表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第四章(上)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

140/261

130


 鉄甲杯初戦から二日が経過して、ようやく朝をゆっくり過ごせるようになった。

 交渉自体を文官任せに出来る陛下はともかく、提言を発した本人が不在では恰好もつかないと、お飾り同然ながらあらゆる交渉の場へ顔を出していた。初日の試合を詰め込んで一日で一回戦を終わらせてからは試合数を抑え、俺の出番も後回しになるよう最初から調整していたのだ。

 トーナメント表は公正なくじ引きで行われている。

 どのくらい公正かと言えば、陛下が最初で俺が最後になるくらいには公正だ。

 王の権力というのは凄いな。

 開催に当たって協力は求めているが他国との共同開催ではなく、ホルノス単体での行事だからさほど文句も出ないのだろう。


 交渉の早さも含めて、民主主義ではこうは行かなかったな、などと権力を振るうのに慣れつつある自分をしみじみ思う。

 昔は貴族間の付き合いも表面的なものに抑えていたというのに。


 心臓破りの急斜面を登り登り、ようやく家へ辿り着いた。


 軒先の水瓶へ運んできた桶から冷たい水を流し込む。

 揺れる水面が落ち着くのを待たず木の蓋をして、桶と棒を水瓶の脇へ立て掛けた。


 最近、早朝から暖かさを感じるようになってきた。

 早い時間から水汲みで身体を動かす身としては、少し肌寒いくらいが心地良かったのだが、これからもっと暑くなっていくかと思えば少しうんざりするのも確かで、折角汲んで来た水を頭から被ってしまいたくなる。


「ありがとうねぇ」


 表へ顔を出した初老のご婦人が礼と共に包みを差し出してくる。


「簡単なもので悪いけど、量だけは作っておいたから、ちゃんと食べるんだよ」

「助かります」


 ありがたい事にズシリとくる包みを受け取って、外階段を上がっていった。

 木造の階段は足音を抑えるのが難しい。構造物全体がしなって重みを受け止めるから、そこを加味して動かなければ組み合わさった接合面がすぐ軋む。

 静歩の極意は足場と一体化すること、足場の上に居てはならない、と以前にメルトから聞かされた。単純な足運びだけでなく、足場が揺れれば共に揺れ、固く動かないのであれば動いてはならないのだとか。

 分かるような分からないような。


 二階が見えた所で、踊り場の柵の上に立つヘレッドが見えた。

 壁面に寄りかかって風と共に揺れている。

 見るまで居るのに気付かなかった。

 静歩は彼に敵いそうに無いようだ。


 無表情で物静かな男だが、ここ最近はすっかり頼りにしている。

 俺が扉を背に凭れ掛った所で静かな声が来た。


「調べはついた。ルトランスは黒だ」

「そうか」


 どうしたものかと首を傾げたくなる。

 そもそも調べて貰う事にも負い目があったのだが、彼から強く提案されて任せることにした。


 一羽の鳥が飛び上がり、周囲の仲間がそれに続く。

 旋回するに従って方向を揃え、次に降り立つ場所へ向けて飛行する景色の中で、別方向へ向かうものが数羽。


 俺は目を伏せ、


「まあいい。整列を促して進むのなら、最初から解散なんてしていない」


 そうか、とも、それでいいのか、ともヘレッドは言わない。

 彼は元々メルトを含めフーリア人への敵意がある。殊更口には出してこないが、くり子同様に故郷を追われ、家族を失った経験というのはそう拭えるものではない。俺に対してもどう考えているのか、時折こちらの奥底を見透かすような目をしてくる。

 得難い仲間だ。

 流され易い俺は、甘やかされると手を抜いてしまいそうになる。

 監視されているくらいでちょうど良いのかもしれない。


「ウィンダーベル家は表向き沈黙を続けている」


 風が吹く。

 結局鳥たちは行き先を変え、別れて飛んでいってしまった。

 いずれ合流するのか、そのまま別に生きていくのか分からない。


「しかし昨日、エルヴィスの使者を迎え入れていた。何かをしているのは明らかだ」

「そうか。あちらへは長年影響力を持てずに来たが、国連設立の話によって情勢は大きく変化しているからな」


 アリエスは未だに学園へ顔を出さない。

 当然大会にも参加せず、観覧にも来ていないという。

 他でもないナーシャが手紙以上の繋がりを持てずに居る。

 俺が心配して手紙で近況を聞いてみても、やんわりとはぐらかされていつも通りの内容へ繋がる。

 繋がりが途絶えていないことを嬉しくは思うが、心配は更に募る。

 自分は最早外部の人間なのだ。

 ウィンダーベル家の内情へ踏み込むことは許されない。


 ただ、と質問が出かけて口を閉じる。

 けれど見透かされたように、ヘレッドが少し空気を緩めた。


「それと、遠巻きだが、トーケンシエルの姿を屋敷内で確認した。客人の応接をしていたようだ」

「……そうか」


 気になっている。

 ここしばらく、メルトがウチへ来ていない。

 アリエスの指示で俺の身辺の世話をするようにと言い付けられているとのことで、当初はほぼ毎日やってきていたのだが、鉄甲杯が近付くにつれて頻度が落ち、めっきり顔を出さなくなった。

 彼女はあくまでウィンダーベル家が所有する奴隷だ。

 家名を剥奪された俺に彼女の身をどうこうする権利はない。

 少なくともホルノスは、未だに奴隷制度の完全撤廃を実行できていない。

 段階的に、傷を浅くしつつも変化させることを優先している。

 反政府の立場を取るならともかく、体制側の俺には仕組みを無視するのが難しい。


「ありがとう。……そうだ、近い内に学園地下への坑道が開通する見込みだ。戦闘による崩落と、おそらくは人為的な工作によって随分と時間が掛かった」


 デュッセンドルフ魔術学園の地下にはラ・ヴォールの焔がある。

 そこへの道は内乱の折に塞がれてしまっていて、正確な位置が分からない以上は新たに坑道を掘って繋げるというのも現実的ではなかった。


 状況が進んだ以上は無用の長物だが、放置しておくには危険が伴う。

 特にデュッセンドルフの地下には網の目のように地下通路が張り巡らされており、どこに迂回路が存在するかも把握し切れていない。

 完全に埋めてしまうにも校舎が道連れではな。


 王都近郊に今も存在しているという巨大な樹は尚も成長を続けている。

 ティアによる抑えも、オスロを始めとしたカラムトラの協力とホルノス側での援護があるとはいえ、事が起きれば一時放棄すら考えなければならないだろう。


「そうか」


 ヘレッドが頷く。

 この情報が誰へ伝えられるかを正直俺は知らない。

 誰かの指示を受けているのか、彼個人なのか。

 首輪をつけようなどとは思わない。

 皆が同じ方向を目指しているという確信は、黒と告げられた今でも疑っていなかった。


「そろそろ行く」


 壁から背を離したヘレッドへ、俺は包みを開けて差し出した。


「貰い物だが、中々美味いぞ」


 世話になっている老夫婦が時折差し入れてくれるバケットサンドだ。

 具材はソーセージかハムかベーコン、新鮮な野菜は値が張るだろうにたんまりと、そして切った一口大のチーズが幾らかある。

 なによりも鮮烈な彩りを放つのは、輪切りにされたトマトだ。

 大航海時代において新大陸より伝来したものの筆頭としてジャガイモをよく挙げるが、トマトも確かアメリカ大陸が原産地だったと思う。世界的に貧困地域であった欧州は世界地図を完成させることによって今の豊かさを獲得したと言っていい。

 欧州の食糧事情を救ったのがジャガイモなら、トマトは欧州の食文化を花開かせる原動力となった。

 子羊亭にあるトマト煮込みは勿論、ピッツァやパスタを始め、欧州の料理でトマトが登場する機会は非常に多い。

 禁断の果実になぞらえてトマトを愛のリンゴと呼ぶ地域もあったとか。

 真っ赤な色に惹かれてか、ヘレッドは上からBLTサンドを掴み取り、

「助かる」

 柵から降り立ち、バケットの先を齧る。


 礼と言うにはあまりにもさっぱりした態度で彼はひらひらと手を振り、階段を降りていった。見事なまでに音もなく。


 俺も部屋へ戻り、机に包みを置いて、適当に一つ掴んで食べる。

 ソーセージに刻んだチーズ。土台となる一枚葉は葉肉が薄く緑物の味が濃い。実にガツンとくる味だった。日本でよく見るような乳の味が強いまろやかなものではなく、ある種エグみすら感じるような濃厚さ。それが小麦のパンと共に食べることで程よく緩和しつつも、十分な満足感が残る。美食と呼ぶには品がないものの、旨さは実に申し分なかった。

 結局一口食べれば食欲が沸き、チーズを摘みつつ水差しから汲んだばかりの水をコップへ注ぐ。

 さすがに温かくなってきたからか、口の中で感じる水はややぬるい。

 冷蔵庫が欲しいものだ。

 水も食料もそれで一気に鮮度を保てるようになるというのに。

 氷室も所詮は天然のものだから安定性に欠け、鼠との格闘は終わりが見えない。


 二つ目のバケットサンドへ手を伸ばし、窓の外を眺めながら齧っていく。


 国連の発足自体にはまだまだ掛かるだろうが、今のホルノスの庇護下へ入りたいという国はそれなりに居た。

 あるいは加盟後の発言力を高めるべくホルノスを排した別個の枠組みを作ろうとしていたり、意地でもあるのか声を掛けなければ頑なに動こうとしない大国だったり、拒否を早々に持ち出してきたエルヴィスとの友好を引き合いに出して少しでも好条件を捻り出そうと躍起になっている小国も在る。

 シャスティ風に言えば、実に面白き事よなぁ、とかなんとか。

 殆どの面通しが終わった以上、俺の役目も少しは減っていくだろう。


 残る目先の問題は、当初からの懸念であるシンシアの動向と、未だに犯人の目星すらついていない奴隷狩り。


 シンシアは、まあいい。

 積極的に動いてこないなら致命打を受けないよう工作を進めておける。

 行動の一部に絡んでいる者が居るのなら、それを信じることに否やはない。

 遅くはなったが、じきにメルトの姉であるフィオーラがこちらへ送られてくるのだとか。


 奴隷狩り。

 その解決については、去年の夏季長期休暇でジークが果たしている。

 リースと神父がデュッセンドルフではなく合宿をしている俺の元へ来たことで差異は生まれただろうが、もう俺が知る奴隷狩りが発生する理由はない筈だ。


 だからこれは、もしかすると陰謀などというものが介在しない、純粋な怒りであるかもしれないのだ。


 バケットサンドは美味い。

 裕福であるという理由があったとして、ここまで種類豊富な具材で彩っていられるほどに、ホルノスは潤ってきている。

 その原動力は確実に奴隷の存在だ。

 費用の殆ど掛からない人間を荘園で働かせる、あるいは開墾に使うことで耕作に使える農地は拡大した。

 農作業の人員不足を解決するのにこれほど簡単な手は無い。

 自由を与えないことで自由民のような階級者でも嫌がるような仕事へ放り込める。発展性は乏しくともとにかく数が必要な事業ではこの時代にとって必須とも呼べるものだろう。

 大規模な荘園によって大量生産されるからこそ市井へも出回る小麦のパンや、野菜と肉の数々がある。

 推し進めればきっとこのパンに挟まる具材は減るのだろう。

 それが許せない者が居る。


 彼らが顔をあげて歩いていることにさえ反発する。

 平民ですら道の中央を歩けない場所もあるのだ。

 身勝手なルールを破られたことが侮辱に感じるような者が居て、彼らが落とす金で生活する者が居て、俺もまた物的に不足を感じるほどの貧困の中で生きてはいない。そうである者は、何故彼らがと憤るのだろう。

 もっとやるべきことがあるのだと彼らは叫ぶ。。

 国内の、自国民の生活すら覚束無いのにやるべきことかと。

 俺も自国民よりも他国の者を優先すべき、などと主張するつもりはない。


 マイノリティ、少数派の保護は、自国に不穏分子が発生するのを抑止する効果がある、と語った者が居る。


 けどこれはそんな次元の話じゃない。

 人と人が当たり前に向かい合う、それだけのことだ。


 知りもしない相手を最初から蔑み、虫の駆除などと称して殺そうとする。

 俺はそんな人間の方こそ同じ人とは思えない。


 それでも。


 そう。


 それでもそんな彼らでさえ、国を背負う立場になってしまえば守るべき民なんだ。


 彼らに怒りを抱かせたのは、俺たちが進める奴隷解放に向けての動きだとしたら。

 フロエと見た惨殺されたフーリア人を間接的にでも、俺が殺めてしまったのだと考えうる。


 そこまで……抱え込む必要はないのだという言葉は分かる。


 ただ感じてしまった。

 死を前に誰かを失う恐怖を覚えるのと同じくらい、自分の行動に対してここまでの拒絶を示す者が居るのだということを。


 もし、俺の前にやってきて、どうして奴隷解放なんて進めるんだと言ってくれれば翌朝までにだって付き合おう。

 けれど行動を起こしてしまった、守りたいと願う民の一人である誰かは、もう俺にその苦しみを背負わせてはくれない。

 あの光景こそが決別状だ。


 今デュッセンドルフには近衛兵団を始め、王都守備隊から選出されてきた有能な兵が多く詰めている。

 学園の生徒や卒業生たちが、日銭を求めて警備の仕事を請け負ってもいるという。

 元より部隊行動に慣れ、貴族や商家などの者とも身近に接している彼らは、下手な兵よりよほど柔軟に仕事をこなす。

 不正が少ないというのも大きな利点だろう。


 それでも犯人は見付かっていない。

 次をなんとかして防ぎたい。

 これ以上、犠牲を出さない為に。


 手にするパンが真っ黒で固いものに変わることも覚悟しよう。

 今ですら、三日に一度、固く焼き上げたパンを水で戻し、なんとか詰め込んでいる者たちに、それ以下の生活をしろと言っている事実を噛み締めながら。


    ※   ※   ※


 試合は今日の夕方からとなる。

 昼過ぎの鍛錬も調整程度に抑えて行うことと、フィリップを一応診て貰う為に午前中は珍しく暇を持て余していた。


 最初は思い切ってオフィーリアへご機嫌伺いでもしようかと思ったのだが、ヨハンについての話を思い出して止めにした。

 彼らは既に二回戦も突破し、明後日へ向けて動いていることだろう。


 いずれ決着を、そう言ったことを思えば、今半端に顔を合わせるのはよろしくない気がした。


 ならばと、久しぶりにくり子が厄介になっている教会へ顔を出してみたのだが、既に出た後だったようで空振りに終わった。

 折角なのでもう顔見知りというか、玩具扱いになっている俺へ寄ってくる子どもらと少し遊び、壊れていた鶏用の柵を神父と共に修理した。どうにも、デュッセンドルフへの旅行客が酔って壊してしまったのだという。


 学園の生徒を警備として動員することで一時は荒れかけた治安も落ち着いたと聞いていたが、まだまだ問題はあるようだ。

 日本でも花火大会後のゴミ問題などが絶えない。

 鉄甲杯が終わった後、運営をしばらく継続してそういった被害補償をしていくべきだろうか。

 抑え目にしてある税収ですらもう相当な額に達しているだろうし、開催地に不満が溜まるようなことがあってはならない。

 こういうマイナス面への洞察なら陛下が十分承知していると思うのだが、とかくシャスティが纏わりつき、王としての政務もこなしながら忙しい日々を送っていると聞く。こちらで手を回しておいたほうが良いだろうか。


 遅めの時間を指定してあるが、出歩いたおかげで学園からも多少遠のいた。

 中央や大通りは混雑するだろうから、誰かを探すのは諦めて早めの昼食を摂って学園へ向かうことにした。

 通りに面した店ではなく、住宅街にポツンとある静かな所だ。

 以前アリエスが自部隊の者と訪れて、ガレットが美味しかったと言っていたのを思い出す。


 会えるなどとは考えていなかった。


 当然店にあの可憐で妖艶で天使的なアリエスの姿はなかったのだが、


「ハ、ハイリア!?」

「…………ぁあ?」


 代わりに随分と嫌な顔が揃っていた。


「ワイズ=ローエンとプレイン=ヒューイットか」


 初戦敗退を喫した一番隊の面々が、店内と表のテラスに別れて店を占領しており、正直回れ右をして帰りたかったのだが気付かれてしまっては仕方ない。

 一番手近な席へ腰掛け、寄ってきた女に適当なガレットと飲み物を注文する。


 手を組み、腰元へ添えて小さく吐息する。


 やっぱり帰ればよかった。


 だってあいつら滅茶苦茶見てくるもん。


 いっそ話し掛ければ良いのか?

 いやでも勝った側がここで何か言うとか嫌味でしかないだろ。


 一番隊と二番隊という、学園で一時は凌ぎを削っていた間柄もあり、以前から彼らとは多少距離があった。

 突っかかってきたのは最初だけで、すぐに静かになっていったものだが、ウチの小隊へ『弓』の術者が入らないよう、事ある毎に引き抜きの邪魔をしてきた過去もある。他の小隊と通じて間接的な弱体化を狙って動いていたことも知っている。


 まあ裏工作や諜報を含めての総合(’’)実技訓練だ、愚痴やぼやきはあっても恨みはすまい。


「……おいやめろ」

「うるせえっ。あのヤロウ俺たちのことなんざ眼中にないって振舞ってやがるんだぞっ」


 なるほど何も言わなければ言わないでそういう意味に取れてしまうのか。

 本格的に店の選択を間違えた。


 さっさと食べて出てしまいたいのだが、先に来ていた客のテーブルも空っぽだったり葡萄酒が置いてあるだけの所が幾らかある。


 …………待ちそうだな、コレだ。


 ちょうど頼んだ飲み物を持って先ほどの女が現れたので、注文を取り消してしまおうと思ったのだが、彼女の道を遮って立ち上がったプレインがこちらへ寄ってきた。

 ため息は我慢する。

 目を少し伏せ、開ける。

 休暇中だから気を緩めていたが、少し集中すべきだろう。


「よお、随分と余裕じゃねえか、ハイリアくんよお?」


 絡み方が完全にチンピラだ。

 試合前にもやたらと絡んできたが、性格に難があって二番隊正規メンバーとは噛み合わずに別働隊として参加したという想像は合っていたらしい。


 視線を向ける。


 プレインは目を細めて応じ、息を吸う。


「貴族様がこんな普通の店へ来るとは意外だな」


 以前平民扱いをされた意趣返しとして、プレインの言葉を待たずに差し込んだ。

 出しかけた言葉が歯の裏で詰まり、新しい言葉を用意する前に再び言う。


「ここへは人から話を聞いて寄ってみただけだ。ガレットが美味いらしいな」

「…………あぁ」


 プレインに遮られて様子を伺っていた女が無言で飲み物を置いていく。

 ただ、俺の言葉が聞こえたのか、ちょっとだけ得意気な顔をしてこちらを見て、目が合うと手を振って去っていった。

 頭の左右で結った二つのお団子が特徴的な、年上の女性だ。


 視線を戻すと、プレインが同じ方向を見ていた。


 ついでにワイズを見ると彼は彼女を呼び止め、何かを新たに注文しようとしているようだった。

 その時の目というか、表情はとても興奮していて、彼が彼女にどんな感情を抱いているのか俺でも分かるほどだった。


 更に近くのプレインへ聞いてみる。


「知り合いか?」

「っ!?」

「そうか」

「分かったようなこと言ってんじゃねえよ……!!」


 いやなんとなく分かったというか、お前がそんなデレデレした顔してるなんて珍しいしな。


「今の俺に対して手振ってたよな?」

「お前じゃねえよ俺だよ俺っ! お前があの人の何を知ってるって言うんだよ!」

「そうか」

「分かったようなこと言ってんじゃねえよ……!!」


 いや大体分かったしいいよもう。


 確かに綺麗な女性だった。

 柔らかなのに不思議と芯の通った印象があり、立ち姿がとても良い。

 というか、明らかに鍛えてある人間の振る舞いだ。


 思っていたら、一度は奥へ引っ込んだ女が今度は何かを抱えてこちらへ駆け寄ってきた。

 話しかけようとしたプレインを軽く脇へ弾き、


「あのっ、ハイリア様ですよねっ!?」

「あぁ」

「やっぱり!! あの、握手いいですか?」

「あぁ、構わない」


 差し出された手を取ると、もう片手を手の甲側へ沿え、ぐっと力をこめて握ってくる。

 先ほどの笑顔よりも少し無邪気な、嬉しそうな様子にこちらも笑顔が浮かんできた。


「お噂はずっと聞き及んでいました。ウチに来て貰えるなんてホントっ、やーっ、嬉しいです! あの、コレにサイン書いて貰ってもいいですか?」


「サ、サイン?」


 結構グイグイ来るので少し困って聞き返すと、お団子の女性はあぁと頷く。


「私、生まれはエルヴィスなんです。向こうだと、ご高名な方に書いてもらったサイン……署名? みたいなものでしょうか、そういうのをお店に飾るのが流行ってるんです。ほら、聞いたことある人が来るんだーって通うお客さんも出たりするんです。あ、でも個人的にも欲しいというか、私用に二つお願いしてもいいでしょうか?」

「成程……分かった」


 流石にサインなど書いたことがなかったので、少し大きめに書面へするような署名をして返した。

 念の為、ではないのだが、少し崩して書類へ転用出来ないよう意識はした。こればっかりは信用するしないではなく、公的な立場を持つ人間としての振る舞いだろう。


「ありがとうございます……! 今おいしいガレット焼いてますから少々お待ちくださいねっ」


 改めて両手で握手をし、踵を返した女だったが、

「ほらプレインそんなとこで寝てないでよ。お客さんの邪魔でしょ邪魔っ」

「は、はいっ」

 シッシと手であしらわれるも、あのプレインが素早く応じて立ち上がり、何故か一番近くにあった俺の席の対面へ座る。

「そこはハイリア様のお席だけど?」


 何故か妙に迫力を増してきた声にプレインが必死に俺へ訴えてくる。

 なんだかよく分からんが分かった。


「ま、まあ、話がしたかったようなので、席の移動になるが構わないかな?」

「ハイリア様が仰られるならどうぞご自由にっ」


 結果的にプレインと向き合って食事をすることになったのだが、先ほどまでの険悪な雰囲気は霧散し、むっつりと黙り込む二番隊のエースに言ってやる。


「惚れてるのか」

「べべべつにそういうのじゃねえよっ!」

「そうか」


「彼女は二番隊の元エースなんだ」


 またぞろ同じ返しがくるかと思っていたら、何故かワイズが自分の食事と飲み物を手にやってきた。

 何故こちらへ来る。何故こちらへ座る。残る一席を巡って残る二番隊の面々が争い始めて本格的に帰りたくなってきた。


「ふふっ、何故エルヴィスの臣民たる彼女がデュッセンドルフへ留まり給仕の真似事をしているのか疑問かい?」

「いや別に」

「学年的に君が入学した時にはもう居なかっただろうね。だが当時学園でさしたる評価も得ていなかった今の二番隊を頂点まで導いたのが彼女さ」

「あぁ……俺もワイズも、他の連中も散々あの人にしごかれたもんさ……」


 どうやら俺の意見は無視らしい。

 勝利を勝ち取ったらしい女の部隊員が残る席を埋め、いよいよ訳が分からなくなってきた卓へ、完全に順番を無視して作ってくれたらしいガレットが運ばれてくる。


「さあどうぞっ、ウチのおすすめさ!」

「いただこう」


 また手を振って去っていくのを見送ってから、ナイフとフォークを手に取ろうとするが、さりげなくプレインが引き寄せ距離を取らせる。


「温かい内に食べたいんだが」

 それと早く食べて店を出たい。


「本来ならこんな店……いや、この素晴らしいお店と言えどあの人には相応しくない」


 迂闊なことを言えばナイフが飛んで来るらしい店が子羊亭以外にあるとは思わなかった。

 まああそこほど無差別じゃないだろうが。


 折角なのでお借りする。

 しかしフォークがない。

 困ったものだ。


「とりあえずお前たちがあの人を慕っているのは分かったから、自慢のガレットを食わせてくれ」


 その慕っている人が敵対者と呼べる俺を気に入っているようなのが気に食わないのも分かるが、ちゃっかり利用して絡む機会を増やそうだなんてお前ら意外と強かだな。


「プレイン」


 件の人物からの警告を受けて、仕方なしといった様子でプレインが食器を差し出してくる。

 フォークで押さえ、ガレットを切り、食べる。

 美味い。成程ソースは控え目で癖が無い。野菜の火の通し具合も良いし、ガレット自体の生地となっているそば粉の香りが鼻腔をくすぐってくれる。

 飲み物を口にして一心地。


「あぁ、美味い」

「だろ!?」

 なぜお前がそんなに自慢下なんだプレイン。

 残る二人もそこはかとなく満足げで、やっぱり早く帰りたくなった。


 ともあれ。


「ワイズ」


 呼び掛ければ、早くも食事を平らげた二番隊隊長が葡萄酒を手にこちらを見る。


「陛下から話は聞いた」


 多少の緊張を帯びる中、添えられている野菜を乗せ、ガレットを口へ運ぶ。美味い。


「エルヴィスは今後どうするつもりだ」

「……どう、とは?」

「既にガルタゴを始めとした、大陸西方諸国の多くが国連への参加意思を内々に知らせてきた。確かにエルヴィスは島国だが、大陸北西端に位置することからも国連への不参加は負担を大きくする」


 加盟国とは今後頻繁に会談の場を設けることからも、通商条約などの締結は積極的に行われるだろう。

 排斥こそしないが、関税緩和や通商路の融通にまで話が及べば自然とエルヴィスとの交易機会は減っていく。

 エルヴィスより北方の海は流氷が多く大陸東側へは回り込めない。

 南へ回り込む時、植民地を経由するとしてもガルタゴの存在は大きく、航路には無理が生じるだろう。

 どの道東側の海岸線はフィラントを除けば進攻してきたフーリア人ら各部族が支配しており、大きく南下した地域でもなければ接岸すら難しい。


 国連はエルヴィスに対し、半ば包囲陣のように機能し得るということだ。

 栄光ある孤立と称していたが、経済的に苦しくなるのは明らか。


 ワイズは、エルヴィスの紳士たる振る舞いを志す男らしく品良く口元を拭き、ゆっくり間を置いて答えた。


「我が国は予てから重商主義の名の下で多くの財を蒐集してきた。食料に関しても輸出が多く、自給率は十分満たしている。仮に軍事同盟たる国際連合なる者たちが攻め掛けようとも、太古より敵を阻み続けてきた海がある。落とすのは容易くないよ」

「国連は軍事同盟ではない。協力機関であり、そのような軍事的問題を解決し得る対話の場となっていく」

「ならば軍事協力などするべきではないだろう? 戦力の均一化を計ったところで、背景となる国力に差があればやがて大国が小国を呑み込んでいく。対話の名の下で侵略を行うというだけだ」

「武器を捨てれば平和になるなどと思えるほど花畑ばかり眺めてきたつもりはない。政治的手段で他国を追い詰めるというのは確かに起こり得るだろう。だが破綻を起こさないよう互いを監視し、研ぎ澄ませた刃を収めて席へ着くことは大きな一歩足り得る」


 用意していた回答もあまり長く続けば辛くなる。

 計画初期の段階で陛下とはよく話し、纏めては来たものの、あの方ほど穿った意見を返すのは難しい。

 さて、と見てみると、ワイズもまた言葉を探すのは諦めて息を落としていた。

 彼もまた文官というより武官だ。小賢しい討論の術ならプレインの方が余程得意だろう。


 すべては始まってみなければ分からない。

 どれほど密に計画を練ったところで、始まってしまえばその消費期限は切れてしまう。

 完璧と思われた自浄機能とて時間の前に腐敗する。


 それでも、と覚悟して進むべきなのだ。


「……誇りを取った我らを、君は愚かと思うかい」


 ワイズの思わぬ発言に少し驚いた。

 彼はそんな俺の様子を見て薄く笑う。


 彼はメッセンジャーとしてシャスティや陛下へエルヴィスとしての決定を告げたが、別段ローエン家が全てを牛耳って判断したのではない。

 口ぶりを思えば、突然話を聞かされ、従っただけとも言える。

 異論がある、と評してしまうのは侮辱だろうか。


 けれど賞賛を送るには立場の隔たりが大きすぎる。


「玉座は常に血塗られている」


 プレインがいきり立とうとしたのをワイズが抑えた。


「ホルノスの先代国王ルドルフ陛下はいつも玉座を真っ赤な絨毯で彩っていたと聞く。王の為さる事は、圧政であれ、善政であれ、悪事であれ、正義であれ、理想であれ、優しさであれ、民に血を強要するという」

「ならば国政に出来ることはなんだ」

「導くことだ、と思う。エルヴィスは民に誇りあれと示した。苦難の道であれ、誇りを胸に立ち向かえと。俺がそちらの女王陛下の御意思を代弁など業腹だろうがな……」


 しかしそれは王の支配する国だからこそ許される。


 民からの信認を得て選出された代表者は、民へ従属する。

 公僕たる者に出来るのは、民へ奉仕し、その生活を支えること。


「百万本の花宣言はその一つか……」


 空になった陶杯を見詰めるのは、己が溢した言葉を見定めようとする為か。

 ワイズもまた小隊長として二番隊を率いてきて、本国へ帰れば立場を得る。


 何かを言おうとしたが、先にワイズは前髪をかき上げ、僅かな間の後に言った。


「ふふっ、俺としたことがまさか君に問いを投げるとはね。今回はこちらの負けさ。だが卒業までは一年もある。最後に勝つのは我々だよ」


 気障ったらしい限りだ。

 エルヴィスの紳士は立ち上がると、ご丁寧に食器を持って店の中を確認した。

 他の者たちを見て気付く。ここは食器返却口があるようだ。当然のように放置されている席もあるが、非常に珍しい。


「…………しかし問答の返礼くらいはしておこうか」


 エルヴィスのメッセンジャーとしての役割を果たした男は、チップでも寄越すような素振りで続ける。


「君が見せた刃の鋭さは、君が考えている以上に凄まじい衝撃を我々に与えてきたよ。客寄せの宝物を見せ付けた程度の気持ちで居るには、鋭すぎるほどに」


 身を軽く整え、ご丁寧に食器を返却してから、彼ら二番隊の面々は店を出て行った。

 最後に一人、見覚えのある少年がじっとこちらを見据えていた。たしか、試合にも出ていた『弓』の術者だ。彼はしばらくそうしていたが、誰かに呼ばれ、すぐ後をついていった。距離があったからその目に宿る感情までは読み取れず、思い出すのは試合中にフィリップが叫んでいた言葉だ。

 居心地の悪さを飲み物で喉の奥へ押し込み、ようやく一息つく。


 話をしていて味わう時間が減ってしまった。

 ガレットにナイフを入れ、フォークで刺し、口に入れる。


 テラスはよく空が見える。

 仰いだ先には、どうしようもないくらい、晴々とした青空が広がっていた。


    ※   ※   ※


 返却口へ食器を返し、チップと共に支払いを済ませて店を出た時だった。


「あー、やーっと見つけたぁ」


 片手を挙げて気安い声を掛けてくる姿があった。

 浅黒い肌に黒い髪。どことなくメルトに似ているけれど、身長が高めで俺と同じくらい、会った当初に比べれば随分と表情が快活になってきたと思う。

 意外な人物、という訳ではないのか。シンシアの件で彼女には連絡を取った。


「随分と久しぶりだな、フィオーラ」


 フィオーラ=トーケンシエル。

 メルトーリカ=イル=トーケンシエルの実の姉であり、かつて夏季長期休暇にてイルベール教団との衝突の原因となった、フーリア人奴隷の悲惨さを知る者。

 カラムトラとの内通を経て、内戦ではマグナスの要請に従って動き、終結後はあの大樹の封印とやらを進めるオスロに協力していた筈だが。


 彼女は少し考える素振りをして、


「もう……呼び捨てでいいんだよね?」

「もう貴族でもなんでもないし、君は元から教団から解放された時点で奴隷ではないからな」

「そう。そうだね」


 物静かに溢したかと思えば、次の瞬間、彼女は花開くような笑顔になってこちらへ腕を回してきた。


「ねえねえジーク!」


「っ!? お、おい……!?」


「ねえジーク、ジークぅ、ふふっ。あー、驚いてるぅ。なぁに、私だってあれこれ深入りしてるんだから、知ってて当然だよね、ジーク?」


 頼むからその名で呼ぶのは止めて欲しい。

 色々とややこしいことになるし、俺はもうハイリアだ。家名を失ってもそうであり続けることを選び、昔の名はとある少年に譲り渡した。


 何よりなんだろう、この気恥ずかしさは。


 今までその話を教えても俺をジーク=ノートンと呼ぶ人は居なかった。

 まるでこっそり使ってきたハンドルネームをいきなり知人から呼ばれたような気分だ。


「あー、赤くなってる赤くなってる。ふふぅん、可愛いやつめっ」


 お前こっちの人間と顔合わせてるのも触れるのも嫌みたいなこと前言ってなかったか!?

 遠慮なく腕をこちらの首へ絡ませ身を寄せてくるから変に意識してしまう。


 落ち着け……落ち着け俺……。

 確か薬の効力はそろそろ切れている筈だ。

 ここ半月はずっと反応しないよう意識し続けていたから、頭がついそちらに向いてしまう。

 メルト相手だから事なきを得たものの、フィオーラに知られようものなら今後一生言われ続けるように思う。


「フィオーラ」


 顔が熱くなっているのを自覚しつつも、こうして遊ばれたまま学園に向かう訳にもいかない。

 熱い息を入れ替え、首に回された黒い腕を取り、剥がして、そっと距離を取る。


「話自体は先に手紙で聞いていたが、直接来たということは他に何かあるのか?」

「…………反応しちゃった?」


 むふふと口元を抑えてにやにや笑うものだから流石に視線で抗議する。

 拗ねるようになってしまったのは失態だ。

 だがフィオーラは満足そうに息をつくと、やってきた方向を手で示す。


 誰かが、居た。


 彼女と同じフーリア人の少年だ。


 いや、でも……。


「オスロのおじいちゃんから頼まれて、ここまで送ってきたの。ほら、私ならウィンダーベル家の証明章持ってるから、色々と便利で」


 言われた内容の後半について何か言うべきだったのだろう。

 ただ、それ以上の衝撃が目の前にあった。


「話は通ってるんでしょう? 時間が掛かって開催には間に合わなかったけどさ」


 少年はこちらを見て、ひどく緊張した様子で頭を下げた。

 貴族のような振る舞いとはまた違った品の良さ。

 小柄で筋力が育ちにくい印象はあるが、懸命に何かを続けてきた結果身に付いた逞しさや、立ち向かおうとするものを前につい俯いてしまいがちな、そんなごく普通の自信の無さ故の印象が、本当にそっくりだった。


「初めまして。シャスティ様からの命令で、しばらくご厄介になります……サイ=コルシアスです」


 フィラント王から要請を受け、新設した部隊の最後の一人として登録されている少年は、


「貴方の武器を……打てと、命じられています」



 かつて俺が赤毛少年と呼んでいた、エリック=ジェイフリーと瓜二つだったのだ。

 


「でも僕はもう、武器を、打ちたくありません。どうか、お赦しください」


 行って来い、とそう言って背を押した手は、どうしようもなく震えていた。

 握りこんでも、息と共に吐き出しても、収まりそうに無い動揺を、すぐ近くでフィオーラがじっと見詰めていた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ