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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第四章(上)

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 川原での実験を終え、丘を大きく迂回して子羊亭へ向かう。

 フロエにも言われたが、自分で会わない方がいいだろうなんて発言しておきながら、どうしてこうも足が向いてしまうのか。たまに、もしかするとコレは店に行くという建前がなければストーカーではないかと、いやそんな筈は、そんな筈はないなウン、などと考えないでもない。

 そう、この前包んで貰った一番安いのが結構量もあっておいしかったのだ。今日はそれを買いに行こう、フィオーラも気に入っていたようだしな。


 時間が遅くなってきたからか、町の東側を迂回しているのに鉱山労働者たちの姿がまばらだった。

 代わりに警備の巡回があって、灯りを手にしている集団とすれ違う時にふと、それが自警団らしいことに気付いた。

 以前フロエと話していた件については文官に投げてある。ただ橋渡しをした以上、顔くらいは出しておくべきかとも思うのだが、先だって目立ち過ぎると注意を受けたばかりだ。


 ふらりと道を逸れ、貧民街へ入っていく。

 奥へ行けばマフィアだかヤクザだかの事務所があるそうだが、外周部はそれほど治安が乱れてはいない。というか、彼らも治安が悪くなれば商売が成り立たないのだから基本的に維持しようとするものだ。ヨハンやアンナらは幼い頃から庭同然に駆け回っていたというから、慣れていれば子どもでも平気、ではあるのだろう。


 家屋も子どもの積み木のように出鱈目に重なっているのを気にしなければ、特別酷いとは思わない。

 というか、妙に新築らしきものが多かった。

 以前は廃屋や掘っ立て小屋が連なっているのを期待したものだが、冬になればかなり冷え込むし、それなりにしっかりした住居が必要なのかもしれない。

 物見遊山の気持ちで貧民街を通り過ぎようとしていた俺は、ふと悲鳴にも似た叫びを聞いて周囲を見回した。

 街路に座り込んでいた者たちは反応しない。

 窓を開け放っていた住居は素早く木窓が閉められ、顔を出した子どもを親が引っ張り込むのが見えた。


 自分の身は自分で守る、そんなことをフロエは言っていた。


 彼女のこれまでを思えば苦々しい気持ちになるのは確かだが、異変には無関係を貫くのがここでの処世術なのだろう。

 特別軽蔑などは覚えない。

 俺がこれからすることは、戦う準備があり、力があり、余裕もある人間がする行為だ。

 大富豪の与える数百の金貨より、貧者の与える一枚の金貨の方が遥かに重いように。

 だから貴族足り得るのだという主張には、少し悩まないでもないが。


 手にしていた刀を何時でも抜けるように意識しながら走り、無用心ながら角を飛び出た。


「はーっ、あぶなかったぁ…………!」


 そこに居たのは、ついこの前まで眠りこけていた、と思われていたアンナ=タトリンだった。

 彼女は腕立て伏せでもするような恰好をして、駆け込む俺に気付いたのか顔だけをこちらへ向けている。


「あれ……んー」


 眩しくてこちらが見えないのだろう、ランタンを脇へやり、どうしたものかと近付いていった。


「こんな所でトレーニングか?」

「あっ、ハイリア様?」

「あぁ」


 見えたというより声で気付いたらしい。


 彼女はあははと笑いながら慎重に身を起こし、土のついた手を払った。


「悲鳴が聞こえて来たんだが、どうかしたのか」

「あっ、駄目ですっ、そこっ、そこ危ないですよっ!?」


 立ち上がるアンナに手を貸そうとしたのだが、手前で大慌てされて足を止める。

 なんだと思って指差す場所を見るが、


「…………馬糞かなにかか」

「ふぅ……っ」


 貧民街は多少臭う。

 綺麗な石畳で落ちていれば気付くものだが、あちこちが割れて土が剥き出しになっていると案外分からないものだ。


「デュッセンドルフは馬車馬の糞が放置禁止になっていた筈だが……」

「旅行者が増えてからはあんまり守ってませんよー」

「そうか……」


 俺が普段通る辺りは比較的清掃されているのだろう。

 かつてない程に人口が密集する環境で糞尿の放置は伝染病を誘発する一大事だ、流石に対処済み……とは言い難いものの手は打たれているのかもしれない。

 黒死病の蔓延なんかも、十字軍の帰還兵が持ち込んだんだったか。デュッセンドルフで感染して世界各国に拡散、などという事態は流石に避けなければならないだろう。警備もそうだが下手するとそれ以上に重大な案件かもしれない。


「それで……転んだ先にソイツを見つけて思わず悲鳴、ということか?」

「あはははは」


 真面目に身を潜めた人々がかわいそうになる話だが、まあ顔面から馬糞に突っ込むのはさぞ怖ろしかろう。


「ちょっと路地の奥が気になって、見てたらころりといっちゃいまして」


 彼女の見た先へ目をやるが、気になるようなものは特に無い。

 貧民街ではそれなりに広さのある路地で、座り込んでいる人も居ない。静かなものだ。


 俺の視線に何を思ったのか、アンナは説明を付け加える。


「なんか光ったように見えたんですよね」

「ランタン……魔術光もあるか」

「どうなんでしょう」

 見た本人が分かっていないようなので苦笑するしかなかった。

「とにかく、危ない所をよく耐えたな」

「顔から行ってたら後でヨハンくんになんて言われるかー、ですよ、はははは」


 普段からクソアンナだのと暴言を吐き続けているヨハンだ、本当にクソまみれだったらどう反応するか、ちょっと見てみたい気もする。

 俺は案外心配すると思うんだがなー。


「多分一生馬鹿にされ続けるんですよ、クソまみれクソアンナーだとか言われて」


 案外意見は食い違うものだ。


「ヨハンは君を大切に思ってるよ。それについては、寝たふりで十分に分かってるんじゃないか?」


 物凄く苦い顔をされたが、俺だってヨハンが知る直前まで騙されていた一人なんだ、軽い当てこすりくらいはいいだろう?


「身体の調子はいいのか?」

「はい。ヨハンくんの行動はオフィーリアさんが監視してたので、見えない所で結構普通に暮らしてましたから」

「俺は君の親へ頭を下げに行ったんだが、どおりで困った反応をされたものだ」

「それは本当にごめんなさいですっ!?」


 別にいい、と溢してそっと息をつく。

 望んできてくれた、そうは思っても、俺が扇動したのは確かなんだ。大切な一人娘を危険に晒したことへは謝罪すべきだろう。


 ふむ、と調子良く舌が回っているおかげで普段はしないところまで踏み込んでいった。


「ヨハンとはその後どうなんだ」


 アンナは固まった。

 じんわり耳が赤くなっているから、まあなぁ……皆居る前で口付けしてたし、なんだかんだ受け入れてたのは流石に分かるし、なあ?


「式を挙げるなら言ってくれ、盛大にやってみせようっ」


 日々の生活もあるからデュッセンドルフは離れがたいだろうし、鉄甲杯では多くの町の有力者と接する機会も増えたから、きっと際限なく規模を拡大して大騒ぎできるぞ。試合後からシャスティもヨハンを気にしていたし呼べば来るだろう。フィラント王が来るなら国内での事だから陛下も来る。そして当然近衛兵団と、今やホルノス重鎮の地位を確立しつつあるウィンホールド家、大穀倉地帯を抱えるルトランス家、アリエスも引き込めばウィンダーベル家や後はフィリップやナーシャらにもあれこれ頼んでみるのも悪くない。

 ふはは、完全に悪乗りだろうが考え出すとかなり面白そうだった。


「ふむ、そうだ式は豪華客船で行うというのはどうだ。ウチに入ったフィリップの実家は造船業を営んでいるからな、あいや、さすがに作るのに何年も掛かるか、これは駄目だな」

「ハイリア様の中で何がどうなっているのか分からないんですけどどうかお待ち下さい」

「新婚旅行は新大陸、悪くないな」

「私ド貧民の洗濯屋さんの娘ですよ。ヨハンくんなんて娼館生まれで父親すら不明ですから……」

「つまり」


 隣から顔を覗き込みつつ言う。


「ヨハンとの結婚については異論が無いんだな」


 ぶわぁっ、と効果音でも付きそうなくらい一気にアンナの顔が赤くなった。

 池から顔を出した鯉みたいに口をパクパクとしていて、つい笑ってしまう。


 面白い……!!


 これが冷やかしと言うものか。

 ジンやヨハンが殊更俺にやりたがるのも分からないでも、ん、いやアレは違うというかなんというかだな。

 そう言えばアンナとヨハンの関係性の発展についても気になるんだが、先輩とオフィーリアはどうなっているんだろうか。先輩もなんだかんだ冷やかしの輪に混じってきていたし、今度冷やかしついでに探りを入れてみたい。


「ち、ちちち違うんですっ!? 別に私はそうじゃなくてヨハンくんが勝手にあのあのあのあれして私はただそのっ……だからその……! その、抵抗してその……っ、ぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああ!?」

「うん分かった落ち着いてくれ。二人のことはそっとしておくからそれ以上下がるな馬糞があるぞ」

「うっきゃあああ!?」


 尻餅をつきそうになるのを片手で受け止めて前へ押してやる。

 というかいい加減ここから離れよう。どうして奇跡の復活(?)を遂げた仲間との久々の会話を馬糞の傍でしなければならない。


 適当に歩き出し、道としては子羊亭へ向かう。

 二人の家も娼館もその近くだった筈だ。


 歩きつつアンナは顔を仰いでいるが、中々に熱が取れないようだった。

 普段のヨハンがあけすけだから慣れていると思ったんだが、耐性は低いらしい。母親の仕事とはいえ、娼館に絡んでいるから耳年増になりそうなものだが。

 む、そういえば一番の耳年増は陛下だったな。なまじ色んな本を読むから知識が集まっていくのだろう。最近になって私室へ入った所に衝立を置くようになったのも、もしかしたら早い思春期の到来かもしれない。そうかぁ、あの陛下がなぁ、などと感慨深く思ってしまうのは一種の親心ではなかろうか。俺はアリエスの兄で、アリエスだけの兄でしかありえないので妹の座は流石に陛下と言えど差し出す訳にはいかないんだ。


 俺が崇高なるこの世の摂理に思いを馳せている間に熱が落ち着いてきたらしいアンナは、そうだと手を合わせた。


「ハイリア様なんであんなところに居たんです?」

「いまさらだな」

「はい」

 殊更隠していることでもないから、素直に言った。

「秘密特訓の帰り道だな」

「おーっ秘密特訓?」

 言葉の雰囲気に最初は盛り上がったようだがすぐ疑問符を浮かべた。


「他の人とはしないんですか?」

「んー、正直どこまで影響が出るのか分からないから、人気の無い所でないと不安なんだ。メルトが居れば監視させられるんだろうが」

 む、と更に疑問符。

「メルトさん居ないんですか? そういえば一緒に居るの見ませんね」


「彼女はウィンダーベル家の所有奴隷だ。時折アリエスからの指示で派遣されてはくるが、そちらの仕事があれば優先される」


 咄嗟に嘘をついた。

 社交へ顔を出すようになってこの手の言い回しには慣れてきたが、流石に仲間への嘘というのは胸の奥に痛みが伴う。

 すぐ言葉を続けられなかった俺に気付かず、少し前を行くアンナはぼんやり夜空を見上げて何かを考えていた。


 そっと息をつく。


 また吸って、話を切り替えた。

 まるで、目を逸らすようだと感じながら。


「そっちこそどうしたんだ。普段の行動は知らないが、流石に灯りもなしに夜道は危険だろう」


「あー……ええと、ちょっと揉め事があったみたいなんですよ」


「何があった」


 少し強く言ってしまったからか、アンナはチラリと俺を見て、外した視線を彷徨わせる。


「んー」

「変に深入りはしない。ここで解決出来ることなら任せるし、権力の側だから出来ることもある」

「そうですね」


 判断を任せてくれる気になったのだろう。

 彼女は剥がれた石畳を踏み、その不安定さを愉しむように片足で立ち、次の段差へ飛び移っていく。


「旅行者とこっちの人とで、結構揉め事が起きてるみたいなんです」


「なるほど……」


 思っていたより難しい案件かもしれない。


「やー、そんなに大変じゃないというか、ここらへんだと良くある喧嘩みたいなもんですよ」

「怪我人が出たのか」

 唾付けとけば治ります、と逞しいことを言って、アンナは続けた。

「どっちかというと私じゃなくてヨハンくんが呼ばれたんですけどね」

「ヨハンが?」


 意外というか、トラブルバスターとは真逆に位置するような奴だぞ。

 俺の反応が予想通りだったのか、アンナはくすくすと笑い、


「ヨハンくんが出て行くと大体揉めてた両方がヨハンくんの敵になって纏まるんです」


「…………なるほど」


 それは実に予想できる光景だ。


「なので、知り合いの人がヨハンくんを呼びに来たんですけど、最近特訓とかで戻ってなくて、居ないよー、どうしようもないよー、って私が伝えに行くことになりました」

「なんとかなったのか?」

「私が付いたらもう取っ組み合いが始まってたので、じゃあ代表者選んで勝った方が正しい、でいいんじゃないかなーって言ったらそうなりました」


 この辺の図太さはセレーネやオフィーリアにはないものだ。

 慣れている、というのもあるだろうし、下級生の中には苦手とする者もちらちら居たヨハンといつも騒いでるくらいだからな。

 事ヨハンをぶっとばすことに関しては一切の躊躇が無いアンナだ。たまにどうしてあんな見事に攻撃が入るのか疑問になる。これからヨハンとの試合を控える身としてはご教授願いたいものだった。


「……ヨハンくん、勝てますか?」


 不意にアンナがこぼした。


「俺に聞くのか」

「私たちにとってハイリア様は英雄ですから、あんなヨハンくんで勝てるのかなって思いますよ」


 俺は強くは無い、などと言って逃げることはしたくなかった。

 これから挑む相手の話だ。


 そう、挑む、だ。


 かつてヨハンへ告げた言葉は本気だ。

 あの時点で俺と彼の力量は伯仲していた。捨て身が過ぎるとはいえ、上位能力に対して果敢な攻めを見せたヨハンには、十分負け得るだけの理由があったように思う。変に上下関係みたいなものが生まれてしまっただけで、まだ勝敗は決していない。


 自然と刀を持つ手に力が入った。

 出来ればこいつをもっと試しておきたかったのだが、時間切れは仕方が無い。


 すべてに完璧な準備など不可能だ。

 だが、コンディションは十分に高めている。


 不思議なものだった。

 何気ない約束の筈が、気付けば彼との決着に執着している自分が居る。


 勝ちたい。


 すでにフィリップたちは十分に力を見せ付けた。

 他所事に惑わされる必要もなく、徹底して勝ちを目指す。


 これが、



 もしかしたら、最後になるかもしれないのだから。



 出来る全てを、心から信頼出来る仲間へ。

 ぶつけ、そして、


 そして。


    ※   ※   ※


    ヨハン=クロスハイト


 人間は飯を食う生き物だと俺は思うようになった。

 飯じゃないものを食う奴は人間じゃないんだ。

 なぜ人は飯を求めるのだろうか。

 腹が減るからだ。

 腹が満たせればなんでもいいのか?

 違う。

 絶対に違う。

 どれだけ腹を減らしても石を齧って呑み込む阿呆は居ないし、クソやゲロを口に入れるのは餓死寸前の人間でも滅多にしない。


 そう、つまり奴らは餓死者のような生き物なのだと俺は結論した。


 島暮らしの人間にまともな奴は居ない。

 奴らは狂人だ。

 人の皮を被った悪魔と言われても納得出来る。

 島国なんて全て滅べばいいと最近思う。


 つまり何が言いたいのかというとだな、


「お金の無い人に出す食事はないからね」

「いいから出すもん出しやがれ、ここは飯屋だろオイ」

「アンタ飯屋の意味理解してないでしょ」


 俺は今、四本角だったか十本角だったかの羊屋に来ている。

 十本も角があるとかもう化け物か悪魔じゃねえか……もしかしてここでも変なもん出てきたりしねえだろうな……。


「…………頼むから人間の食えるもん出してくれよ」

「ねえなんで出す前提でしか話が進まないの」

「いいじゃねえか知らねえ仲じゃねえんだしよ…………その………………女ッ」

「名前すら覚えてない相手に言われてもね」

「今思い出す」


 そうだ確か……、フ、フ、フケ? いやフ、の次はロだった気がする。フロか、ふろーれん、ふろーりん、ふろー……、


「飯食わせてくれよ、フローリング」

「床舐めたいんだね」

「もう一回! もう一回だ!」


 かすってる気はするんだよ。

 フローリングで違うってなるとあれか、あぁなんかそんな気がしてきた。


「リング=ロー=フ……フ、フ……ええと、だな」

「もういいよ」

「もうちょっとだってっ」

「どこがもうちょっとなのか理解できないんだけど」

「頼むよまともな飯が食いたいんだよ助けてくれよ白いの」

「アンタ本気で叩き出してやろうか」


 俺が陣取る椅子を蹴ってくるが、本気でどうこうしようって強さじゃない。

 フーリア人の女は盛大にため息をついて、片手を振って引っ込んでいった。


 こっちはため息なんてつく暇もなく周囲を警戒した。

 奴がいつ現れるか分かったもんじゃない。寝てる時、身体拭いてる時、クソしてる時、本気で容赦なくいつでも現れて襲撃してきやがる。捕まったら最後、ゲロを煮詰めてゲロソースを掛けたような料理を食わされる。もう随分と家に戻ってない。まともな飯も食えていない。とにかく二番隊の連中と斬り合って斬り合って何か分かりかけては居るんだがコレが死ぬ寸前にあるとか聞く絶頂感ってやつかも知れねえしな。

 挙句財布も取り上げられ、逃げれば追われ、便所くらいは安心出来ると思ってたらいきなり天井から降ってきてちんちん掴むんだぞあの女っ!!

 後少し遅ければ切り落とされてたかもしれないと思えば、心休まる時間がまるでないのが分かるだろう!?


 新しく入ってきた客を睨みつけ何度も何度も顔を確認する。

 視界の影、店の裏口からの侵入路、つい見落としがちな天井や足元は要注意だ。

 見えない場所よりも、見ようと思わない場所の方が奇襲を受けたときの反応は鈍るし致命打を貰い易い。


「なんか知らない場所に放り込まれた小動物みたいだよね」

「誰が小さいだ本番はでかくなるんだよ」

「大きさだけで誇る内はお子様だよね」

 言うじゃねえか白いの。

「フロエ」

「ん、この飯の名前か」

 とりあげられた。

「なんでだよ!?」

「アレとは別の方向でめんどくさいねアンタ」

「ハイリアは難儀な性格してるからな」


 最近二番隊で流行ってる言葉を使ってみる。意味は良く知らん。あの女が難儀難儀言ってたら、いつの間にか連中が真似て使い始めて事あるごとに難儀だのなんだの言いやがるから覚えただけだ。なんとなくめんどせえって感じくらいは分かるけどよ。


「…………そうだね、ほんと、難儀だよね」


 感情が空っぽに聞こえたのは、話を俺じゃない方向へ気持ちを向けたからか。

 フーリア人の女は視線を戻し、持ち上げていた皿を卓へ置く。


「ちゃーはん。余り物で作れるから、まあこれくらいならね」


「…………ありがとう。本当に……ありがとう……っ!!」


 女は目頭を抑えた俺から二歩の距離を開け、


「……なんか気持ち篭り過ぎてて気持ち悪い」


「うるっせえよ!? お前だってハラワタを嬉々として貪る狂人に囲まれて暮らしてみれば分かるよ!?」


 言った内容があまりに疑わしかったからか、女も眉を寄せて聞いてきた。


「…………腸詰めとかじゃなくて?」

「むしろ腸詰にも肉じゃなくて臓物入れるんだよ奴らは」


 へー、とこれは信じてないというより面倒くさくなった返事だ。


「とりあえず今回だけだからね、次お金持ってこなかったら叩き出すよ」


 久々の人間の食事をかっ込むのに忙しい俺は適当に返し、更にかっ込んだ。

 何ハンだったか忘れたがいい感じだ。いい感じに腹が膨らむしうまい。こんなものをタダで食わせてくれる店なら今後も通おう、財布を持たずに。


 すぐ離れていくかと思ったら、女はまだ何か言いたげに立っていた。


 白い髪のフーリア人。

 まあなんか色々言ってたが細かいことは忘れた。

 こいつを助けるのが隊長殿、ハイリアの目的だってんだろ。

 普通に店出して調子良く回してるように見えるが、まあ俺みたいな馬鹿じゃ分からねえ面倒がこの世にはごまんとあるんだ、やることが見えてるなら全力でやるだけだ。


「戦うんだって?」


「……ん、ああ」


 最後の一粒を飲みこみ、皿を置く。


「勝つの?」


「おうよ」


 何の疑問も持たず言った。

 俺にとってもう、勝つことは当然のものだ。

 勝るとか劣るとかは別の話で、強いとか弱いとかも別で、もっと単純に、勝つ。


 ジンも、オフィーリアも、ベンズも、ペロスも、クソ情けねえ俺の意地に付き合ってくれた。

 優勝するだとか、周りの評価だとかは勝手にくっついてるもので、ハイリアへの勝利が俺と、俺たちの全部だ。


 こまけえ事はジンが好きに考えるだろ。

 オフィーリアは好きに暴れるだろうし、ベンズもペロスも自分の楽しいを探して駆け回る。

 俺もそこで隊長ぶって突っ走るだけだ。


「そっか」


 またどこかを見上げて言うから、少し不満に思う。


「負けろとか思わねえのかよ」

「どうして?」

「ハイリアはあれだろ、お前をどうにかしてえんだろ。まあ勝手に思ってるだけなのかも知れねえけど、なんとも思わねえのかと思ってな」


 視線はまた、ずっと遠くへ向かう。


「そうだね。今のは……冷たいよね」


 ぐっと、胸元で手を握り、歯を見せて笑った。

 なんだそれは、と思ったのも束の間、女は口元を抑えて目を瞑った。

 しばらくそうしていた。呼びに来た店の奴が静かに離れていったのにも気付かなかったらしく、浅黒い肌に脂汗が浮かんで見えて、吸った息を潜めたまま吐いていく。


「ん……なに」

「いや……まあなんだ」


 椅子をちょっと貸してやろうと。


「遠慮すんな、使え」

「私の店なんだけど」

「遠慮すんな、使え」

「はいはい分かった、というかアンタ何雰囲気違うんだけど」


 どうでもいい話だ。

 言い換えれば難儀な話なんだよ。


 卓から少し離れた場所で椅子に腰を落とした女は、少しだけ俯いて、すぐに前の表情に戻った。

 ただ、立ち上がろうとするのは止めて、俺も自分の椅子へ腰掛け直す。


 少しだけ間があった。


「俺の母親は娼婦だ」


 向けられた目が虚ろなのは良く分かった。

 娼館じゃ珍しくも無い。ただ、ここまで隠すのが上手いのは初めてだった。


「そう、なんだ」

「俺が顔覚える前に死んだしな、まあ、長生きしねえ身分だよ」

「……うん」


 なんでこんな話をしてるんだろうな。

 思いながら、色々と話し続けた。

 父親は誰かも分からない事、今も娼館で暮らしていて、雑用だとか使い走りみたいな事もやらされて、色んな娼婦の、色んな境遇を見て来たこと。


 望んで娼婦になる奴なんざ居ない。


 あそこでしか生きられない女が居るってのも確かだが、元々恵まれた生まれとやらなら別の道もあっただろうし、決断はいつも追い詰められて。あるいは、自分の意思なんて関係無しに親から売られてきたなんてのも居る。殴られ、蹴られ、薬をやって、吐いて、全部の男が真っ白な仮面をつけてるように見えてきて、それか全部同じ顔に見えてきて、駄目になったら豚の餌だ。

 明るい奴も居る。身請けをされるようなのは大体こいつらだ。身体を売って、たまにぼうっとしてることはあっても、誰かを見つけると馬鹿みたいに明るくなって絡んでくる。そう振舞えないで、明るい奴らを恨んで湿った目で見るのも居る。


 ただ、俺が知る全部の娼婦に対して、一つだけ確かなことがある。

 なんでかは知らねえけど、俺は一度だってあいつらを哀れんだことがない。


 小難しくは言えねえんだ。


「なんで」


 だから苦手なんだよ。


「そういうものだからじゃねえのか」


 言って、違った意味に取られたのが分かった。


「諦めてるってことじゃねえぞダボ。なんつーかあれだ、島国は飯が拙いだとか、金持ちは偉そうだとか、俺の身長が低……低いだとか、お前の乳がそこそこでかいだとか、あるだろよ」

 睨むんじゃねえよ、そこそこあるじゃねえかお前よ。


そういう(’’’’)もんなんだよ(’’’’’’)。乳がでかけりゃ男の視線が集まる、背が低けりゃ喧嘩の度に突かれる、そりゃ普通のことじゃねえか」


 それだけだ。

 それ以上のことなんてありやしねえ。


「お前は幸せになんてなりたくねえんだな」


 今までで一番大きな反応だった。

 呼吸も忘れて見開いた目で俺を見てくる。


 ただな、気持ちは分かるよなんて俺は言えねえ。


 俺はあくまで外から見てきただけだ。

 生きてる連中のことを、その中身を知らないまま見てきた。


 娼婦らにとって、俺は唯一持てる日常なんだと思う。

 俺にとってはアンナがそうだったように。

 そういう場所に来ちまって、戻りたいけど戻れない中、宙ぶらりんになってる俺へ構ってるとそれだけで元気になるって奴も多い。

 だから俺はあいつらと関係を持ったりしなかった。あいつらも、俺に手を出そうとはしなかった。ヤっちまったら、もう娼婦と客だ。金のやり取りがあるかどうかは関係ない。ま、別の理由かも知れねえけどよ。


「……どうすればいい?」


 似た言葉を聞いた覚えもある。



「どうすれば、幸せに見えるかな」



 それを言った娼婦は、身請けをされておきながら、買い主と上手くいかず娼館へ逃げ込んできた。

 地獄のようだと言っていた場所が唯一の居場所だったと、見たこともないくらい幸せそうに笑っていて、三日後に首を括って死んだ。


 身請けってのは一つの奇跡みたいなもんだ。

 娼婦になっても明るく生きた奴がその奇跡を掴むが、たまに違うのにだって運が巡ってくる。

 けど最初から全部諦めてきた奴は、幸福の息苦しさに耐えられない。上手く噛み合う奴も結構居るが、死体の処理をした奴はこうなるだろうと思ってたよ、なんて言っていた。


 あんまり理解されない感覚だ。

 だが、普段クソみたいな家で寝泊りしてる俺やアンナにとって、大貴族様のご邸宅でメイドさんに囲まれて暮らし始めたらむず痒くって仕方ねえのと同じくらい、苦しくて苦しくて気が狂いそうになるのかもな。


 しかもこの女はあろうことか、どう見せればいいかなんて聞いてきやがった。


 死ねば楽になれるってのはそう間違いでもない。

 ここまでクソったれな状態になっちまった奴にとって、一番の救いとも言える。

 けどそれじゃハイリアの目的は果たせねえ。俺だってまた同じような死体を見るのは御免だ。


 あの女が死ぬ前夜、一緒の寝台で俺は寝た。

 もっとずっとガキの頃だ。監視の目を誤魔化して忍び込んで、女に抱かれながら目を瞑った。

 幸せだねぇ、幸せだねぇ、と繰り返してて、朝になっても笑ってて、しばらく一緒に遊びをして、仕事が入ったから俺は部屋を出た。終わって、少し時間をおいて見に行ったら、そいつはぶらぶらと揺れてやがった。

 幸せなんかとは程遠い、苦しさと辛さと悲しさと、いろんな、絶望を煮詰めたような顔で、死んでいた。



「生きろ」



 不意に口走っていた。

 なんの考えもなく、湧き上がったまま続ける。


「ハイリアに応えたいって思ってんだろうが、そいつは幼児にクソ神父をぶっ殺せって言うようなもんだからな、今出来もしねえことを無理にやらなくていいだろ。普通の親ってのは、とにかくテメエのガキに滅茶苦茶なことを望むらしい。そんな感じだ、適当でいい。勝手に言われてることだが叶えてやりたいってのも間違っちゃいねえよ、けどとにかく今は生きろ。お前はまず、そこからだ」


 人に飼われて育った獣は飯の取り方を知らねえ。

 放り出した所ですぐに死ぬ。だからまず、放り出した阿呆が望むみたいな大自然でなんか元気良く過ごすー、なんつうことより、待ってても飯が来ない、こうやって取るんだって教えてやらなくちゃならねえんだよ。

 そこからだ。


 あの女だって、逃げる前に、まずそこで生きていけば、いつかは上手くいったかも知れねえんだ。

 戻ってきたって、死ぬ前に、ただ生きることを続けていけば、奇跡はあったかも……知れねえんだから。


 ないのが普通だ。

 けど少なくとも、奇跡は起きたんだ。


 この女が今こうして普通みたいな顔して、普通みたいな生活をしてるのだって、同じようなモンなんだ。


「世界がぶっ壊れるくらいの変化があって、信じられねえくらいの奇跡が起きたからって、それでなんもかんも解決出来るほど生きてきた時間は安くねえよ。俺なんて一度は凄いな強いぞお前なんて言われたのに、今や誰だよあの雑魚って言われてんだぜ」


 たった一年頑張っただけで、あの日ハイリアに負けを認めて引っ込んじまった俺の間抜けさは直らねえんだよ。

 悔しくて仕方ねえよ。言った奴ら全員ぶち殺してやりてえと思ったよ。それでも意地だけは張り通してきたんだよ。舐めてんじゃねえよ、なんて言われて、俺がどんだけイラついたか分かるかよ。舐めてねえよ、野郎は近衛の副団長だろうが、滅茶苦茶強えんだろうって思ってたよ。勘違いしてんじゃねえクソがって思ったよ。そう思えちまうくらい俺が抜けてたってことが一番くそったれじゃねえか。


 だから戦うことはやめない。

 俺は明日も剣を振るう。

 勝っても負けても、自分勝手に変われたって達成感覚えてもまだまだ振り続ける。


「俺はハイリアに勝つぞ」


 今はそこが道標だ。

 俺にとって、全部懸けて突き進む先だ。


 それ以外、どうでもいい。


「そう……」


「試合、見に来いよ」


 しばらく悩んでたようだが、女は何度も口を開いては閉じて、ようやく頷いた。


「うん。行くよ」


    ※   ※   ※


   アンナ=タトリン


 私はその場面を見てない。

 目が覚めて、話を聞かされて、それだけでも何か、誇らしいというか、凄いなぁなんて思ったりはしたけど。


 ハイリア様は、私にとっては舞台の上の登場人物みたいなものだった。

 昔ヨハンくんと忍び込んだ劇場で観た、英雄の物語。

 その手がこちらに向けれていることは嬉しくって、セレーネちゃんみたいにキャーッ、てなる気持ちも分かるけど、やっぱり特別な場所に居る人なんだなって思ってきた。それがこんなにも親しく、お友達と話すみたいに接しているのは、ちょっとだけ……戸惑ってはいる。嬉しい、んだけど、騙していた後ろめたさもあるから、かな?


 ふらつく私をそれとなく支えてくれたり、やっぱりヨハンくんとは違って優しい。

 まだ少し疲れやすいけど、家の近くを歩き回るくらいは出来てきた。

 無用心だな、なんてハイリア様には言われたけど、


「それじゃあ私はここで」


 通りへ出る手前で私は足を止めた。

 少し進んだ先で振り返ったハイリア様の後ろには、灯りでいっぱいになった人の喧騒があって、一年前とは別人みたいに柔らかい表情が浮かんでいた。


「あぁ。また今度な」

「はい」

「アンナ」


 私の居る方を眩しそうに見たハイリア様は、安堵の吐息をつくように言った。


「目が覚めてよかった。本当に」

「ぁ……」


 咄嗟に謝ろうとした。

 ヨハンくんが怪我をして、ちゃんと説明もごめんなさいも言えずに居たけど、最初にそうしておくべきだったのに。


 けどハイリア様は首を振って言葉を遮った。


「いい。君の話からも、まだ眠ったままの人がいずれ目を覚ますだろうと分かったんだ。ティアはきっと全員を救いあげるつもりだろう。具体的なところは見えてこないが…………いや、そうじゃないな。もっと単純に、あのまま目を覚まさないんじゃないかとも考えたんだ。だから、良かった。本当に良かった……それだけだ」


 私にとっては、この光景が信頼の証だ。


「はい。ありがとうございます」

「リハビリ、頑張ってくれ」

「りはびり?」

「前のように動き回れたらいいな、ってことだ」


 なるほど。


「はいっ。あぁ、さっきも話しましたけど、この辺は慣れてるので大丈夫です」

「そうか、わかった――それじゃあな」


 手を挙げて去っていったハイリア様を見送って、ようやくほっとした。


 駄目だー、信頼だとかなんとか考えておいて、またこうしてコソコソしちゃってるのは居心地が良くない。

 というか、


「なんで隠れたんですか……」


「ふむ」


 あくまで建物の影から姿を出さず、小ぶりな手だけを振ってくる。

 りはびり? をする時はいつも手伝ってくれてるのに、ハイリア様が来ると分かった途端に逃げちゃった。


「登場人物に干渉するのは極力避けたいんだよ」

「はい、私は端役も端役の背景ですけどね」


「そう言いなさんなって」


 不意に別方向からの声が来た。

 影に隠れていた人も、私と一緒に家屋の上を見上げる。


 少しだけ欠けた月を眺めるように、カウボーイハットの男の子が屋根のへりに腰掛けていた。


「ほう」


 興味深そうな声が横合いから聞こえる。


「役者が揃ってきたじゃないか、月の御子とはな」


「ん、知らない顔だな。なんだ御子って」


「知る知らないは些細な事さ。まあ心地良い声に免じて一つ教えておいてやろうか」


 妊婦に化けたその人は、お腹に詰めていたさっかぁぼうるを取り出して、ひょいと浮かせて遊ぶ。

 動きがとても滑らかなのは、劇場で観る役者さんに似ていて、彼女にはとてもよく似合っている。

 頭上、カウボーイハットの男の子は呆れた様子で肩を竦めた。


「膨らんだ腹は偽物か。なんだってそんなことをしてる?」


「おや、答えてやるのは一つだけだ。そっちの方が気になるのかい?」


「人に紛れるには分かり易い特徴を作っておくのがいい。発見者はその特徴を捜索者に報告するから、取り外しできる特徴ってのは便利だよな。誰かは知らないけど、隠れ潜むなら俺の方が慣れてるんじゃないか」

「正解だ。人は目にみえる死角より、心理的な死角に弱い。発見するのは難しく、不自然になりにくいから偽装そのものが見抜かれにくい。面白いよなあ?」

「そういうのに苦労させられてきたから、面白くはねえよ。で、質問は一つに減った。物知り気なアンタの意見を聞いてみたいね」


 何を話しているんだろう、なんて、ぼうっと二人の様子を眺める。

 とても場違いなのに、敢えて私を挟んだまま話を続けないでほしい。

 背景的にこれはどうなんだろうね。物凄く邪魔じゃあないのかな。


「ふむ」


 なんて、芝居掛かった様子で応えて、


「月とは太陽を映す鏡だよ。それ自体は光を放ってなんていない。けれど、それでも月は魔力を宿す。太陽そのものは魔性なんて持たないにも係わらずね」


「分かり易く言ってくれないかねぇ? それとも付き合ってる俺が馬鹿だったりする?」


「どちらでもない。ただ私個人は英雄ではなく、それを導く魔法使いでありたいんだよ。正解そのものを示すより、辿り着くべき先へと繋がるようにね。君の所の彼女も似たようなことをしているじゃないか」


「そうかい」


 言った瞬間だった。

 屋根の上から姿が掻き消えて、硬い音と靴の滑る音に吊られて視線を降ろした。


「アンタの判断を信じる理由がない。ややこしい不確定要素があるならここで吊るし上げてでも聞かせてもらいたいね」


 緋色の魔術光を散らしながら、彼は彼女の喉元へ短剣を突きつけていた。

 けどもう彼女は刀の鍔へ手をやっている。


 キン――と、その刃が月夜に晒された。


 気が付けば私は尻餅をついていて、カウボーイハットの男の子は剥き出しの地面に転んでいた。

「っ!?」

 何が起きたのか分からない。

 彼もそうなのか、帽子を押さえ、立ち上がって後方へ退く。

 振った腕にはいつもの短剣。その切っ先をまっすぐ彼女へ向けて、また別の屋根の上に乗る。


「特権というのも考え物だな。常に正解を導き出すその力は、代わりに無数の失敗によって成り立っている。ほんの少しズレるだけでその様さ」

「何をした」

「君とは逆のことをしてみせただけだよ」


 彼はチラリと私を見た。

 あぁ、と思う。


「わ、私は平気っ。知り合いですっ」


 カウボーイハットを押さえ、ツバで目元を隠した彼は、慎重に息を吐いていった。


「アンタ、名前は」

「シンシア=オーケンシエル。しがない作家だよ、二人目のジーク=ノートン」

「はぁ……面倒過ぎてここで始末しておきたいくらいだよアンタ」

「私は君とやりあうつもりはないよ。どうせ負けないだけで勝つには及ばないしね」


 魔術を解いた。

 手元の短剣も、緋色の炎も、月明かりの中に溶けていく。

 じっと見詰めていたようだけど、最後には頭を掻いて力を抜いた。


「吹っかけたのはこっちだが、引かせてもらうよ。他にやる事いっぱいあるしな」


「ふむ。その前に一つ言っておくが」


「あ?」


「避けるといい。死ぬぞ」


 え? と思っていたら、ハイリア様が去っていった方向とは別の道から火の玉が飛び込んできた。


「はっはァ……ッ!!」


 火の玉は、『剣』の魔術で真っ赤な光を纏ったヨハンくんは、一目散にジークくんへ切りかかり、彼はカウボーイハットを抑えてひょいと避ける。けどもう片手で逃げた先を追い、切り上げようとしたら、再び握った短剣でそれを抑え、跳ね上げた。


「ちょうどいい得物が居るじゃねえかよ!! おいテメエおいっ、本番前の肩慣らしにちょうどいいぜえ!!」

「いやちょっと何がしたいのか分からないんだけどさ、っっ!」


 次々斬りつけてはいなされて、けども下がって下がって、そこへ迷い無く飛び込んで追い詰める。

 何かをしようとするジークくんも、中々機会を得られず下がり続けた。


 私はとりあえず剥がれた石畳を持ち上げて、よいしょっと。

 もう、おもいなー。


「で!? てめえなんだってこんなとこに居やがんだよっ!」

「散歩中だよ。ちょっとおっかない化け物がうろついてるから、デートに誘おうと思って、なっ!」

「趣味悪いなァおい! 変なの増えたが化け物なんて見ねえぜっ」

「知らないなら別にいい。こっちの担当だ。だからちょっと、邪魔しないで欲しいんだけどなァ……!」


 せいやっ。


「どうでもいいからちょっと斬られとけ! 負け犬一匹斬れねえようじゃ足りねえだろ――ガッ!?」


 ふう静かになった。


 走りこんだ先へ飛んだ石材に頭をぶつけ、足を前へ放り出しつつ走る勢いのまま前へ飛びながら落下して石畳の角に頭をぶつけて動かなくなったヨハンくんを見て、私はうんうんと頷いた。


「ほら、寝てないでお家帰ろ? 久々に戻ってきたんだから、ねえ聞いてる?」

「いや……死んでないかコレ」

 大丈夫だよヨハンくんだし。


 なんて思ってたら、大通りの方からまた別の人が――十人くらいの、どこかで見覚えのある同い年の男の子たちが現れて、無言でヨハンくんを担ぎ上げた。


「あぁ、失礼。私は彼の関係者でね、ちょっと食事中に逃げ出されたから探しに来たんだ。見付かってよかったよ、さもなければ私たちがどうなっていたか、おや」

「あ、こんばんは」


 顔は知ってる人だった。名前は知らないけど、二番隊の偉い人だ。

 彼も私に覚えがあるみたいで、とりあえず挨拶しておく。貴族の方には礼儀正しく、ヨハンくんみたいにしてるとすぐ怖い目に合わされちゃうし。


「逢瀬の邪魔をしてしまったかな。ふふっ、すまないが彼自身の望みでもあるんだ、残り二日を無駄には出来ないのでね」


 この状況をおうせ(’’’)とか言うなんて、貴族の方の感覚はよく分からない。

 

 と、ふと見回せば二人はもう姿を消してた。

 なんでこうああいう人って音も無く居なくなるんだろう。

 普通に挨拶して離れていっちゃ駄目なのかな?


「それでは失礼するよ。アンナ=タトリン、奇跡の復活を私からも祝福しよう」


 背を見せる集団に手を振って、静かになった裏路地でそっと息をつく。

 なんか皆して勝手に私の周りで騒いで、勝手に居なくなっちゃった。


「今日も……帰ってこれないんだ……」


    ※   ※   ※


   フロエ=ノル=アイラ


 厨房で用意した料理を包みながら、横目で様子を伺う。

 味をしっかり付けておいて、普通より多めに入れる。まあ、このくらいは。


 丁寧に端を整えて紐でしっかり縛る。


 持ち上げる前に息をついた。

 さっきは少し失敗した。

 大丈夫。休ませて貰って回復した。


 大丈夫。死んだりはしない。


 大丈夫。笑う姿は幾つも見てきた。


 大丈夫。これまでだって、そうしてきた。


 大丈夫、安心して。


 私は、


 きっと貴方を、騙し通してみせるから。

 生きて、幸せそうにしてみせるから。


 大丈夫。


 よし。


「ほら、おまたせ。さっさと帰って、メルトさんと仲良くしてきたら?」





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