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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第四章(上)

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 早朝に陛下からの呼び出しがあった。

 近衛兵団の人間に従って裏道へ進み、馬車へ乗っての移動。

 明らかに人目を気にしてのものだ。外も見えないまま揺られ続け、ようやく止まったかと思えば待ちぼうけ。


 朝食を食い損ねていたから少し小腹が空いている。しかし前回の試合で敗退して以降、というより一回戦での国際連合提言から陛下の仕事は一気に減ったものと思っていた。結成へ向けての調整などは文官の仕事だ。最終的な判は陛下が押すことになるだろうが、王が交渉事の最前線で動き続けるというのは相手側の負担も大きくなり過ぎる為に控えていくつもりだと聞いていた。よくある山積みになった書類というのは権限の分担や案件の一元化に失敗した結果の代物だから、よほど部下が無能揃いでなければそう起きるものじゃない。無い訳じゃないのが困り物だが。


 とにかく事が動く時というのは書類が増える。安易に減らせば不正が増える。

 上にも下にも管理の出来る誠実で有能な人間が必要ということで、国に限らず組織のトップはいつだってそんな理想郷を求めているが、人員の獲得と配置整理には時間が掛かる一方で、その間にも腐敗が進行するというジレンマを抱えている。なまじ不正を働く人間には有能な輩が多いというのも困りものだ。個人間の繋がりが強まれば些細な不正だと見逃され、結局それが悪事へも繋がっていく。

 ま、大体は陛下の受け売りだけど。

 そう。本当の望みは、トップとして立ちながら放置してても勝手に管理が行き届き正常に機能し続けて発展すらしていくという理想郷、入れてもいない貯金箱からお金が出てくるような妄想だけどね、なんて彼女は仰っていた。


 しばらく待ち続けていると、不意に馬車が動き始めた。

 ここに来るまでよりずっと早い。焦りすら感じさせるような動きだ。


「どうした」


 流石に見兼ねて、御者席へ通じる小窓を開けた。

 乗車する時にも見たぼろを纏った男が居て、馬に鞭を入れた所で振り返った。


「行き先変更だ。向こうから連絡が入って、今から特設の救護施設へ向かう」

「救護……?」

「詳しくは俺も知らん。少し荒っぽくなるから座っておいてくれ」


 わかった、と告げて腰を落ち着ける。

 シートベルトでもあれば良かったんだが、宣言通り荒い運転で馬車が揺れに揺れた。


 御者もまた近衛兵団の人間だ。ぼろを纏っているのは、公用車とは思われない為の偽装だろう。この手の馬車は最近のデュッセンドルフでは珍しくない。しかしまだ早いとは言えじきに大通りは混雑を始めるだろうし、本気で速度を求めるなら馬へ乗り換えた方がいい。

 そんなことは承知だろう、無駄に気を逸らさせるよりは黙って待っていた方がいい。

 とりあえず食事をしてこなくてよかった。

 これだけ激しく揺れれば、食べたばかりだと少々拙いことになっていたかもしれない。


 やがて馬車は止まった。

 声が聞こえてくるものの、内容までは聞き取れない。

 待った。身を隠している状態で目立つ行動は避けるべきだ。

 しかし急な呼び出しといい、待ち合わせ場所の変更といい、余程の窮状なのだろうか。

 近衛兵団が出てきている時点で偽装というのもないだろう。呼び出しに来たのは面識のある人物だったし、御者の男もそうだ。

 時間を確認しようと思って、懐中時計を忘れてきていることに気付いた。

 明日はヨハンとの試合がある。今日は昼から軽い調整の予定だったが、もしかすると参加は難しいかもしれない。


「……ふぅ」


 不意に陛下がいらっしゃるかとも考えて姿勢を正していたが、少し肩の力を抜くことにした。

 なにかあるとしても、それは然るべき人物が情報を携えてきてからだ。それまでは休んでおこう。


 明日が準決勝。

 それから三日後には決勝が予定されている。

 トーナメントのもう反対は、先だっての試合でガルタゴの学生らが中心となった部隊と新興の傭兵団が出場を決め、同日別の場所で試合が行われる予定だ。両者共によく鍛えられた者たちで、傭兵団と交戦し敗北したクラウド=ディスタンスと七番隊は善戦しつつも巧みな連携で終始押され気味だった。

 気になるといえば彼ら傭兵団も気になっている。

 売名目的で出場したらしく、既にここまで勝ち上がってきたことで十分な宣伝にはなっただろうが、彼らは一様に独特な仮面を付けて顔を隠している。

 そういう手法での特色作りと言ってはしまえるのだが、どうにも素性は不明なままだという。

 方々の国々から人の集まる今のデュッセンドルフで、手間はあっても経歴の一切が調べきれていないというのは珍しい。


 いや、先の心配より目先の戦いだな。


 難敵と言えばヨハンらも決して油断の許される相手じゃない。

 あれこれと考え始めた結果、腕を落とすのは当然のことだ。

 今までの自分を崩し、このままじゃ駄目だと模索し続けていたヨハンは、まだまだ強くなってくるだろう。

 試行錯誤の時間は決して無駄ではなかった。むしろ、スタイルを元に戻したとしても、思考の慣れは瞬間の判断で違いを生む。行動の幅は広がるし、部隊長としての振る舞いも視野を確かなものとしていくだろう。


 身近な人間の成長は嬉しいものだ。

 共に轡を並べて戦ってきたとなれば、誇らしくさえある。


 成長といえば、ウチだって負けていない。

 元々意欲の強かったジェシカはどんどんと俺から技術を盗んでいくし、セレーネも肉体が出来てきたおかげで両手剣での戦いに磨きが掛けられつつある。最初は周りとの関係や、自分以外へのアドバイスなどを重視していたフィリップは、時折一人で己と向き合っている姿を見るようになった。

 ナーシャは元々隠密としての動きは優れていた。『角笛』を得たことで、呼び出せる黄金の獣群との連携を試行錯誤しているようだった。まだ大雑把で御しきれていなかった当初ならまだしも、今では俺じゃ手が出ない。

 脱落したくり子にはもう、四人へ伝えた上位能力への覚醒方法、その基本となる考え方を伝えてある。

 分析班を擁する彼女なら、俺よりも効率的に覚醒を促せるかもしれない。

 出来れば『王冠』の覚醒者が増えればな、とは思うのだが、性質上ポンポン出てこられても困るのが難点だ。他の三属性はともかく、『王冠』は単体での制圧が難しく、テロ行為を助長させかねない。王の血統が必要だとは言われているが、その根拠がどこにあるのかは今一だ。まあ、条件を考えれば、『王冠』は特に満たしにくいものなんだろうと予測は出来る。

 ビジットという覚醒者を身近に置きながら、一番苦労しているのがそれというのも実現性の乏しさを顕しているか。


 さて、にわかに表が騒がしくなってきた。

 言い争い、というより一方がひたすら何かを捲くし立てているようだった。

 声からして近衛じゃない。相手は誰だ。少しだけ御者席の小窓をあけて聞き耳を立てる。


「――たかが兵卒風情が粋がるな! 貴様のような者が居るから先の内乱以前では中央から疎まれていたのではないかっ!? 近衛とは名ばかりの浮浪者集団がっ、このような者の存在だけで先代の団長とやらの格も知れるというものだ!」


 まずい。

 俺は慌てて馬車から出た。


「…………ほ、ほほほう、やはり居るではないか。下らん時間を取らせおって、この無能が」


 御者に食いついていたのは焼けた肌の男だった。フーリア人よりは薄く、瞳は蒼い。南方の出だろうか。贅肉の付いた身体つきや身なりの小奇麗さを思えば貴族か豪商か。大きな所ではガルタゴだが、他にも属国としての小国家が幾つか存在する。

 男は腹の肉を揺らしながら俺へ歩み寄ってくる。

 視線を移すと、男とすれ違って視界の外に隠れた御者が肩を竦めてすまんとジェスチャーしてきた。


 相手は彼が近衛兵団の人間であることを知っていた。

 彼らに政治下手な者が多いのもあるが、そこまで知られていたらはぐらかして逃げるのも難しかっただろう。なにせ、二つの馬車で強引に進路を塞いできているのだから。


 まだ事故と言い張ることは出来る。

 しかし何を目的にここまでやってきたのかが不可解だ。

 俺を呼び出したことと関係しているのだろうか。


「ほほう、貴様がハイリアだな。絵の通りいい顔をしておるわ」


 なんか言い方に引っかかりを覚えるんだが。


「どうした、図が高いぞ自由民風情が。まず貴族の私に向かって頭を下げんか」


 自由民ではなく騎士候(仮)だぞ、という話を振っても無駄だろう。

 なんにせよ危なかった。あのまま放置していたらこの男を始末して何処へなりとも死体が消え失せる所だった。この手の扱いに慣れているとはいえ、彼ら近衛兵団の中ではまだまだマグナスの影響は大きい。信奉というよりは慕われているに近いが、恩義を感じる者は数多く、その侮辱には苛烈な手段で応じることがある。

 デュッセンドルフ地下に張り巡らされた坑道に今や最も詳しいのは彼らだ。感情任せの暴挙ではなく隠蔽工作も視野に入れた上でヤるから性質が悪い。


「失礼ながら俺はホルノスの代表としての立場もある。身分云々について考慮はするが、安易に頭を下げるわけにはいかないのだと理解してくれ」

「この男爵である私に膝をつけぬかっ! それがホルノスの総意かっ!」


 なんだ偉そうだと思ったら男爵か。


 まあ自由民や騎士候で不遜に振舞える相手ではないものの、総意を語る立場にあるような男の位ではない。

 大胆な行動といい下調べの良さといい、どれだけ大物が出てきたかと思えばコレとは。

 別に軽く下げてバイバイ出来るならそれでもいいんだが、実態とのギャップも気掛かりだ。少し探りを入れる意味でも虎の威でも借りてみるか。


「これは何気ない話だが、先だってガルタゴの提督と会食する機会を得てな」


 提督、というのはこの場合言葉通りの船長となる者を指す言葉じゃない。

 歴史柄ガルタゴでは軍事の統帥権を持つ人物を提督と呼称する。そして彼らは政財界においても強い影響力を持ち、階級の扱いは侯爵家すら上回る。いっそ国のトップたる王なんかと同格に語られる者たち、とでも思えばいいのだろうか。


「最初はこちらも礼を尽くさせて貰ったが、最後には孫が出来たようだと笑っておられたよ。礼などまずは置いておけ、と。実に光栄な話だろう?」


 ご高齢の身で海を渡ってデュッセンドルフまでやってくるというのはこの時代、そう簡単に出来ることじゃない。それでも会ってみたいと仰って、先日ようやく顔を合わせることが出来た。すべて真実だ。

 それで、


「なるほど騎士候風情では男爵様へ礼を尽くすものだが、言った通り立場のある者として安易に振舞うことは出来ないんだ。まして事がガルタゴの提督の格にまで話が及ぶとなればな」

「っ…………っ、っ!」


 実によい表情だ。

 屈辱と怒りで耳まで赤くして、憤死しても知らないぞ。


 流石に南方出身者にガルタゴへの侮辱など出来よう筈も無い。フーリア人さえ居なければ内海の覇者となっていたかもしれない国だ。


 まあ、マグナスへの侮辱に対する仕返しはこれくらいでいいだろう。

 受け継がせてくれと言ったんだ。その俺があんな言葉を聞き流す筈ないじゃないか、はははは。


「話を聞こう。こちらも用件があって移動していた、時間を取らせるな」


 しばらく興奮を抑えるのに苦労していたようだが、流石に平伏しなれているのか、落ち着いてきてからの言葉遣いは丁寧だった。

 ふん、とわざとらしく鼻を鳴らしつつ、


「昨今、このデュッセンドルフでは奴隷狩りなる蛮行が頻発しているのをご存知でしょうか。国連憲章に盛り込まれている奴隷解放への反発であると噂になっております。貴方の掲げる理想は確かに素晴らしい。誰もが平等に、いえ、奴隷などと呼ばれる自由を得ない者たちを無くそうという、実に若者らしいものであるとは思いますが、私のような小国では奴隷は財産、死に物狂いの戦争で勝ち取ってきた数少ない戦利品なのです。それを失え、さもなければ上位能力を教えないなどというのはあまりにも酷ではありませんか?」

「国際連合の結成は新しい時代への第一歩だと考えている。奴隷制度における利点は理解しているが、我々はそろそろこの悪習を振り払うべきだ」


 言いつつ、とうとう直談判が来たのかと考えていた。

 陛下や、他の者たちで俺へ降りかかるのを抑えてくれていたのは分かっているつもりだ。

 言葉を濁していたが文官たちも交渉事では奴隷制撤廃への反発を臭わせる発言が多いことに苦慮しているのだろう。単純な労働力というだけでなく、大きな商会にとっては今までの投資を含めた儲けを全て放棄しろと言っているのだから。


「しかしそれでは国が立ち行かなくなるっ。貴方がたは私たちの国を滅ぼすおつもりですかっ!?」

「国連への参加を強制した覚えは無い。国の方針として不参加を決めるのであれば、残念ではあるがそれを理由に責め立てる様なことはしていない」

「代わりに上位能力を得られず、軍事力を強化した国々から我が国は攻め滅ぼされてしまう! その為の巨大軍事同盟なのでしょう、国際連合とやらは!?」

「国際連合は協力機関であって軍事同盟ではない。そして例え加盟国でなくとも、加盟国との交渉の場を欲するならば協力はしていくつもりだ」

「我々に滅べと!?」


 とうとう理屈すら挟み込まれなくなったが、敢えて答えよう。


「これまで個人の自由を奪い、時に命すら刈り取ってきた者の言える事か?」


 確かに彼の言うようなことは起きる。

 そうなれば彼の国は確かに国際連合の被害者と呼べるだろう。

 けれどその国連が謳う奴隷解放に批准せず押し通した結果だというのなら、彼らもまた加害者だ。


 経済的な混乱が起きることは承知の上だ。

 生活が苦しくなり、時に自殺すら起きるだろう。


 しかし、()()()()とは別なんだ。


 結果発生する被害や死者があるとはいえ、この先も奴隷制度が廃止されないまま続いた結果生み出される被害や死者を無視するのは絶対に違う。

 始めたのは彼らではない。親の、親の、ずっとずっと以前の人間が生み出して、今日まで延々と続けられてきた。それは行き場の無い人間にとって拠り所となった事もあるだろう。けれど最初から存在しなければ、違った選択肢だって得られたんだ。


 内乱の終結間近、ビジットが示した奴隷というものの在り方は今でも目に焼き付いている。


 ああいうことをしてきたんだ。

 ああいうことがあると知りながら目を背けていたんだ。


 しかも、あれは遠い世界の話なんかじゃなく、当たり前に自分たちの周りで起きている非道なんだ。


 俺たちはずっとそこに疑問を挟み込めず、仕方ないと諦めてきた。


 目の前で鞭打たれ全身から血を流しながら全てを諦めている少女を見捨てるのが普通だと?

 抵抗も意思も奪われて暴力に塗れた日々を送らされているのが普通だと?


 目に見えないものであるなら、気付けないのであったのなら言い訳は出来るかもしれない。


 でも俺たちはあの日見てしまった。

 奴隷と言うものの在り方を。

 ビジットによる命令という名目はあったのかもしれないが、それでも実行してしまえる人間が居たという事実は決して忘れてはならない。


 もし、彼の国で奴隷が正しく労働者として機能しているというのなら、彼らが本来持っていた権利を少しずつ返していくだけの話なんだ。


 そこに発生する痛みを避ける権利が、俺たちにあるのだろうか?


 理想論に傾きすぎているとは思う。

 現実は、理想を実行する為に時間を掛け、順次返還という形を取ってしまっている。

 永遠に返すことの出来ない時間を俺自身の選択で奪っていることも確かだ。

 恵まれた環境にいるおかげで庶民が受ける苦しみよりも遥かに軽い痛みでしかないことも、分かっている。

 そして彼らを解放していく為の金を稼ぐ方法すら、彼らによっても生み出されていることが、何よりも情け無い。


 男は言葉を詰めていた。


 ここまで言い切るとは考えていなかったのだろうか。


 俺は彼の言葉に対して、そうだ滅べと言ったに等しい。


「国際連合は、政治経済文化、そして軍事面での協力機関となる。貴方は軍事ばかりに目が向いているようだが、大国から小国へ、あるいは飢饉や病などの蔓延に対して加盟国同士での物資の融通や支援なども視野に入っている。安価な労働力を失うことで一時的に経済力は低下するし、様々な悪影響は出るだろうし、すぐさま適応できるとは考えていないから、確かに完璧な支援は望めないかもしれない」

「それではやはり我が国は持ちません……」

「ならば加盟を遅らせるのも手だ。こちらが安定したのを見計らって舵を切る、それも現実的な考えの一つだろう」


 やはり、見栄や威信ばかり見せていたものの、彼にとって奴隷制度撤廃は余程大きな問題になるのか。

 大国からの圧力に他ならない現状、先ほどとは打って変わって顔が青褪めている。


「遅らせている間にも差は開くでしょう。その期間、我が国が攻め込まれないという保障がどこにありますか」


 開戦権の行使は国にとって重要なカードとなる。

 国連という組織が十分に馴染んだとして、加盟国にどこまで押さえ込めるかは疑問だった。


「…………少なくとも、国際連合加盟国による侵攻であれば、貴方の国の民が奴隷に墜ちることはない」


 慰めにもならない言葉を置いて、それを聞いて、男が深くため息をついた。俺には彼が一回り縮んだようにも見えて、口を噤んだ。


 もし、俺が男の立場で、苦しむのが皆であったなら、同じような行動を起こしたのかもしれない。

 多少癇に障る所のある男だが、彼なりにこの直談判で成果を求めようとしたのだろう。

 これもまた、民を守る行為であるのは間違いがない。


「我々には力が無かった」


 ぽつり、と。


「ですがもし、力があったのなら、このような方法を選んだりはしなかった。分かりますか、ハイリア様。このような直談判に意味など、効果など最初から無かったのです。僅かな失言を拾って何かの交渉に使えればと、それだけの事。けれども別の、もっと確かな方法がある。貴方は強固な意志と理想を持ち、それは人を惹き付ける。けれどやはり、政治家ではない。見誤っている。貴方が世界に突きつけた刃の鋭さは、人の正常な判断すら奪いかねないほど怖ろしく、破壊的な魅力に満ち過ぎていると」


 道を塞いでいた馬車を飛び越えて、赤い魔術光が飛び出してきた。

 咄嗟に近衛の男が俺を庇い、『剣』の紋章を浮かび上がらせる。


「知り合いだ。問題ない」


「っと、居たァ!!」


 着地に身を縮ませつつ、セレーネが息を切らせながら詰め寄ってくる。


 何だ? 妙に、顔色が悪い。いつも明るく振舞っている彼女らしくない。


 男が目を伏せ、息を吐いた。

 あるいは彼の役目は、時間稼ぎだったのかもしれないと、今更になって気付いた。


「ハイリア様っ、ハイリア様っ!」


 服を掴んで必死に呼びかけてくる姿に息苦しさを覚え、冷や汗が流れた。

 陛下からの呼び出し、そして男の訴え、セレーネのこの慌て様。


「どこ行ってたんですか!? 家も、学園も、いっぱい探したのに何処にも居なくて!! もうっ、大変……大変だったんですから!!」


 彼女の手を掴んだ。

 訴えは分かる。

 陛下に言われるまま身を隠していたことなど話しても意味が無い。


 落ち着けと、肩へ手をやり、目を合わせる。


「何があった」



「奴隷狩りに巻き込まれてっ、フィリップさんとナーシャさんが大怪我を負ったんです!!」



 男はただ青褪めたまま俯いているだけだった。

 その姿は、痛みを押し付けた俺もまた、痛みを受けるべきだと、示されているような気がした。


    ※   ※   ※


 特設されたという救護施設は、近衛兵団によって完全警戒が施されていた。

 一般に開放されている様子はない。見た目にも少し裕福な家屋にしか見えず、庭木は掘り返され、茂み一つ、草の一本すら刈り取って潜む場所すらないよう対策されている。見た目にはボードゲームに興じているとしか思えない男たちや、浮浪者を装った者たちで周囲を固められ、途中通ってきた道も坑道の崩落が起きたなどと言って一部の通行が制限されているようだった。


 荷揚げ場のようになった場所へそのまま馬車ごと入り、身を隠したまま施設へ入った。

 ここに二人は運び込まれたらしい。

 すぐにでも様子を見に行きたかった。


 けれど、


「ハイリア」


 向かう道の真ん中に彼女が居た。


「陛下……」

「きて」

「はい」


 陛下自ら開けた扉を礼も忘れたまま潜り、促されるままソファへ腰掛ける。

 客間のようだ。質素で味気無い、安物ばかりな部屋。偽装もあるだろうが時間が無かったというのも大きいだろう。

 こんな場所が用意されているなんて知らなかった。


「あ、あのぉ……」

 セレーネだ。

 どうしたらいいのか分からず入り口で様子を伺っている。

「いいよ、入って」

「は、はいっ、失礼します……!」

 完全に固くなっているが、陛下は気にした様子もなく別のソファを示し、彼女は素直に従った。


 そんな所にまで気が回らなくなっているのか。

 なんとか気持ちを切り替えようとして、上手くいかず、目を伏せていたら、すぐ隣に陛下が座った。

 ソファの上、そよ風一つ吹けば髪が触れそうな所に居る彼女は、両手を膝の上に置き、ぐっと握っていた。


「色々と、手を回して下さったのですね」

「……うん」


 状況から、身勝手な想像だけは膨らんだ。

 別に近衛の誰かでも良かったのだろうが、陛下なりに気を使って下さっているのだろうと思う。


 だから、黙り込む俺に、彼女はぽつりぽつりと語り始めた。


「ずっと、ハイリアの部隊の人を守らせてた。フィリップ、ナーシャ、ジェシカ、セレーネ、この四人はもう、ホルノスだけじゃなく、世界中が求めるほどの価値ある上位能力者だから」


 ただの上位能力者ならそれなりに数が居る。

 けれど彼らが覚醒したのは今まで聖女による加護であると一般には語られていて、そのカモフラージュもあってか意図的に覚醒する手段が体系化されたことは無かった。だがあの四人は、少なくとも歴史上に初めて刻まれた意図的な覚醒を成し遂げた人物なんだ。

 その戦闘技術、思想、日常的な食事などのライフスタイルなど、具体的なものを知らない人間にとっては些細な情報ですら価値を持つ。


 南方の貴族らしき男は言っていた。奴隷制度の廃止は国を滅ぼしかねず、国連への不参加は加盟国からの侵略を受ける。支援の話などもどこまで期待できるかが分からないのなら、生き残る為に、あるいは加盟による不利益を被るくらいならと、情報を知る者たちの確保に動いた。

 怪我をしたと聞いているが、実際には負傷させることも含めた強引さで誘拐を試みたのだろう。


「なのに、ごめん。守りきれなかった」

「いえ……」


 そう答えるのがやっとで、口にしようとした言葉は重く腹の中へ沈んでいった。


 出来るのなら、警護をしていることも含めて、俺に伝えて欲しかった、と。

 ナーシャに頼んで警戒はして貰っていたが、リアルド家も流石にこの権力者で溢れ返るデュッセンドルフで好きに武力を展開できるほどの力は無かった。ただ、近衛兵団との連携や、もっと具体的な対策も、立てられたかもしれない。


 馬鹿な考えだ。


 俺が間抜けだったというだけの話。


 甘い考えで万全を期すことなく、日常の中で……いや、それを言うなら、そもそも四人を上位能力者へと覚醒させようとしたこと事態が間違いになって、しまう、のか……。だが万全とはなんだ。四人に国連の運営が軌道に乗るまで軟禁状態での生活を送れとでも言うつもりか?


 鋭すぎる刃と、エルヴィスの貴族ワイズ=ローエンは言っていた。

 俺が突きつけた刃は、魔剣・妖刀の類だったということなのか。

 他国にここまでの凶行へ奔らせるほどの脅威。

 痛みを受け入れろという姿勢。

 支援に対する確かな保証も出来ないまま進めた政策のツケを、あろうことか協力者である二人に負わせてしまった。


「一つ言っておくがよ」


 不意に声がした。

 ベイル=ランディバート、近衛兵団の副団長は、腕を組み、部屋の窓際でこちらを眺めていた。

 どうやら最初から居たのに気付いていなかったらしい。


「警備の質や規模でどうにかなる襲撃じゃなかったよ。詰め所にゃ有象無象の苦情や案件が殺到して、一時的に全体の指揮が麻痺していたし、三つの市場でほぼ同時にボヤ騒ぎ、どこぞの人気俳優が現れたとかで人がごった返し、把握してるだけで二十箇所近い家屋が倒壊して生き埋め、道が塞がれた。全部挙げてりゃキリねえが、一つ一つなら何とかなる問題でも同時にこれだけやられたら対処の手が足りなくなる。そんな中での襲撃だ。俺の立場で言うのは間違いなんだろうが、ここまで厚みのある手を打たれたら誰がどうやっていたって襲撃は受けたさ」


 だから、と少し俯いて頭を掻き、


「ハイリア、お前が勝手に責任を感じることじゃない。陛下も、謝らんで下さい。貴方が言うべきなのは、それでも守りきるのが近衛だろうと、俺たちへの叱責です。直接警護に付いておきながら不覚を取った。団長が聞いたら顔のデカさが倍になるまで殴られたでしょう」


 そうして彼は、定規で測ったように真っ直ぐで乱れない姿勢に己をはめ込み、言うのだ。


「近衛兵団副団長ベイル=ランディバート、そして今も現場で指揮を執り続けている現団長ディラン=ゴッツバック以下近衛兵団有象無象っ! 任務を果たせなかった責はどのような形でも取る覚悟です! ただ、出来るのであれば事を企んだクソったれ共を狩り出すまで、この命だけはお待ち頂きたく思います!!」


 不動のまま宣言し、返答を待つ副団長に、陛下は小さく首を振った。

 膝の上にある小さな手がまた強く握られていて、手を伸ばせない己の情けなさを呪う。


「貴方たちにはまだやってもらうことがある。死ぬのは許さない」

「はっ! 光栄であります!」

「でも出来るなら普段からもう少しそうやってくれると助かるよね」

「いやコレ結構肩凝るんで勘弁してもらえませんか」

「罰として今日一日その感じでやってね」

「喜んでっ!!!!!!」


 最後はやけっぱちだったが、思わぬ所で二人の関係が俺の知っていた頃よりずっと近しくなっているのが分かった。

 同じ部隊としての行動がこうさせたのだろうか。

 陛下の悔恨を慰められたのが自分でないことに、ようやく悔しさを覚えられるくらいにはなってきた。


「それと」


 ベイルは視線を入り口側、居心地悪そうにソファで座るセレーネへ向けた。


「は、はいっ」

「悪かったな、怖い目に合わせちまった。大切な仲間を二人、怪我までさせちまって」

「いえ……その」

「なにか?」


 彼女は何度か視線を彷徨わせて、その一度に俺と合った目は伏せられて、綺麗に揃えた膝の上で両手の指を絡ませる。


「私、奴隷狩りに遭遇したって思ってて、それで、なんでか……違った、ん、ですね?」


「おそらくは偽装だろう。首謀者が同じかどうかは不明だが、模倣犯を装うことで目晦ましにした」


 俺が答えると、彼女は感心したように頷き、また身を縮めた。


 まだ首謀者についての話は出ていないが、何者かがホルノスの握る上位能力への覚醒手段を得る為に俺を含めた五名を誘拐しようとした。真っ先に手を打たれた俺は陛下によって身を隠していた為に見逃され、フィリップとナーシャは奴隷狩りに偽装した誘拐犯によって襲われるも、様々な妨害工作を受けつつも現場へ駆けつけた近衛兵団に助けられ、負傷のみで事が済んだ。

 状況を纏めるとこんな所だろうか。


「そう、ですか。ごめんなさい、どうぞどうぞ、私なんて置いといて進めてください」

 俺は一度二人を確認し、

「疑問や気になることがあったら言ってくれ。すまないが、もう巻き込んでしまっている。自分の状況は把握しておいた方がいい」

「大丈夫です。大体は分かりましたから……」

 普段の元気がない。

 仕方の無いことだろう、仲間が傷付いたんだ。


「……二人の怪我の具合は、どうなのですか」


 聞くと、把握しているらしいベイルが静かに答えた。


「フィリップ=ポートマンは右脚の骨をやられてる。出血も多かったから、死ぬような状態じゃないものの今でも意識は戻ってない。ナーシャ=リアルドは利き腕をやられた。毒抜きはしてあるが、しばらくまともに右腕は動かんだろうさ」

「毒……?」

「守ろうとした群集に紛れ込んでた奴がやったようだ。彼女は生き埋めのあった倒壊現場で襲われた。人が多すぎて『角笛』も使えず、多数相手に追い詰められたと聞いている。意識は回復しているが少し朦朧としているようだから、まずは休ませてやらんといかん」


 手数の多さでは群を抜いている『角笛』は、同時に扱いの難しさでも相当なものだ。

 誤って誰かを巻き込んでしまうのを避け、『弓』によって応戦したのだろう。


 しかし、毒に、骨の異常か。

 毒は専門じゃないものの、骨も骨折となれば完治まで半年は掛かる。ヒビであっても二ヶ月から三ヶ月、酷ければ障害が残る可能性すらあるものだ。


「試合、無理、ですよね」


「…………そうだな」


 セレーネの呟きにようやく思い至る。


 そうか、試合か。

 明日する予定だった、ヨハンとの試合。


 たった六人の、内一人は戦闘要員ではない部隊で二人の欠員。

 参加可能なのは俺とセレーネとジェシカ……、


「ごめんなさい、こんな時に」

「いや……くそ、副団長、ジェシカ=ウィンダーベルは今何処に? 三人がここに居るというのなら、残る一人である彼女が狙われる可能性が」


「彼女は現在も捜索中で、発見出来ていない。ウィンダーベル家の別邸からは出ているらしいんだがな」


 立ち上がった俺を小さな手が引き留めた。

 陛下はじっと俺の目を見て、


「相手が一番欲しがってるのはハイリア、貴方だよ。他の四人はあくまで予備、ハイリアを見付けたならきっと本気で襲い掛かってくる」

「俺に仲間を見捨てろと仰るのですか」


 出てくるのなら好都合だとすら思った。


 だが、


「無様に駄々捏ねる前に知恵を巡らせろ、お前は副団長補佐だろうが。仮にも部隊を動かす立場にある奴が先走ってどうする。残された兵は行き場も分からず遊兵化するぞ」


「………………はい」


 胸の内が焦げ付くような熱さを感じながら、何とか声を絞り出す。


 そして考える。

 他に見落としは無いだろうか。

 何か、敵の考えそうな事は、


「…………上位能力について、クリスティーナ=フロウシアへ詳細を伝えてあります。先の、陛下たちとヨハンの部隊が試合を行った日に」

「他には」

「俺の家に二人、フーリア人の姉妹が居ます。もし脅迫をするのであれば、狙われる可能性がある」

「よし」


 手を打ち、立ったままの俺に座れと示してくる。

 そんなことより手を打たなければ。言いたい想いを押さえ込み、何とか腰を落ち着けた。


「その二つには対処済みだ。というか、一つ目はお前の言う日の内に、向こうからこっちに質問があったぜ。ハイリア様から結構な秘密を頂いたんですけど、これってまだ広まらないよう私だけで抱えておいた方がいいですよね、なんてよ」

「ここまでくると情け無いを通り越して無能そのものだな……」

「泣き言が出るようになったなら首尾は上々だ。その調子で落ち込んでろ」


 流石は近衛兵団の副団長を任された男、俺があれこれ言うまでも無く大体の事は考えてあるか。

 具体的な対策の内容を知りたいとは思うが、それを寄越せとせがむのも今は我侭にしかならない。


 無様さを受け入れろ。

 恥を晒したのなら、恥を感じて悔しがれ。


 最初から自分が完全無欠の人間なんかじゃないのは分かっていることじゃないか。

 ここ一番で失敗したのなんて一度や二度じゃない。何かを致命的に勘違いして、その度に誰かの助けでようやくなんとかなってきた。負けて、負けて、負け続けて、大勢の力を借りてようやく一つの勝利を掴めるくらい、一人では足りない人間なんだ。だがそれに甘んじるな。

 皆を率いる長で在れ。

 ホルノスの英雄と讃えられる男で在れ。

 陛下が頼りにするに足る忠臣で在れ。


 意地を張り通した分だけ、俺はそこに近付ける。


 そして、次の手を考えろ。


 個人の我侭だけで全てを完結させないのだと、あの内乱で俺は皆に求めたんじゃないか。


 固く、痛くなるほど強く握り締めていた手を己の力で解いていく。

 時間は掛かった。顔を俯かせ、その様子を三人に見られているのを自覚しながら、上手くいかず何度もため息をついて力を抜く様を晒して、ようやく、指先を震えさせながらも開いた手を膝上に置く。

 顔をあげる。

 目を開いた。


 よし、とベイル=ランディバートが頷いた。


「続きを、聞かせてください。この話の本題を」


    ※   ※   ※


 カーテンの締め切られた室内はランタンの灯で照らされていて、その揺れる灯りの中で立ち上がった陛下は改めて対面のソファへ腰掛けた。

 入り口側、左手には眉を下げたセレーネがおり、副団長ベイルは窓正面に立つのは避けつつもそちらを警戒して陛下へ少し寄る。


 陛下とは、あの小さな塔の中でちゃんと顔合わせをしてから半年近くになる。

 相変わらず気の抜けた時には詰まりながら喋るが、政務で他国の人間と会う時には凛と振舞っておられる。

 少し丸みの出てきた顔付きは、以前が不健康そうだったのを考えれば歳相応で愛らしくも感じるものだ。

 けれどこうして気を張っているとどこか、王の風格とも呼ぶべきものを感じるのは……俺の欲目だけではないと思う。


 ホルノス王国ルリカ=フェルノーブル=クレインハルト女王陛下は、その深遠なる思考の一端を纏めなおし、そっと俺たちへ差し出してきた。


「国際連合の結成にあたって、加盟非加盟を問わずホルノス包囲網とでも呼ぶべきものが生まれつつある」


 そして事態は、俺が予想していたより遥かに大きく、深刻なものに変じていた。


 陛下を俺の様子を伺いつつ、一度セレーネへ目をやってから言葉を続ける。


「彼らは、今までに無い巨大な枠組みの誕生以上に、その中でホルノスが絶大な影響力を持つだろう事を危惧している。上位能力だけじゃなく、フィラントとの交渉窓口もそう、地理的に国連組織の中心地ともなるホルノスには金も物も集まるし、それは加盟国の資産すら吸収して急成長するものだという考えは正しい」


 国連は軍事だけでなく、政治経済文化においても相互協力を謳っている。

 関税緩和や関係強化によって生まれる安定した交易路は今まで以上に富を生み出し続けるだろう。その中心地に在るということの利点がどれほど大きいか、いっそ幾つかの特権を売り渡してしまってもおつりが来ると試算されている。それは本来、奴隷制度撤廃による各国の経済不安を解消する為の資金源として扱われる予定だったが、安易に信用出来るかというとやはり難しい。

 シャスティもまた、友無き世界と呼んでいた。

 国家間の友情はあり得ない。個人で繋がることは出来ても、自国の利益を切り崩して助け合うというのは、どちらかが圧倒的に富めている状況でなければ起こらないと、そういう考えだと解釈している。


「それでも構わないと考えている国も結構居るよ。そこは間違えないで。ただ、奴隷制度撤廃に反対という国でも、破綻が理由か、発展が理由かで分かれているし、賛成と本気で考えているような国であっても撤廃されないのであればその方がいい、もしくはどちらにせよ大きな負債と利益の比率が良好だからという国もあって、考え方には多様性がある。私たちは今回大規模な妨害工作を受けた。けど、これは世界の総意じゃない。切り崩していく余地はまだまだあって、この行動に批判的な国も沢山ある。分かる?」


「はい」

 頷いた。

「大規模な動きではあっても、そのすべてと完全に決裂した訳ではない。そしてこれはあくまで、国連結成後に向けた力関係の調整と捉えられている」


 腹の中の焼けるような痛みを無視し、開いた手で膝を掻く。


「私はね、ハイリア。これは良い傾向なんだって思ってる」


 異論は彼女の目に封じられた。

 違うぞ、と幼い瞳が雄弁に語っている。


「国際連合の存在は世界に一つの頚木を作り出すけど、争いを消すことは不可能だよ。けれど戦争ではなく、政争による決着を生むことが出来ると各国は理解している。戦争をしないことでの戦死者の存在は残り続ける一方で、間違い無くこれまでのような無為無策な戦争は減っていく。戦わない以外の方法を知ることで、いずれ戦いそのものを忌避する考えが定着していく。命を戦いで消費するのではなく、別の何かを生み出すことに使っていける国がきっと出てくる。こんなものは理想ですらない確率の問題なんだよ。誰だって死にたくは無い。命を奪うことに、失わせることに慣れていても、望まない死は嫌なんだから」


 近世以前では命が軽い、などとよく言われる。

 だが俺は間違っていると思う。陛下の言う通り、ただ死ぬのを好む者なんて居ない。ただ、どう死ぬかという一点で、この時代の人々は戦いの中で果てることを良しとしているだけだ。命の使い道を、少しでも多く示していくことで、別の価値観が生まれ、死そのものが忌避されていった結果が現代だ。

 軽いのではなく、死生観が違う。

 それだけのことを最近になってようやく理解出来てきた。


「まだまだ暴力を前提とした行動にばかり目が行っているけど、もっと安全で確実な方法は確かにある。むしろ今回の事は下策だよ。少なくとも加盟国へ上位能力について伝える優先順位を付ける口実が出来た。情報が漏れない限り、例え漏れても確立されていかない限り、主導権は私たちが握り続ける。今回の鉄甲杯で何故小隊編成人数が変更されているのか、そこを読みきれていない国はそもそもとして問題外なんだから」


「陛下、それは……」

「先日王都から話が届いた。あっちでも成功例が出たんだよ」


 俺の問いをベイルが飲みこみ、告げた内容に、ようやく一つの喜ばしい成果があるのだと分かった。

 視線を左へ滑らせ、セレーネを見る。


「気になるか」

「ん……、んん? はっ、はい。と言いますかあんまり良く分かってないようななんといいますか、私本当にここに居て良いんでしょうか……?」

 入室は陛下が許可したんだ、俺が口を出す所じゃないが、

「君もその一人だ。そして先の話通り、まだしばらくは身の危険があることと、理由について知っておいて欲しいのだと思う」

 第一、彼女はそこそこ座学の成績が良かった筈だぞ。

 昔はガリ勉だったのを俺は知っている。まあ最近は学問より女の子としての勉強が楽しいようだけどな。

「はい。その……私、も、ということは」

 察しも良い。


 一度視線を戻し、陛下が頷くのを見て俺は説明することにした。


「俺がこちらへ戻ってくる以前、王都では近衛兵団の副団長補佐をしていた。そしてその近衛兵団から、しばらく前に教導部隊が編成されて各拠点での訓練へ乗り出し始めていた。そして俺は上位能力への覚醒手段について、自分なりの説を確立してから君たちへそれを促していた。俺はホルノスの、陛下の臣下だ、出来る出来ないについては不確かだったものの、手段を隠蔽する理由なんてない。これでどうだ?」


 途中から分かっていたようで、答えは早かった。


「私たち以外にもハイリア様の方法で覚醒した人が出たんですね」


「そうだ。教導部隊は現在、素養ある人間を集めて秘密裏に覚醒者の増加を促している。デュッセンドルフに注目が集まる今、交易路からも外れていて、ティアによる大樹への注目が集まりがちな王都は、その対策としても兵の運用を融通し易く秘密裏の行動を起こすのに適している。既に成果が出ているということは、今後しばらくはホルノスが上位能力保有数については他国を上回ることになる」


「小隊編成の五人目は、本来通常の四属性に一人の上位能力者を加えることで戦術の幅を増やすことを前提にしている……?」


「具体的に話し始めると長くなるが、考え方はそれで正しい。通常の四属性を一人から二人に増やした所で、戦場が限定された試合でしか大きな変化は見込めない。千差万別に変化する戦場での強みを持たせるのに、五人目に上位能力者を配置し、四人はむしろその人間の援護に回るのが理想系と考えている」


 上位能力は決して万能の力じゃない。

 『旗剣』(ライトフラッグ)は速力を落とし、攻撃のキレや感知能力に低減が見られ、

 『騎士』(インペリアルナイト)は突進状態でなければ打撃の威力は落ち、足元の不確かさは槍捌きにさえ悪影響が出るし、

 『角笛』(ディバインホルン)は術者の射程を落とし、制御の難しさは乱戦での機能を著しく低下させ、

 『王冠』(インサイスドクラウン)は発動状況から術者の位置が明らかになりやすく、本人は動くことすら出来ず、壁は阻むだけで相手を倒すことが出来ない。


 単騎の戦闘力として考えた場合、基本の四属性の方が優れているとさえ俺は考えている。

 しかし状況を作り出す力は抜群に高い。

 『騎士』などは一人居るだけで巧緻を求める今の戦場に速度を生み出せる。

 だから、上位能力者の存在は戦場の趨勢を左右するものとしてこれまで幾度も英雄としての名を轟かせてきたんだ。


 それを意図的に、次々と生み出せるとなれば戦場の様相が一変する。


 理解していたつもりだったが、ここまでの行動を引き起こすことに気付けていなかった。

 自分自身が『騎士』の力を持ち、不足を感じ続けていたからか、単なる考えの浅さ故か。

 どちらもだろう……、恥を飲みこみ、更に続けた。


「この動きを読んでいる国も当然あるだろう。発表でのお披露目をしておきながら、その四人だけだと考えるのを期待するのは甘過ぎる。実際は全力疾走しながら道順や配分を考えているようなものだが、どうあれもうホルノスの軍事力は他国を圧倒する準備を整えつつある。……なるほど、そう考えるからこそ妨害に加わった国があるのですね」

「いっそ軍事同盟だった方が安心できたって所は多かったかもね」

「しかしそうなると国連憲章のように内政方面への干渉は難しくなる。フィラントの協力も得られなかったでしょう」

「うん。どう……?」


「はっ、はいっ!」


 ようやく一つ得心がいった、というか分からせて頂きました、とばかりに姿勢を正すセレーネに陛下が視線を彷徨わせる。あぁ、陛下が頑張って歩み寄ろうとしているっ、だけど緊張し切っているセレーネに言いたい言葉があっても口を噤んでしまっているんだろう。頑張れ陛下、俺は心から応援しています。


「不敬罪」


 ぽかり、と身を乗り出して額をぐーの小指側で叩かれた。


「申し訳ありません」

「馬鹿な考え始められるくらいに落ち着いてきたってことなら、まあいいんじゃないですかね」

「不敬罪」

 ぽかり。

「副団長、貴方のせいで罪が増えました」

「補佐殿の仕事だ、諦めろ」


 馬鹿をやっていたら陛下が大きくため息をついた。

 話の山が終わったのだろう。


 ただ彼女はどこか眠たそうに瞼を落とし、淡々と言葉を続ける。


「国連なんていつか破綻する。友人同士でもない国々が自国の利益を求めて好き勝手にやる構図はこれまでと変わらないし、たかが奴隷の処置一つでこんな馬鹿をする国が居るんだから、自国の経済破綻や革命思想の高まりなんかを処置する為に仮想敵国を生み出して、いつの間にか政治の思惑すら外れて憎しみ合って暴走する。そうなった時に起きる戦いの規模はこれまでの比じゃないよ、きっと。大陸の歴史に名前を残す戦いは一杯あるし、今まさに起きてるフーリア人との戦争だって大変なものだけど、あくまで単一の国と国とが争っているだけ。過去の宗教戦争で生み出された死者の数さえ上回るくらい、血みどろで苦しい争いが待ってる」


 それは、いつか俺が陛下に国際連合構想を打ち明けた時に言われたものだった。

 争いの規模を拡大するものだと、確実に破綻を引き起こし、屍の山を築くものであると、世界大戦という概念すら知らない少女はその場で見抜いて見せたんだ。


 花がしおれていくように、ソファで身を傾けて肘置きへ頭を乗せて、少しだけ身を丸めた。



「…………そうなる前に何を生み出せるか、どれだけのものを生み出せるか、自らを立てる、争いで起きる奇跡の一幕に寄与する、人の心にある黄金を……掘り起こす」



 だからやる価値があるのだと。

 かつては確実な破綻や崩壊を理由に何もしないことを選んでいた彼女が。


 王であるという、ただの権威に頭を垂れているのではないという誇りは臣下にとって無上の喜びだ。


 民に誇りあれと示したエルヴィスの女王と同じように、陛下もまた王であるのだと、俺たちは再認識する機会を得たのだ。


「けどね」


 むくり、と起き上がり、彼女は昼食のメニューを考えるような素振りで続けた。


「ハイリアが受けた痛みを私は忘れてないよ。フィリップ=ポートマン、ナーシャ=リアルド、行方の知れないジェシカ=ウィンダーベルに――セレーネ=ホーエンハイム、貴方たちの受けた痛みに蓋をして忘れろとは言わないよ」


 呼吸も忘れて陛下を見ていた。

 初めて見たかもしれない。


「そもそもまだ事は収束していない。私はね、自分の部屋を荒らされるの大嫌いなの。大切な本を蹴る人間は引っ叩いてやってもいいって思ってる。でも本は印刷すればいい。燃やされても、書いた人の意思まで灰にはならない。けど人間は違う」


 ルリカ=フェルノーブル=クレインハルトは確かに、瞳に怒りと讃えて俺たちを見据えていた。


「ホルノスに手を出したらどうなるか、包囲網なんて考えて、それで遊んでる馬鹿に痛い目を見せる」

 言い回しが気になった。

「首謀者の割り出しは終わっているのですか?」


 うん、と彼女は更に告げる。


「首謀者はガルタゴの提督、そしてフィラント王……シャスティ=イル=ド=ブレーメンだよ」


    ※   ※   ※


   シャスティ=イル=ド=ブレーメン


 カカカ、と笑って茶に口付ける。

 こちらの紅茶というものは中々に良い香りじゃ。甘くしても良し、そのままでも良し、菓子や果物にも合うという素晴らしいものじゃのう。


 ホルノスに用意させた屋敷でのんびりとていたいむ(’’’’’)を愉しみながら、リリーナに経由させた相手へ言葉を放る。


《焦るのも分からんではないが、早まったことをしたものじゃの》


 相手は確か、ガルタゴの高官じゃったか。提督などと呼ばれておったが。

 表向き親ホルノスを振舞いながら、事実上の国力で上回る奴らにとって国際連合での主導権を握られるなぞ我慢ならぬこと。

 破綻させるよりは結成まで行った方が得をするとはいえ、後を見詰めていけば多少も無茶は必定だったということじゃの。


 頭の中に響くのは、オスロのジジイにも似た老人の声。


《これで良い。力も定かではなかった状態ではただ価値を貶めるだけ。やるならば我が国の威を示さねばならん》

《だから勝ち上がって、十分に強さを印象付けるのを待っていたと? まどろっこしいことをするものじゃのう。ただ誘拐すれば早かったじゃろうに》

《元より内海を挟んだ先にあるガルタゴはさほどホルノスに脅威を感じていない。上位能力も手に入るならばそれで良し、入らないのであればそれもまた良し》


 具体策を披露するつもりはないらしいが、成程それで実行者の裏が分かり易いよう手配していた訳じゃ。


 焼き菓子を手に取り、ついでに扉前を守る近衛兵団の男へ目をやる。

 巫女による念話は術者以外の者には魔術光も出ず、一定範囲内に居る必要はあるが内容が知れることも無い。


 ハイリアを始めとした何人かは巫女の力についてしっかり把握しておったようじゃが、所詮は知識よのう。それまでの経験や慣れでついつい近辺をうろついているのなら何処とも連絡を取っていないなどと考えてしまう。試合の観戦となれば様々な国の重鎮が顔を出しても不自然ではなく、嫌がるくらい徹底して纏わりついてやったからホルノス王も時折距離を取るようになった。


 些細なことではあろうが、思い通りに事が成るとは実に心地良き事よ。


《して、話は変わるが――》


 面白いのう、政治とは。


    ※   ※   ※


   ハイリア


 シャスティ=イル=ド=ブレーメンの人となりについて、ある程度は理解しているつもりだった。

 奔放でこちらの文化を好み、幼さに似合わない油断なら無さはあるものの、比較的理想家な面を持っている。

 『幻影緋弾のカウボーイ』についての考察サイトでも概ね同じような見解だったと思う。だから、甘く見てしまっていたのだろうか。それとも、語られることのなかった二年目にはそういう面が顕になっていったのか。


「ハイリアは、結構早い段階で彼女を信用していたようだけど」


 陛下はものの見事に見抜いていたようで、多少気遣わしげにしながら続ける。


「彼女個人と、王としての彼女は別と考えた方がいいよ」


 一つの枠組みを率いる立場を得ると、時に個人的な思想さえ置き去りに非情な決断をしなければならなくなる。

 という、ありがちな考えだけでは足りない。

 そう陛下の目は訴えていた。


「元となる考えはあるんだと思うけど、彼女は自分の憧れる王という存在に己を当て嵌めようとしているから、時に自分の好みや思考さえ置き去りに振舞ってしまえる」


 厄介極まりない人物評に顔をしかめずにはいられなかった。

 それはともすれば彼女への説得や懐柔すら無意味になることを意味する。

 そして王としての行動を曲げさせるには、彼女の理想そのものを折らねばならない。

 交渉の難度は高く、危険もある。理想を踏みにじられたとして攻撃の対象にされてしまうかもしれない。


 しかし陛下は仰ったのだ。


 痛い目を見せる、と。


「ま、それについてはこっちでなんとかするから、話したいのは別なの」


 聞きたい欲求をなんとか堪え、言葉を待つ。

 少なくとも陛下自ら謝罪され、受けた痛みを放置しないと言って貰えたのだ、それ以上を望むのは強欲なのだろう。


「試合は明日、負傷者が二人で現状一人追加で行方不明だけど、少なくともここに居る二人は戦える状態だよね」


「はい……」


 相手はヨハンらで、絶好調のオフィーリアも居ることを考えれば無茶も過ぎるほどの戦力だ。

 陛下は一度セレーネを見て、それ以上の反応を見せないまま静かに息を吐いて俺へ視線を向けた。

 躊躇う様を見せないよう、堪えたのだということは胸の奥に仕舞い、優しいけれど厳しい王の目を見返す。



「明日の試合、欠場は許さない。必ず出場し、力の健在を示さなきゃならない」



 彼女もまた王であるのだと、そう言われた様な気がした。


「二人にあからさまな負傷を作ったのは、実行者であるガルタゴの威信を示すだけじゃなく、国連加盟への餌となる上位能力自体の価値を貶めることにある。そうすることで相対的にホルノスの立ち位置を下げ、後々での動き易さを確保しようとしている。ここまでの試合で十分に力は見せ付けたと思うけど、その上で試合じゃない実戦ではやっぱり、という評価を作っておけば口上としては使えるだろうから」


 これは現在存在する、天然モノの上位能力者とは別に考えた方がいい。

 人工的な上位能力者について。それでなくとも、幾らかホルノス包囲網とやらの国々で同じ意見を展開すれば実態を無視して言い掛かりをつけることは可能だ。

 些細なものと言い張ることも出来るだろう。彼らの行動に批判的な国々を引き入れ、優遇措置を施すことで対抗する。決して悪い手じゃない。

 ただし、国連内には余計な派閥が生まれるし、根本的に危険そのものは残る。


「私たちで下手な行動は高くつくと示し、ハイリアには行動の無意味さを示してもらう。無茶なのは分かってるけど、大きな枠組みを作る直前に頭を打ちつけられたまま頭を垂れている国だと思われるのは大きな負債になる。単に批判をして相手の暴挙を明かすだけだと、やっぱりホルノスは弱者の立場に立たされる」


 弱さも勝者、あるいは強者の立場を作るとかつて陛下は仰っていたが、今は違う。

 これから先、国際連合を引っ張っていく意思がホルノスにはあるんだ。


 始まる以前に引いてしまえば、最早その立場は別物になってしまう。


「ただ……」


 陛下は今一度セレーネに目をやる。

 きっと、続く言葉の為に彼女をここへ招いたのだと、俺は思った。


「貴方は巻き込まれた側の人だから、嫌だと思うのなら不参加でも構わない。恰好はこっちでなんとか整えるよ」

「いえ」


 そしてセレーネは、ようやくといった様子で明るい笑みを浮かべて続けるのだ。


「私は元からハイリア様が目的ですからご安心をっ! そうです陛下、いっそのこと出場の報酬としてハイリア様を一日貸して下さい、ちゃんと返しますけど報酬あるととってもやる気が出ますよーっ!」


「うんわかった」

「お待ちください陛下」

「ひゃっほうデートだデートぉっ!」

「一日だけね、一日」

「お待ちください陛下」

「またないよ。残念」


「一気に話が簡単になったなぁ」


 などという副団長の呟きを置いて、とりあえずその場はお開きとなった。


 ホルノス包囲網、フィラントの暗躍、ガルタゴの策謀、更には孤立するエルヴィスと、ジェシカのやってきた東方の国々、奴隷解放と奴隷狩り。


 他にも問題は山とあり、全てを完璧に処理することなど出来ないだろう。

 俺一人ではたった一つとてまともに解決など望めない。

 多くの力を得てようやく一歩を踏み、更に進むのだろう。

 報復は陛下に託す。

 俺はまず目先の試合を、そして負傷した二人に謝り、何よりも行方不明のジェシカを探さなければ作戦の練り直しも難しい。


 そして、ふと視線を副団長へ滑らせる。


 彼は俺の言ったフーリア人姉妹について対処済みと言った。

 フィリップらの怪我の具合まで把握していたのだ。おそらくはメルトについても知られたのだろう。特別何も言ってこない意図は、どういうものなのだろうか。


 出来るのなら、このまま不干渉であって欲しいと、そう願っている。





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