄まじい音の響きが地面を揺らした。

 振り返り、目を丸くしていたセレーネへ手を差し出してエスコートしてやる。


 人、人、人、見渡す限りの人々の向こうに目的地となる会場がある。

 俺たちは朝からじっくり時間を掛けてこの会場正面へ向かい、入場開始直前という時間を狙って到着した。

「緊張するな、全員かぼちゃとでも思っておけ」

「ぁっ、人ごみに当てられて足元がふらり」

「大丈夫そうだな」

 軽く倒れ掛かった所を引っ張り上げてやりつつ手を放す。


 しかしまあ、随分と演出してくれたものだ。


 健在を示す。

 その為の出場強行であり、アピールなのだが、普段は裏口からこっそり入っているから表がどうなっているかなど考えていなかった。なるほど凄まじい数だ。学園での総合実技訓練にも結構な数が集まるものの、平時の十倍では効かないほどの規模になりつつあるのは明らかで、どう考えても客席が足りない。立ち見でもちょっと怪しい。将棋倒しなんかが起こらないことを心から願うのだが

 まさかレッドカーペットの上を歩かされるとは考えてもいなかった。

 ここだけでも臨戦態勢の警備がずらりと並んで押し寄せる人を留めているが、少し間違えれば暴動じみた事になるのかもしれない。


 急いで歩こう。

 思いつつ、言われていた通りに人々へ手を振りつつ進む。

 さあ笑顔だ笑顔。セレーネよ、いくらこちらに手を伸ばしてくるご婦人の表情が襲い掛かる熊のようだとしても臆してはいけない、男は獣だとよく言われるが本気になった女性は猛獣そのものだよ。王都でたっぷり味わったからな、このくらいはサファリパークを行くようなものだ。


 それにしても、ふと警備の顔を見てみると思いの他覚えのある者が居るものだ。

 手の足りなくなったデュッセンドルフでの警備に学園生が起用されているとの話は聞いていたが、思っていたよりずっと数が多く、重用されているような印象もある。


 たしか、警備業の起こりはアメリカ大陸開拓時代、入植者らの護衛が元になっていたとかなんとか。

 こういう催し物で正規の軍人が出張り過ぎるというのも問題があるし、国際協力が深まっていく傍らで警備員なんてものが進路の一つになっていったりもするんだろうか。


 階段を登った所にサイ=コルシアスが待機していた。陛下の差し金だろう。

 フィラント相手に何をするかは知らないが、協力関係のアピールは続けるに越したことは無い。

 浅黒い肌を持つ少年もまた、元々はシャスティからの頼まれごとで引き入れた人物だが、お花畑な信頼を抜きにしても彼が間諜の類であるという疑いは捨てている。副団長ベイル=ランディバートが任せろと言ったのなら、俺は任せて二人を信じるだけだ。そういう分担でもある、とは片隅に置きつつ。


「昨日は大変な目に合わせてしまったかな」


 フィラント側の人間である彼なら、シャスティの計らいで被害を受けない場所へ批難させていそうなものだが、彼はやはり緊張と疲労を感じさせる表情で俺を見て吐息をついた。


「いえ……こちらこそ、ご迷惑をお掛けしているみたいで……」

「とにかく無事で良かった」


 赤毛少年、エリック=ジェイフリーと瓜二つのフーリア人は顔を俯かせ、そのまま頭を下げようとしたが、


「いい。フィラント王の振る舞いについては承知の上で関係を築いてきたんだ」


 おそらく陛下は早期から見抜いていたことだろう。

 時間や場を設けずどうやってと思ったが、何のことは無い。巫女の力を使えば電話会談など朝飯前だ。そしてそれは、防ごうとして防げる類のものでもないから、警備のついでで動きの変化を見定めていくしかない。宰相の失脚から多くの密偵は野に下ったが、内乱当時に寝返っていた半数程度は残ったのだと聞く、割り出しは彼女らの功績なんだろうか。

 考えておかなければ、なんて思っていたものが気付けば片付いている。

 俺がやるよりもずっと確かに、踏み込んだ結果を生むことも多い。


 そういうものだよな、と最近は思う。


 散々読み漁ってきた物語の主人公みたいに、たった一人で全部を解決出来る筈もないんだ。

 一人の人間に出来ることは限りがある。

 だからと手を止めるのではなく、任せて、託して、頼って、手元に残った小さな一つ事を成していく。


 今俺がするべきことは、ヨハンとの決着で、直近ではフーリア人との交友を後押しすること。

 裏では政争を繰り広げながら、表向きは友好関係を見せつけ、相互の利益を削り合い、勝ち取っていく。友無き世界とシャスティは言った。フィラント王と関係を続けていくというのはそういうことなのだろう。


 フーリア人贔屓という謂れは別の誰かが払拭してくれればいい、のだろうか。


「君は見ていてくれればいい。そういう仲間が居るということも、時に背中を押してくれるものだ」

「僕は……何も、していないのに」

「それでも、仲間になったんだ。皆自分でやりたいと……あぁ、やりたいと思ったことをやってくれている。多少強要はするがな」

 近くで手持ち無沙汰なセレーネを見れば、当初は訓練中でも手を抜きがちだった彼女は口笛を吹きながらそっぽを向いた。

 日常的にネイティブなフーリア人の言語と接することで多少は意味が分かってきたのか、雰囲気で察したのかは分からないが。

 ジェシカもサイが居ることで以前よりずっと皆と絡むようになった。同郷のグランツや、対抗意識のあるアベルも、出会った当初の彼女なら今のように強引な誘いをしてまで引っ張り込んだりはしなかっただろう。

 サイ=コルシアス、君の存在は、確かに意味を持っているんだと思う。

「なにか……」

「ん?」


 上がった目線が、木の葉のように左右へ揺れながら落ちて行く。


「なにを、すれば、いいんでしょうか」


 問いには当たり前に言葉が出た。

 少し嬉しくて、表情が緩む。


「応援していてくれ」


「………………はい」


 軽く肩を叩き、一度観衆を振り返って、そのまま何もせず会場へ向かった。

 ついて来るセレーネとサイを感じながら、やっぱり何かしておいた方が良かったんだろうかとも考える。

 握手をしてみせるとか、腕の一つも振り上げてみるとか、そういうアピールを。


 まあいいか、なんて思う。


 今はそういう気分じゃない。

 サイとようやく、友人と呼べるような関係を始められるような気がするんだ。


 だから今は、いい。


 そうして進んだ先に彼女は待っていた。

 会場内へと続く入り口の、少し影になっている場所で今の様子を眺めていたらしい。


「来たんだな」

「そちらこそ」


 俺とジェシカは向き合ったまま、しばし気持ちを落ち着けた。


「本当は……自分の手で報いを受けさせたかった」

「同感だ。仲間に手を掛けられて黙っていたくは無い」

「いつ頃始めるつもりだ」

「こちらの試合と、もう一つが終わってからだと聞いている。決勝を前にした空白期間、そこが使い易いのだとか何とか」


 準決勝は間を置かず同時開催されている。

 下手に二つとも見れるようにとすれば、街中で人の大移動が発生して様々な混乱や危険を生むからだ。

 二者択一を迫る運営本部に批難は集まったが、徐々に深刻化していく地元住民や観光客らとの軋轢や問題なんかを考えれば、もう早期に終わらせようという方向に切り替えてもおかしくはない。上手い言い訳は用意してあるのだろう。そろそろ種まきの時期だろう、とか、海が落ち着く頃合いとなれば船は沖に出てしまって帰りに苦労するぞ、だとか色々と。


「勝てるか、あの二人を無しに」

「負けるつもりで勝負を挑むことはしない。全力で勝ちに行く」

「よし」


 三人から四人へ。

 心強さを貰いながら、先へ進んでいく。


 歓声が一際強くあがり、その響きが僅か、背中を押してくれた。


    ※   ※   ※


   フィリップ=ポートマン


 こんな程度はどうとでもなる。

 そう言い張って出場しようとした俺を、ハイリアは徹底的に拒絶した。


 ガチガチに固められた右脚の痛みは鈍く、無理をすれば歩行に問題はなさそうでもある。痛みはそれなりに我慢が効くし、『騎士』はともかく『槍』を使えば多少身体が揺れたって上手くやれる。かの近衛兵団前団長マグナス=ハーツバースだって片足を失って尚も戦場で活躍を続けてきたんだ、同じだけのことが出来るとまでは言わないが、俺なりにここまでされたことへの悔しさだってある。出来るのなら、信じて託して貰いたかった。


『故障を抱えながらも偉大な成果を残した者は確かに居る。だが、その百倍も千倍も、優れた素質を持ちながら故障に故障を重ねて潰れていった者が居るんだ。一つの負担を抱えたまま無理をすれば確実に別の箇所への負担が増えて、新しい故障を抱えることになる。肉体の完成し切っていない俺たちは、特にその危険が大きい。理屈じゃなく、感情的にも耐え難いのは分かるが、出場は絶対に許さない。無理をしない、などと言われても、それが勝利へ繋がると思った時、お前たちはきっと無理をする。ここはまだ終着点じゃないんだ、もっと先で、より大きなものを掴む為に、今は耐えてくれ』


 だが健在を示すなら俺たちは出るべきだ、そう主張しても変わらず、


『そこの失点は別の形で取り戻す。陛下とも話はつけた。出場を継続した事実そのものがあればいい。むしろ負傷者とあからさまに分かる者へ無理を強いているというのは見方を変えれば必死さの表れだ。政治にお前たちを使い潰させることはしない』


 そう思ってくれるなら、どうして汲んでくれないんだと言いたかった。

 俺なりに、力になりたくて、少しずつ……仲間らしくなれてきたと思っていたのに。


 会場内を望む窓に鉄格子のついた個室で二人腰掛けて、言葉もなく会場内を眺めてる。


 分かっていた。

 分かっていたんだ。


 俺も、ナーシャも、本当は誰のせいなのか、分かっていたんだ。


 その事実が何より悔しくて、憤って、つい、我侭を言い過ぎた。

 意地でも出てやると言い放った俺に、俺は、ハイリアに言わせてしまった。


『事は俺の認識の甘さから生じたものだ。様々な余禄はあるだろうが、責任というのなら俺が最も批難されるべきだろう。それでも――』


 アイツの抱えてるものを探り当てることも出来ず、まともに喧嘩すら出来ず、どうしようもなく自分の足りなさを思い知った。

 打ち付けた拳に鈍い痛みがある。

 それこそが、


『日常的な体調管理、負傷をしない事への配慮は当人の責任だ。試合の外なら許されると思ったのか』


 結局、してやられた俺自身の弱さが原因なのだと、突きつけられるその時まで納得し切れていなかった。

 絶句する俺たちに、セレーネでさえもハイリアの言葉に異論を挟んだが、アイツは訂正や謝罪に逃げることなく憤りを受け止めた。ただ、そうしてこちらを見る表情が、友人と接するものじゃないように、どうしても思えてならなかった。


『次で……勝てたとしても、決勝にだって俺は間に合わないんだろう?』

『そうだ』

『なら俺は、用済みか……?』


 どうしてそんなことを言ってしまったのか。

 少しはマシになったように思っていても、周りに助けられているだけで、結局俺は仲間になれた筈の者たち全てに拒絶されるようなくそったれのままなんだろうか。


『………………応援していてくれ。たった一つの声が、視線が、力になる』


 その時のアイツの表情を思い出すだけでもう、俺は自分の言葉全てを後悔せずにはいられなかった。

 思えばナーシャはほとんど口を挟まず、黙っているだけだった。

 馬鹿は俺だけだ。

 一番負担を感じている筈の奴にあたって、苦しめて、駄々を捏ねている。


 それでも、今でさえも、友人として受け止めて欲しかったと思ってしまうから、俺は駄目なんだろう。


 握った拳を、もう片方の手で包み込む。

 くっ、と握り、力を抜いていった。


「応援しましょう」


 ナーシャが声を掛けてくる。

 右腕を首に通した布で吊ったまま、それ以外はいつも通りに見える彼女は、じっと鉄格子の向こうを見詰めていた。


 もうじき試合が始まる。


 遠巻きに見える三人の姿があり、先頭を行くハイリアに目が留まる。

 彼は今、どんな表情をしているだろうか。


 あの時のように、今にも泣き出しそうな弱々しい顔を、していないだろうか。


    ※   ※   ※


   ジン=コーリア


 三人しか出てこない相手側を見て、あれ、と思った。

 『騎士』と『角笛』が居ない。出場口付近で別れたのを見落としたのかとも思ったが、どうにも本当に居ないらしい。


 前の試合じゃ普通に出ていたし、欠場するような怪我があるようには思えなかった。

 風邪か、腹でも下したか、なんにせよ理由はある。同じ釜の飯ばかり食っていると全滅もある世の中だ。


 距離はそこそこあり、『弓』のように遠見も出来ない身じゃあ相手側の様子は探れない。


 まあ妙と言えばこっちも妙なんだ。

 ヨハンが煩かったり押し黙ったりするのは最近じゃ珍しくなかったが、ベンズとペロスちゃんまで物静かってのはどうしたもんかと悩んでる。双子はいつでも元気良くヨハンと絡んでワーキャーと騒いでいるからな。久しぶりに顔を合わせるから相当に騒ぐかと思っていたら、今朝方合流してからこの通り。何度か話しかけてみたり、好きな話題を振ってみても反応が悪い。最近は頼りにされてたっぽいオフィーリアが頑張っちゃいるが、やっぱり反応は今一だ。

 前の怪我が治りきってない俺も不調と言えば不調だが、これはどうしたもんかと首を捻りたくなる。


 鉄甲杯の準決勝、大盛り上がりの大舞台だってのにどっちも葬式みたいに沈んでやがる。


 しかも、ほら――


「……降ってきたな」


 会場入りしたまでは良かったんだが、中でのんびりしてる間に空は真っ黒。

 こういうのは一度ポツリと来たら中々止まらない。


 背の高い葦か何かが所々群生している会場だからか、雨音がかさかさと響く。

 風で揺れる姿も、暑苦しそうな観客席も、まあこういうのも絵になるもんだと眺めていると、雨音を突き破る声が来た。


「ベンズ、ペロス」


 ヨハンだ。

 気の早いこと、両手にサーベルを握り、一番先頭で前方だけを見据えている。


「はい」

「……はいっ」


「ペロスのがまだちょっと元気あるじゃねえか、どうしたよベンズ」


 こういう声の掛け方は珍しい。

 なんだか初めて部隊長らしいな、なんて思う。


 ベンズもまた剣を握っちゃいるが、気落ちしてるのが魔術光からありありと伝わってくる。

 南方の、ガルタゴ出身の坊主は何とか顔を上げるが、足元からほんの少し先、それで精一杯だった。


「そうか」


 なんとはなしに溢して、


「俺はハイリアと決着をつける。それだけの為にお前らを集めて、ここまでやってきた。だからまあ、もう十分ちゃあ十分なんだがよ、別に戦えればそれでいいなんて思ってねえぜ。なんでお前ら静かになってんのかとか、なんで数が減ってんのだとか、まあそこをなんとか出来ればいいんだろうが、俺ァ苦手だ、どうにも出来ねえ」


 だから、


「せめて顔あげろ。お前らの隊長様の大活躍が見えねえだろうが」


 笑った。


 大太鼓が鳴る。

 試合の開始だ。


 この一戦を、この始まりの惨状を、他がどう言い散らすのかはもうどうでもいい。


 相手に弱点があるなら、俺たちはそれぞれを活かしつつ、まあなんとかやって勝ちやすく動いてみせるだけだ。

 だが、

「っっ……!!」



 開始と同時に、ハイリアが無造作に前へ出てきた。

 真っ直ぐヨハンを目指して。



 ゾクりと来た。

 激しくなっていく雨に表情も見えないのに、この対峙を脇から見ているだけの俺が思わず身震いするほどの闘志、あるいは、緊張感みたいなものを覚えた。こんなのを向けられたら堪らない。ましてや、ずっと戦うことを目的にしてきた奴にとっては。


 相手方、後ろの二人は追従しない。

 動かず、じっと見据えている。


 応じ、正面から向き合って歩いていくヨハンを止める手段も、理由も無い。


 少しして、『騎士』の嬢ちゃんが矛先で来いと示して広がっていく。

 まだ迷ってる二人がこっちを見る。

 らしくないが、まあいいさ。

「行ってきな。面白そうだ」

 少しだけ表情に明るさが戻っている。

 まずはそれだけで十分だ。


「行って参ります」

「おう、好きにしな」


 オフィーリアはセレーネに。


 一人浮いちまった俺はまあ、眺めてりゃいいんだろうか。


 発表されている表からも、あっちの長はハイリアで動いてない。

 こっちだってそのままヨハンで通してきてる。


 少しだけ双子の方へ歩を進めながら、


「にしてもホント、貪欲に勝ちにくるねぇ」


 三対五だ。

 皆の不調や俺の雑魚さを加味したって有利なのはこっち。

 それで勝機を見出そうとすれば、ヨハンを釣り出すのが一番良い。


 まあどうにもならないから思い出づくりに出てきました、なんてされるよりずっと面白みがある。


 さて、二番隊のところから戻ってきて、軽く様子を見てみたが俺には具合が判断し切れない。

 迷いは消えたか、未だ沼の中か。


 ただ、


「勝てよ、皆」


 俺はもう、見守っているしか出来そうに無い。


「痛ぇな、ったくよ」


 やられた肩は、どうにも槍を振るえるほどには回復していないようだった。

 三つの戦いは、ほぼ同時に始まった。


    ※   ※   ※


   ヨハン=クロスハイト


 踏み出した姿を見て、一瞬で身体に熱が入った。

 熱くてぼやけた頭で一歩を踏み出せば、まず小煩い歓声が消え失せた。

 二歩目でジンやオフィーリアの事が頭から消えて、三歩目には変に静かだった双子のことさえどこかへいった。


 隊長失格なんだろう。

 部隊が勝つか負けるかより、自分の勝負にしか気持ちが向かないなんてのは。


 けどよ、もう俺が掛けられる言葉なんてねえんだ。


 見てろよ。


 いつか俺たちにその姿を見せてくれた人と戦うって時に、それ以上何かを言ったりしたくないんだ。


 徐々に身体が前へ倒れていく。

 歩くほどに速度はあがり、気が付けば駆け出してた。

 小指から順にサーベルを握りなおし、なんとなくしっくり来たのが分かった。


 もう、何歩目になるのかも分からない。


 真っ直ぐ前へ。


 他の全部がどうでもいい。


 身を、


「来いっ、ヨハン!!」


 地面を、


「行くぜっ、ハイリア!!」


 あるいは手に握るサーベルすら足先の感覚から力を巡らせ、



――構えを取ったハイリアを見た瞬間に湧き上がる異様なほどの圧迫感を前にして尚も。



 蹴り放つような初戟は、今大会で初めて、明確にこの人の防御を崩して見せた。


「っしゃらあ!!」


 乱打が続く。

 息つく間もなく、あるいはこの一瞬こそが最大の好機だと感じながら、踏み込み、そして、


「が、ぁ…………!?」


 深々と腹へ突き入れられた石突きで、俺は近くにあった林の中へ派手に吹き飛んでいた。


 雨が頬を打つ。

 指先が震える。

 膝が笑って、周囲を漂う赤の魔術光が周囲に広がって、


 違う。


 首元へ手をやった。

 なんとか止まったと思ってたのが、どうにもまた開いちまったようだった。


    ※   ※   ※


   ハイリア


 米国、バスケットボールのプロリーグとして名高いNBAに、バンクシュートを武器とする選手が居た。

 数々のテクニカルな、あるいは高いフィジカルを使った豪快なシュートが日々生み出されては消えていく環境で、その選手が得意としていたバンクシュートとは、バスケットのゴールボードの枠にボールを当ててシュートを入れるという基本中の基本とされるものだ。

 初心者にシュートを教える時、ほとんどの指導者はまずゴールそのものを狙うのではなく、ボードの枠に当てて入れるよう指導することだろう。

 彼はこの、初心者向けのシュートを徹底して鍛え上げ、一つの真理を知らしめた。


 初心者にとって決めやすいシュートというのは、プロ選手にとってもまた、高いシュート成功率をはじき出すものである、ということだ。


 シューターとされる選手であっても三割四割は外すし、スリーポイントシュートともなれば常に不安定さがある。

 シュートそのものを放つことさえ難しい中、彼はこの平凡極まるシュートによって絶大なシュート成功率を弾き出し、名選手と呼ばれるに足る実績を作り上げてきた。


 ヨハンの放った初戟はまさしく、平凡極まる太刀筋で以って、非凡極まる一戟へ至ろうとするものに思えた。


 ここに来ると分かっていて尚、受ける位置を見誤った。

「っ、!」

 質量の違いからあからさまに武器を弾かれるようなことはなかったが、次の動きへ向けて足の角度を変えていたのが甘かった。受ける為の柔軟な状態ではなく、力みの入った状態では姿勢が崩れる。支えに添えていた手が滑り、辛うじて親指だけが柄に引っかかっている。

 

「っしゃらあ!!」


 豪快に繰り出される攻撃へ向けて、不安定ながらも矛先を差し出して間合いを逸らす。

 サーベルそのものを防げずとも、得物と腕の長さには限界があるから、胴を狙って相手に身を離してもらえばいい。眼前を通り過ぎていく刃を視界の端へ捉えつつ、意識は握る指先だ。手を離して投擲してくる可能性もある、指の動きというより、そうしようという意識で生まれる筋肉の動きを見る。ほとんど勘だ。判断する間も、反射する間も、正確には足りない。けれどそれはヨハンも同じで、次へ次へと攻撃を繰り出しながら一振りに擁する僅かな間で行動を発展させる思考へ繋げるというのはそう簡単に出来るものじゃない。やるならば最初から決めている。決めて動く、その気配を感じ取れば良い。


 差し出した矛先はヨハンの懐へ入っている。けれど俺が突き出そうと石突きへ手を滑らせると、素早く身を回して下へ潜り込んだ。

 ハルバードの戦斧によって視界が塞がれる位置取りは実に面倒だ。

 身を下げつつ戦斧の刃を下へ向ける。

 ヨハンにとっては十分次への動きへ移れる間。

 どころか彼は、俺がそう対応してくるのを読んでいたのか、戦斧を横向きから縦向きにすることで出来た進路へ飛び込んできた。

 当然、俺は余裕を残しつつ踏み込む脚、稼動の遅れるふとももを狙う。少し横へ放りながら落とせば良い。それ自体は回避しやすいものだが、踏み込みにはやはり間が生まれる。更に一歩を下がり、突き入れられたサーベルを回避する。一々目元を狙ってくるのが厄介だ。切っ先を向けられるとどうしたって意識が向いてしまう。


 しかし、とようやく息を吸えた。


 側面から狙うもう片方のサーベルもまた受け止め、ヨハンの身が初動の回避によって俺から見て外側へ強い慣性を受けているのが分かる。

 戦斧を支える手を抜いて、矛先を落とすようにして内側の足首を狙う。

 当てる必要は無い。外への慣性を抑える足に掛かる負担が増し、また姿勢が前傾する。

 落とした矛先の重量をそのまま引き込み、更に一歩を引けば、半回転してきた石突きがヨハンの耳元を掠めていった。残る手で戦斧を支えなおして武器姿勢を安定させてやれば、自然とこちらへ向けられる慣性のまま突っ込んでくる。

 入った。

 腹部への突き、向かう身体の勢いの逃がし先へ石突きを振り、放るようにしてやれば、小柄な彼の身は派手に吹っ飛んでいく。


 背の高い林へ頭から突っ込み、少し姿が隠れる。


 警戒して数歩の距離を取った。


 呼吸を整え、周辺の様子を伺うが、決着の大太鼓は鳴っていない。


 分かる。

 ヨハンはまだ魔術を解いていない。

 意識はしっかりあり、ダメージは入っても戦闘継続が困難になるほどではない、ということだろう。


 林の中の様子を伺うが、すぐに立ち上がってはこないようだ。

 あまり長く転がっていれば判定負けもあるだろうが、期待するのは難しい。


 構えを解かないまま、少しだけ自嘲した。


 俺はずっと、ヨハンには正道の剣よりも、もしかしたら副団長のような邪道の剣が合っているのだと思っていた。

 本人が元々得意としていたのもあるし、それでいて組み立ての基本となる真っ直ぐな剣も振れたから、キレの良い変化球は効果的に相手を討ち取れるだろうと。

 皆も同じように感じ、内乱では多くの暗器を持たせ、運用についても慣れが早くて多くの成果を上げていたと聞く。


 だが初戟は、大胆且つ豪快な思い切りの良さからくる、真っ向勝負の太刀筋だった。


 それこそが脅威だった。

 続く連打、乱打と称するべき荒っぽい攻撃も悪くは無かったが、どうしても一枚落ちる。


 誰がそうさせたのだろうか。


 副団長との戦いで最後に見せた一戟、あれは確かに正道を往く剣だっただろう。

 だがそれまでヨハンは工夫を重ね、思考を巡らせ、相手の裏を取って勝つことを目指していたように思う。

 初戟のみですぐ邪道に逸れてしまったのは、勝負を逸った為の失敗と、慣れからくる行動だ。


 あるいは考えすぎか。

 いや、


 明らかに舵を切らせた者が居る。


 俺や、俺たちが見誤ってきたヨハンの素質を見出した者。


「…………」


 参ったな、最近こんなのばっかりだ。

 何より悔しい。


 まだまだ未完成で、不安定ではあったが、出来るのならこの道を俺自身が指し示したかったと思う。


 同時に……、


 立ち上がったヨハンは片手で首元を押さえており、首に巻いた包帯は真っ赤に染まりつつあった。

 肌に流れた血は徐々に強くなる雨で流され、しかし洗われることはなく薄く服を濡らして行く。


「っ……」


 手を差し出しそうになった。

 大丈夫か。そう言って、今すぐにでも医務室へ運び入れようと。


 頭の中に、フィリップやナーシャへ叩き付けた言葉が浮かぶ。

 将来があるからと、あまりにも無慈悲な言葉を重ね、俺の願望を押し付けてしまった。

 もし同じ立場だったなら、俺はフィリップ以上に我を通そうとしただろう。

 友人、と……そういう関係を望まれ、俺もそれが心地良くて、続けてきたというのに、あんな正論ばかりで理論武装して反論を封じるなど許されることじゃない。


 ヨハンの負傷は完治していない。

 当然だ。どれだけ気道を避けたといっても、頚動脈は僅か二センチの傷でさえ大量出血でショック死することもある。具体的な治療に係わってはいないからはっきりとしないが、意識を失うほどの失血をして僅か数日となれば、血が足りているかどうかも怪しい。当然傷がしっかりと塞がるはずもないんだ。

 気付けば視線は足元の水溜りへ向いていて、馬鹿な言葉が喉元にせり上がってきているのに気付いた。


 仲間を失うのが怖ろしい。


 大切に想えば想うほど、恐怖は膨れ上がっていった。


 信じても、頼っていても、どこかで全て自分一人が背負えるならと考えてしまっている。


 自分なら出来ると思い上がっているんじゃない。


 皆の受ける苦しみも、痛みも、この身が背負えるならどれだけ楽か。


 もしかしたら、死ですらも。


 俺自身が引き込んできた癖に、自ら手を離して拡散などとのたまっていた癖に、どうしても拭い去れない想いはある。


 思考を切り替えればいい。

 感情を無視して理屈を奔らせれば行動には起こしていける。

 そしてこれが、勇気と呼ばれるものの対極に位置することを、俺は嫌と言うほど実感していた。


 恐怖と向き合い、乗り越えてくのが勇気であるならば、


 恐怖を切り分け、情報の一つとして処理するだけの行動は逃避以上に臆病だ。

 先送り、あるいは放置、時間の経過にだけ解決を委ねるのにも似た、待ちの姿勢。


 そっと息を吐く。

 危険を承知で目を閉じた。

 音を聞いていれば動き出しは分かる。


 自分の状態が分かっているなら客観的な視点から解決策だって幾つか浮かぶ。

 それでも引き摺られてしまうのは、俺自身の弱さ故だ。


 ほら、大切だと想っている仲間が対決を望んでいるぞ。

 お前から申し入れた決着だろう。


 何があっても受け入れるのが筋だ。

 命も懸けられずに何が勝負だ。


 ならフィリップやナーシャが駄目で、ヨハンが良いのか?


 うるさい。

 うるさい。


 理屈も正論もすっこんでいろ。


 この瞬間を何度も思い浮かべた。

 信じられる仲間との、真剣勝負の場が楽しくて、これが一つの目標になってきた。

 初めて感じる競い合いの心地良さと、敗北への焦りと、悔しさと、勝利への執着が確かにある。


 逃避だったのかもしれない。

 未だ解決手段さえ分からないメルトの件を抱え込んだまま、この一戦だけは何のしがらみもなく向き合える目的なのだと感じていたから。

 それでさえ俺を取り巻く状況に押し流され、正面からのぶつかり合いは果たせなくなった。

 もうこれしかない。

 だがもし、この戦いを続けていった結果、ヨハンまでもがエリックのようになってしまったら。


 降り注ぐ雨粒が指先を弾き、あの時の冷たさが触れたように感じる。

 死地であると知りながら送り出した結末を、例えどれほど自分を騙して抑え込もうとしても、やはり悔やまずにはいられなかった。


 迷いは消えない。

 結論が出ていようと、揺れる自分の感情を掴んで押し込めることは叶わない。

 この葛藤は明日もまた続く。


 ぐるぐると、あるいはうじうじと回り続ける思考を経て、ようやく目を開けた。



 ヨハン=クロスハイトが俺を見ている。



 身を濡らす雨は本格的に強まり、地面を叩く音は万雷の拍手にも勝る勢いだ。

 いつもは長い前髪で隠れがちな目元は、雨を吸った髪が鬱陶しかったのか纏めて後ろへ流している


 曇天の中、自らの命を危険に晒しながら、尚もまっすぐこちらを見ている男を前に息を詰め、けれど今度は俺の方から――


「行くぞ」

 再びの始まりを、

「あぁ、来い」

 決着という終わりへ向けて、


 もう、言葉も無く、対峙した。





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