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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第四章(上)

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   ジェシカ=ウィンダーベル


 重く閉じられた鉄扉に閂を掛けて、彼は慣れた様子で灯りを手近なランタンへ移していった。

 少し見上げる位置にある横顔を追いながら、私は上着を脱いで定位置になりつつある長椅子の上へ放る。

 はしたないですよ、淑女らしい振る舞いを、なんて言う母や乳母はもう居ない。こちらで滞在するに当たって次期当主とされるアリエス=フィン=ウィンダーベルより仮宿と使用人を宛がわれているけれど、頼るのも落ち着かなくて殆ど連れ歩いたりはしていなかった。


 襟元を緩め、袖を捲くる。

 生まれつき手足が細く、鍛えているのに男性ほどの力は得られない。

 無駄に胸が膨らむくらいなら、少しでも腕力が欲しいくらいなのに。槍捌きの邪魔にもなる。潰していると息苦しいし、下着で整えていても激しく動くとズレてきて痛いし鬱陶しい。何より無駄に重いというのが難点だった。

 上着から取り出しておいたリボンで髪を簡単に纏めつつ、横目で彼の様子を伺った。


 彼は、この訓練場へ置きっぱなしになっているハルバードを掴み、しばし瞑目していた。

 いつもそうだ。訓練でアレを握る時、彼はああして噛み締めるようにして、ゆっくりと持ち上げる。

 戦いへ向けての意識導入とも少し違う。

 何故かとても不安定で、怖れているような横顔。

 ただ一時期を境に時間は短くなり、聞くに聞けないまま今に至る。


「ハイリア=ロード=ウィンダーベル……」


 小さな呟きだったけれど、この閉じた訓練場ではすんなり彼の耳に入ってしまったのだろう、片手でハルバードを持ったままこちらへ向き直った。


「どうかしたか」

 落ち着いた声だ。

 彼の立ち振る舞いは基本的にいつも落ち着いている。

 だから物静かで涼やかな人なのだと思えば、ふとした瞬間に驚くほどの熱を感じて驚いてしまう。

 声に特別荒々しさを感じる人ではないのに、向き合って言葉を交わすと息苦しさに身が縮む。


 歩みも、振り向くという動き一つ取ってしても怖ろしく安定している。

 これで未だ大成したと呼べるほどの年齢でないのだから、自分のしてきた今までを恥じずには居られなかった。


 首を振る。


 過去は悔やむものではない。

 今を見詰める指標とし、未来を望む踏み台とすべし。


「何故、アナタはそんなにも強いのですか」


 訓練場の中央、少し開いた距離のまま二人で歩いていく。

 彼は、ハイリアはそっと目を閉じて思考した。いや、思いを馳せているのだろうか。


「過去はともかく、今は強さなんて求めていない」


 簡潔に、けれど熱を感じる言葉だった。


「俺は勝つべき戦いで勝てるようになりたい」

「それは、強さを求めることとどう違う」

「逆に問う。強さとはなんだ」


 拳を握った。

 純粋な力比べでは劣っていても、期を狙えは十分に相手を放り投げることが出来る。


 出来る、という経験と、拳を握った時に感じる力の実感は、自分の振る舞いにも大きな影響を与えてくれる。


 ただ、


「強さとは理不尽に抗う手段。そして理不尽を振り翳す背景」


「そこまで分かっていれば考える必要もないだろう。手段、背景、それらは勝つ為の手札に過ぎない」


「アナタは強く在ろうとは思っていないと?」


 すると彼は雰囲気を緩め、笑みを浮かべた。


「そうだ、と言えたら良かったんだが、皆への見栄もあるからな。あまりにも弱いなんて思われたら、ちょっと悔しいかな」


 皆、というのは今日会った彼ら彼女らのことだろう。

 元一番隊。アリエス様が率いていた人たちも含まれるそうだが、主体となっているのは彼が一昨年立ち上げた小隊の人々だ。


 ずるい、と思う。

 こんなにも容易く自分を晒せるなんて。


「強さを求めるとな――」


 見栄を語るのと同じ目線で語り始めたから、つい聞き逃してしまう所だった。


「どんどんと内側に目が向いていくんだ。それだけでいいとさえ思えてくる。けれどそもそも強さを求めた理由はなんだったのか。強さとはその理由を果たす手段に過ぎなかったのに、強く在ることに囚われて、目的を見失う。いや、言い過ぎだな。確かな強さがあれば結果がついてくるのも間違いじゃない。けれど持ちうる強さにはいずれ限界がくる」


 最後の言葉が重く響いた。

 分かっている。

 限界がくる、というのは正確ではなくて、限界を知ってしまう、ということだ。


「経験や実力を培ってきた時間で劣る相手に、強さで上回ることは極めて困難だ。けれど相手より弱くとも勝つ手段は存在する」


「それでは本当に勝ったとは言えない」


「そうだろう。けれど、とまた言おう。強さとは手段の一つだ。相手より弱いことさえ手段足りうる。そして俺は皆の長たらんと欲している。だからもう、強く在ることに拘ってはいないんだ」


 即物的とも言える言葉に迷いが増す。


 ホルノスの英雄。

 今や彼の名は世界中に広まっていて、古に語られる雷神の生まれ変わりで彼の一撃は敵軍諸共に町一つを吹き飛ばしただの、かねてからフーリア人の解放を謳う一方美男美女を侍らす好色家で思惑の裏には趣味人であることが原因だなんて謂われていたり、妹のアリエス様こそが天より降臨された天使で彼はその信託を得た神権者であるだとか、実は先のルドルフ王が残した本当の子であるだとか、とにかくよくそこまで想像出来るものだと感心するような有り様だ。

 出自が不確かであることも想像に拍車を掛けているんだろう。

 現ウィンダーベル家当主オラント様がある日唐突に嫡男として連れて来た養子であることは私も知っている。

 だが一体何処から拾ってきたのか、父母は健在なのか、何故彼を後継者に選んだのかと山のような質問を受け、結局まともな回答は帰ってこなかったという。


 死んだご長男、ハイリアの名を与えてまで、どうしてそこまで、と誰もが思っていた。

 ご当主の力は絶大だ。大きな失態があったのならともかく、理由も無く前言を撤回させるなんて出来ない。


 そして結果が今だ。


 彼は一国どころか方々にその名を知らぬ者が居ないほどに勇名を高め、ホルノス国王より重用されているというのは私自身が目にした通りだ。


 既に家名を剥奪されたとはいえ、ご当主を始めアリエス様とは友好的な関係を維持しているし、影響力も強い。ご党首様の様子はまるで、最初から除名する為に養子にしたとしか思えぬもので、これまで彼の行動に右往左往してきた家の人々はため息と共に諸手を挙げたという。


 だから、最初はどれほどの傑物だろうと緊張した。

 遠目に見た決闘や、伝え聞いたその後の戦いでの振舞いでは判断が出来ない。


 決して侮ってはいない。

 静かな振る舞いの裏にある熱や、時折異様なほどの説得力を感じてしまう声など、傑物と評する理由は間違い無くあるのに……、


「ズルい……」


 思わず言葉に出た。


 訓練場の中央で向かい合った彼は少し驚いた素振りを見せていて、その当たり前すぎる反応にまた胸の奥がチリチリと焦げる。


 『槍』の紋章を浮かび上がらせ、大槍を握りこむ。

 吹き抜けていく魔術光は青く波打ち、前後に薄い守護の甲冑を纏わせた。


「アナタはズルい……!」


 聞かせて欲しいとアナタは言った。

 だから条件を出し、こうして再び学園へ戻ってきて、相対している。


 聞きたければ私を倒せ。

 全力で戦え。


 私は強くなりたい。


 アナタ以上に。


 けれど私が望む強さは、アナタの中にあるの?


    ※   ※   ※


 本当に、もったいぶって話すこともない程、私の物語なんて知れている。

 遥か遠方にあってもウィンダーベル家を名乗り、末席でありながら矜持と誇りと気位だけは高かったから、それなりの成功を収め、栄光を疎まれて、折り重なった妨害の末に失敗と失態を連ねて、徐々に疲弊していった。どこにでもある没落話でしかない。


 そしてある時、戦場で父が負傷し、兄が戦死したことで、兄を溺愛していた母は狂い死にした。

 空っぽになった家の跡を継いで、戦いなんて知らなかった私は必死になって戦い続けた。

 元より貴族社会での日々に疲れ切っていた父に最早覇気はなく、人を導くことは出来なかったから。

 死にたくはなかった。

 母のようにみっともなく狂うのは嫌だった。

 父のように消沈して生涯を終えるなんて以ての外だ。

 戦うことを選び、立ち向かうことを望んだ私に残されていたのは、ただただ力を手に入れることだけだった。

 そうしなければいけないと、いつしか理由すら忘れて槍を振るっていたら、攻勢への転機となる戦いでたまたま機会を得て、運良く勝利を収めた。

 栄誉はそのまま与えてくれる者への従属の理由になった。冷静に自分の事を考えたら、戦いと政治、どちらに向いているかなんて決まっている。矛としての自分を極め、面倒な政治はその者に預け、ひたすらに敵を討つことで私のウィンダーベル家を繋いでいった。


 勝利することはこの上ない快感だった。

 号を発し、大勢が従い動く景色に心が震えた。

 女の身で戦場に立ち続ける様というのは余程英雄的に映るらしく、象徴としての出世は怖ろしく早かった。


 同時に、常に自分の矮小さを意識し続けた。


 誰よりも足りない事を自覚しているのに、過剰に評価され続けることへの苛立ちと、覆すことで被る損益を計算して沈黙を選んだ私自身への嫌悪感とで時折どうしようもなく叫びだしたくなる。


 私は弱かった。

 急激に伸びていったのも最初だけ。

 『槍』の魔術は致命的に私の性分に噛み合わない。


 戦うほどに自分の弱さを知った。

 実際に手合わせをしてみて、所詮は噂に過ぎないと、こんなものかと呆れる相手の顔を見る度に腹の底から焼かれるような思いに駆られた。

 負ける事以上に、侮られていることに我慢がならなかった。認めさせてやると更に鍛錬を重ねても、私の細い腕と身体が足を引っ張る。動きの目指す位置は見えているのに、足が届かず、手が届かず、遥か手前を空振るばかり。


 ウィンダーベル家の誇りなどというものは空々しく、与えられた栄光も虚飾に過ぎない。

 私に持ち得るものなんて何も無かった。

 身の行く先を預け、残っているのは腕前だけだというのに、どうしても矛先が望む場所へと届かない。


 最早内情が知れ、脇に添え置かれるだけとなった時に、私はその戦いを見た。


 冬の、雪の降る日だった。

 小高い丘の上で向かい合っていた初老の男と、冠する家名を剥奪された男。


 時間稼ぎだ、というのが大半の主張だった。

 西側の事情に疎い私はよく知らなかったけれど、相手をしていた老人は相当な使い手なのだという。

 戦況を立て直すべく自らを犠牲にし、再起を図った結果の行動。家名を失い、磨り潰されていく仲間を見続け、結果自ら命を投げ出して。

 多くの目にはいつも思慮深く、冷静な人に見えていたのだという。しかし若さが足を引っ張る。以前の位置は望めずとも、ウィンダーベル家へ返り咲くことも出来ただろうにと、ある意味では惜しむように溢していた人を知っている。


 二人の戦いは――私は未だにあれを評する言葉を持てずにいた。


 如何にして打ち合わされた攻防なのかが理解できない。

 本当になんでもないと思えたものがあっさり傷を負わせ、何故それをと外から見ていて戦慄すら覚えるほどの攻撃が空を切る。

 私の知る戦いとは根本的に違うものだった。戦いとは、強い者が勝利するものだ。打ち合わせた瞬間、あるいは向けられた刃から感じる何かが、互いの実力差を教えてくれる。私は私より弱い者にばかり勝ってきた。そして私より強い者に勝てた事など無い。他の者もきっとそうだった。偶然や奇跡の類はあっても、あんな戦いでは決して無い。


 強くなりたい。

 ずっとそう思ってきて、なのに途方もない二人を見た瞬間、私は自分がどうしたいのかも分からなくなった。


 兄の仇を、次なる進攻では以前のようにはいかせない、そんな理由も確かにあったのに。

 強さを。力を。飢餓感にも似た焦燥と絶望に揉まれながら、すがるようにここへ来た。


 本物の英雄に会いたいと願って。


 なのにアナタは、私に弱さを見せ付けてくる。


    ※   ※   ※


 打撃の加護によって打ち上げたつもりのハルバードが彼の手元へ飛び込んでいく。

 ひょいと、球でも放ったように軽く。


 私の魔術なのに。

 私の放った攻撃なのに。

 どうしてそうなるのかが未だに分からない。


 魔術光の揺らぎ?

 言われた通り観察すれば確かに特徴は掴めた。

 けれどそれは相手が意識的に演じてみせ、そうだと確信を持てるから分かるのであって、戦いの中で大きな意味を持つほどには察することなんて出来ない。


 違う。違う。私が出来ないから無理だなんて思ってしまうだけだ。

 意識すればするほど読みが揺れる。普段通りに相手と自分の流れに乗って操ることさえ出来なくなる。彼の言葉に頼るなら、私が情報として認識すらしていない像を見た瞬間に、今までは多くの経験から勝手に身体が判断して動いていたものを、間に余計な思考を挟むことで反応が遅れ、あまつさえ迷い、乱れ、空白すら生んでしまう。

 だったら最初から知らないほうがずっと良かった。

 今までは出来ていたんだ。

 出来なくなって、弱くなってしまうくらいなら……っ。


 また距離を取られる。

 こうなると『槍』の重さは辛い。

 前へ出ようとすると泥の川を進むように遮られ、満足に踏み込むことが出来なくなる。

 そしてその重さに身を浸した瞬間、彼は素早く踏み込んで私の間合いの内側へ侵入してくる。

 何度もそうされた。何度されても対処し切れない。せめてもう一人の『槍』の術者、フィリップ=ポートマンのような遠距離武器があればと思うのに、何故か私には使うなと言ってくる。

 この泥を打ち払うべく魔術を解いて、飛び込みつつ再び風を纏って一撃をと思っても、その手もまた彼には通じない。

 踏み込みは私が必死になって磨いてきたものだった。これこそがあの日私を勝利させた。『槍』の魔術発動によって掛かる移動速度の制約、それがいつどのようにどの程度発生し、増大するかを見極めた奇襲の一手。けれどやはり同じことなのだと思い知らされた。一度掛かり始めた制約は次への動きの切り替えを酷く鈍らせる。勝ちうる相手ならどうということはないのに、彼はしっかり見極めて狙ってくる。


 本当は追うべきでないのは分かっている。

 言うなればコレは『剣』や『弓』との戦いだ。

 相手には交戦権がある。戦うも、戦わないも、相手が決められる。

 足で追いつけない以上の必然で、私が何よりも嫌う『槍』の特性だった。


 力はあるのに、相手が冷静に逃げを打つと自分より弱い相手にすら手が出なくなる。


 これは、『槍』の術者にしか分からない葛藤だ。

 世間ではあたかも『槍』の魔術こそが勝敗を分けるのだと持ち上げられることもあるが、私から言わせれば最後の最後で偉そうに良いトコ取りをしているだけ。

 勝てる相手にさえ勝ち得ない。ひたすらに待ち、一瞬の交叉で全てを決めるしかない。


 手の届かぬ先で味方が倒れていくのを見たことがあるか。

 延々と成す術も無く敵の攻撃に晒され続け、膝をつかねばならない屈辱は。

 この槍の届く所にさえ来れば、絶対に勝利してみせるというのに。


「気持ちは分かる。俺も、元々は『槍』の術者だ」


 今や魔術すら使わず術者と戦う男は事も無げに言う。

 何らかの意図を以って言っているのは分かる。けれど、どうしようもなく苛立ちが増す。


「駆ける足を手にしたアナタに分かるものかっ!!」 


 若くして『騎士』に目覚め、養子という形でウィンダーベル家の嫡男にすら指名されておきながら、多くを納得させるだけの結果をも残してきた。途方もない努力をしたのだろう。そこには耐え難い辛苦があったことだろう。けれど今のアナタには、そこを通り過ぎたアナタには今も尚留まり続けるしかない私の気持ちなんて分かりはしない!!


 でも結局それさえも私の甘えに過ぎなくて、彼は容赦無く目を逸らそうとした事実を突きつけてくる。


「届けば、何もかもに勝てると思うのか」

「っっ――!!」


 叩き付けようとした私に対し、更に距離を取る彼に苛立ちが募る。


 彼は私より強い。

 遥かに、と認めざるを得ない。

 たとえこの槍が届いたとして、勝つ自分が想像できなかった。


 幾度も経験した。

 私の噂を聞いてどんなものかと臨みに来た相手が、数度の打ち合わせの後にため息をつく。

 悔しさと情けなさと、屈辱のあまり相手を糾弾したことさえあった。

 時には力を貸してやると言ってくれたものも居た。

 でも最後には同じような言葉が来る。

 君は女だ。家格もある、そんな無理をせず嫁入りを考えたらだろうだ、と。


 女の『槍』は大成しない。


 下らない風評だと笑い飛ばせていたのは、力が伸び続けていた時まで。

 私にはここが限界。

 重い重い魔術光を纏って、永遠に届かない場所を眺め続ける。


 それで、


 それで――私は、

 


「勝ってみせろ!!」



 竦む私へ途方も無い熱が叩き付けられた。

 

「届かせてみせろ! 望むことから全てが始まる!」


 それでも、私はこんなにも弱くて、もう、ここが限界なんだ。

 皆がそう言っていた。

 私でさえ思っていることだ。


「足りないものは全て俺が与えてやる……! 迷いながら、足掻きながら、身が竦むような想いに駆られても決して望むことは止めるな! 手を伸ばせ、掴んでみせろ! たったそれだけのことが全てに繋がっていく!!」


「っっっ……ぁあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


 怒りか、嘆きか、それとも幼い日に母へそうしたように、単なる癇癪でしかなかったのか。

 ただ、手を伸ばしていた。

 届かない場所へ向けて?

 助けてくれと求めるように?


 紋章が砕け、風に撒かれて消えていく。

 ふらついた身を後ろ足を踏んで支え、けれど前のめりに倒れていく。

 次の足が出ない。身体が重い。武器は、武器はどこだ。


「さあ、来い……!」


 ほどけ、広がり薄まっていく青の魔術光を、伸ばした手で手繰り寄せる。

 相手は見えている。

 そこに、

 貴方は、


「俺はここに居るぞ!!」


 燃えるような瞳が、倒れ行くだけの私を見据えてくれている。


 望んでいるだけじゃない。

 信じて、くれているのだと知った。


 必ず私が向かってくると信じてくれている。



 そして――


 そして、



 繋がった。



    ※   ※   ※


   ハイリア


 翳り月というのも悪くない。

 薄雲の向こうからでも美しい光を覗かせる夜空を眺めながら、傍らで眠りこける後輩の少女を扇ぐ。

 徐々に汗ばむ夜が増えてきた。ついこの前までは雪景色ばかり眺めていたように思えるのに、もう上着を羽織るのも億劫になってきている。


 しかしまあ、いくら熱くなってきたといっても、これは風通しが良すぎるだろうな。


 俺は半壊した訓練場へ目を落とし、明日からどうしようかと現実に思いを馳せた。

 あぁ、訓練自体は出来るけど、きっと情報ダダ漏れになるだろうな、とか、復旧は鉄甲杯に間に合うかどうかも怪しいな、とか、別の場所を確保するのにナーシャへは早めに相談しておこう、だとか、色々頭を過ぎった結果、今はいいかと吐息する。


 実の所、ジェシカとの勝負は一度で終わらなかった。

 もう一回、もう一回とせがまれ、どんどんとボロボロになっていく思い出の場所を半ば諦めつつ戦った。

 そして戦いながら話を聞いた。彼女自身の事や、それ以外の部分に関しても。


 消えた副団長については、先ほど顔を出したヘレッドに託したから陛下にも伝わるだろう。

 というより、俺の話は確度をあげる程度のことで、きっと何がどうなっているかを陛下なら読み解いている筈。


 どちらかと言うと、それ以外についての話の方が重要だった。


「……ん、ぁあ…………寝て、た、かな」


 思いの他可愛らしい声が出てきた。

「良く眠れたか? 急に倒れて動かなくなるから少し慌てたぞ」

 燃料ゼロになるまで全力を出し切った結果だろうが、また一時間程度で回復するというのも凄い。

 東方では負傷した父親に代わって陣頭指揮を執っていたというから、短時間の休息に慣れているのかもしれない。


「はぁい……」


 しょんぼりとされて少し困った。

 ううん、ちょっと頭を撫でてやりたくなる。

 いや、この場合は撫でさせてもらいたい、か。


 寝起きに弱いらしい後輩少女ジェシカ=ウィンダーベルの新しい一面を見ながら、折角だから膝枕でもしておけば良かったかなんて思う。しかしまだまだ先輩後輩の距離感もあるだろうし、ぶっ倒れた後輩の女の子に無許可で膝枕して頭撫でるとか、下手したらセクハラにならないか。


 しかし彼女も自分の弱点については承知しているのか、しばらくするとこちらの耳にも届くほど大きく深呼吸をし、身を起こした。


「東方の魔術について、だったな」

「あぁ……その話の途中だったな」

 うん、ちょうどいい所で倒れたもんだから勝手に想像膨らませてるけど、実体験を聞けるに越したことは無い。

 ジェシカは寝癖のついた髪を直すのも忘れたまま俯き、重々しく言った。


「東方には、こことは異なる魔術が存在する」





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