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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第四章(上)

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 打撃の音が強弱を交えて連なっていた。

 ハルバードによる連打は忽ち相手の姿勢を崩し、けれど吹き散らされる魔術光による守護と、どれほど逃がしながらも確実に手元を揺るがす打撃の加護によって攻め切れず隙を生む。


「っ――!!」


 乾坤一擲、とこれまで守勢に回らされていた悔しさごと放たれたジェシカ=ウィンダーベルのソードランスを、俺は回避も取らず硬守で受けた。

 打撃の加護によって柄がたわみ、震動は手を痺れさせるが、全身で衝撃を受けきったことで生じる僅かな溜めの後、打ち付けた攻撃の思わぬ反動で肩と腰が後ろへ流れてしまっているジェシカの手元を打ちつけた。

 叩き付けられるソードランスと、またもや打撃の加護によって浮き上がる俺のハルバード。

 けれどそれは、重量物を自らの力で持ち上げるより遥かに効率的で、武器を失った彼女への王手となるものだった。


「…………」


 回避は間に合わなかった。

 けれど目を逸らすでもなく、甘んじるでもなく、じっと見据えてくる瞳が実に印象的で、俺は止めた矛先の向こうで片膝立ちをする少女を見て笑みが浮かんだ。


「はぁいそこまでっ」


 ナーシャが手を打ち、声同様にふんわりした空気が周囲に満ちた。

「どうぞ」

 手渡される柔らかな手拭いを受け取り、汗を拭う。どうぞ、とジェシカに、そしてまた少し離れた場所で仰向けになって息を切らせるフィリップ、淑女にあるまじき尻を突き出すようにしてへたり込むセレーネへと順々に手渡していった。


「っっっ……!」


 そこでようやく、ジェシカが心底悔しそうに喉を鳴らし、訓練場の固い床を掴む。


「ば、ばけものか……息一つ乱れてないぞ……」

「失礼だなフィリップ、汗を掻くくらいには苦労したぞ」

「三対一だぞ!? 魔術も使わずこの人数を相手にして良い汗掻いたで終わらせる気か!?」

「あらあらフィリップさんはまだ元気みたいですね」

「そうだな、次は一対一でいくか?」


 勘弁しろーっ、という抗議を受けたのでとりあえず休憩にしよう。


「まあ実際、『弓』の術者であるナーシャが混じっていたらそうそう勝てなかっただろう」

「可能性あるみたいに言うのおかしくないか?」

「せめて状況を整えさせていただければいいのですが」

「あくまで慣らし訓練だ。連携もまともに取れない三人と熟達した三人組とでは別物だからな。動きを見るのが目的だから勝敗はどちらでもいい」


 さて実際に人数が揃ってきて、天ぷらうどんも頂いた俺たちは早速訓練にと乗り出した。

 勧誘も大切だが、短期間に見知らぬ人間が増えすぎるというのも組織にストレスが掛かる。フーリア人勧誘についての反応はそれぞれだったが、浮付いた状態のまま迎え入れて余計な問題も起こしたくは無かった。


 というわけで肩慣らしも兼ねて戦ってみたのだが、


「さあ起きるんだセレーネ。一番に敗退するとは情けない。エースの名が泣くぞ?」

「…………私がハイリア様に勝て」

「ん?」

 ちょっと抗議を踏まえて聞くとセレーネは押し黙った。

 あんまり強要してもいけないとは思うのだが、俺なりに本気で彼女の能力向上を考えている。

 ついてこれるかは彼女次第、などと上から目線で投げるつもりもない。彼女が俺を見捨てない限り、俺は彼女を見捨てずわがままを言わせて貰う。

「はぁーい……」

 お尻がずり落ちていき、改めてへたりこむセレーネ。

「あぁ……今ほっぺにチューとかしてくれたら頑張れる気がします。お口でもいいんですけどね」

「ふむ」

「あれ!? え!? 今ちょっと検討してくれました!? 喜んでお待ちしておりますどうぞこっちとこっちへチューっと一つどうぞ!!」

 とりあえず手拭いを顔面に押し付けておいた。

「あーっ! 照れ隠しですね!? これは照れ隠しですね!?」

「いや違う」


 結局一人で身悶えしながら転げまわる辺り、それなりに余裕はあるらしい。

 この余裕が空っぽになるまで一度搾り出してやりたいのだが、どうすればいいのやらだ。

 本当に頬へのキス一つで死に物狂いの頑張りが得られるのなら検討するが。まあそのくらいアリエスにはよくしていたからな。そういえば既に口にもしていたか。あれは間違い無くアリエスのファーストキスだ、ふふふ、性的な興奮など一切覚えないが兄として不思議な誇らしさがあることまでは否定しない。この世で最も純粋で清純なる愛とはまさしく兄妹愛に違いないのだからな。

 俺が大宇宙の真理について思考を巡らせていると、今度は背後で青の魔術光が撒き散らされ、ジェシカ=ウィンダーベルが再びソードランスを手に立ち上がった。


「もっ、もう一度! やるなら私ともう一戦!!」

「いや、一度休憩だ」

「何故!? 私はまだやれる……! そこでへばっている腰抜けや半端者と一緒にするな!」

「ざくうっ!?」

「腰抜け……腰抜け……」


 ふざける余裕のあるセレーネはともかくフィリップのトラウマスイッチが入ってしまった。

 うつ伏せのまま身体を抱いて膝を寄せる姿はもう哀れというか見ていて辛い。

 というかお前どんだけトラウマ抱え込んだんだよ分かるけど!?


 一方で、確かにジェシカは真っ先に俺へ切り込んできて、その後もひたすら動き続けていたにも関わらずあまり息を切らしていなかった。

 期待の新人とフィリップは言っていたが、それはウィンダーベル家の御紋を指していただけではないらしい。


 ただ、なんと言うべきか。


 返答を考えていると、ジェシカが先に折れてきた。


「っ、言葉を荒げてすまない。私の負けだ。その、ありがとう……ございました」

「あぁ。ありがとう」

 やはり単なる貴族の令嬢として生きてきたのではないのだろう。

 この礼儀正しさは品の良さというより、ちょっと体育会系の匂いがする。

 天ぷらうどんを興味深そうに食べていたし、案外庶民的な感覚にも馴染みがあるのかもしれないな。

「これから何度も機会はある。まずは休憩だ、俺も時間が欲しい」

 しばし考え、こくりと頷いて『槍』の紋章を風と散らせる。

 青の光が消えていくのを待って、ジェシカは口元を引き結んだまま踵を返し、訓練場の脇にある椅子へ上品に腰掛けた。座り姿は綺麗なもので、けれどゆっくり息を抜いていく様子から、ちゃんと休息を取ってくれていることを確認した。


 以前なら俺は必要に応じて訓練相手をしたり、思うまま個別に声を掛けてアドバイスや指示をしているだけだったが、こういう細かな部分も自分でやらなければならない。

 セレーネは、彼女の方針は別としてやはり戦闘面での向上心に欠ける。フィリップは変に戦い慣れているせいで自分の慣れの範囲でしか無理をしない。ジェシカは……これもまた厄介な状態だ。


「彼女、とても熱心でしたね」

 ナーシャがさりげなく寄ってきた。

「気付いたか」

「おそらくセレーネさんも気付いてますよ」

「まあ……あれだけあからさまだと、さすがにな」


 今後徐々に修正していくしかないだろう。

 何も悪いことばかりじゃない。

 個人的に内心が掴みかねる部分もあるが。


「しかし……」


 今の一戦への総評を考え始めた時だった。


 少しして、詰め所の正門が僅かに開かれる。音に気付いた皆の視線がそちらに逸れて、


「全員伏せろ!」


 横合いから飛ぶように駆けて来る黒い姿があった。

 それは銀光を煌かせ、風を裂いて跳ね上げてくる。

 武器を以って応じることは避けた。

 相手の踏み込んできた左側を引き、残った右半身に軸を移し、やや前傾してしまうのを堪えつつ、動きの根元を捉え、指先で刃を掴み取る。


 前髪を僅かに切り落とした直刀に、黒髪の少女が映っている。

 彼女はにんまりと笑みを浮かべ、何かを言おうとしたが、


「貴様……っ!!」


 ジェシカ=ウィンダーベルがソードランスを握りこみ、刺し貫こうとする。紋章を浮かび上がらせ、魔術光を広げ、武器を握りこみ、実際に加護が与えられるまでの間、移動の制約が完全に掛かりきっていないことを承知した良い発動と踏み込みだ。同時に背後でフィリップまでもが動こうとしているのを感じ、けれど、


「よせっ! 攻撃するな!」

「よいよい。そうでなくては張り合いがないじゃろう」

「っ、ぁああ!!」


 嘲弄する声にジェシカが応じる。

 すぐ近くで立つ俺が煽られるほどに激しく魔術光を吹き散らし、おかげで腕を掴んで留めようとしたのさえ阻まれる。

 せめて少女を庇おうとしたのだが、こちらも素早く武器を放して間合いを取りつつ、突きを放とうとするジェシカへの反撃の位置取りを見定めた。少女が下がった勢いを足元へ向け、前へと転換する。姿勢を低く落としての踏み込みだ。

 素早くはあったが、『剣』の術者には及ばない。だからジェシカは当たり前に矛先を下げ、踏み込む先を塞ぎながらの軽い払いへと変化させるべく握りを変えようとし、手を滑らせた瞬間を狙った黒髪の少女が低姿勢から跳ね上がる。身を一回転させながらの飛び上がりは、下がり始めた矛先をもう一本の直刀にての叩き付けを含んでいた。


「っっっ、!」


 握り替えの力が不安定な状態を狙われ、且つ慣性方向への打撃はソードランスの矛先を訓練場の床へ沈めた。

 結果ジェシカは柄を広く握りなおす必要に迫られ、それが彼女の利点であった間合いを大きく減じさせることとなった。


 俺も俺でどうしたものかと視線を正面扉へ向けた。

 立場上俺が矛先を向ける訳にもいかない、なんとかしろよと。

 金髪に碧眼の青年はこくりと頷きしかし敢えてかゆったりとした所作で腰へ手をやる。


「カカカ! 良いぞ! 中々にやるではないかっ、レイクリフト人の女よ!」

「フーリア人がっ!!」


 そう、黒い髪で、浅黒い肌を持つ小柄な少女は、満面の笑みを浮かべて、動きの遅れたジェシカの脇を抜け、その際に空いた指先で彼女のわき腹を突いた。


「っっっ~~~!? キ、貴様ァッ!!!」


 思わぬ刺激に顔を真っ赤にしながら叫ぶ姿にちょっと嬉しくなる。

 ほら、後輩の驚いたり喜んだりする素直な反応って先輩として愉しくないか? ずっとむすっとしていた子であれば尚更だ。


 しかしいつまでも眺めている訳には行かない。

 相手の同行者が腰から刀剣を抜き放つのを見ながら、俺は直後の動きに備えて二人の間へ踏み込んでいく。


 地面へ突き立てる、直後――断ち切られた『槍』の魔術が掻き消え、武器を振り被っていたジェシカが息を呑んで驚愕した。

 横目で俺の言葉に従って戦いには加わらなかったフィリップが未だ突撃槍を手にしているのを確認しながら、流した視線の中でナーシャが指を翳して距離を測っているのを見る。。


 俺は理解しきれない後輩の頭をポンとして、まだまだやり足りないとばかりに向かってくるフーリア人の少女を止めようと向き直ったのだが。


「はっはっはー! 隙ありぃぃぃいいいい!!」


 もう武器すら放り投げて飛びついてきていたので立場上受け止めることにした。

 暴れられるよりずっとマシだ。


「なあっ!?」


 今まで素知らぬ顔で距離を取っていたセレーネが手を伸ばしてくるが無視した

 どーん、と景気良く掛かる重量も実の所そう大きくない。

 浅黒い肌の、フーリア人の少女の年の頃は陛下より少し上という程度。

 首に腕を回し、足を垂らす姿はまさに幼子のそれだ。


 しかし、途中で気付いたナーシャが攻撃を止めたように、このホルノスで彼女へ敵意を示すのは王への反抗に等しい。あくまで戯れと言い訳も出来るのだが。


「来てやったぞおハイリア! さあさあ、余の用意は出来ておる。早速結婚しようではないか!」

「なあっ!? なああああに言ってるのこのガキンチョ!?」

 いいから静かにしてくれ。

 俺は努めて紳士的に少女の両脇を掴み、口付けを目論む顔を引き剥がし、回されていた腕にどうしたものかと悩む。


シャスティ様(’’’’’’)


 同盟話まで持ち上がっている友好国の王の名を呼び、離れないので膝をついて地面へ降ろす。

 にんまり笑う少女は、俺の返答を愉しむようでいて、きっとこの流れごと彼女は予想し、遊んでいるのだろうと思う。


「どうかご容赦下さい。国事に関わることともなれば、私一人で決めることは出来ません」


「国事なればこそ迷う理由などないじゃろう? 我がフィラントは最早地盤を固めつつあり、貴国ホルノスとは友好関係にあるんじゃ。関係の強化にも、我が国への監視役という意味でも決して悪い話ではなかろう。位を失ったヌシとしても余との婚約は後ろ盾にもなる。協力を求めるなら相応のモノを差し出すべき、のう?」


 すらすらと、好いた惚れたの感情論ではなく、本気で国事としての結婚を求めるシャスティに困ってしまう。

 通常結婚話を突っぱねるだけでも戦争にすら発展する世の中だ。彼女が俺との戯れに興じているからこそ、付き人である金髪の青年も多くは言わず眺めているに留めるのだ。というか止めろ、お前の王だぞ。

 レイクリフト人そのものな青年は、誰に似たのかにんまり微笑んだ。


「我が王は奔放であらせられますので」

「女の一人寝は寂しかろう? 昨夜はコヤツと寝屋を共にしたんじゃよ」

「はい、朝までポーカーに興じておりました」

「大人しい顔をしとるが、中々に激しい攻めをするヤツでのう。顔に出すまい、出すまいとする余を殊更強く攻め立ててきおった」

「まずはポーカーフェイスに慣れなければいけませんね」

「しかし最後は一発逆転っ! 溜め込んどったものを一気に出させてやったものよ!」

「あまりの大胆さに私も思わず我慢し切れず……」


 怪しげな表現を訂正するなら最後まで貫いて欲しい。


「今日の相手はハイリアがしてくれるんじゃろう?」

「まずは一夜の思い出をいかがでしょうか」


 せめてアンタが訂正側を貫いていれば多少考慮もしただろうがな。


 やんわり否定の意思を示すと、昨夜の興奮を思い出したらしいシャスティが赤らめた頬へ手をやり、やがてにんまり笑んだ。


「余との結婚はお得じゃぞう? こちらへ来る前に一騒動あってな、ようやく閉鎖状態にあった金鉱山が動き出したんじゃ。下流では砂金もよー取れる。他にも色々と、これまで放置されてきた金づるを生かしていくからしばらくは贅沢し放題じゃ。爛れた生活を共に送ろうじゃないか、なあ?」


 遅れてやってきた国際色豊かなフィラント王国の近衛たち。

 そして、見慣れた顔が現れたのに気付いて俺は自分の今後を察した。


「だ、駄目……だから……」


 ぼそぼそと、けれど以前よりは大きくなった声に笑みがこぼれる。


「ハイリアは……、わた、私の、臣下……絶対に、あげ、あげない……っ」

「陛下っ!」


 首にシャスティをぶら下げたまま躍り出て、御前で膝をつく。

 フィリップをはじめ、ジェシカやナーシャ、遅れてセレーネも、跪いて深々と頭を下げる。


 ルリカ=フェルノーブル=クレインハルト女王陛下は、いつも通り気疲れした様子で、けれどきっと思い上がりではなく俺を見てほっとしたように力を抜いた。


「久しぶり……」

「お久しぶりです」


「なんじゃなんじゃ。余との時は平静だった癖にこの尻尾の振り様は。ふーん、ふーんふーん!」


 少々煩い首飾りがあって困っているのだが、素直にこんな所でお会いできるとは思わず、嬉しかった。

 目を合わせて言われることもなんとなく察しがついた。

 ただ、はっきりさせておいた方がいいこともあるもので。


「お伺いします」

「許す」

「このデュッセンドルフへいらっしゃられた意図を、お聞かせ願います」

「うん」


 離れた時と変わらないようでいて、少し成長されたようにも感じられる陛下は、やっぱり結構疲れた色を滲ませて言うのだった。


「鉄甲杯の身届け役とか、交渉事の仲立ちとか。本当はようやく落ち着いてきたから部屋で寝てたかったのに……フィラント王が、凄く熱心で…………」


 言葉を選んだのは分かった。


 にんまり笑う褐色少女がカカカと笑い、陛下の影が少し濃くなる。

 えぇハイ、完全なるインドア派である陛下とお外大好き自由奔放少女シャスティが絡めばそうなるでしょうね。

 しかし立場上拒否も出来ない。国家間の問題、ではなく、自国内で進める奴隷制度廃止の為だ。差別しちゃ駄目だよと言っている一番上が嫌がっていたら誰も聞きやしない。そしてシャスティは分かっていてガンガン擦り寄ってくる、容赦がない、実に肉食系だ。陛下だからちゃんと一線を越えないよう気をつけているだろうが、強く出てこない相手へ徹底して付き纏い、疲弊させることで投げやりになった者から有利な条件を引き出す方法というのは多分にある交渉術だ。


 陛下の胃袋が心配になるなぁ……などと苦笑いしながら言葉を拾い上げる。


「鉄甲杯、ですか。それはこちらで開催される大会の名前でしょうか」


 相変わらず目に隈を残したまま、けれど俺の表情を見て素直に笑って、


「うん。百万本の花宣言と、フィラント王国の由来から取って、鉄甲杯」

「フーリア人が独自に持つ神話で、余たちを乗せてあっちの大陸へ送り届けてくれた大精霊の名じゃな。フィラントは山のように巨大な亀であったと伝えられておる。ま、開催地がホルノスじゃからのう、名くらいは譲って貰わんとな、カカカ!」


 それについてはメルトやフィオーラから予習してあった。

 こちらの大陸から海を渡った者たちは大陸の東側に辿り着いた。そしてフーリア人らは大陸の西側からやってきて、全土へ広がっていったのだとか。流刑となったセイラムが東側より接触し、以降セイラムの血族であるフロンターク人らによって極めて緩やかな支配が続いた。多分、支配という言葉も相応しくない。多くの部族に尊ばれながら様々な争いごとの仲介を成し、人々が生きていく上で自ら望んで規定する法を浸透させていったという。

 きっと完璧には程遠かった。けれど確かに芽生えようとしていた、聖女と呼ばれた者のささやかな奇跡……。


「そういえば鉄像の設置場所はまだ決まっていないとのことですが」

 百万本の花宣言と呼ばれるホルノスとフィラントからの宣誓文は、様々な所で物議を醸していると聞く。

 内乱終結直後に発せられただけに、ホルノスにおける内乱の発端はフーリア人への憐れみであるとの見方もあり、また注目度も非常に高い。

 百年のも未来へ向けて、重ねすぎた罪の償いと、前進を願うあの文面をもうどれだけの人々が目にしただろう。


 理想を謳って果てて逝った先王ルドルフを誰よりも強く否定した陛下が、苦難の果てに作り出した。たとえシャスティによる後押しがあったとはいえ、陛下が理想を求めたことは、単に政治目的だけじゃないと信じている。


「余の国に置けば嫌味になるからの。ホルノスのどっかそこらへんで良いと言っておるのじゃが、色々と揉めとるようじゃ」


 頷き、応じる。


「自らの罪の置き場に思い悩めないようではまだまだ遠いと、そういうことですよ」

「上手いこと言いおる」


 カカカ、と愉しげに笑い、シャスティはようやく俺の首から手を離した。

 音も無く歩き、護衛のレイクリフト人から鞘に納まった直刀を受け取る。


 幼いながらも自信に満ち、鋭い目を持つ少女の横顔を見ながら、シンシアについて尋ねるべきかと考える。

 駄目だな。借りになってしまうし、何より結果が想像付かない。オーケンシエルがフーリア人に関係する名であったのなら、首を突っ込まれて身動きが取り辛くのもいけない。一番隊は解散したがヘレッドを連絡役に調べは進めて貰っているから、焦り過ぎない方がきっといい。


 視線に気付いたシャスティはさっと頬を染め、


「結婚、する?」

「しません」


 デュッセンドルフ魔術学園にも貴族の女生徒向けに意図して赤面する訓練とかあったよな、と男が知るべきではない世界のことを思う。


「ハイリア」

 ぐい、と陛下にしてはちょっと強めに服を引かれた。

「はい」

「…………ううん」

 真剣に見詰められて素直に見返していると、陛下の方から目を逸らしてしまう。

 幼くて、けれど懸命であろうとする我らがホルノスの王さまは、ちょっとだけ増えた瞬きをそっぽ向いて隠しつつ、


「今日は学園見学。元男爵の父から案内を申し出られたけど、ハイリアが居るから断った。本当は前もって話を通しておくべきだったのに、ごめんね」

 理由はだいたい褐色少女が知っていそうだから問題ないですよ。

 内乱の折に現れた時といい、万全を喫して準備を整えるより、とにかく動いて万事に当たれる供回りを欲しているのだろう。

「普段は近衛が付いてるけど、同行してもらうこともあるから、その時もお願い」

「喜んで」

 うん、と頷き、

「でも今日はこっそり見たいって話だったから、少なくした。だから、ハイリアが護衛……してね?」

「承知いたしました」


「結婚……してね?」


「駄目」

「お断りします」

「いけずう」


 流れに乗れば頷くと思ったか甘いぞシャスティ。


    ※   ※   ※


 実の所フィラント側にとってこれは単なる見学ではなかった。

 デュッセンドルフ魔術学園が今年から新たに受け入れた留学生の現状を見ること。

 すなわちフィラントからの留学生であるフーリア人と、こちらの者たちがどの程度馴染んでいるかということなのだが、


「まあこんなもんじゃな」


 古めかしい校舎を眺めながらシャスティが聞こえるように呟く。

 学園の本校舎は歴史ある建物だが、度々改修を経て現代的な美術が多く取り入れられている。貴族らが出入りするとあって使用人たちの詰め所、煮炊きの出来る場所なども専用で設置され、大きく裏へ回ると日々百以上もの荷馬車が出入りする立派な荷揚げ場もあるのだとか。学園の塀の外にも車庫、馬を休ませる厩舎に御者たちの過ごす休憩室があるなど実に充実している。

 俺はあまり利用しないが、ビジットやジンなんかは学園内の娯楽施設でよく遊ぶらしい。


 そんな本校舎とは打って変わって、この旧校舎はある意味で正しく学園校舎然としている。

 教室、廊下、お手洗いに教師らの詰め所、校舎周辺には申し訳程度のベンチに整えられた花壇。この時代で言えば十分に整った環境なのだが、本校舎をまず見てきたというシャスティの目にどう映るかは明らかだ。


 しかしあからさまに改善を要求はしなかった。

 これが現状なのだと、彼女は理解している。

 なによりこの措置は無用な争いを避ける為だった。

 仮に本校舎の一部を彼らの場所とした場合、弾き出された者がこちらを使うしかない。フィラントからの留学生は多くはないが少なくも無い。そうなると弾き出されたものの不満と、彼らへの同情と正義を得た者が強い反発を示すことになる。元々貴族と平民とで対立が起きているくらいだから、つい先日まで人とすら扱っていなかった者たちと混ぜればどうなるか。

 もし流血沙汰ともなれば今後にも大きく差し支える。


 融和政策も急ぎ過ぎれば弾圧と変わらない。

 今は腰を据えて一つ一つ実績を重ねていく期間だ。


「ふむ、あれはなんじゃ?」


 シャスティが興味深そうに指を刺す。

 校舎の中央、最も高い場所にそれはあった。

 丸い文字盤と長針短針を持つ、大きな時計。そこの一部が開かれ、なにやら作業をしているようだった。


「時計合わせではないでしょうか」

 案内役ということもあって、俺が率先して説明することにした。

「ほう?」

「ゼンマイ式の時計は徐々に力が弱まって針の進む速度に乱れが出ます。それでなくとも、歯車や支えの柱などの僅かな歪みでズレが起きるものですから、定期的に時計の針を合わせるんです」

 馬車本体より車輪の方が高価な時代だ。加工技術がまだまだ未熟な今の時代、いや現代ですら常に電波の送受信などで合わせていなければデジタル時計ですら乱れを生じるのだから、ああいうのは当然の措置なんだろう。

 星の位置関係、日時計などを基準に標準となる時計を一つ作り、周辺地域をそれに合わせる。

 たしかデュッセンドルフは西にあるウィンダーベル家の領地の大時計と共通していた筈だ。


「国内で時間が違うものなんじゃな。ウチはどうなっておる?」

「フィラントでは王都メルフィスの大時計がすべての基準となっております」

「ふむ」

 言って、彼女は空を眺めた。


「昔は時間なんぞ気にしたことも無かった。じゃが細々した政務をこなす内に、人と関わる内に互いの約束事を取り決めるのに時間は不可欠となっておった」


 多くの者にとって時間は大した意味を持たない。

 夜が明ければ起き出し、日が暮れれば家へ戻って眠る。過酷な鉱山労働者ですら、労働時間が明確に決められていない為、経営者の判断一つだと聞く。デュッセンドルフのみならず、多くの大都市ですら時計が普及していないのは、労働者らに時間を教えない為だという話を聞いたことがある。多少陰謀論にも似ているけれど、奴隷階級のみならず平民にだってまだまだ権利が不足している。

 権利にはコストが掛かる。

 それを回す為にはどこかから稼ぎ出さねばならず、奴隷制度の廃止は遅々として進まない。

 上手くやっている方だとは思う。

 俺なんかよりも陛下を始め、多くの有能な文官が居る。

 十年先を見据え、現実的な速度で彼らに権利を返していく。

 方法論として、政治を司る側として、これはきっと正しい。


 けれどその十年をすべての者に返す方法は存在しない。これまでの日々も、明日からの日々も。

 奴隷制度を悪としながら、正しさを振り翳して悪を断行する。

 もし俺が何も知らぬ一般人であれば唾を吐きかけていたかもしれない。


 そう。かつて陛下が言っていたように、俺たちにとって都合の良い、正しさなのだろう。


「共に傷だらけとなりながら歩み続ける王道もあれば、誰かに背負わせ他を引き上げていく王道もあろう」


 いつしかシャスティは俺を見ていた。

 目が合うと、王を持たず生きてきたフーリア人の少女はカカカと笑う。


「ヌシは真面目過ぎて良いのお、表情を抑えると抑えた事実が顔に出る。状況や普段の言動をある程度理解すれば何に葛藤しているかよう分かる」

「分かるぞと敢えて仰られるのは、より分からせまいとさせる為の誘導でしょうか」

「クギを刺して選択肢を狭めておこうとしても無駄じゃ、余は思うようにしか話さん」


 だが、といつものにんまり笑顔で付け加える。


「大切なのは納得じゃろう。どんな理不尽であっても一定の納得があれば人はついてくる。王は民の為になんぞと世迷言を申す阿呆共はとっとと首を跳ねよ。それは王に妄言が許されるほど豊かである証拠じゃが、一つ間違えば国を滅ぼす。まあ、納得して滅ぶというのなら止めはせぬがな、そんなのは王でなくとも出来る事。王を名乗るなら王にしか出来ぬことをせよ。でなければ無駄に労力と浪費を重ねることになる。王政とは実に効率が悪いからな、カカカ!」

「我が王のハーレム設立にあたって消費税の導入が始まりますからね」

「浪費こそ王の特権よ、羨ましかったらこの首撥ねて玉座を奪うが良い」


 実に暴君、実にシャスティらしい発言だ。

 王にしか出来ぬこと。

 彼女の言った言葉を少し考えるが、俺にはイマイチ想像出来ない。


 ただコレに付き合わされている陛下の胃痛が心配と、その程度。

 見れば陰の濃くなった陛下が空を眺めていた。


 昔は日光浴びれば死ぬとまで仰っていた方が、今やそちらに逃げるくらいには大変なのだろう。


「つまりのう、ハイリア。ホルノスの奴隷共が本気で嘆いているのなら自ら脱すればいい。声をあげぬのなら甘んじているだけじゃ。殊更気にすることでもないわ」

 仮にも初顔合わせに際して奴隷全部引き受けるぞと言っていた人間とは思えない発言だ。

「カカ――!! こっちもようやく国が興ったばかり、数万数十万もの人間を一挙に受け入れても家なんぞない、物の行き来すらままならず飢餓と伝染病を撒き散らすことじゃったろうからの。はいどうぞと返されんで助かったわ」

「現在未開拓地域への入植者、再建しつつある金鉱山などへの労働者として受け入れを開始していますが、年に三千ほどが限度といった所でしょうか。行き先も本人の望みどおりとはいかず、故郷へ戻るなどとはやはり難しい」

 秘書も兼ねているのか、金髪の青年が付け加え、愉しそうに微笑む。


 後ろから陛下に指先を掴まれ、発言は控えた。


 シャスティは王たらんとして、王の在り方に憧れて玉座に付いた。

 全てを肯定できないのと同じくらい、全てを否定も出来ない。


 これも彼女の言う納得の部分なのだろう。


「玉座は常に血塗られておる……ホルノスが先王ルドルフは夢想家とも言われておるが、王とは何者かを履き違えてはおらんかった。結末を笑いはせんよ。後悔などどうなるか分かったものじゃない。まあ、余は最初の相手をホルノスに選んで良かったと思っておるんじゃよ。余と同じ方向を見ながら、全く違う価値観に基づいて歩もうとする者、これほど優れた友はおらん」


「本当に、口が達者でいらっしゃる」


 このくらいは許されるだろうと皮肉を言い、だからシャスティは一層愉しげに笑う。


「私は……」


 掴まれた手に力が入った。

 あぁ、ここまで言われて黙っていてはいられない。

 ちょっと冷たい手を握り返し、あの心底愉しそうな主従の前で俺も陛下へ傅いた。


「愉しいことよりも、辛くない方が好きだから、そうなっていくように国を動かす。辛くなければ、退屈できるくらい辛くないなら、暇を潰そうって何かを始めるから。だから、今辛いことを我慢してでも、誰かの苦しみを取り除いていく。我慢できる人がより多く我慢すればいい。頑張ってきた自分を誇りにして、ふと前を見たときに、愉しく笑う人たちが居れば良い。私は、それが、好き。うん。そう」


 これもまた、王の欲なのだと。

 王の下に欲が集まるのではなく、王が欲を育む土壌を作り、そこで奔放に過ごす者たちを見たい。


 箱庭ゲームだな、なんてちょっと馬鹿な喩えが浮かんだ。


 かつて俺が語った多様性に富んだ世界を、陛下はしっかり覚えてくれているのだ。

 誇らしくて、嬉しくて、ちょっと涙ぐみそう。


「こりゃ奪えんの」


 隣でシャスティが悔しそうに言うのを聞きながら、俺は仕える王の手を握り、疲れて息を切らす姿を眺めた。

 えぇ、貰われるつもりはありませんとも。


    ※   ※   ※


 学園見学を終え、西の空が赤く染まりつつある中、移動用の馬車へ乗り込もうとするシャスティが思い出したように言った。


「そうじゃヌシよ、今人を捜しておるそうじゃな?」

 わざとだ、と結末を思いつつも頷く。

「はい。新規に部隊を編成し、鉄甲杯へ参加しようと考えています」

「じゃったら一人頼みたい男がおってな」


 まるでこの一言の為に今日があったかのように、フィラント王シャスティ=イル=ド=ブレーメンが告げた。


「サイ=コルシアス。貸しと思ってどうか、そちらで面倒見ては貰えんじゃろうか」


 いかな意図を以ってかは分からない。

 だが別れ際の場で借りと言われて断る術はなかった。


「そう構えんで良い。間違い無くヌシの利益となる者じゃ。かの者はかつてカラムトラで爺の弟子をしておった『錬鉄』の鎚持ちよ。途中王都に寄っておるからまだ到着には掛かるが、腕の程は保障する。なにせあの爺が跡を任せて鎚を置いたほどじゃからのう」

 それはあの名工と言われたオスロ=ドル=ブレーメンの、ということか。

「何、費用はこちら持ちでも構わん。その者にヌシが使う武器を打たせてやってほしいと、そういう話じゃよ」


「承知いたしました。ちょうど後一人をどうしようかと探していた所です」


 密偵をなんとかしないとな、などと思っていると、シャスティは笑う。


「面白いのう、ハイリア。友無き世界を行くというのなは」

「……確かに、こういう信頼もあるのですね」


 乗り込んでいくシャスティを見送り、奥で待っていた陛下がこちらを見て手を振る。

 走り去る馬車と騎馬列が大通りの向こうへ消えていって、ようやく俺は息をついたのだった。


 全く、嵐のような人だった。


 そういえばともう一人竜巻娘と呼ばれていた少女を思い出しつつ、まずは荷物を取りに詰め所へ向かう。

 明日からは陛下の護衛や案内、会合への参加が求められるだろう。

 最も指揮や部隊行動に慣れているナーシャでさえ正面戦力としては一軍未満だ。

 基礎を鍛え上げることは必須として、目的はなんとしても達成したい。

 俺が現場につけない時間を考慮し、訓練内容を見直す必要もあるだろう。

 近衛兵団とも連絡を取り合い、警備計画を副団長辺りと相談し、予習しよう。


 しばらくは寝る間もないかもしれないなぁ。





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