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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第四章(上)

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   ヨハン=クロスハイト


 試合のしばらく前、クソアンナの様子を見に行った。

 相変わらずだ。健康的にすやすや眠り続けてやがるから、いい加減起きろと言いたくなる。


 強く押せば脚がぶっ壊れそうな寝台へ凭れかかり、ボロい床に尻を付ける。

 見上げるのは、屋根裏への小さな穴が所々に開いた、薄汚れた天井だ。


 最初はなんというかこう、気分を盛り上げる為にそういったアレコレをしてやろうかと思って来たんだが、最近煩いオフィーリアを思い出して止めにした。気が散ってると萎える。大体俺はアイツの前でなんてやったことはねえぞ、流石に人目の無い時を狙ってやったってのに、なんですぐバレてんだよと言いたくなった。

 まあいい。人形みてえに動かない奴を抱くのが好きな奴も居るらしいが、俺の趣味じゃねえ。


「ぁ~~~……………………」


 間抜けな声を垂れ流し、天井のシミを数える。


 見慣れた天井だ。


 ここはクソアンナの家だが、俺は何度も来た事がある。

 娼館から近いし、屋根裏は空いているから寝床にも使えた。アンナの母親は日中はずっと川で洗濯だ。しわしわの汚い手でよく俺の尻を引っ叩いてきた。父親は随分前に死んだと聞く。まあ俺も親は居ねえし、気にするほどのことでもなかった。


 最初にこの天井を見たのは、クソアンナと初めて会った日だ。


 娼館の裏口で、普段面倒を見てくれていた娼婦が客の相手を終えるのを待っていた。

 誰か暇になれば顔を出す。俺で遊んで、まあ次の客が来るか、見張りの馬面が労働の尊さに目覚めるかすればまた出て行く。それなりに愛情もあったんだろうが、基本的に俺は娼婦どもの玩具だ。普通の日常なんてものから切り離された女たちが持てる、唯一の接点。俺を産んだ奴については、忘れた。まあ娼館主も見張りもなんだかんだ居ることを認める程度には存在感のあった娼婦なんだろ。

 仕事を使いパシリの連中へ押し付け、いつだったか盗み出したナイフを取り出して眺める。

 暇を持て余してる時は大体そうやってた。

 そんな俺に、アイツは間抜け面で話し掛けてきた。


 最初は無視した。


 同じくらいのガキと話したこともなかったし、興味も無かった。

 だがあんまりにもしつこいから鬱陶しくなって張り倒すと、クソアンナが裏口近くの壁に立て掛けてあったモップへ突っ込んで手をついたことで、持ち手の部分が勢い良く回って俺の後頭部を打ち付けた。


 気が付いたらここに二人で寝かされていた。


 娼館の洗濯を請け負っていたクソアンナの母親が、あろうことが俺まで一緒に放り込んだんだと。

 そこから飯を食わせて貰い、食べながらも煩いコイツを仕方なく相手していると、翌日から必ず顔を出すようになった。


 まあ、言っちまえばそれだけで、特別でもなんでもない、阿呆なガキ二人が出会ったってだけのことだ。


 気付けばコイツの誘いに乗って学園にまで入り、それなりに大変で充実した、お粗末ながらも人並みと呼べるような日々を送ってきた。


 望みは次々湧いて出た。

 やりたいことを見付けられなかった俺が、命懸けで戦ってまで通したいモノを見付けたんだ。


「だがよ…………お前が居ないでどうすんだよ……」


 大きく息を吐いて顔を俯かせる。

 目線が悟られにくくなるよう、目元を覆うまで伸ばした前髪が、最近は鼻先へ届くようになってきた。

 俺がやると適当に切るからと言って自分がやると言い出したのはお前だろうに。どうすんだよ、このままじゃ口まで隠れちまうぞ、飯が食いにくいじゃねえか。


「起きろよ、アンナ」


 苛立つ。


「起きろって……!!」


 言った所で意味がねえのは分かってるのに、呼びかけずにはいられねえ。

 いつまでお前はそうしてる気だ。


 俺が、


『勝ってね』


 俺が、勝てるまでか……?


 だが今、俺の手は最近じゃ、どこにも届きやしねえんだ。


「どうすりゃいいってんだよ…………、ッ」


    ※   ※   ※


 傷口を抑え、猛烈に噴出す汗の不快感にか吐き気を覚えながら、立っていられず膝をついた。


「ハァ……ッ、ハァ……ハァ…………」


 息は、息は出来る。

 何かが混じってる感覚もねえ。

 だが抑えた手が真っ赤になるほどの血が流れ出していて、その手に感じる熱さとは反対に身体の奥底から震えが来るほどの寒気が広がった。


「ざっと十分くらいだな。そのまま止血しないで派手に動いてりゃ、お前は死ぬ」


 呼吸が荒い。

 散々息を吸ってるのに苦しさが増してくる。


「器用なもんだろ。呼吸の道は傷付けずに広く浅く、ちょうどいい感じに出血するよう斬った。動きながら止血するには深いし広い。どうするよ、お前が将なんだろ? 降参するならすぐ治療を受けられる。しばらく寝込むかも知れねえけど、まあ命は助かるさ」


 刃を上に。湾刀を遊ぶように揺らしながら、構えと呼ぶには散歩にでも行くような立ち姿で野郎は続けた。


「続けるなら命を懸けろ。フィラント王も護衛も十分じゃ決めきれねえ。お前が俺を倒して陛下の方へ向かえば、まああの嬢ちゃんも居るんだ、一分と掛からずケリがつくだろうよ」


「……テ、メエッ!」


「おいおい下手に力むと時間が減るぜ」


 言われるまま力を抜いた。

 まずは息を整える。刃先を遊ばせる野郎への警戒も続けたまま。


「ハ、ハハハ……!」


 野郎は言った。

 死線の一つも越えてみろ、か。

 確かにその通りだ。ごちゃごちゃ考えるだけで強くなれるなら、学者の方が強くなる。


 試すことも、強くなることも、こうなったら隅へ蹴っ飛ばすしかねえ。


 時間が無い。

 すぐに行った。


「ヌルいぜオイッ!!」


 振り切ったサーベルを軽々受け止められ、今度は良い感じに脇を狙えると思った。が、咄嗟に鍔迫り合ってる湾刀が気になって、刃先を抑え込むように身をズラし、逃げる。


「オイなんだよ」

「っ!!」


 ため息のような声がした。

 気付けばまた斬られてやがる。今度は左のわき腹、血は少ない。だが確実に限界は近付いた。


 転がって、地面に血を溢しながらも距離を取る。

 追って来た。上段からの打ち込み。が。目の前を通り抜ける。


 間合いを見損じた?

 右手が上がってくる。湾刀を握っていた右手。振り上げたそこには、何もなくて、


 回る銀光が落ちてくる。それが奴の使っていた湾刀だと気付いた時には、もう肩口へと差し込まれていた。


 火花が散った。

 かろうじて、かろうじて骨には達していない。

 咄嗟の防御が間に合った。だが一体何が起きてる。あった筈のものが消え失せて、急に現れて。


 一度消して握り直したか、いや、それだと魔術は一時的に解けるし、あの一瞬で現れるっていうのも早すぎる。 


「っしゃらあ!!」


 防いだ湾刀を、俺の身体へ沿わせるようにして払ってくる。させるかよ!!


「舐めんなァ!!」


 動きを押し返しながら腕を狙う。外へ広げて逃げた。押し切る動きから、まるで外へ武器を放る様な――思った時には振った手の反対側から斬戟が来て、胸元に鈍い痛みと猛烈な熱さがが過ぎていくのを感じながら――気付けば俺は前へ出ていた。


「うおっ、ガッ!?」

「ッハハー!! 図に乗ってんじゃねえよ!!」


 頭突きだ。

 剣技もクソもあったもんじゃねえ。

 ただ振りぬこうとする相手へ身体を押し付けるようにして過剰な踏み込みをして、顎元へ一発入れてやった。


 剣で相手を切るには、ちょどいい距離や位置ってのがある。刃を入れ始める場所が違えば思うように腕を振れずに仕損じることは山とある。

 そこまで考えた訳じゃなく、もう訳も分からず突っ込んでただけだが、今俺が生きてるのはそれが理由か、手心でも加えられたかだ。どっちにせよムカッ腹が立つのに変わりねえ。


「ぜぇ……ぁあクソッ! 寒いし熱いし気持ち悪ィ!!」


 息をすると妙な音が混じってきた。

 身体はもう血塗れだ。手足は痺れてサーベルを掴む感触さえ曖昧になる。


 野郎も顎への一発は効いたのか、頭を抑えて身構えてる。


「一個分かったぜ」

「アァ?」


 思い出すのは、開幕すぐにやってきたフーリア人のチビだ。

 投げた直刀を指先で弾いて、反対の手で投げ付けてきたあの動き。


「あのガキに手品教えたのはテメエだろ」

「おう正解だ」


 空振りしてみせた湾刀を背中越しに上へ投じ、眼前に落ちてきたのを掴んで突く。

 払った腕を大げさに開いて見せ、すぐに反対側へ飛ばして持ち替えたのんざそのままだ。

 あの時は距離があったから分かった。だが直近で切り結びながらやられるとこうまで見えなくなるか。


 息が荒い。

 残りはどんくらいだ。

 クソ、考えてる場合かよ。


 とにかくコイツは詐術を使う。

 真っ向から切り結ぼうなんざ端から考えてねえ。

 邪剣も邪剣だ。王道から遠く離れた、姑息で下品で、怖ろしいくらい厄介な剣。

 まるで王道が他に居るから、そこから違えた相手へ対抗する為だけに磨いたような技は、並の一線を越えると王道さえ打倒し得るみたいなヤバさがある。

 正統派の、真っ向勝負に強い奴ほどハメられる。ちょいと邪剣の一つでも心得があれば違うんだろうがなァ。


 …………つまりはだ、暗殺なんていう邪剣そのものな技を仕込まれた俺は、本来コイツの技に対処出来なきゃおかしいって話だ。


 くそったれが。

 いつからだ。もう随分と使ってない気がする。


「あぁ……」


 そうか。


「ハイリアと……戦って以来、か…………、っ!?」


 首の傷を抑えながら、今の自分の言葉を思い返す。

 なんだ。俺、なんで急に、名前で……?


 というか、いつからだ、隊長殿としか呼ばなくなったのは。あぁいや、分かる、同じだ。戦って、有耶無耶になって、その後の活躍を見て勝てねえなと認めちまってから、俺は俺の剣を捨てて、あの人の……ハイリアのような王道に憧れた。結局出来損ないで、姑息な剣ってのは変わらなかったが、暗殺者のソレとは随分違っちまってる。


 その上で考える。


 どんどん流れる血のせいか、頭が熱くなる事もなくころころと回った。


 最近見た試合の記憶が不意に浮かぶ。

 くそったれのセレーネが、一丁前に両手剣を構えたのを見た時、確かに思ったんだ。

 アイツも言っちまえば邪剣の類だった。正直に言えば誤魔化しに誤魔化しを重ねた下手くその剣だったが、今のアイツはハイリアの指導とやらの元、あんな構えが出来るくらいに……土台、いや、基礎が出来上がってきてるんだ。剣の振りで勝てないから工夫を、ってのはあくまでし合いでするべきことで、訓練じゃ下の下だ。勝たなくちゃならねえ。手捌き、腕の畳み、あるいは振り、そういう当たり前の部分で相手の上を行くことを目指すのが第一だ。少なくとも俺はあれからずっとそうやってきた。

 当たり前の動作を高い所へ置き、その上で邪道を織り交ぜる。


 見えてきた。


 まだまだ不足はある。もっともっと強くなる。だが俺は、少なくともやってきた二年近くの年月を、もう少し信用しよう。

 野郎の剣は邪道しかねえ。素直な剣での打ち合いを避け、相手を幻惑し、不意を打つ。だがオフィーリアとやってた時は割と普通だった。普通の剣もある。だが俺を殺しに来たときには邪道を使った。それは、俺のクソっぷりを差し引いても、真っ当な剣じゃ勝ちきれないことを意味してるんじゃないか。


 あくまで想像、格上が遊んでることだってある。

 だが俺に出来るのはもうそれに懸けることだけだ。


 目が霞んできた。

 息が苦しい。


 だが、余計なものが見えなくなってちょうど良い。

 息なんかするから身体が揺れる。いっそ止めたまま行け。


 邪道を通してきた相手に半端な邪剣は返り討ち。


 だから、真っ直ぐ行く。

 俺が辿ってきた二年分の王道を、駆け抜けるだけでいい。


 その上で、過去の経験と勘を生かして奴の剣を見切る。


 あと一回。


 考えに時間を回しすぎたせいでそれが限界だ。

 考えるより死線を越えろ。そうは言われたがな、考えることで俺たちはここまで来たんだ。考えて、考えて、定めたら、後は揺るがず突っ込む。


 呼吸が止まった。

 音もない。

 霞んだ視界には野郎しか見えねえ。


 駆け出した俺を迎え撃ってくる。

 動きを見ろ、そして見る事に囚われて速度を落とすな。


 往け!!


 加速した瞬間、野郎の手元から湾刀が飛ぶ。飛ばして、自分自身も前へ出て剣の実体化を維持する。昔俺もやったことのある手だ。回る湾刀と、俺の出方を見る副団長。右か、左か、上か、下か、どちらにせよ速度は鈍る。投げた手にはもう別のを握ってやがるだろう。

 頭に浮かんだのはハイリアとの一戦だった。

 俺が同じような手を使って、ハイリアが応じてきた。その時どうしたかなんてどうでもいい。ただ続く次の一合で、俺は言ったんだった。


「逃げてちゃ……!!」


 前へ。

 無策では行かない。

 回転を見て、見て、見て、見て、見て、今だ!!


「こういう攻撃もできねえだろうがァッ!!!」


 火花が散る。

 防がれた。だがッ、踏み込んでるのはこっちだァ――!!


 守りの位置が浅い、このまま、前へ、進んで――足を、前へ、踏み出して………………足が、重い……ッ。



「テメエは邪魔だあああああああああああ!!!!」



 振り抜いた。


 景色が、真っ白……に、そして、俺は、倒れ、て…………、


































 おい、


































 それで終われるわきゃねえだろうが……!!


「っ、ぁああ!! お、ぇ、ごぼ……ッ」


 血反吐をぶちまけてでも、倒れる訳にはいかねえんだよ!!

 俺は、長だ。

 皆を、率いてきた。


 まだ……倒れて、たまるか……、


「はぁ……、っくそ…………が…………………………――」


 サーベルを突き立てて、今にも消えそうな炎を燃やす。

 燃料が足りないなら、使えるモンなら何でも燃やせ、腕でも、足でも、命でも、死んでも倒れるな……そういう、人を…………見て……きた、じゃ――ッ、


 なにも、見えない。


 やべえなぁ……オイ、


 腕を振り上げた。

 身体を支えるのとは逆の手で、

 自分が何をしているのかも分からねえまま、

 ただそこに在る何かを、向かい来る脅威を、何の捻りもない振り下ろす動きで以って、


「ッッッ――!!!」


 飛び掛ってきたソレを地面へ叩き伏せた。


「邪魔――すんじゃねぇぇえええ!!」


 バリバリと煩い。

 痛ぇ。

 だがおかげで一瞬何かが見えた。

 黒い髪の、チビっけぇガキが、信じられねえって顔して足元に転がってやがった。


 それがどうしたってんだ。

 敵はまだまだ残ってる。

 コイツは敵の大将じゃねえ。


 勝たなきゃ、強く、ならなきゃ、俺は……、


 そこから、完全に意識は吹き飛んだ。





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