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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第四章(上)

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123


 平民街の飯屋へ招待とあって、結構フィリップが乗り気だった。

 セレーネは相変わらず俺の隣を予約しているし、ナーシャは平然としていたから、もしかすると俺の身辺くらいは調べて知っているのかもしれん。


 今日は早めに訓練を切り上げて入念なストレッチをしただけだから、まだ日の入りには遠く、人の通りは少ない。

 貧民街にも程近い道だが、治安の悪さや妙な匂いというのはあまりなくて少し安心だ。

 道のずっと向こうにリアルド家の者だろう護衛がちらりと姿を見せていたり、おそらくはジェシカ関係だろう人がずっと後ろからついて来てるし、うんまあコレ後で怒られたりしないだろうかとちょっと心配になるけれど。


「ふぅむ、こういう場所の雰囲気はどこも似たようなものだな」


 感慨深げにフィリップが言う。

 家が造船業を営んでいるという話だったから、無理矢理な増築を重ねた家々や独特の空気が彼の故郷にもあったのかもしれない。


「来るのは初めてか?」

「あぁ、ま、まあ、な」

 小隊長時代を思い出してか、まだ少し言葉が淀む。

 敢えて聞くこともないだろう。というか一つ一つ聞いていたら本が一冊出来そうだ。フィリップも引っかかることはあっても雰囲気を壊さないよう口にはしなかったから、鉄甲杯が終われば酒でもやりながら聞くのも悪くない。杯が勝利を祝うものであるなら尚更、きっと皆で大笑いしてやれるだろう。

「ハイリア様もこういう所来るんですね」

 疲れからか、幾分落ち着いた様子のセレーネが言う。

「朝から晩まで人に付き添われ、所作一つ呼吸一つを監視される日々を送ってみろ、抜け出して遊んでみたくもなる」

「うむ」

「えぇ、本当に」

 ジェシカまでもがコクコクと頷いて、貴族位持ち全員が同意した。


 いずれ家督を受け取る、あるいは嫁入りなどを控えた者にはそれぞれの分野での好成績を強要される。

 赤点取って叱られる、程度の話では収まらない。当日中に家庭教師が呼ばれて自由時間など消え去り食事も風呂も睡眠中まで勉強が付きまとう、あるいは学園への根回しという手段で成績を底上げしようとするんだから、思春期の少年少女が親に止めろと叫びたくなるのは当然のことだ。ウチの子馬鹿だからお金出して成績買いますって、恥ずかしすぎるだろう。

 馬鹿な子ほど可愛いという言葉の通り、大丈夫だ大丈夫だと何もしないケースも確かにあるようだが、その手の連中がデュッセンドルフを選ぶことはない。

 腐っても卒業後に従軍や士官教育を名目とした準軍事教練校だ。訓練中の怪我など当たり前だし、死亡する危険も当然ある。それでもここを選ぶというのは、多種多様な人脈を得る為か、大陸随一と言われる学園で魔術の養成を目的としているかだ。特に次男三男などは家督を継げずに居候となるのを避ける為、王都守備隊を始めとした貴族のみで構成される軍への加入は希望者が多いと聞く。

 どちらもヌルい覚悟で果たせることじゃない。

 フィリップの今や、反乱の際に手合わせをした守備隊の強さを思えば、当然のこと。


「今日行く子羊亭というのは、男爵の反乱中に一時閉店してしまってな。少し前に再開したと聞いて、近い内に顔を出そうと思っていたんだ」


 あれからしばらく経った。

 色々あったが、フロエも顔を出せと拗ねていたから、まあ一度くらいはいいだろう。

 半分くらい顔合わせを目的にしているのは内緒だけどな。


 ちょうど店が見えた。

 中が丸見えな扉の奥から客の談笑する声が聞こえる。

 早い時間だっていうのに元気なことだ。


 思っていると、エプロン姿のフロエが横切ってドキリとする。


「ここだ」


 カウベルが鳴って、扉を押し開け入ってきた俺たちに客や店の者たちの視線が集まる。

「いらっしゃいませ!」

 奥の厨房へフロエが消えていくのを見つつ、息を切らせてやってきた眼鏡の少年に驚いた。

 誰だ?

 疑問に思っていると、隣から声があがる。


「よー隊長殿ー」

 ヨハンだ。

 いや、他にも大勢……、


「ハイリア様っ! こっち! こっち来ましょう!」

 くり子に、


「ご健勝そうで何よりです。ご一緒にいかがですか?」

「……(コクリ)」

 オフィーリアと先輩に、


「あーっ! 馬鹿ベンズそれ私の肉だし!!」

「うっせえペロス早い者勝ちだってヨハン先輩言ってたろ! 欲しけりゃ奪い取ってみろってんだよー!」

 なんか知らないの二人に、


「ささ、こちらへどうぞハイリア様」

「お荷物はお預かりしましょう。お連れの方も遠慮無く、おやポートマン家のフィリップ様ではありませんか」

「あ、あぁ。おおっ、そちらはクラン商会のウィルホードさんか」

 ウィルホードとセイラがするりと左右に立ってエスコートを始め、


「ふふふふふ、やはり耳が早いなハイリア。お目当てはあの白髪のフーリア人の子か。残念ながら迂闊に声を掛けると痛い目を見るから気をつけろ?」

 と机に深々と刺さったナイフを冷や汗交じりに指差すジンが居て、


「あ、あの……ええと、お連れ様で、よろしいです、か?」

「あぁ、まあ一緒でいいか」

 眼鏡の店員さんが物凄く困っていたので纏まることにした。


 席を寄せてくれて、奥へ向かうのを目で追いかけて、やはり新しく雇った店員なのだと知る。

 なんだか声が小さくて気の弱そうな少年だが、この店で働いてて大丈夫なのか。思いふと視線を滑らせると、ヒツジの剥製が『喧嘩しないで下さい』とやや弱気な文言の紙を咥えていた。基本的に優しいけど怒らせると怖そうだな。


「おひさしぶりです!」


 早速くり子が寄ってきた。

 眼鏡の人が卓を寄せた場所もあって席が離れたせいか、既に自分の皿を持ち込んできている辺り結構大胆だ。


 するとセレーネが二人の間へ飛び込んできて、


「さーっ、私たちは私たちの話がありますでのっ、くり子ちゃんはまだ少し我慢してねーっ、外部の人だから!」

「ご安心下さい私はハイリア様直属の部下ですのでっ! そんな外部扱いだなんて今更ですよ今更ぁ!」


 なんか取っ組み合いが始まりそうなので迂回した。

 以前家に行くと話していたし、色々あって仲が良くなったんだろう。


「あ、あの、注文はなんに……」

「あっ、アベル君! ちゃーはん大盛りでもう一つ! それと蛙のから揚げを一皿追加でー!」

 眼鏡の店員くんへ、なにやらくり子が気安く声を掛けていて、ふと後ろでジェシカが物凄い形相で彼を睨んでいるのに気付いた。

 ふむ。俺もいい加減この少女の行動について多少理解してきたつもりだ。

 ジェシカが意固地になっていたり、睨んでいたりするのは対抗意識が強いから。


 アベル。アベル……。


「あぁ」


 思い出した。


「君、アベル=ハイドか」

「は、はいっ!」


 少年は頭一つも低い位置からおどおどした様子で俺を見ていて、それをくり子がたのしそうに眺めている。

 身体つきは痩せているし、眼鏡をつけていることから目が悪いのだろう。先の騒がしい少年少女二人についてもやはり、と思う。


「今年の主席入学者だな。なるほど、くり子、随分と良い後輩を引き入れたじゃないか」

「ふっふーん」


 素直に自信満々な様子を見るに、優秀さは折り紙つきか。

 折り紙つきの少年は俺の背後から食いかからん勢いで睨むジェシカに怯えて震えているけど。


 くり子が腰の後ろで手を組んで、ゆらゆら揺れつつまた寄ってくる。


「ウチはアベル君の他にも沢山一年生を入れたんですよー? まだ戦力には程遠い子ばっかりですけど、ちゃんと先輩やってるんですよ?」

「楽しみだ。しかしこちらも主席の少年に負けず劣らずの後輩を引き入れてある」


 こちらも負けじと後輩自慢をしてやると、くり子は驚いた様子も無くジェシカと向き合った。


「ジェシカ=ウィンダーベル様ですね。私も声は掛けたんですけど、断られてしまいまして。東国で戦乱を経験なさって来た実力者だと聞き及んでいます」


 滅茶苦茶睨まれているのに動じない辺りが流石だった。

 アリエスに鍛えられたよなぁ。


 しかし、東方での戦争を経験していたとは初耳だ。


「私はクリスティーナ=フロウシアです。くり子って呼ばれています。今は別々に動いてますけど、私はハイリア様の配下として今後もお仕えしていきますので、その際はどうかよろしくお願いします」

「…………よろしく」

「はい!」


 ちょっとくり子に拍手したくなった。


 ジェシカは身分を振り翳すことはないが、基本が攻撃的で大体の人は相手をしていて一歩引いてしまう。

 セレーネやフィリップは当然のこと、ナーシャでもちょっと扱い兼ねている所があった。対抗意識の強さは訓練で負け続けているからで、ナーシャとの事は俺のせいでもあるのだが、それでもあっさりジェシカの睨みを引っ込ませるとは。


「あ、あの、僕はご注文を通してきますので……」


 怯えたまま逃げていくアベル少年を見送り、とりあえず席につく。

「よい、しょ……あれ?」

 当たり前の顔で俺の隣に腰掛けようとしたくり子、しかしジェシカが強引に押して席を自分のものとした。

 すぐ隣に座った金髪碧眼の後輩美少女は、頑なにくり子の方を見ようとはせず俺の裾を掴んできた。


「っしゃあ! オフィーリアさんそのままクソヨハン抑えといて今私の人生で最も重要な時期わああ!?」


 なるほどそっちで捕まっていたのかと遅れてやってきたセレーネが俺の隣を確保したジェシカに驚愕して素っ頓狂な声をあげる。

 ぐっと裾を握られて僅かに身が寄った。後輩少女ジェシカ=ウィンダーベルは騒ぐセレーネを見て反対側を目で示した。


「おう空いてた」

「ああっ」

「ふふ」


 ん、今笑わなかったか?


「まあ騒がしくてすまない。フィリップ、ジェシカ、知っているかもしれないのと、一部は俺も面識が無いんだが、大体は元一番隊の人間だ」

 そして改めて皆へ二人を紹介する。

「フィリップ=ポートマンだ。以前は小隊長をしていたが、解散し、ハイリアの小隊へ加わることとなった。よろしく頼む」

「ジェシカ=ウィンダーベル」


「あーっ! 噂のハイリア様だあ!?」

「ちょっと馬鹿ベンズ大声出してるとまた店主さんに怒られるでしょうが!!」


 さあ紹介もほどほどに謎の少年と謎の少女が飛び出してきた。いや本当に机飛び越してやってきたからな、ちょっと驚きだ。

 ん、なんか顔が良く似ている。兄妹、いや双子か?


 すると別の所で馬鹿をやっていたヨハンが腕を組み、足を組んで机に乗せようとしたのをやんわり先輩に怒られて降ろし、仕方なく椅子の上で胡坐を掻いた。


「ベンズ。ペロス」


「はいヨハン先輩!」

「はい大先輩!」


「隊長殿は俺の隊長でもある。いいか、礼儀を弁えろ。上下関係だ。いいな?」


「わかりましたヨハン先輩! でも俺がとっておいた蛙のから揚げ後で返してください!」

「わかりました大先輩! でも無理に足上げようとするとまたひっくり返るから止めた方がいいと思います!」


「よぉしお前ら教育の時間だオイこら逃げるんじゃねえ……!」


 実に教育が行き届いているようで、ベンズ少年とペロス少女はやる気になったヨハンから猛烈に距離を取った。

 が、ちょうどそこに料理を両手と腕に乗せたフロエがやってきて、


「はい邪魔しないでね」

「ぐわふ!?」


 素早く止まったペロス少女は無事だったが止まりきれなかったベンズ少年は軽く足蹴にされて床へ転がった。

 ヨハンが飛んでいって聞く。

「何色だ」

「みえ……みえ……な、かっ……ぐぼわあ!?」

 悔しげに言葉を吐いた痴漢少年が再びフロエに踏まれて力尽きる。

 ふざけ調子ではあっただろうが、ヨハンがいつもの調子で彼女へ向き直り、

「おいおい俺の後輩に好き勝手やってくれるじゃねえか店主さんよお!」


「ハイリア」


 フロエの声が、ヨハンを通り越して俺へ飛んできた。

 何故かみんなの視線が集まる。

 呼び捨て? 知り合い? なんてジンとかセレーネが騒ぎ出しているが彼女は一切構わず続けた。


「大人しくさせて。でないとこの前のことここで叫ぶから」


「よし! 全員静粛に! 食事は静かに楽しもう!!」


 俺が声を張ると、何故か他の客達まで静かになって食事を楽しみ始めた。

 なんか、余計に弱みを握られた気がする。


    ※   ※   ※


 氷に覆われた湖面の如き静寂さで食事を終え、それぞれがぞれぞれの手法でごちそうさまをすると、物足りない何名かが酒や飲み物を追加注文した。

 うむ、ちゃーはん実に旨し。

 やはり米は偉大だ。パラパラのインド米っぽいことが悔やまれるが、現代日本の米はそれこそ何十年も掛けて品種改良してきた逸品だからな、そこまでのものは望めない。後は醤油とわさびが手に入れば刺身くらいはなんとかなりそうなんだがどうしたものだろう。


 俺が飽食の煩悩に負けて切なげなため息をつくと、それがキッカケとなったのか皆が気を緩めて会話を始めた。


「しかしヨハンにしてはいい店を知っていたな」

「まあ、前にクソアンナと色々あって世話になったんだよ。ツケが効くからちょくちょく食いに来てたんだ」

「私たちはアベル君がようやくお仕事見つけたって聞いたから様子を見に来たんですよー」

「うんっ、実に旨いなっ。この羊肉のトマト煮込みというのは実に旨い」

「あらあらフィリップさんお口にバジルがついていますわ」


 思い思いに騒ぎすぎないよう気をつけながら食後の談話を楽しむ。

 日がな一日手伝いをしていたこともあったフロエの料理は中々に旨かった。以前ほどのメニュー量は維持できず、品目を絞っているようだが、少しずつ以前の客が戻りつつあるように思えた。


 新たにカウベルが鳴る。

 団体客が入ってきて、眼鏡少年アベル=ハイドが応対へと走る。

 すぐに目線を切ろうと思ったのだが、ふとその客の後ろに妊婦が居る事に気付いた。膨らんだお腹はもういつ産まれてもおかしくなさそうだったが、さほど苦ではないのかお腹を庇いながらゆったり歩いていた。あまり見ているのも失礼だろうと思い、今度こそ視線を切る。

 するといつの間にか左右の席にヨハンとジンが集まってきていた。

 いや、なんでかしっかりと先輩が正面に座っている。

 なんだろうこの不安感と安心感は。


「で?」

 ジンがまず切り出した。

「何の話だ」


「「いやいや」」


 薄ら笑いが左右からくる。

 ジンが酒をぐいっと煽り、酒臭いため息をつく。


「いやぁ、俺は今まで誤解してたよ。真面目な顔してやる事しっかりやってるんだなぁお前も」

「何の話だ」

 ポン、と今度は反対側から手が置かれる。

 したり顔のヨハンが下卑た口調で言う。


「まあまずはあの女の言ってたこの前のことを聞こうか、なあ?」


 ちょっと殴りたくなった。

 しかし、皆して流してくれたから安心していたのだが、やっぱり追求はされるか。他で雑談している者たちからも心なしか注意を向けられているように感じる。


「何、この前こちらを利用した時に粗相をしてしまったんだ。みっともない話だから、黙っていて欲しい」


 食事中に言い訳は考えておいた。

 嘘は言っていないし、前々からこの店へ通っていたなどの話はもうセレーネ経由で伝わるだろう。まだ食いついてはくるかもしれないが、ここから如何様にも逃げ口上はある。


「どうせエロいことしたんだろ?」

「いや、していない」


 そう、俺はしていない。

 確かにそんな雰囲気にはなったものの、ヨハンが示す所には発展していないのだから嘘でもない。

 まあ、その、キスとかされた訳だけど。


「本当かぁ……?」

「俺が嘘を言っているようにみえるか」


「「みえる」」


 うるさいハモるな。


「まあ確かに、そこはかとなく童貞臭さが漂ってるからな……不発で終わったとかか?」

「さすがに俺も怒る時は怒るぞジン」


 諸手を挙げて降参を示したジンからヨハンへ視線を移す。

 ヨハンは疑わしげに俺を見詰めた後、納得したのかしていないのか、とりあえずは身を引いて追求を取り下げた。

 そして、今後はジンが陶杯を俺の前へ滑らせてくる。

 復活の早いやつめ。


「まあ落ち着いて聞いてくれ。俺にも感ずる所はあったんだ。そう、お前は明らかにあの子を意識している。そしてあの子、俺だけじゃないぞ? 結構声を掛けた男は居るのに尽くあしらわれていたんだ。なのにお前だけには気を許している所がある。勘違いじゃない。確信がある。もし俺が待ち合わせ場所に先の様子で相手が現れたら今日は行けると確信する。財布の中身を全て吐き出しても構わない。そのくらいの確信だ」


 ジンの直感をどこまで信じていいのやら。

「たしかお前、この前そんなこと言ってた女性からあっさり捨てられたんだよな」

「おっとそれは今は言わない約束だろう!?」

 離れた所で聞き耳を立てていたベンズ少年とペロス少女がくすくす笑い出した。なるほどジンはヨハンの所なんだな。


「あぁここは敢えて身を切ろう。それでも言うぞ、脈ありだ。どころかなんだ? たまに視線向け合ってなかったか?」


 自称ジゴロなジン=コーリア青年は再び降参を示し、しかし彼なりの確信はあるのか言い募る。

 俺がフロエを気にしているのは確かだが、視線を交わした覚えはない。

 フロエもこの店を回す中心となっているんだから、団体客を意識するのは普通だろう。

 色々あった相手だからその中に俺が居れば視線が向くというのも分かる。


 思い上がりを言って良いのであれば、油断出来る相手としては見てくれているのかもしれない。

 しかし、ジンの言う様な分かり易い好き嫌いの感情は、やはり違うのだと思う。


 色々考えて、前提だけは正直に話そうかと思った。

 指でちょいちょいと三人を寄せて、


「一年ほど前、アリエスがあのジーク=ノートンを好ましく思っているような素振りを見せたことがあってな、我ながら多少冷静さを欠いて、あぁ、物思いに夜道を彷徨っていたら彼女にいろいろと助けられたんだ。それで店を案内されて、時折顔を出していた」


「「あぁ……」」


 なんか前半部分だけ大いに納得された気もするが、何も間違ったことは言っていない。真実だ。誇張も虚飾もありはしない。しかし物事というのは観測者によって映り方が異なるということを俺は知っている。そう、俺は奴隷狩りに遭遇したアリエスが、颯爽と現れたジークに助けられ、事もあろうにちょっと優しく接していたなんていう風景を目にし、兄として妹の成長を感じると同時に手元を離れていく物悲しさを覚え、静かな夜道をぼんやり散歩していたのだからな。


「まあその時に情けない所も見せてしまったから、向こうもさほど警戒していないんだろう」

 しみじみ当時を思い出して語ると、ヨハンが大きく頷いた。

「で惚れたと」

「あぁそういうことだな」

「俺の話を聞け」

「聞いた結果の結論だから間違いないだろ」

「あぁそういうことだな」


 俺の話を聞け。


 むさ苦しい男の輪を解き、一度息をつく。

 どうあっても逃がす気はないと肩に肘を乗せてくる二人から逃げるように、俺は先輩へ助けを求めた。

 メルトの時も先輩は俺の話をちゃんと聞いて、応じてくれた。

 先輩だけが頼りだ。

 どうかこの二人を何とかしてください。


「ハイリア」


 何故か、いつも穏やかな先輩の声が重く響いた。

 談笑するフリも止めて皆の注目が集まる。

 意図しないことだったのか多少考えたようだが、先輩は皆の代表としてずばり口にする。


「二股か」

「違います」


 以前のメルトとの事を言っているのか。

 頼む先輩までそんなことを言わないでくれ。


「分かった。隊長殿は絶対に口を割らないのが分かった。だからまあ、もう一人に聞くのが早いよな」


 ちょうど料理を出し終わって戻る所のフロエをヨハンが呼び止める。一応追加の酒を注文した上で、


「こないだ何があった? 内容によってはもっと注文するから、な?」


 フロエは即決だった。


「胸触られた」

「俺は無実だ!」


 そうアレは俺からじゃないし、無理矢理だったし言うなれば襲われたのが俺!

 しかし急激に女性陣からの信用というか今まで築かれてきたハイリア像が崩れつつあるのが分かって結構焦る。


 いかん、迂闊なことは口走るな。

 とりあえず俺が店の女の子にセクハラを働く最低男という誤解だけは避けなければならない。

 その上でフロエとの関係を誤解されるのも避けたい。


 何より拙いのは今までなんだかんだ俺の言う事には素直に応じてくれていた我が小隊の後輩ことジェシカ=ウィンダーベルが本気で軽蔑する目を向けつつあると言う事で。


「うん、分かる。分かるぞハイリア。仕事中の汗ばんだ女の子の肌にはベッドの上で見るものと同じ何かがある。つい手が伸びるのは理解出来る。さすがに俺もそこまでしたことはないがな」

「まずジンは黙っていろ。次に口を開いたら遠慮無く間接を外す」


 そこでようやく一息つき、余計なことを言うフロエに視線をやった。逸らされた。


「…………はぁ」


 目を瞑る。


 店を再開したとはいっても、ミシェルが切り盛りしていた時代に比べれば店内が殺風景なのは分かる。

 彼女なりに儲けを出そうと懸命なのだろう。安易に援助の金を求めるのではなく、本当に店として繁盛させていこうと。情報を餌に儲けを得るというのも、こういう店なら珍しくも無い。


「手が触れたのは事実だ」


 静かに声が出た。

 認める。その上で言う。


「だが皆が思うようなものじゃない。そうだな…………ちゃんと話しておこう。俺が彼女を特別視しているのも事実だ」


 奥で別の一団が酒を手に盛り上がっていた。

 ここには元一番隊ではない者も居る。けれど、皆の目を俺は信用する。


「以前話したな。フーリア人の少女を助けたいと。あれは正確ではない。フーリア人の中でも特別な地位にある一族、フロンターク人の少女を助けたい。その一族は浅黒い肌に、白髪を持つ」


 黒髪に浅黒い肌がフーリア人の特徴だ。

 だがこちらの人種がそうであるように、長い歴史の中で混血が進み、髪や瞳の色などアテにならない場合もある。フーリア人そのものを良く知らないだけに、そういう人も居るのだろうという憶測で、とりあえずは納得してしまう。


「それじゃあよ」


 ヨハンが遠慮の素振りも無く言う。

 品定めをするようにフロエを見て、伏せる。

 今や平穏に見えるこの風景の中から、彼なりの答えを探し出したのだろう。


「まだ、足りねえんだな」

「あぁ、いずれ彼女を基点としてセイラムが再臨する。それを防ぎきれなければ、俺たちは神の台本通りに生きる人形と成り果てる」


 そりゃ大変だ、なんて言うと、ヨハンはさほど強くも無いのに酒を一気に煽った。

 顔があっというまに赤くなるが、どこかすっきりした様子で、ふらつきながらも立ち上がる。


「運命だのなんだの俺にはよく分からねえからよ。はっきりしてるのは、いずれすっげえ敵が来て、そいつら全員ぶった切れば片がつく、そういうこったな。だからよお、オイ――俺は間違ってもテメエの為に戦っちゃいねえよ」


 じっと立つフロエに、ヨハンはいつもの調子で続けた。


「まあ礼がしたいってんなら考えないでもねえがよ、テメエの為に誰かが傷付くなんて考えるんじゃねえぞ。ソイツは命張ってる全員に対する侮辱だ。俺は最強の男になる。とりあえずはそこの隊長殿をぶっ倒して、その内やってくるってぇ神だかなんだかをぶった切って、それでまあ、俺なりの満足を手に入れる予定だ。ここに居る誰もがそんな感じだ。結果的にお前がどうにかなるんだろうくらいは思うけど、勝手に抱えるな、背負うな、だが抱えたかったら抱えてみろ、背負ってみろ、だがたった一つコレだけは守れ」


 これはきっと、俺に対しての言葉でもあるのだろう。

 思わぬ言われように流石のフロエも黙って聞いていた。


「一人に飽きたらこっち来い。分かったかコラ」


「うん。……ありがとう」


「応よ」


 ヨハン、ありがとう。


    ※   ※   ※


 予定とは大いに異なったが、省いていた説明を主だった者たちには出来たし、思わぬ収穫も得た。

 子羊亭を出てからは皆バラバラに、家やこの後の予定に向けて歩き出した。迎えの馬車もあっただろうが、しばらく誰もが歩こうとしたのだと思う。


 そして俺は、本来の目的だった我が小隊の後輩、ジェシカ=ウィンダーベルと共に薄暗い夜道を歩いていた。


「あそこで見せたものが、おそらくは君の知らない、俺にとっての……たぶん何もかもなんだと思う」


 全てではない。

 全て、なんてものを見せ切れる訳もない。

 俺自身でさえ俺の全てを理解しきれていないんだから。


「先日な、王都に居る仲間からの手紙が届いたんだ。気安い世間話もあったけど、二つほど重要な報告も含まれていた。一つは俺の頼んだ調べ者で、もう一つは以前からの問題について一つの決着を見たという話だ」


 ジェシカは俯いたままついてくる。


 ウィンダーベル家は複数の国を跨いで存在する大貴族だ。一国を呑み込み得る軍事力を行使出来るし、時間を掛けていいのであれば経済的な手段で国を滅ぼすことも可能だろう。一部、古くから縁遠かったり警戒を抱かれている国なんかでは大した力も発揮できないそうだが、基本的にこの大陸西方に根を張った家門だと思って良い。


「東側の出身か……通りで俺もすぐには思い出せなかった訳だ。以前に会ったのは一度だけ、俺が嫡男に指名されて間もない頃だったな」


 言葉も交わさず、遠目に見ながら名を聞いた。

 言うなれば、そのくらい彼女の家はウィンダーベル家の中で力が弱い。

 ほとんど縁が切れていると言っていいくらいに。


「本当は何かを抱えているようなら、話を聞いて力になれたらと思っていただけなんだが、君の経歴を聞いて繋がった」


 石畳を踏んで、間に挟まった砂礫が不快な音を立てる。


 こんなの、もしかしたら明かさなくともやっていける。


 でも、曖昧にして、誰かが傷付くようなことには出来ない。


 何より俺はジェシカの真剣さを目の当たりにしている。

 力になれるのなら、手を貸せればという気持ちに変わりはない。


「内乱の終結後、近衛兵団の副団長が姿を消した。彼が宰相側の間諜であったことは陛下からの証言もあって確認が取れている。では地下に潜ったのか? 意味を持たない。宰相は捕らえられ、今も王都の獄中だ。宰相の息が掛かった貴族や商人らは利権を取り上げられ、一部は位の返上にまで事が及んでいる。また彼らの家々にその姿は無かったという。何より宰相自身にもう復権を望む意思が無い。では副団長は何処へ消えた? 身の安全だけが目的とは思えない。あの終盤で素性を晒し、陛下を宰相の下へ送り届けることに何の意味があったと思う?」


 勝利の為の行動ではない、裏切りを知らしめる行為の理由は、もう隠す理由はないと判断したからだ。

 副団長は勝敗を目的とはしていなかった。間諜であることを隠し通していけば今頃彼が近衛の長になっていたかもしれない。それを蹴っての行動が意味する所は権力や金や、ましてや遊興の類ではない。表面的な人柄についてや日々の行動などは近衛の皆から十分に聞き出している。


 陛下は彼の行動に対して極めて強い警戒と興味を持った。

 だから実態としては最早気に掛ける必要もない近衛兵団の副団長一人の行方に、多くの人手を割いて調査することを命じた。

 そして時間は掛かったものの、ようやく足取りを掴むに至った。


「副団長は内乱後、ウィンダーベル家のある分家筋に囲われて身を隠した。しかしそれを見た人間によると、憐れな敗残者を助ける様ではなく、まるで主を迎えるような様子だったという」


 足音が止まった。

 振り返り、少し下がった所で俯く彼女と向き合う。


 ジェシカ=ウィンダーベルは、この西方では絶大な力を発揮する一族の末席に名を連ねる少女は、何故この年齢で戦いに身を投じ、あれだけの実力と意欲を身に付けたのだろうか。


 俺が神父との戦いで見せた動きを真似て見せた。

 他にも多くの事を、目にした戦いから読み取り、真似て、試行錯誤を重ねている。

 成長したいという願いを誰よりも持ちながら、けれど届かないのか。

 あの中で誰よりも己の限界を知っているのは彼女に他ならないのだとすれば。


「何分数も多く、方々に散ってしまった後だったからな。その上、拾い物を素直に送り届けてくれるような者たちでもないから、聞きだすのにも苦労したそうだ。仲間に引き入れておきながら、敢えて君の素性を調べようとしなかった、俺の甘さが原因だろうが」


 であればもっと早くに発覚していたことだ。

 この少女の家が最早大きな力を維持出来ず、ここより東方の国で一臣下に成り下がっていたことなど。


 オラントはどこまで把握している。

 以前何の気なしに考えた、マグナスならば自分に反するような男を副官にしていてもおかしくないなんて想像が、ここへ来て現実味を帯びてきた。

 反するどころじゃない。あろうことか他国の間諜を彼は抱きこんでいたのだ。

 どういうつもりだと、墓へ問い掛けても意味は無い。

 笑いながら、その方が面白いだろうと言われそうだ。


 ただ、ここから先は憶測しか持ち得ない。

 大陸の東西は長年に渡って交流が途切れている。

 シルクロードのような交易路を持つでもなく、新大陸に手を伸ばした後で猛反撃を受けて、星を一回りすることも出来なくなった歴史の中では、未だ机上の理論でしか世界の丸さを実感できていない。


 黒色火薬、活版印刷、羅針盤。


 三つの発明をこちらに齎したのは東方の者たちだ。

 戦いによって占領した敵地から偶然発見されたものを、現地からの情報やこちらでの分析、開発によって発展してきた背景がある。


 末端に流れてきた、放棄されて残されただけの技術が、果たして最新鋭のものと言えるだろうか。


 詮無い想像だ。

 問題はそこにない。

 科学力の差異による軍事的脅威度の概算がしたいんじゃない。


 大陸西端に位置する半島にて興ったフィラント、北方の島国エルヴェスに、南方へ内海を挟んだ先のガルタゴ、そして名も判然としない東方の国々。


 角を突き合わせたら即戦争、なんて時代は最早過去になりつつある。

 これは好機だ。

 閉じた世界ばかり見ていては掴めない、世界を変え得る異物の存在。

 三大発明によって大航海時代が訪れたように、起爆剤足りうるものがあるのなら、貪欲に欲し、利用したい。


 俺については既に明かした。


 さあ。


「聞かせて欲しい。ジェシカ=ウィンダーベル――君の物語を」





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