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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第二章

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13

 冷や水を浴びせかけられたような気分で、俺は言葉を繰り返した。


「小隊を抜けたい……?」


 貴族御用達の、大衆食堂とはまったく異なる絢爛豪華な飾りに囲まれた一室で、俺たちはテーブルを囲んでいた。

 注文は先ほどすませてある。すべての席が個室となっていて、飾られているロココ調の家具や調度品は間違いなく本物。並の貴族なら叩き出すことも厭わない、本物の貴族のみが利用できる料理屋だ。ん、料理屋と言ってしまうと妙に陳腐だな。


 ともあれ、以前アリエスと約束した食事の下見もしたかった俺は、冗談半分に二人を誘ってみた。するとくり子が思った以上に食いついてきた為、先方には無理を言って入らせて貰った。


 今、この席にくり子は居ない。

 店にもドレスコードというものがある。学生である彼女なら制服でも良かったんだが、折角だからと店側に言って着替えさせてもらっている。俺は元々貴族服だし、神官服の赤毛少年も問題ない。こういう場所は神職の人間も使うからな。

 俺は改めて赤毛少年を見、こちらの視線に緊張を強くするのを見て取って天井を仰いだ。


 抜けたい、か。

 俺は天井に描かれた宗教画を眺めながら、この世界へ来る前のことを思い出した。


 中学校くらいの時だ。部活でキャプテンに選ばれた。

 別段人望があった訳でも、特別上手かった訳でもない。流されやすい俺は練習があれば必ず参加したし、誘われれば断らない、でも自主練習は滅多にやらなかったし、公式試合はほぼベンチだった。

 中学生と言えばまだ色々と不安定で、主体性を持って行動出来る人間は少数だと俺は思う。まあその中でも俺は流されやすく、頼まれやすい人間だったから、面白半分でキャプテンに据えられたんだと思うんだけど。


 それでも、任された以上はなんとか上手くやろうとした。

 練習は皆より早く行って監督からメニューを受け取り、マネージャーや試合の日には手伝いに来てくれる保護者の人たちとの連絡に走り回ったり、新入部員にはよく気を使って話しかけたりもした。

 あの時もあった。

 辞めたい、とそう言われた。


「理由を……聞かせてもらっても、いいか?」

 なんでも好きに言ってくれ、とは言えなかった。それは俺の自己満足だ。ハイリア=ロード=ウィンダーベルは大貴族の嫡男で、その記号は切り離せるものじゃない。

 対等に接したいと心から思っても、俺の言葉は常に一定の圧力を持つ。


 赤毛少年は何度も言葉を作ろうとした。

 けど、上手く出てこないんだろう、落ち着かない様子でじっとテーブルを眺めている。


「パイプオルガンの演奏、とても良かった」

「え?」

 俺の作った言葉に彼は戸惑いを見せた。構わず続ける。

「結構練習したんじゃないか?」

「あ、はい……」

「あそこではよくやってるのか?」

「はい。たまに、ですけど」

「神父と少しだけ顔を合わせたが、アレ絶対かつらだろう」

「えっ? そ、そうですか? 特に気にしたことが無くて……」

「絶対そうだな。今度行ったらよく見てみろ、妙に浮いてるから。何なら掴みとってやれ」

「いや、出来ませんよそんなこと!? 神父様、結構気難しい人なんですからっ」

「なら気付かれないようにやるか。なにか良い手はないかな? 思いっきり扇いで飛ばすとか、釣り竿で引っ掛けるとか、一番早いのは転ばせて起こすふりして取る方法だな」

「あーそういえば釣り竿ならありますね。神父様、たまに川釣りへ行ってますし」

「ほう、釣りかぁ……この辺りにいい場所があったのか」

「ありますよ。街の西側に大きな川が流れてますよね? あそこをずっと上流に行くと山間に入るんですけど、しばらく奥へ行くとよく釣れるんです。荷物持ちとか釣り竿の番とかでよく連れて行かれます」


 うん、少しは硬さが取れてきたかな?


 俺はそのまま関係のない話をしながら、彼のことをよく観察した。

 赤毛少年は、まあ控え目な性格であるあらしい。常に遠慮し、相手へ合わせることに躊躇が少ない。アウトドアよりインドア。釣りみたいに動きまわるものじゃなければ楽しめるらしいが、激しく活動するようなものは苦手らしい。

 姉が重度の読書好きというから聞いてみると、なんとなく思っていた通り、あの書店の店主と姉弟だったらしい。おっちょこちょいな姉の話題になると少しだけ舌が滑らかだった。少し期待したが、本が好きという訳でもないらしい。残念だ。いや、せめてあの本くらいは読んでみないか? だ、だめか?


 それとなく雑談に花が咲いてきた頃、部屋の扉がノックされた。

 店員らしい男が扉を開け、その後ろからくり子が顔を出した。


 鮮烈な赤がまず目に入る。

 胸元から腰元、スカートの前面や側面を覆っているのは白のレースだ。隙間から覗く真っ赤な色が程よいアクセントになっていて、派手過ぎず、しかし華やかさと調和した良い色合いだった。

 肩の部分には膨らみがあり、二の腕の辺りで飾り紐が縛っている。そして肘の部分をそっと覆う程度に袖口が広がっていた。七分丈、と言っていいんだろうか。夏場というのもあってすっぽり腕を覆ったりはしない。それに食事をするならあまりゴテゴテとし過ぎていてもいけないだろう。


「お、遅くなりましたぁ……」


 おっかなびっくり入ってくるくり子は、そのくりくりな髪を蝶の髪飾りで留めてまとめていた。普段はただ垂らしているだけだが、今は後頭部の上部から広がるよう櫛を入れられ、ちょっとした貴族令嬢にも見えてくる。

 ほんのりとした化粧は、店側のサービスだろう。


「うん。いきなりどこかの令嬢が迷い込んだのかと思った。似合ってる。髪飾りもいいじゃないか。君の髪によく合ってる」

「っ……ありがとうございます」

 思うまま口にすると、くり子は嬉しそうに笑った。

 やはり恥ずかしいのか顔が赤いが、俺は赤毛少年に目線を送って促してみる。

「と、とても綺麗ですっ。びっくりした……」

「ありがとうございますっ」


 俺は立ち上がってくり子をエスコートし、椅子を引いて座らせた。赤毛少年がぼうっとそれを眺めている。俺が席に着いた頃、食事が運ばれてきた。

「さあ、気楽に食べよう。ここは個室で、見ている者は居ない。マナーなんて気にしなくていい」

「はぁい!」

「いただきます」


   ※  ※  ※


 食事中は大方、くり子が話題を提供し、俺と赤毛少年とで反応を返すものだった。

 本来は会話も下品とされる場ではあったが、防音のしっかりした個室だし、俺としても小隊の仲間と歓談したかった。

 くり子は休みの日には、よく蚤の市に顔を出すらしい。蚤の市とは、言ってしまえばフリーマーケットみたいなものだ。食料を販売する者も居れば、自作の服や古着を持ち寄るものも居て、たまに掘り出し物があるんだとか。


 途中、店のオーナー? らしい人間が挨拶に来た。

 非常に気安いちょび髭の男性で、自慢話が始まったかと思えばクスリとさせる失敗談も混ぜ、しゃべり疲れもあった俺たちの時間に潤いをくれた。しかも、今回の食事や衣装は全てサービスということで、俺はその話を快く受け、また今度は妹のアリエスと共に利用する旨を伝えた。

 商売上手、というのはこういう人を言うんだろうな。こんな内地ではまず見られないような食材も、高い鮮度を維持して提供されているし。もしかしたら店で多数の運び屋を雇って毎日直送しているのかもしれない。

 どうしても使い切れずロスとなる物もあるだろうに、これだけのことはウィンダーベル家でも維持するのは難しい。


 食事は終始楽しく進行した。

 おもしろ半分でマナーの講義をしてみたり、音を立てずナイフで切る練習は三人で白熱した。俺も少々苦手な部類で、これは赤毛少年の圧勝だった。彼の分だけ空中に浮いているんじゃないかというくり子の推測を俺は支持する。


「それでなんだが」

 食後のワインなんぞを楽しみながら、そろそろいいかと俺は言った。

 本題も進めず有耶無耶にしてしまうことも出来たが、それは彼にとってしこりとなるだろう。

「最初に聞いた話、ここで聞いても構わないか? また今度でも構わないし、男同士の秘密がいいならそうするが」

「あ…………いえ。話します」

 思いの外力強い返事が返ってきた。

 食事を盛り上げてくれたオーナーとくり子のおかげかな?


「実は、彼女にも相談に乗ってもらっていたんですが」

「そうなのか?」

 今の会話だけで内容を察したらしいくり子が頷く。

 いや、そうか。以前、まだ授業のある時間にも関わらず、制服姿で俺の所へやって来たことがあった。あの時は俺の話で終わってしまったが、彼女の用件はソレだったのかもしれない。

 だとすると悪いことをした。

 ともあれ、俺が視線を戻すと、赤毛少年はポツリ、ポツリと語り始めた。


「学園に入ったのは……神父様の薦めでした。魔術の素養があると言われて、父も面白がって……その時は僕もやる気だったんです。ただ、入学してからはちょっと、雰囲気に馴染めない所があって……」

 言いにくそうにする赤毛少年を俺は促す。

 まあ、普通に暮らしてきた人間なら、あそこみたいに貴族や平民でひしめいた場所は息苦しく感じて当然だ。俺だって息抜きしたくなるんだからな。

「それでも、始めたからにはと小隊に入って……でも、やっぱり力不足だったのはすぐに解りました」

 確か、彼は『弓』の術者だった筈だ。

 ビジットが前々から腕の良いのが欲しいと言っていたから、ウチは腕の善し悪しに関わらず『弓』の術者を加入させている。二軍、三軍には彼らを育成するために特別枠を設けているが、それにさえ外されて雑用班に入れられたか、あるいは最初からそこを希望したか。

「皆さん、すごいです。僕なんかが言っても仕方ありませんけど、物凄く熱心で、本当に頑張っていて……なんとかついていこうとしたんですけど、なんだか……ふっと息継ぎをして周りを見ると、温度差みたいなものを感じてしまって」


『俺……お前らみたいに頑張れないよ……。俺みたいなのが居ると、ジャマになっちまうかなって、なんか、冷めるだろ? 一人だけやる気ないのが居るとさ。一年や二年だって、俺がだらけてるの見て嫌な顔してると思うんだよ。だからさ――』


 頭の中にいつか聞いた言葉が浮かんでくる。

 あの時、俺はどう言ったんだったか。


「今なら、小隊内も落ち着いていて、俺一人が抜けたって平気だと思うんです。だから、ここで」


 あぁそうだ。

 俺は、仕方ないか、って諦めたんだった。

 引き止めることも出来た筈だ。引き止めて、無理矢理にでも残り数ヶ月を一緒に頑張っていれば、最後には笑っていられたかもしれない。同時に、やっぱり居心地が悪いままアイツは部活を続けて、やり直せた筈の時間を失ったのかもしれない。

 どれが正解なんだろう。

 どうすれば、アイツは満足出来たんだろうか。


 沈黙が室内を満たしていく。

 この話を俺へ持ってきたくり子は、何を期待しているんだろうか。俺にどうして欲しいのか。

 いや、話しているのは俺だ。

 あの小隊は俺が作り、俺が呼び掛けて人を集めた場所だ。

 責任がある。そう思えば、少しだけ熱が灯った。


「もう少しだけ、続けてみないか?」


 視界の端でくり子が笑った。

 正しい、そう思えた。

「俺は、あの総合実技訓練を勝利できたのは、一番隊全員の力あってこそだと思っている。誰か一人でも欠けていたら、あのイレギュラー能力者には届かなかっただろう」

「そんな、こと……」

 否定しようとしてくれるのは嬉しいが、俺は皆が思うほどの男じゃない。ハイリアだけならそうだったかもしれんが、生憎と混ぜ物入りでな。流されやすい腑抜け男が正体だ。


「お前が居たから勝てた」


 正直な気持ちを告げた。

 赤毛少年は息を詰めたように言葉も出ないまま口を開けっ放しにした。その視線が下がるより先に、俺は言葉を継ぐ。


「俺に、もう少しだけ力を貸してくれ。頼む」


   ※  ※  ※


 帰りの馬車を店側が用意してくれた。

 赤毛少年は近場だったというのもあって歩いて帰り、車内では制服に着替えたくり子と俺が向かい合わせに座っている。お互い、真正面には座らなかったが。


「……傲慢だったかな」


 赤毛少年は小隊に残ってくれた。

 力強い返事を受けた時は心底ほっとしたが、最後に見た目には、やはり迷いが混じっていて、それが頭から離れない。

「どうして、そう思うんですか?」

 問い掛けるくり子に、俺は窓から流れていく街並みを眺めた。

 もうすっかり陽が沈みつつあった。遠くの空が徐々に赤く焼けていく。

 石畳を進む車輪の音が窓越しに聞こえてきて、馬車は小刻みに揺れている。たっぷりと綿の詰まった座席でもなければ腰が痛くなる所だ。


「俺は……成功した。皆に支えられて、誰よりもそれを実感できる位置に居て、皆が受けるべき賞賛まで俺に集まっているように思う。だから俺は誰よりも皆を賞賛し、頼りたいとも思ってる。だが」

 成功したという経験があるから、俺はそれが正しいことなんだと思える。その考えに固執してしまう。

「成功までの道のりは不変のものじゃない。それぞれに適した道があって、俺は皆を率いることでそれを強制している。望んで来てくれている人もいるだろうが、やはり合わない者も居るんだ」

 なまじ出来ると思えるから、自分と同じことを人に強制したくなる。悪意すらなく、それをすればきっと成功するからという、思い上がった善意で。

 だがそもそも、成功しなければならないという考え自体が押し付けだ。


「この世の全ては、我らが運命の神によって定められている」

 くり子が告げる予定説。

 胸元に隠れたリングへ、服の上から手を添えて、祈るように言う。


 通常コレを聞くと、定められた通りになるのだから努力などしない、俺は成功する人間じゃないから知ったことか、などと自暴自棄になる者が出てくるように思える。だが、それは間違いだ。

「神の祝福を受ける私たちには、必ずや成功が約束されている。だから私たちは、神の与えてくれる運命を証明する為にこそ生き、自らの分を全うする」


 俺こそ真の成功者だ。

 そう考えて世界に名乗りを挙げる。

 これがこの世界に広がる宗教の教義。


 俺が書店で読んだ飯炊き男の物語でも、皆がそれを証明しようと覇権を争っていた。定まっているからと悲観したりしない。我こそはと、そう叫んで剣を取る。苦しみも、悲しみも、すべて成功へ繋がる道なのだから。

 だから挫けたりなどしない。

 宗教というものを俺が理解するのは難しかったけど、彼らの生き様には思わず涙するようなものが沢山あった。

 様々な歪みはあれど、自分を信じろと、そう言っているように俺は思う。


『この世で最も多くの人間を殺したのは宗教である』

 そう言った者も居た。言い訳のしようもなく事実で、この世界でさえ、身分制度は勿論、奴隷差別を肯定するための根拠とされている。

 そこだけを見ればただただ醜悪な考えでしか無かったが……、


「ハイリア様が手を差し出しても、離しても、きっと彼は自分の定めある道に進みます。決めてるのは神様ですから、失敗したら神様のせいにしちゃいましょう」

 なんともお気楽な論法に笑った。

「こんなこと教会で言ったら怒られますけど、たまにはそのくらい簡単に考えないとしんどいですから。おすすめですよっ」


 頭が回るくせに、彼女の言うことはシンプルである場合が多い。いや、頭が回るからこそ単純な言葉に落とし込まれるのか。

 ぐるぐると考えて無駄に言葉を尽くしてしまう俺は、まだまだなんだと思えた。


「ありがとう」

 たまに名前を呼ぶと、彼女は殊更嬉しそうに笑う。

 だからつい、普段はくり子くり子と呼んでしまうのかもしれないな。

「はいっ」

 そうして彼女の浮かべた笑顔は、差し込む夕焼けに負けないほど、強く綺麗に輝いていた。





 作中で出てきた宗教観は、実際に存在するものです。

 マックス=ヴェーバー著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という結構有名な論文を元にしています。アメリカなんかに多い考えらしいですよ。作品へ落とし込むに当たって超解釈を行ってますのでそのものとは言い難いですが。

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