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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第四章(上)

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136


 デブリーフィングの最中、シャスティからよろしく頼むと紹介されたサイ=コルシアスは部屋の片隅でじっと俯いていた。

 また試合には来てくれて、声を掛ければ参加はしてくれる。

 仲間と呼ぶにはどうしても距離があるけれど。


 こういうことに積極的なセレーネも、世話好き面倒見たがりなナーシャも、エリックそっくりな彼の容姿に戸惑い、何より言葉が通じないことで扱い兼ねている様子だった。俺もそうだ。二回戦での失態の後、引き摺らないようにと意識するあまり、遠巻きに彼を置いてしまった。

 そんな雰囲気を察してかフィリップも距離を置いており、ただ最近発行された辞書を熱心に読み込んでいるのを見たことがある。


 会場の熱が落ち着き、負傷の具合も確かめて治療を施し終えると、そろそろ出るかということになったのだが、


「おい」


 ジェシカが、サイの前へ立った。


「お前も部隊の仲間だろう。事情は知らんが、少しは溶け込んだらどうだ」



 俺たちは素早く視線を交わした。

 あのジェシカが、あんなことを、言葉が通じず、俺たちが揃って脇に置いている新参のサイに向けて言っている……!!



 口元を抑えながらも興奮に目が潤んでいるナーシャ、

 信じられないとばかりに目を擦り、それでも見せ付けられる現実に唖然とするフィリップ、

 そして何故か得意気な顔でふんぞり返って(※注:ふんずりかえるは方言)いるセレーネは何を考えているのかちょっと分からない。口を突き出してきても、君は最後の最後でヘマをしてあろうことか『弓』の攻撃でやられていたから約束は不成立だ。いいね?


 しかし自分の情けなさ故とはいえ、孤立しているサイへあのジェシカが誰よりも積極的に交流を図ろうとするという事態に、俺たちははじめてのおつかいをする我が子を見るような気持ちで手に汗握り様子を伺った。


 サイはこちらの言葉が分からない。

 ただ仲間である者が何かを言いに来たのは分かるだろう。

 通訳をすべきかと思案する俺をナーシャが視線で制する。そうだな、下級生が交流を図っているんだから、俺が出張っていってはいけない。見守ろう。詳細に事細かに隅々まで見守っていこう。


「言っていることは分からんだろうが気にするな。私も通じるとは思っていない。だが通じないことと通じるための行動を取らないのは別だ」


 あんなこと言ってる、あんなこと言ってるジェシカがっ。


「そうだな……、ボンクラ共は気が引けているようだから、すぐに全員でとは言わない。あぁ、ちょうどいい頃合いだし、食事でもどうだ」


 因みに一連の発言に伴うジェシカの様子を主観を交えず語るのであれば、射殺さんばかりに睨みつけ、硬く圧のある声で捲くし立て、おいちょっとツラ貸せよと示したので、気弱な少年サイ=コルシアスは完全に脅えてしまっていた。

 しかしボンクラ共は見守ろうと決めたばかりだ。

 たとえ誤解から始まったとしても真っ直ぐな彼女の気質が分かれば、いずれ彼もジェシカ語を理解してくれるものだろうと思う。


 シャスティの元に居たと言う事は、この手の強引な誘いには慣れているのだろう。

 サイは命までは取られないだろうことを信じて立ち上がった。こちらを見てもボンクラとして俺たちは見守るだけだ。大丈夫、その子は噛み付いては来るし手加減は間違えることも多いけど今の所死者は出していないから。


「話は聞かせてもらいましたっ!!」


 ばーん、と扉を叩きつけるようにして入ってきたのは、つい先ほど矛を交えたばかりのくり子だ。

 後ろに数名の顔がある。挨拶でもしに来たのだろうか。


「あ、お邪魔します。初めまして、ではないですよね、大体の方は前に、はい」


 勢い任せでも礼を失しないのはいいことだが、ややこしくなるから早く用件を頼む。邪魔をされたと感じるジェシカが噛み付きそうだ。


はじめまして(’’’’’’)サイ君(’’’)


 驚いた。フーリア人の言葉だ。

 サイも目を丸くしており、助けてくれなかった俺の代わりに信頼を濃くしたのか、ジェシカの影から出てきて様子を伺っている。


「まだ少ししか話せないんですけどね。グランツ君と辞書を片手にお互いの言葉をお勉強中です」

「君には驚かされるな、くり子」

「今ハイリア様に言われるとちょっと腹立たしいですぅ」


 おっといけない。

 確かに対戦相手、勝った側と負けた側だ。

 挑む意気込みはこちらとて甘いものではなかったが、彼女相手にはつい緩む。


 そして彼女は俺の元まで寄ってきて、じっと見上げてくる。


「……三回戦突破、おめでとうごさいます」


「君たちに勝てたことは誇りとさせて貰おう。強敵だった。こちらが負けていてもおかしくない程に」


 少しだけ静かな時間があって、けれど我慢の出来ない我らが後輩はつっけんどんに言うのだった。


「話はそれだけか。敵は出て行け」


 もう少し言葉を選んでも良さそうだが、ジェシカらしいといえばらしいのか。

 対し、くり子は怖じるでもなく、気分を害した様子もなく、むしろ挑戦的に笑う。


「今回は命拾いしたようですけど、次やったらウチの勝ちですからねーっ。実戦データもたっぷり取れましたし、今後も研究開発は続けますから、あんな程度では終わりませんよっ」

「それはこちらの台詞だ。フーリア人の留学生を使って小賢しいことをしたようだが、こちらにもその手の仲間が出来た。私たちは今後も強くなり続ける。負けるものか」

「うーん……具体的に言うとそこだけじゃないんですけど、そうですね、サイ君については聞き及んでいますから、ある意味で早めに当たれて良かったのかも」


 そういえば、くり子は彼の容姿に驚いてはいなかった。

 以前ジェシカについても深く知っているようだったし、フィラントを始めとしたフーリア人側の情報も相当に得ているということか。


 ただ、やっぱり感じるものはあるのか、彼女はじっとサイを見詰めた後、俺へ視線を移してきた。


 大丈夫ですか? かな。


 まあ、やるしかないさ。

 やるしかない。

 やりたいと、望んでいるのは間違いないのだから。


 するとジェシカが俺とくり子の間に割り込んできた。

 後ろからでは表情までは分からないが、少し怒ったような声で、


「で、何の用だと聞いている。今から全員で食事の予定なんだが?」


 ん? なんで全員ってことになっているんだ?


「私たちもそれにご同行させてください」

「断る」

「こちらにはサイ君どご同郷のグランツ君がいますよ。たった一人で言葉の通じない人と混じっているより、誰か話しやすい人が居たほうが良くないですか?」


 なぜ俺はここで睨まれるんだ。

 俺が何か言うべきなんだろうか。

 しかしいいのか?


「いいんじゃないか? 内輪での凝り固まった意見より、色んな話を聞くことで発展するものなんて幾らでもある」


 ほら、絶対不満に思う方向へ返事するんだから。


    ※   ※   ※


   アベル=ハイド


 どうしてこんなことになっているんでしょう。

 あれやこれやと話が進んで、大貴族も含めた僕ら一行は何故か貧民街にほど近い三本角の子羊亭へと足を運んでいた。

 持ち帰りや賄いならともかく、雇われ先で混雑しているのに客席で悠長に食事をしているという気まずさでお腹がいたい。


 店主さんはいいから座ってなよと言ってくれたけど、誰か入ってくる度につい出迎えようと身体が動きかける。


 一番落ち着かないのが、時間的にはそれほど混雑しない、つまり働いている人も少ない時間帯へぞろぞろとやってきた僕たちによって店が非常に混雑しているということだ。


「おっす!!」


 こういう時、グランツさんの物怖じしなさは凄いです。


「おっす!!」


 おっすしか言わないけど。


「金の事は気にするな、この卓の支払いは私が持つから好きに食べろ」


 そして反対側で強烈な威圧感を放つジェシカ様が居て、お腹がいたくて食欲が、なんて言えば首を落とされるかもしれないので必死に食べるしかない。天下に名立たるウィンダーベル家の方だ、国外へ逃げても無駄だろう。

 猛烈に痛くなるお腹を抱えながら、ズレた眼鏡を掛けなおす。


「やったーっ! おごりだおごり!」

「タダメシ万歳! タダメシ万歳!」


 どういう訳か途中で合流したのは、ベンズさんとペロスさん……双子というのは初めてみたけれど、本当に服装や髪型が一緒であれば見分けが付かないほど似ている。


 そして対面には双子に左右を挟まれたサイというフーリア人の方がいる。

 彼も彼で状況に付いていけてないのか、それとも元気一杯な双子に圧されているのか目を回さんばかりに挙動不審だった。


 目が合う。


 ははは。


 なんか大変そうなのがお互い通じた気がします。


「ジェシカ様ジェシカ様っ」


 双子の姉か妹、ペロスさんが隣のジェシカさんへ声を掛ける。


「『騎士』って、どうやったらなれるんですか? 私っ、『槍』の魔術なんだー、私も『騎士』になりたいなりたい教えてくださいっ!」


 おっ、と思って意識が集中する。

 国際連合構想が発表され、その際にハイリア様が示した上位能力への覚醒手段については未だに謎のままだ。結成されていないのだから当然だけど、その内容には僕も興味がある。まあ流石にはぐらかされるかな、国連加盟への大きな餌だから、そうそう広めたりはしないと思う。


「死にたくなければその話には触れないことだ」


 …………なんか思ってたよりずっと怖めの断り文句だった。

 矛先を突きつけられているような威圧感の中、けれどペロスさんは動じる様子もなく身を寄せた。


「そっかー、ざんねん! それじゃあさ、『槍』の魔術についてはいいでしょ? どういう訓練してるの? どうやったら強くなれるかなー?」

「内容についても話さない。いずれ分かることだ、焦る必要は無い」

「そっかー、ごめんねっ。私たちは明日大一番だからさー、何か助けになったらなーって」

「次は、そうか、特別枠の部隊と当たるんだったな」

「そーそー、おっかないよねー、皆強いんだからさー、手加減して欲しーよねー?」

 するとジェシカ様はギロリと笑い、

「フィラント王には借りがある。その護衛や、近衛の副団長にも興味はある。負けていいぞ、私が倒してやるからな」

「むーっ」


 ペロスさんは頬を膨らませた。

 これから戦うって時に負けろと言われたらそうなりますよね、あぁ誰かこの緊張感をなんとかしてくださいっ。


「まけないもん。こっちの先輩だってすっごい強いんだからっ!」

「オフィーリアだったか。ルトランス家の娘、試合は見たぞ。アレとも戦ってみたいな」

 振る舞いは上品なんだけど、ジェシカ様の行動には一々迫力があって怖かった。

 オフィーリア=ルトランス……確かに今大会で大いに注目されている人だ。扱う武器もあってか、ジャック=ピエールの再来だとも語られて、それはある意味で不名誉だけど、もし交戦するなら一対一は絶対に避けるよう戦術を組んでいた。

「大先輩だってホントは強いんだぞーっ?」

「大先輩?」

 ジェシカ様の目が鋭くなる。


「ヨハン=クロスハイト! 私たちの小隊長だよ!」


「知らん」


「一度会ってるのにーっ」

 言われ、眉を寄せて首を傾げる様子に、本当に覚えていないらしいことは分かった。


「聞き覚えはあるんだが、よく覚えていないな。強い奴は把握しているから、私にとっては有象無象の雑魚だったということだろう」

「むーっ」

「……どういう奴なんだ」


 不満そうにしてからからか、ジェシカ様は飲み物を口にした後で問い掛けた。


「よくご飯買って来いって言われる!!!」


 卓に触れることもなく、椅子の背もたれに手をついて倒立してみせたペロスさんは、そのままジェシカさんの背凭れへ片手をつき、くるりと回る。

 完全にスカートがめくれているので兄か弟のベンズさん以外は目を逸らしたけど、彼女は気にした様子もなくそのままジェシカ様の頭上から言葉を続けた。


「それとねっ、すっごい偉そうなの! ボロ負けした後でもふんぞり返ってる!! あと眠ったままの幼馴染の人? アンナさんの胸触ろうとするからってオフィーリアさんにすっごい怒られてたっ!」


「敬意を向けるべき要素が何一つない気がするんだが、本当に生かしておいていいのかソイツは」


 話だけ聞くと完全に物語へ登場する駄目貴族の典型みたいな人柄だった。

 きっと終盤で手酷く死ぬんだろうなぁ、なんていうのは物語のお約束だけど。


「いいのいいのっ、大先輩なんだから大先輩らしくしてればいいの!」


 本当にいいのか聞いてみたい所だけど、他の部隊の事情へ首を突っ込むのは流石に怖くて出来ない。

 そもそも交流会と聞いて、前に会わなかったグランツさんやサイさんお二人を歓迎する意味でも、と言われていたのに、二人で盛り上がってていいんだろうか。悩み始めた僕の袖を、反対側から引く人が居た。


「なぁなぁ……っ」


 ベンズさんだ。

 双子の兄か弟だろう彼は、いつの間にやらグランツさんとサイさんを近くに寄せて、声を潜めたまま言う。


「あっちの机、誰が一番いいと思うっ?」


「それは、どういう意味で……」


「あっちで楽しそうにしてる先輩たちっ、中々いい感じの人が揃ってるじゃんっ!」


 な、なるほど。


「僕はそういうのは……」

「俺たちだけの内緒だからっ、別に添い遂げたいとかって話じゃなくて、敢えて選ぶならって話だよっ」

 といいますか、言葉が通じていないのにそんな話大丈夫なんだろうか。

「おっす……っ」

 などと思っていたら、凡そを察したのか、いの一番にグランツ君がこっそり離れた机を指差して、三人揃って視線を向けた。


 ナーシャ=リアルド、ハイリア様の小隊で活躍する『角笛』の術者だ。


「へぇっ、なんとなく分かるっ! あの中で一番お姉さんって感じだもんな!」

「おっすっ」

「あ、あぁ……確か大勢ご姉妹がいらっしゃって、その長女だと……」

「なるほどなっ、それであの雰囲気かぁ。美人だし、いいよなっ。子沢山の家系っていうのも貴族からするとすっごい価値だよ、跡継ぎが産まれなきゃ養子探して右往左往だもんなぁ」

「おっす……!」


 つい知ってる情報を開示してしまい、そう言えばなんて思うまでもなくこの双子のお二方も大貴族なんだと思い出す。

 こちらの爵位とは大きく違うけど、国ではとても尊重されるお家柄。


 そんなベンズさんが腕を回してきて、


「アベルはどうなの? 緊張する? なんなら俺が先に言うけどっ」

「え、ええと……」


 困っていたら先に行動されてしまった。


「俺はあっちか……あっちだなっ」


 セレーネ=ホーエンハイム、もしくは、クリスティーナ……先輩、だった。


「どどどどうしてっ!?」

「ん? なんだ被った? 安心しろってお前の目当ては避けるからさ」

「べべ、別にそんなんじゃなくてっ」

「んー、やっぱりくり子先輩?」

 く、くり子先輩!?

 先輩たちがそう呼んでいるのは知ってるけど、流石に僕がそんな風に呼ぶ訳にはいかず、未だにクリスティーナ先輩って……。

「可愛いじゃんっ、それにあの先輩すっごく頭いいよね。もうちょっと身長が伸びて女の雰囲気が出てくるともっと好みだけどさー。なるほどな、アベルはああいう人が好みなんだなー」

「ち、違っ!?」

「えー、それじゃあセレーネ先輩?」

「おっす」


 何故かグランツさんが神妙な顔で頷いた。ベンズさんの視線を追って、ハイリア様へ親しげに話しかけているのを見るに、明らかに入る余地は無さそうだからか。


「家の格だったら負けてないんだけどなぁ。ウチは略奪愛どんと来いっていうか、母さんだって掠め取った馬鹿貴族を攻め滅ぼして奪い返されたのよって毎日のろけてくるんだよなー。まーくり子先輩も揃って望みは薄そうかなー」


 くるりと椅子から舞い降りて、今度は放置されていたサイさんを強引に中心へ引っ張ってくる。

 浅黒い肌を持ったフーリア人の二人を挟み込み、僕らは内緒話を続ける。


「サイ? サイだっけ? サイは誰がいい? ほら、指差すだけなら出来るだろ?」

「おっす……」

 同族のグランツ君に促されたからか、先輩たちの居る机を伺うが、躊躇っているのか決め難いのか、ただ視線を巡らせるだけだった。

「居ないかぁ。だったら仕方ないな。まあ決めたら教えてくれよ?」

 頷きはしなかったけど、最初に卓を囲んだ時に比べると幾らか表情から緊張が抜けたのだろうか。

 サイ=コルシアスさんは僕たちには分からない言葉を溢し、グランツさんが大いに頷いた。


「おっす」


 うん、分からないけど。


「なるほどなぁ、他に居るんだな」


 なんで分かるんだろう。


「おっす」

「う、うん……」

 同じ小隊の仲間として心から申し訳ないけど何を言われたのかはさっぱり分からない。

「内緒にしててくれって話だよっ。それに、お互いの相手に行動起こすのは無しだかんな? 約束だぞ?」


 とりあえず、その言葉だけは全員に伝わったようで、僕らはしっかりと頷いたのだった。


「ねえジェシカ様ジェシカ様、どうやったらおっぱい大きくなる? ウィンダーベル家って皆大きいよね、ばけもの?」

「う、うるさいっ、邪魔なだけなんだこんなのっ。やめろ触るな纏わりつくなっ!」


 その後で、全員揃ってこっそりと視線を女の子二人へ向けたのだった。


    ※   ※   ※


   ハイリア


 なんとか下級生らで上手く話が盛り上がっているらしく安心した。

 くり子が話を回してくれて、ヨハンの所に居るリコット家の双子を呼べたのが良かったのか、男女で多少分かれつつも上手く引っ掻き回してくれているようだ。


「はいっハイリア様あーんっ!」


 ところでさっきからセレーネがやたらと絡んでくる。

 グランツとの戦闘で利き腕を怪我しているせいでナイフを上手く持てないんだ。

 魔術による攻撃ではなく、投石や手裏剣という実体のあるものの傷だから、中々に後を引くかもしれない。

 幸いにも手裏剣の傷はさしたることもなく、触診してみたが投石器による攻撃も少し筋肉を傷めているだけだ。当たり所が良かったと言う事だろう。次の試合ではまだ難しいかもしれないが、その次くらいでは概ね問題なくなるだろう。次を勝てればの話なのは確かだが。


「いけませんよセレーネさん、無理強いするものじゃないです。それはそうとハイリアさまこちらを向いて口を開けてください」

「私が言うのもなんだけどくり子ちゃんも中々いい性格になってきたよねー。最初はもっと大人しかったのに」

「大人しかった先達に言われると身が引き締まりますね」

「うっはーっ、中々いい挑戦状じゃない受けて立つから覚悟せいやーっ」


 頼むから左右で騒ぐのはよして欲しい。

 対面にいるナーシャが口元を隠しつつとても楽しそうにしているし、以前この店で俺の浮気疑惑をぶつけてきた先輩が静かに見守っているし、何より近くを通る度にフロエがなんか首後ろをこっそりつついてくる。

 お互いへ集中し始めたのを見て俺は黒っぽいパンを取り、シチューへ浸けて食べる。

 ふむ、中々にいい味だ。

 値段を考えれば高級食材なんて使っていないだろうが、女店主の残したレシピが余程優れていたのか、フロエの腕が追いついてきたのか、それともこうして大勢で歓談しながらも食べているからか、家で一人食べる食事より随分おいしく感じる。や、最近はフィオーラがやってきて二人で食べることも増えたんだが。


「しかし、良かったのかオフィーリア」

「はい」


 にっこり笑って先輩の隣で食事を愉しむオフィーリアへ、俺は本当に問い掛けたい言葉を呑み込みつつ水を向ける。

 彼女らは明日試合だ。まだ夕方にもなっていないのに、調整を抜け出してあの双子を伴いやってきてくれた。助かってはいるのだが、相手は陛下率いる特別枠の部隊だ。曲者ぞろい、と陛下を含めて称するのは不敬だが、シャスティを始め中々に厄介なメンツが揃っている。初戦以降も快勝を続け、日に日にやつれていく陛下へ先日は洋風鍋焼きうどんを作りに行ったほどで。


「お二人はまだまだ追い込み中ですが、私たちは今日の確認は終わっていますので、後は昂ぶり過ぎないよう気持ちを落ち着けたほうがよろしいかと思いまして」


「そうか。あの神父の再来とまで言われる戦いぶりは今後も続くと考えるべきかな」


「このまま勝ち進めば準決勝で当たりますから、是非ともその時までぞーんというものを持続したいと考えております」


 言葉には邪気もなく、気負った様子もない。

 陛下たちを敵として認めていないのではなく、当たり前に勝ち続けるイメージを持てているということだろう。

 勝利を重ね、自信をあたり前のものとし、更に実力ある敵を得ながら越えてくる。好循環にハマっている者というのは実に強い。

 想い人の傍らに立ち、好調を当たり前として高いテンションとリラックスを両立しているのだから、確かにゾーンだとも言えるのだが。こう言葉にすると特殊能力かのように思えるが、単に極めて好調な状態を指すだけで、明確な線引きの難しいものだし、意識するほど入りにくいとも聞く。また気分や調子など制御するのが難しいものだから、些細な失敗や負けで一気に崩れることもある。

 持続できている、というだけで彼女の地力が相当に伸びてきていると考えるべきだろう。


 しかし、となんとなく思う。

 夏の甲子園とか、急激に伸びた選手がぐいぐいチームを引っ張って毎回初戦負けが一気に甲子園出場とか、あるよなぁ。波に乗っている相手というのはとにかく強い。今まさに成長期を迎えている人間にとって、好循環の中で強敵との経験を一気に積んでいけるというのは、訓練ではまず得られないものだ。

 なにより、


「あの内乱で最も神父と切り結び、生存し続けてきたからこその今がある。三回戦は別の会場で記者の相手をしていたから人伝だが、今の評判は君の実力で間違いは無い」


「いただいたご評価に負けないよう励みます。出来るのなら、私を抑える為にどのような策をお考えか聞いてみたいものですが」


「おっと、それはまだ話せないな。俺たちが四回戦を突破し、そちらが陛下たちに勝てたなら、試合の場にてお見せしよう」


「あら、そうであれば尚の事頑張らないといけませんね」


 事も無げに言ってみせるが、客観的に見れば彼女らの部隊は一つの危機を抱えている。

 知る者は首を傾げるか、静かに見守っているが、大多数の知らぬ者からすれば眉を潜めるような有り様であると。


「気になりますか」

「いや」


 なまじオフィーリアの活躍ぶりが注目されるからこそ、引き立ってしまうのだろう。

 彼女の小隊を率いる立場にある筈の、ヨハン=クロスハイトがすべての試合で惨憺たる失態を演じていることが。


「いっそ、今日はハイリア様をお呼びしようかとも話したのですが」


 首を振った。


「いずれ決着をつけよう。ヨハンとはそう約束してある。同じ小隊に身を置いていた時ならともかく、今俺が首を突っ込むのはな」

「意地を張って倒れてしまっては元も子もありません。足りない己を自覚するなら、手段を問うている場合ではない、とも言えますが……」

 最後を濁したのは、やはりオフィーリアなりに心配が強いからか。

「中々に手厳しい意見だ」

「……申し訳ありません、言い過ぎですね」


 僅かな間があって、互いに何かを呑み込んだ。


 今はまだ。

 そういうことだ。


 信じるというのなら、腹を決めて掛かるべきだろう。


 にわかに騒がしくなり始めた下級生らの卓を眺めながら、俺たちも雑談に戻った。

 野花が見当たらなくなったことで、賛同者らの印に今は造花が増えているのだとか、宿を確保しようとしたさる貴族が宿ごと買い上げたせいで野宿者が出たのだとか、今デュッセンドルフには方々から小劇団が集まり、試合の様子を路上で演じるのが流行りつつあるのだとか、二番隊の連中がガレットの美味い店をたまり場にしているのだとか、


 また、奴隷狩りが出現して死傷者が出たのだとか。


    ※   ※   ※


 食事の後、話に奴隷狩りが出たということもあって、フーリア人らの帰路には複数名が同道することになった。

 最初は長としての責任から俺がサイを送ろうかと思っていたのだが、少々酒が入ったらしいジェシカや双子が騒ぎながら連れて行ってしまったので任せることにした。同じようにアベルやグランツなどの下級生も捕まっていたから、このまま二次会へと流れ込むのかもしれない。


「それにしても参ったな」


 愚痴だろうか、思いつつ隣を歩くくり子へこぼす。

 仲良くいがみ合っていたセレーネは家が近所なのでもう別れた。お送りしますとも言われたが、試合後で疲れているだろうと言うと、存外素直に従ってくれた。最初から最後までひたすら戦い通しだったからな。最後、先輩の罠に気付けず飛び込んだのも、疲れが溜まってしまったからか。


「ハイリア様は元々有名人でしたけど、流石に連日人前に出ると顔を覚えられますよ」


 以前来た時よりも店を出るのがずっと早い。

 後から来た客が俺たちのことに気付き、あれこれと質問攻めにされ、落ち着かなくなったのもあるが、最近ではあまり遅いと道が混雑して時間が掛かる。

 セレーネの事は言えない。俺も今日は中々に疲れた。開き直って自分たちの方針を貫くと決めたがいいものの、相手がくり子とあって考える時間は幾らあっても足りなかった。


「お国柄の違いというのもあるか。さっきの者たちは……ガルタゴの商人だそうだが……」

「ベンズ君やペロスさんもガルタゴの人ですね。あちらは陽気な方も多く、貴族とはいっても民に近くて、一年の内の半分はお祭りをしているような所もあるそうですよ?」

「民と同じ目線で歩み、苦楽を共にする、か」

 シャスティが聞けばどのように評するだろうかと思う。

 言葉の上で言えば、それはとても気分の良いことだ。けれど王には同じ軒先で雨を凌ぐ以外に出来る事がある。勝者、あるいは強者であることが国の持つべき能だと陛下は言っていた。負ければ民はすべてを奪われる。ただ、パフォーマンスと言い切ることも出来なくて、真実正しい権力者の在り方などないのだと思い知らされる。

 都合(’’)の良い王か……。

 多くの国が寄り集まる国際連合という場で、国それぞれの千差万別な価値観による話し合いが行われていく。

 ホルノスとフィラントでさえあんなにも違うのだ。

「どうですか?」

「ん?」


 くり子の問いが最初は分からなかった。


「ハイリア様は、庶民の暮らしを知ろうとして今の家へ身を寄せたんですよね?」

「あぁ……」


 もっと支援を受けられる環境を選ぶことも出来た。

 ただ、一人暮らしを始めてみた所で、明らかに他より恵まれているのも間違いない。


 昔は……ジーク=ノートンとしての日々もそうだが、日本という国で生きていた時からの感覚は知っている筈なのに、こうしているとすぐに忘れそうになる。


 当たり前に国の先行きを考え、一国の王へ口添えし、あるいは仲間と交流を持って大きな目標を達成する。


 決してそういう人々だけではないことを忘れるべきではない。

 知らぬと切り捨てることは出来るし、楽だ。

 目指す道が違うのだから、諦めてしまう方が苦しみは少ないのだろう。


「自分で食事を作って、洗濯をして、干して、水汲みをして……学園には歩いて向かう。買い過ぎて腐らせた食材は、一階の老夫婦が肥料にと引き取ってくれたが、外食が多いと金欠にもなるしな。だがそういう日々を送ったからといって誰かを救えるのかは分からない」


 少なくとも広げすぎた視野と、熱くなった頭を冷ますには効果があったか。


「…………ハイリア様の口からお金ないなんて聞く日が来るなんて」


 全く別な所で驚いているくり子は置いておくとして、


「少なくともパンをシチューへ浸けて食べる習慣が、三日目のあの硬さを何とかする為だったことは分かったな」


「ああっ、なんかもう聞いていたくないですっ。ちゃんと食べてるんですか? メルトさんが居ない日は私がなんとかしますよっ!?」


 望んでいない者に、さあ行けと背中を押すこと。

 それを間違いだと思うことはしない。


 ただ、駆けて行った先で、力尽きてしまうのを見るのが怖いだけだ。


「ははは、それじゃあ最近、ほつれた衣服を縫い合わせた話でもするか」


 きゃー、と大げさに騒ぐくり子をありがたく思う。

 わかっている癖に、俺の望むようにさせてくれる。

 信じてくれているのだと、自惚れてもいいのだろうか。


「くり子」


 ひとしきり笑った後、歩みをそのままに言う。


「今日はいい勝負だった。本当に、強かったよ」


「…………はい」


「それと、ありがとう。君にはいつも感謝している。これまでよく信じてついて来てくれた」


 ふと、隣に彼女が居ない事に気付いて、俺は振り返った。

 なんだかくり子が、思い詰めたように俺を見ていて、どうかしたのかと首を傾げる。


「……まるで、もうじき死んでしまうみたいな言い方ですよ」

「はは、そんな訳ないだろう」


 言って、歩みを進めると、もう表通りに差し掛かっていた。

 人の通りが多く、こんな時間だというのにとても明るい。


 彼女ともこの辺りでお別れだ。


 言えるときにちゃんと礼を言っておかなければ、そう思って告げたんだが、最近はどうにも唐突過ぎるようだ。


「ハイリア様」

「ん、どうした?」

「私たちに隠してること、ありませんか?」


 隠していること、か。

 話していないことは沢山あるが、隠していることと言えば一つしかない。


 メルトの死について。


 これだけは、皆にも言えない。

 相談して解決することでもない。例えば、ジェシカが言っていたような、更なる東方の魔術が救いを齎すだとか、そこまで幻想に縋ることは俺にも出来ない。時間も足りない。行って帰ってくるだけで十数年は掛かるだろう。飛行機の無い時代だ。調べ物ですらインターネットが無ければ膨大な本を読み漁るしかない。電話も無ければ識者との会話すらどれだけ時間を要するか。

 セイラムの力は絶大だ。綻びが生じているとはいえ、数百年に渡ってこの世界の発展を押し留めてきた時点で、本来持つ力の大きさは想像が出来る。

 フロエですら出来なかったことを、これまでさしたる訓練も積んでいなかった俺で出来るとも思えない。

 やらない理由にはならないと、探ってはいるけれど、メルトが居ない状態では少し難しい。


 これはもう、話すことで楽になる、などということではない。

 話せば、皆に背負わせることになる。



 たった一人の少女を救う為に、たった一人の少女を殺すことになるだなんて。



 独善的だと指差されたとしても、こればっかりは誰にも言えない。


「国事なんてものに係わると、色々と話せない事は増えるものだ」

「そう……ですか」


 背を向けていて良かった。

 ただ、胸の奥に鋭い痛みが奔るのだけは、堪えられなかったけど。


「後悔だけは、しないで下さい」

「あぁ、そうだな」


 存外に強い言葉を受けて、素直に頷くことにした。

 後悔だけは決してしない。


 後悔するなど、あってはならないことだ。





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