133
ジェシカ=ウィンダーベル
「お前だけがまだ誰も倒せていない」
批難ではなかった。
殴りつけたいのでも、怯えさせたいのでもない。
表情を作るのは苦手だ。昔、部下が不必要に怖れていると感じた時に笑顔の練習をしてみたことがあったが、どうにも私の笑顔は睨みつけているように思われるらしく、止めにした。自分の感情を偽るのも不愉快だ。
だがコレは、意地でもあり、応援でもあった。
「やー、ほんとにすみません」
セレーネ=ホーエンハイム。
ハイリア自ら部隊のエースだと紹介され、最初はどれほどの腕前なのかと期待した。だが雑兵にも劣る不慣れさと、覚悟と覇気の不足ぶりにさすがの私でも冗句の類だと理解した。エースたれ、そう言われつつこの女は、決定力を求められる訳でもなく、常に誰かの尻へ引っ付いて戦い続ける采配だ。
何か、理由があるのかもしれない。
時期を待って、適切な状況とやらで解決を図っているのだと考えもした。
だが結局ハイリアは私たちに甘い。
訓練なら、自分が制御できる状況なら驚くほど滅茶苦茶要求してくる癖に、手を離した途端に慎重策を取りたがる。
それではいけないと私は思う。
怪我をするな、その重要性はわかる。
安易に負傷を容認する者はすぐに死ぬ。
戦果よりも生きて帰る事の方がずっと重要だ。
一の戦いで大戦果を上げるより、十の戦いを生き抜いた者が次の戦いで見せる動きの方がずっと頼りに出来る。
それでも、ここ一番で状況を変化させ得る精鋭が生まれるのは、無茶で無謀な死線を乗り越えた時だ。
「いい。結果を見せろ。尻拭いは私がやる。敵二人、最悪の場合は四人を抱え込んだままどれだけ踊れるか、限界の先へ自分を投じてこそようやくお前は変われる。二回戦では苦境に立たされていたが、フィリップは得意の守りに篭るだけでなくしっかり攻撃の機会を見極めていた。初戦で例のプレインを相手に飛び込んでいった感覚が生きている証拠だと私は思う。問題あるか、ハイリア」
言うと、少し視線を下げていた彼は、瞬き一つでいつも通りになり、
「そうだな。俺が言うべきことだった。ジェシカ、ありがとう」
「感謝はいい。どうなんだ」
ハイリアはセレーネを見た。
口は閉じたままだったけど、行けるかと聞こうとしたのかもしれない。
「相手はウィルホードとセイラに、先輩も後方から援護してくるだろう。グランツというフーリア人の留学生も、何をしてくるか予想がつかない。だが最前線で少しでも長く粘ってくれれば、それだけ残る四人が余力を残したまま相手陣地へ肉薄できる。特に終盤まで残したい両翼の『騎士』へ、先輩の攻撃が届かなくなる程度に押し込めれば相当に早く展開出来るだろう」
「……はい」
返答するセレーネは困ったような顔をしているが、徐々に余裕が無くなっていく。
私の言う無茶に対し、納得の行く理由があることと、果たすべき役割を説明しているのだ。
「セレーネ」
「はい」
「君は強い」
たとえ真実には遠くとも、彼の声には力がある。
望めと言われたあの日を思い出す。
私に足りないすべてを与えてやる、とそう言われた。
同じだけの熱を、今彼女は得ている筈だ。
「俺たちの誰もが知っている。君はこの場に全員に勝利しているんだ。その事実を決して忘れるな。そして、逃げるな」
先日総当りで対戦形式の訓練を行った。
相当に苛烈で試合前とは思えない内容の果てに、全勝を飾ったのはハイリアではなく、私でもなく、このセレーネだ。
「で、でも、あれって私の性質上有利というか、流石にズルかったかなって……」
「俺はナーシャ相手に勝っているぞ」
「不覚でした……、本当に、どうしてああなってしまったのか」
『旗剣』は、『剣』の上位能力はすべての術者より速力で上回る。
加えて範囲攻撃による中距離戦を維持するなら、魔術もないハイリアや私やフィリップでは攻撃すら届かない。ナーシャでさえ、『角笛』による大群を突破されて敗北している。徹底することさえ出来れば負けるはずがないとはいえ、果敢に攻め立ててくる敵を前に、それが出来ることの凄さを私は知っている。
「言ったぞ。逃げるな、君は俺たちのエースだ。そうずっと言い続けていたことに嘘はない。俺の考えがまだまだ甘かったことを踏まえても、この部隊を結成してから確実に腕を伸ばしている。だから、この試合における流れを君に託す」
『剣』を早々に失えば中盤以降が辛くなる。
落ちるのだとしても、どれだけ耐え切れるかで勝敗が決すると言っても良い。
無茶を要求した以上、私だって覚悟を決めて戦うつもりだ。
けど、まず戦うのは彼女だ。
「セレーネ」
我ながららしくないことを思いついた。
呼びかけにこちらを向くセレーネと、ハイリアと、他の二人。
「最後まで生き残っていたら試合後にハイリアがキスしてくれるぞ」
「おおおおおおっ、やる気出てきたあああ!?」
「いやまてしな――止めろナーシャ何故肩を掴む。ジェシカ、君らしくないな何をいきなりそんなことを」
「男ならキスくらいで煩く言うな。ちょっとしてやればいいだけだ。要求だけして報酬も無いでは駄目だろう」
ふふ、と自分の口から何かが漏れて、ナーシャの眉があがる。
「……分かった。頬だな、してやるから離すんだ」
「この流れでそんな甘いことを許す訳ないだろ、口だ口。落ちたりとはいえウィンダーベル家の力を舐めるなよ」
「リアルド家の総力を結集してでもさせますわっ」
「フィリップ、なんとか言ってくれないか――おおいどうしたそんな壁際に行って座りこむなお前はやれるっ、頼むから助けてくれっ!」
「ふ、ふふふふ、ははははは」
しばらく作戦会議もそっちのけで騒いだ後、落ち着きかけた雰囲気の中でセレーネが寄ってきた。
「ありがとうございます、ジェシカ様」
「ジェシカでいい。……同じ部隊の仲間だからな」
「ありがと、ジェシカ」
「ふむ」
距離が近い。
そっぽを向くと、代わりに向いた耳元へ彼女の声が掛かる。
「意外とああいう話するんだね。もしかして経験あるの?」
「…………そ、そうとも」
「ないんだね」
「ないとは言ってない」
「じゃあ生き残ったらジェシカからもしてもらおうかなぁ」
「私のは駄目だ」
「初めてだから?」
「うるさい」
「頑張るね」
距離を取りつつ振り向いて、拳で胸元を軽く叩く。
「当然だ。なんなら全員ぶっとばせ。私ならそうするぞ」
もしハイリアが私にエースたれと言ってくれていたら。
そういう気持ちだって、確かにあるんだから。
お前には、セレーネには、負けたくないし、負けて欲しくないんだ。
※ ※ ※
セレーネ=ホーエンハイム
思い返すと私の人生って、逃げてばっかりだったなぁ。
故郷が嫌で逃げ出して、学園で合わなくて自分の中に逃げて、ハイリア様に誘われた小隊内でだって果敢に腕を磨く人からは距離を取って、居所が定まっていなかったおフィーリアさんとか、アンナとか、ふらふらしてやる気の無さそうなヨハンとかと群れて。
腕が上がりきらないのは武器が合ってないんだなんて言って、アンナとオフィーリアさんまで巻き込んでアレコレ武器をとっかえひっかえ。
使い慣れてないんだから弱くてもしょうがないよね、なんて。
軽くやって伸び悩んだら、お化粧や装飾品漁りに逃げたりして。
フィリップさんに偉そうなことなんて言えない。
変わったようで、私は変わってなんていないのかも。
でも今、私を引き入れてくれた人が、一番大好きな人が頑張れって言ってくれる。
私を信じてくれて、お前なら出来るって言ってくれる。
おふざけじみて言われることもあるけど、いざ訓練だってなったらハイリア様は容赦してくれなかった。
嬉しかった。
好きな人に求められて、頑張ろうって思えない女の子なんて居ないよ。
だから頑張って、頑張って、力を手に入れた。
でもどこかで私は線引きをしてる。
自分に出来るのはここまで。
直接戦ってウィルホードさんやセイラさんに勝てるとは思えない。
気に入らないけど、ヨハンは強い。相性でハイリア様に勝てるのだって、実力だと胸を張るのが難しくって、試合前なのに落ち着かなくって昨日はあんまり眠れなかった。他の誰に勝っても気にならなかったのに、あのハイリア様相手に一本取ったということが、酷く卑怯なことに思えて、正直、辛かった。それは今でも変わらない。
だけど、こうして皆に言われて、背負って前へ出た途端、背中に感じる視線がちょっとだけ誇らしいから、
「やっほーセイラさーん! ウィルホードさんとよろしくやってますかー?」
詰め寄る相手へソードブレイカーを交差させて振り回す。
不恰好極まりないけど、多段発生する連続破砕に前方は完全に塞がれた。
根元から先端へと扇状に発生する強烈な打撃攻撃は、旗印となる剣士に続く無数の兵を顕していると聞いたことがある。
乱暴でいい加減で申し訳ないけど、懐へ入られるのは厄介だから、徹底した中距離戦でいかせてもらう。
「そちらこそ、ハイリア様とはいかがですか?」
お上品な声で問い掛けるセイラさんは、エストックを手に軽やかな回避を見せる。
連続破砕へ続く形で前に出て、詰め寄る私に彼女は余裕を以って距離を取り続けた。
その脇をウィルホードさんが抜けてくる。
味方の身で身体を隠した奇襲。
でも流石にそんなのは想定済みだ。
直進してくる軸から身を離しつつ攻撃を放つ。
ウィルホードさんはそのまま直進した。
あぁ、と思う。
セイラさんがその背後に続き、私を警戒してくる。
追う?
駄目。
これは誘いだ。
だから私は更に前へ。
未だ『盾』の範囲内へ逃げ込んでいないダット先輩へ弧を描きつつ接近していく。
後ろ手に剣を薙ぎ、戻ってきた二人を狙い打つ。
はさまれた。
すぐに側面へ走る。
矢が次々飛んできて前方を塞がれる。
でも『旗剣』なら問題ない。
こちらを狙うことも忘れずしっかり制圧射撃と呼ばれる攻撃での状況作りは、昔ジーク=ノートンとの戦いで見せていたのと同じだ。けど、『旗剣』による連続破砕はそんなもの纏めて叩き落してくれる。直進しながら、間を合わせて行こうとした時だ、
気が変わった。
そして背後から切りかかってくるウィルホードさんが居て、ソードブレイカーの溝でエストックを受け止めると、またしても背後からセイラさんが飛び出して回り込んでくる。その動きに視線を取られた瞬間、受け止めた筈のエストックに体重が掛けられ、振り回されるようにして姿勢を崩された。
押し込み、即座の突き。
「っ!」
目を瞑りそうになるのを何とか堪え、頬を掠める刃の感触に息が詰まる。
どうする? セイラさんは背後に回ってる。位置が見えない。矢が飛んで来る。ウィルホードさんが私の次の動きを狙ってじっと見定めてる。
前へ、
「はっ、っ!」
行くふりで後ろへ。
コレも訓練にあった。
これ見よがしに目元を狙った攻撃には、どうしたって目を奪われる。
だからこの場合、セイラさんの居場所は受けた剣の反対側!!
確認もせず切りかかる動きにセイラさんが防御する。
エストックの根元へソードブレイカーを滑らせて、外へと押し込んでいく。
腰を据えた『槍』ならともかく、回り込んで寄せてきた相手より、身体ごと飛び込んでるこっちの方が押せる!
防いでいるつもりなのにこちらの手首ごと巻き込んで武器を絡め取ろうとするセイラさんに、私は手元を返して溝へ刃を落とす。僅か、捻り上げたときにはもう手放していて、すぐに次を握り込む。
ついでに背後への振り払い。
連続破砕が巻き起こり、仕方なくウィルホードさんが間を空けた。
「は…………っ」
ようやく纏わり付かれた二人から距離を取れた。
『旗剣』の攻撃は接近するほど範囲が狭まって効果を発揮できなくなる。
だから近距離からの離脱は散々訓練させられた。けどやっぱりギリギリだ。どうすればこのまま二人をひきつけていられるのか分からない。
さあ次だ、と視線をやっと周りへ向けたときだった。
上半身を狙ってきた矢があって、大きく身体を振った。
良かった、狙いが甘くて助かった、などと思ったときだ。
左足首に猛烈な痛みが奔って、私は不恰好に身を回しながらすっ転んだ。
※ ※ ※
ハイリア
「っぁあ痛ったああああ!?」
盛大に痛みを訴えながらすぐに立ち上がって駆け出すセレーネばかりを追っては居られなかった。
先輩が中々に大胆な動きをする。
もっと下がって居ても良さそうなものだが、俺へ距離を詰めて攻撃を続けてくるものだから、思った以上に前へ出られない。
状況を見つつ、今かと思って速度を上げようとすれば一斉射による面攻撃が来て捌くのも一苦労だ。
ナーシャによる援護が無ければ危うい場面も多かった。
背後から駆け抜けていく黄金の毛皮を持つ獣達。
『角笛』(ディバインホルン)の強みは群体による制圧力だ。
獣達が『盾』となって攻撃を引き受けてくれるおかげで俺はなんとか無事で居る。
両翼は平和だ。
先輩は突出するセレーネへの牽制を入れつつもしっかり俺を抑えてくる。
ナーシャの射程の問題上、矢印型の陣形を組む上で両翼は常に俺より後方にある。
中央後方から援護を届かせるにはそれしかない。
去年などは一番隊に強力な『弓』の術者が居ないと嘆いていたが、心底自分には見る目が無かったのだろう。
先輩は実によく周囲を見ている。
期を見るのが上手い。
要点をしっかり抑え、味方の動きを支えている。
劇的な結果を起こさないから目立たないが、ああいうのが一番厄介だ。
地面すれすれを飛ばしてきたかと思えば、球体状に広がる射程範囲ギリギリを這わせて矢を飛ばしてくることもある。
前に出てくるのは、罠を設置する為だろう。
ナーシャの『角笛』が構わず踏み抜いてやられていくから助かっているものの、単独でアレを破るのは容易ではない。
さて、初手でくり子の目論見は外したと思うが、リスクの高い手であるのは間違いない。
まだまだ会場の半分未満という所で、俺の所まで寄せてもナーシャの攻撃は相手の『盾』へ届かない。
手にしたハルバードを握り込む。
口惜しい。
この武器が届く範囲に来てくれれば、俺も戦いへ加われるというのに。
あれから、訓練にも時折顔を出すだけとなったサイ=コルシアスも、今日の試合は見に来てくれている筈だ。
二回戦はずっと彼の顔が頭をちらついていたが、ここを越えられたら一度しっかり話をしてみよう。皆とは気心が知れてきた分、今外部から混ざりに来るというのは居心地が悪かろう。彼はこちらの言葉を覚えていない、意味の分からない会話を見せられていてはいつまで経っても距離は縮まらない。
セレーネは非常によく戦っている。
足に攻撃を受けた筈だが、それほど動きが鈍っているようには思わない。
このまま、しっかり二人を惹き付けてくれていれば、
そう思っていた時だ。
頭上を越えて通り過ぎようとしている矢があった。
先輩が放ったものだ。
距離は、随分と詰めてきている。
セレーネが右側面へ追い込められ、隙間が出来たからだ。
なんだ。いや、
「ナーシャ! 警戒しろ!」
彼女の位置はまだしっかり後方で、俺を越えたところで矢は届かない。
だが無駄なことをあの先輩がやるとは思えない。
あまり注目していても他の攻撃で足元を掬われる。
そして、頭上で猛烈な噴射音を聞いた。
これは、まさかっ!
『弓』の術者は心で弦を引き、矢を中てる。
放たれた矢は決して物理法則にだけ従って飛ぶのではなく、術者による意思で向きを変える。それは極端な急旋回をこなせるようなものではないものの、きっと空中で再発射される物体の狙いを補正するには十分なもので、
射程範囲を超え、魔術による矢の部分が消え、残された細長い筒状の物体は、はっきりと目に見えるほどの激しい噴射で尾を引かせて後方へ叩き込まれた。
背中から煽られるほどの爆発があり、一時的に黄金の獣たちが掻き消えた。
ナーシャは、落とされてはいない。
すぐに魔術による獣の群で壁を作って爆発を防いだんだ。
だがその壁すら吹き飛ばす威力……確かに雑用班とか開発とか分析とか、その手の連中が多く集まってる場所だし、焙烙火矢くらいなら俺も作らせて使ったが、あんなの直撃すれば腕くらい吹き飛ぶぞ……!
およそ二百メートル前方まで距離を詰めた上でだが、『弓』の射程を大きく上回って、狙いを再補正しながら空中から放たれるロケット弾。
兵器開発を数世代すっとばしてないかアレ……、
立て続けに次が来る。
またしてもナーシャ狙い。
下がれと言いたいが、下がらせると狙われるのは俺だ。
流石にあんな爆発をハルバード一本で防げるものか。
湧き上がっていた会場もあまりの事態に静まり返っている。
上位能力がどうとかいう次元じゃない。
魔術による補正、そして狙いの甘さがあったとしても戦いの概念がひっくり返りかねない兵器だ。
これはもう驚きを通り越して皆ドン引きしてるぞ。
三発目。
防いではいるがさすがに辛そうだ。
一度下がって立て直すべきか?
戦場であんなのが登場すれば絶対に撤退しているところだ。
しかし今は試合中、逃げれば失格、再戦はない。
「ど、どうするハイリア!?」
遠巻きながら完全に動揺し切ったフィリップが呼びかけてくる。
そう、どうするか。
そして落ち着け。考えろ。
ここまで切り札を隠していたんだとしても、果たしてあんなものが量産出来るだろうか。
実際のロケット開発には数千人の専門家が、国家予算を食い潰す勢いで金を投入されたものだと聞く。強烈な推進力を生む燃料は、例えば同じ重さのプラチナにだって匹敵すると何かの本で読んだ。流石に黒色火薬が登場したばかりのこの世界でヒドラジンなどという月まで吹き飛べそうな代物は出てこないだろうが。
そう、爆発のインパクトに呑まれていたが、どちらかと言えばロケット花火に近い。
噴射が始まってしばらく、射程を出るまでは『弓』の魔術によって狙いの補正を受けるが、一発目、二発目とナーシャ自身を直撃してはいない。
過剰な評価で攻め手を緩ませてしまうのは、内乱でのピエール神父を思い出す。
しっかりと見定めて評価を下せば、どう対処するべきなのかが見えてくる。
先輩は初手で俺を狙っても良かった筈だ。
なにせ、この試合でも部隊長は俺で登録されている。
この戦いは互いの部隊長が落ちれば即勝敗が決まる。
そして俺たちの狙いを最初から看破していただろうくり子の方針は、包囲が詰め切る前に俺を落とすことであった筈だ。
狙わなかった。
狙えなかった?
距離が……近いからか?
三発目がナーシャを襲うが、二度に渡って防ぎ続けたおかげかしっかりと爆発を受け止め、彼女は前へ出てくる。
距離がある為に声は聞こえない。だが、歩を緩めてしまっている俺より更に早く駆けてくるのは、大丈夫だという証明ではないか?
爆発というのは見た目ほど破壊力が無い。
強烈な燃焼によって膨張する空気を、器でギリギリまで受け止めて圧力を高めつつ、最高潮となった所で一気に開放することであれほどの威力を生み出す。しかし、燃焼によって発生した熱と爆風だけでは意外と人は死なない。
手榴弾は内部に鉄の礫を込め、それによって人を殺傷する。
あるいは、何らかの燃料を弾頭に込めでナパームとして焼き尽くす手もある。
威力を落としてあるのか……?
まあ、流石にナパーム弾なんてぶち込まれたら生きていられる自信もないんだが。
分解して専門的な人間に調べてもらわない限り、見た目から推測できるのはこのくらい。
少なくとも現状、爆発は本体の破片を撒き散らすのと強烈な爆風を放つ程度。
射程距離は三百五十前後で、命中精度はやはり粗悪。
そして百五十前後の距離以内では使用を控えているように思う。
四発目を番える先輩を見た。
使用を差し控えてはこないが、徐々に放つペースは落ちている。
予め設置してあった石弓による射撃は続いている。
セレーネはまだ、必死に二人の攻撃を防ぎきっている。
ハルバードを握り込んだ。
「前へ出る!! 石弓陣形!」
動くより先に先輩は下がっていった。
追いつくのは難しい。
だが、即座に距離を取ることは出来ない。
両翼の『騎士』、そして今度はナーシャが中央に立つ形で大きく距離を詰めていく。
四発目は空中で打ち抜かれ、粉砕したロケット弾は部分的に推進用の燃料を燃やすばかりで爆発には至っていない。
すれ違う時に、ナーシャが言葉を置いていった。
「狙いを定めるために矢の速度は遅めです。目標も大きく、発射に際して更に減速しているようですので」
狙う余裕さえあれば打ち落とせるということか。
『弓』から『角笛』へと切り替えながら、黄金の獣達を左右と前方へ展開していくのを、遅ればせながら俺も追う。
ナーシャが中央に立った事で今度は両翼の『騎士』が突出する。
援護は届く。足の遅い俺を底部にYの字を形成し、包囲の最終形へと変化する陣容に、相手の陣にも変化がある。
当然と言えば当然の反応だ。
厄介な『角笛』が自ら前へ出てきてくれたのだから、ウィルホードはすぐさま目標を切り替えてナーシャへ詰め掛けた。
無数の獣も、放たれる矢も、『剣』の術者にとっては困難であっても突破が不可能ではない。
並の術者ならともかく、彼らは決して弱くない。
時間は掛かるだろうがいずれ肉薄してくる。
けれどこのタイミングになるまでセレーネを落としきれなかったことで、セイラは残って彼女の相手をすることになっている。
一対一の状況が各所で置きつつある中、両翼の『騎士』だけがただ静かに身構えている。
先輩はじきに『盾』の、アベル=ハイドの守護領域内へ入るだろう。
後方に下がったことで戦場を見渡せる余裕を得た俺は、やがて現状を知る事となった。
拙いな……。
※ ※ ※
ジェシカ=ウィンダーベル
あの大きな爆発が起きる前くらいからだ。
敵の『盾』が移動を開始している。
じっくりと、大きな音に爆発の衝撃という誰もが目を取られる中、私の居る左舷へと壁伝いに寄ってきている。
どういうことだ。
距離としてはさほどでもないが、私へ陣を寄せてくるのは下策じゃないのか?
まだ、状況は動いたようで何一つ変わっていない。
敵は全て健在で、こちらが寄せて覆い包もうと動いてはいるが、完成には程遠い。
寄っていると言えば、セレーネも徐々にこちらへ押し込まれている。
相手の『剣』は実に巧みな立ち回りをする。
大胆な攻撃よりも慎重で厄介な動きそのもので相手を封じる。
疑問と言えばそれも疑問なんだ。
向こうは少しでも早くセレーネを落としたい筈だ。
だが押し込みこそすれ、未だに彼女は健在で居る。
相手の『剣』が共に防御向きの動きを得意とするからか、『旗剣』との戦いが余程やりにくいのか、私では少し判断に困る。
しかし今、ゆっくりと確実に寄せていた陣は、ナーシャの突出に合わせて多少の乱れがある。
そこを狙うつもりか? だが、私もフィリップも十分に余裕を残している。あの強烈な攻撃もこちらへは放ってこない。
アベル=ハイドが寄せてくる。
セレーネは奮戦しているが即座に敵を倒せる様子はない。
じきに、その交戦地点が私にとっての射程に入る。
「っ……」
戦わずに見守るということがどれほどの苦痛か、『槍』の術者ほどそれを分かっている者は居ない。
最後の最後で決定打を見舞うまで、負ける事が許されないというだけじゃない。守られ、味方が必死に繋ごうとしてくれるからこそ、余計に待ち続けるのが辛い。駆ける足を得たというのに彼女の元へ馳せ参じることも出来ないなんて。
「いや。信じるんだ」
自分の口から出た言葉だ。
お前がやれと、偉そうに押し付けた。
初めて負けた時の屈辱は忘れもしない。
だが卑怯だとは思わない。徹底してこちらの範囲外から攻撃を繰り返すのは『旗剣』の性質が持つ利点だ。それを止めろと言うのは『槍』の術者に『盾』の防御を破るなと言うようなもの。けれど彼女自身が言っていたように、本来歩兵として敵と切り結ぶことを是とする『剣』の術者にとって、敵との接触を避けて逃げ回るというのは忌避感があるのだろう。
話に聞く、去年現れた同じ『旗剣』の術者リース=アトラなる人物は、その特性を生かしながらも苛烈な攻めを得意としていたという。
実力的にもセレーネよりずっと上との評価を受けている。
そのリース某を知る者は、彼女の事を劣化品などと称しているのだとも聞いた。
それでも彼女は戦い方を貫いている。
防御で切り結ぶことはあっても、相手を倒す為の剣戟を打つことはまずしない。
連続破砕による中近距離戦闘を徹底し、数段上だろう相手に並び立とうとしている。
視界をチラつくアベル=ハイドの事など放っておけ。
成程誘いなのかと気付いてみれば、相手の幼稚さに嘲笑すら出る。
ナーシャは相手の男の『剣』を十分に抑えている。
セレーネも即座に負ける様子はなく、むしろ一対一になったことで攻める機会を増やしている。
じきに私はセレーネの元へ辿り着く。
「ん……」
どうする、べきなのだ?
いや、援護するべきだろう。
違う、か?
二人掛かりなら倒せる筈……そう考えて浮かぶのは、先ほどまでセレーネが二人相手に防御重視の動きで耐え抜いた事実だ。
もし私たちが手古摺るようなら、包囲の陣は崩れ、右舷へ寄せつつある敵の『盾』が十分な猶予を得られることになる。
敵の将はアベルだ。奴を倒せば終わる。なら『騎士』二人で一気に崩してしまうべき、なのだろうか?
相手の『弓』は大きく下がっている。
詰めるには良い距離だ。
「ジェシカ!!」
声が掛かる。
声、そう、仲間の、私たちの指揮を行う者の声だ。
そういうものがあるのを私はすぐ失念してしまう。
自分だけの思考に没頭するのは悪い癖だ。
答えは、彼が導き出してくれる。
「突破しろ!!」
「承知した……!!」
まるで清涼な風が霧を払うように、その言葉だけで迷いは消えた。
私はソードランスを手に速度を上げ、
「セレーネ!!」
「おっけい!!」
交差の際、『旗剣』によって発した連続破砕を壁に見立てて敵を追い込み、回避に無理を強いての追撃を私が行う。
矛先で地面を削り、土砂を打撃の加護によって叩き付ける。
ついでの攻撃は惜しくも回避された。
突破しろとは言われたが、このくらいはやってもいいだろう。
隙は作った。
後はセレーネ、うちのエースが決めるだけだ。
私はもう背後を意識から切り離し、真っ直ぐ敵の『盾』へと肉薄していった。
※ ※ ※
ハイリア
ナーシャが前に出た事で決定的に変わったことがある。
横に大きく広がった俺たちの陣を支えているのは『角笛』による無数の獣群だ。
それが前面に出た事で敵への圧力は増し、『騎士』を駆け上がらせることは出来たが、前方への攻撃に厚みが出た分、背後は大きく手薄になっているのだ。
この戦い、互いの長を倒せば即勝敗が決まる。
『騎士』二人をアベルへ投じれば十分過ぎるほどの火力になるだろう。
先輩も自分が狙われているならともかく、動きの鈍い『盾』を守りつつ『騎士』二人を押さえ込むのは難しい。
問題は……、
セレーネとセイラの戦いは即座の決着には遠い。
ナーシャはウィルホードを上手く抑えているが、右へと寄せた敵の『盾』を追う為の無理が掛かり、やはり負担は大きいようだった。
前進が遅れた分俺が追いつくことも出来るとはいえ、彼女を下がらせるか、ウィルホードの抑えを頼むか、迷い所ではある。
迂闊に下がらせれば再びウィルホードが狙いを変えて、『騎士』のどちらかに食いついてしまえば先輩は一人に集中砲火を浴びせ、最悪届く前に落としてしまうかもしれない。ならやはり、今のまま戦ってもらいつつ、この先の変化への備えをしておくべきだろう。
場内へ視線を巡らせる。
誰も落ちないまま中盤戦へ、しかも即座に決着がついてもおかしくない状況だ。
ナーシャの前進はおそらく強要されたもの。
あのロケット弾によって距離を詰めさせる。
俺がその判断をすると読まれていた。
誘いこみ、後方を手薄にさせた意味は、きっと――
俺はいつの間にやら姿を消しているフーリア人の少年を、じっと待ち続けていた。
※ ※ ※
クリスティーナ=フロウシア
多少の違いはあったけど、攻撃の態勢は整った。
あの兵器は詰めた火薬を燃やし尽くすまで止まらないし、先端部へ着火するタイミングや飛距離は作った時点で固定されてしまう。
まだまだ一部が燃え残ったり、爆発しなかったり、点火さえしなかったりと問題は多くて、数も残り二発が限度。
近距離用に推進部分を削ると過剰に燃焼したとき手元で爆発してしまう欠点もあり、開発は見送った。
山向こうまで出向いてこっそりとした訓練でも、人間大の目標相手に十発を投じて一つ当たれば儲け物。
それでも広範囲に対して強烈な爆風を巻き起こすこと、実戦であればより威力を求めて礫を込めておくなんかで大軍相手なら十分使い物になる。
撃ち落とされた時はひやりとしたけど、前進を選んでくれて良かった。
なくなるまでアレをされたらウィルホードさんとセイラさんとでハイリア様へ当たる事になっていた。
まあ、残りの数なんて分からないから、あの判断は妥当過ぎるくらい妥当なんだ。
きっとハイリア様は可能性を考慮した。
けど、味方に危険を負わせるより、自分で背負う人だから、受けてたって来たんだと思う。
『角笛』による援護は格段に薄くなっている今、前面へ出ていた時よりずっと戦いやすい状態だ。
さあ出番ですよ、グランツ君。
身を這わせ、慎重に慎重に地面の陰を伝ってきた彼が、ようやくあの人の元へと辿り着いた。
大きな爆発は人の目を、意識を引き付ける。気を取られていたフィリップさんの背後を上手く抜けられた時点でここまでの流れは完成した。
決してハイリア様との真っ向勝負は挑まない。
姑息と言われようと、徹底して相手の不可能を利用する。
彼は、グランツ君は、その為の訓練をずっと頑張ってきてくれた。
私たちは安定感の高い部隊だと称された。
安全で、確実で……それは間違っていないんだと思う。
けれどそれを突き詰めた先で、戦いに望む思想が決定的に変わっていった。
殺戮、殲滅、蹂躙――安全で確実な戦闘というのは、そのように行うべきだと、私たちは結論した。
反撃の余地すらない強力な火力、
判断の隙すら与えない行動速度、
相手の思考すら及ばない大胆さ、
…………まだまだ、準備不足な状態ではあったけど。




