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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第三章(下)

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 王政は無くならなかった。

 ホルノスはルリカ=フェルノーブル=クレインハルト女王陛下を戴いたまま、宰相との繋がりが強かった貴族らが一掃され、変わりに日陰者だったウィンホールド家などが発言力を持つようになり、そこに内乱で功ある北方の領主たちが加わることで変化しながらも、ゆるやかな権力の集中化が続いていた。いずれ選挙によって選ばれた貴族位を持たない者たちの枠を設け、声を聞こうとする意見は出ているが、歴史の例を思えばどれほど機能するかは怪しい。

 マグナスの考えていた民主主義への道とは違う、そして俺の知る物語とは決定的に異なる流れだった。


 マグナスは、死んだ。

 大々的な国葬が行われ、骸は王墓のすぐ近くに埋葬された。

 彼の望みから外れていることは分かっている。しかし王として振舞い始めた陛下を見れば、心配そうにはしただろうが、最終的には納得してくれるような気がしている。


 いずれこの王政も失われるのかもしれない。

 三大発明から始まる大航海時代によって世界地図が完成した時、やがて来る産業革命によって爆発的な発展を遂げた時、今回の内乱でさえ小規模と言えてしまうような世界大戦が勃発した時、今の政治体制が続いている保障はない。

 ただ、この続いた王政から、民主主義に変わる別の何かが生まれる可能性はないかと、思う時がある。

 まだ見ぬ未知。

 政治から身を引き、象徴的立場に甘んじることとなった王ではない、国を動かす王者から生まれる何か。


 かつて陛下が言ったようにどちらにも利点と欠点があり、王の存在は常に血を欲する。

 王は夢を見ることにさえ血を強いる。先王ルドルフがおそらく生涯抱え続けた葛藤を解決する道はあるだろうか。

 だが流血を絶対悪とするなら、目に見えない犠牲を生み続ける体制がどうして許される。

 そうではないと、あの時代を知る俺は思うが、陛下たちのように全てを見通すことが出来ていない自分を知っている。


 結局、などという言葉を使いたくはないが……すべての構造は腐敗していく。

 だから全ての構造は、破綻と再生を繰り返しながら、消去法によって腐敗を抑制する効果を求める。


 どれだけ奇跡的で理想的な政治が始まったとして、それを維持していくのは人だ。


 自らを律せよとかつて言った。

 同時に、そう出来なかった自分を知っている。

 もし自分の中でそれを達成できたとして、今度が自分以外と関わる事で、他者を認める認めないどちらに傾こうとも歪みが生まれる。


 だが叶うのなら、俺はこの問題に諦観と失望を以って立ち向かって欲しくないと思う。

 そうして後悔ばかり抱えてきた者たちを知っている。それでも叶うのなら、夢と希望を以って立ち向かい、果たしていけるなら、と。


 夢を見ることが間違いなんじゃない。

 夢に至る道程を間違えてしまっているだけなんだ。


 それは遠く険しい道だろうけれど、

 どれだけの言葉を重ねても納得出来ないのかもしれないけれど、

 憎しみは消せないのかもしれないけれど、

 俺は信じていたい。


 人は心に黄金を持つ、と。


 俺が信じる誰かが、また別の誰かを信じてくれれば、それはきっと力になる。

 そこから始めよう。信じた上で、向き合おう。

 たとえそれが戦いへ通じるものであろうとも。


 内乱終結直後から始まったフーリア人の王との交渉によって、たった一つ不変の宣誓が世界へ放たれた。


 ルリカ=フェルノーブル=クレインハルト。

 シャスティ=イル=ド=ブレーメン。


 昼夜を通して二日間に渡り続けられた交渉の場より、最初に放たれた宣誓文はこうだ――


    ※   ※   ※



『我々は、おぞましき歴史の恥を忘れない。

 我々は、降りかかった喪失の涙を忘れない。


 されど我ら夢見る王国の民なれば。

 されど我ら前進の誇りを知る者也。


 恥と、涙と、夢と、誇りを胸に、百年の未来へと歩み出そう。


 流れ落ちた涙を鉄に、恥の歴史を刻んだ像を成す。

 後、百年に及んで語り継ぎ、奉り、それを以って我々は罪を乗り越える。


 証として、溶かした涙を百万本の花に変え、未来永劫に渡って継承しよう。


 この日々を受け継ぎ、明日を作る者たちへ向けて。

 

 どうか、百年の未来もまた、共に見上げた月夜が、美しく在らん事を願って』



    ※   ※   ※


 綺麗さっぱり片付いた机の上で必要書類を纏め、鞄に収める。

 引いた椅子の釘打ちが甘く、もたれると分離することなどとうに慣れた。


「ハイリア……」


 声を掛けてきたのは、この三ヶ月ですっかり世話にな……世話をした新たな近衛兵団団長。

 マグナスの時代よりずっとここで活躍を続けてきた人物で、彼よりも一回りは年上な厳しい老将だ。

 そのナイスガイは、最初クールにお髭をさすりながらこちらを見ていたが、やがて不安そうな色を隠せもしなくなり、ダン――と机を叩いて立ち上がった。


「君は近衛兵団に居るべきだっ! 君ほどの人材を失うわけにはいかない!」

「いいからさっさと事務仕事を覚えてください団長」

「我々は戦士だ文字など知らん!! 我々が机についているというのはだなっ、一般人が敵陣のど真ん中で大立ち回りを演じているも同然なんだぞ!?」

「文字はこの前ようやく覚えたじゃありませんか、団長のそれは出来ないじゃなくやりたくないですよね」

「今までは副団長に放り投げておけばなんとかなったのだっ」

「組織としてそれはもうヤバいを通り越して駄目過ぎるだろう……」


 内乱によってマグナスは死んだ。

 しかし混乱の中、副団長までもが姿を消してしまったのだ。

 遺体が見付かった様子もなく、一度陛下に話を振ってみたら『ほっとけばいいよあんなの』と言っていたので上の方でなんらかの対処が取られているのだろう。

 おかげで、今までこういった雑務を一手に引き受けていた副団長の不在によって、更に言えば今まで各地への転戦続きで細かい所をほっぽりだしておけた部分が明るみにでたことで国のお財布を握る連中から呼び出しを貰い、近衛兵団は設立以来最大の危機に瀕していた。大体マグナスが悪い。


 俺は当初陛下自ら近衛の長にと言われていたのだが、今や身分を失った一般人である人間にそんな大役をぽんと渡すわけにもいかず、かといって陛下もああ言っているので無視は出来ず、婿入りすれば全て解決するんだよとウィンホールド家のご当主から固い握手を貰うことに。

 それについては一度置いておくとして、やはり学生という身分を前提に実績不足は否めず、いずれという前置きを頂いた上で経験を積む意味も兼ねて近衛兵団の新たな副団長補佐として着任することとなったのだ。不在中の学園は、まあ権力と金の力によって用意された替え玉がなんとかするらしい。


「副団長補佐ー、頼んどいた奴ってもう出来てる?」

「副団長補佐、アレどこだっけ、ほらアレ?」

「頼む副団長補佐っ、アイツお前の言う事だけは信じるから! 昨日色町に居たのは俺じゃないって証言してくれ!」

「おおい副団長補佐! ちょっと稽古付き合えよっ! こないだ言ってた奴試してみようぜ!」


 頼りにされている、と思うことにしている。

 経験という面では確かにいい経験が積めた。

 仕事をサボる上司の扱い方とか、出来る癖に出来ないフリして逃げる部下に仕事をさせる方法とかな。


 王都で殆ど廃屋同然となっていた近衛兵団の詰め所の奥、事務室へ押し寄せてきた皆へ向けて、俺は笑顔で言った。


「それじゃあ俺は本日を以って除隊となったので後は頑張ってくれ」


「お願いだから行かないで副団長補佐ぁぁぁああああああ!!!」

「副団長、最初から期限付きという話だった筈だ。俺はまだ学生であることだし、来月からは新学期が始まる。実績はこの三ヶ月で十分に積ませてもらったからもう用は無い。いいね?」

 すがりついてきた新副団長が、日々薄くなる頭部を俺へこすり付けんばかりに懇願してくる。

 再編を要する近衛兵団において、マグナスの次に死ぬのは彼の毛根だとも言われているが、入団当初はともかく今はそうだなと同意する。

「副団長、近く計画されている近衛兵団から教導部隊を選出する事務作業と各種調整を行ったのは?」

「副団長補佐であります」

「副団長、先週行われた王都守備隊との合同訓練において、三日前までほったらかしにしていた計画書を仕上げ、当日彼らとの折衝などを引き受けたのは?」

「副団長補佐であります!」

「副団長、俺があれほどやっておいて下さいと頼んでいた来月の予算と遠征計画を仕上げたのは?」

「副団長補佐でありますぅぅぅ!!」


 後は知らん。

 俺は十分働いた。


「分かってるから言ってるんだよっ! お前居なくなったらこの脳筋バカ共の面倒見るの俺だけじゃん!? どうすんだよ来月から下手したら俺たち山賊になっちゃっても知らないからな!?」


 どういう脅迫だお前ら近衛だろう!


「……一応文官の手配は頼んでいる」

「なんだと?」

 反応したのは新団長だ。

 筋骨を漲らせる団長は、見事なまでの上腕筋をびくんびくんとさせて、厳つい顔を更に厳つくして言う。

「この近衛兵団に加わるのであればまず歓迎の訓練を受けてもらわねばならん……! それすら乗り越えられない者に――」

「それじゃあ団長みたいな筋肉バカな文官が世に出ることを祈っておいて下さい俺は失礼します」

「待てハイリア! 俺たちを置いていくつもりか!?」

「そうだよ副団長補佐! バカ団長はいいから俺を助けろ!」

「頼む副団長補佐っ、こいつら止められるのお前しか居ないんだって!?」


 押し寄せる筋肉ダルマをかわし、いなし、引き摺り倒し、隙間を縫って外へ向かう。


「ぬぅぅぅうううっここまで動ける便利な……あいや有能な者を失ってなるものか!」

 今便利って言ったろ。

「だから俺はこれからデュッセンドルフへ戻って学業を修めてこなければいけないんです。特別の計らいで夏季長期休暇までの数ヶ月で卒業ということになりますが、その分試験内容は厳しいし忙しい。分かりますか」

「つまり…………卒業後は兵団へ戻ってくると?」

「いや今のところは新設予定の部隊を任せるとかなんとか」

「いかん! いかんぞおハイリア君。君はまだまだウチで積まねばならん経験が山とある! ウチの孫がまた君に会いたいと言っとるんだ、せめてなんとかならんのか!?」

「経験と言うならこの三ヶ月で数年分は働かされた気がするので十分でしょう。実状を知ったウィンホールド家のご当主が涙ながらに頑張ったんだねと言ってくれましたから、あとは幾らか目に見えた実績を積む方が重要だとか、そういう話です」


 さて出口へ辿り着いた。


 道に転がる近衛兵団の見慣れた面々を眺め、鞄を肩に担ぐ。


「…………ぐぅ、アイツ入ったばっかの時はまだ勝てたのに」

「若いっていいな、成長早い」

「そうだよ……! アイツを色町に連れてったら女の方から寄ってくるんだよ……! まだお前にはやるべきことガッ…………」

「ちくしょう強くなりやがって! 次会ったら酒くらいおごりやがれ!」

「ふざけんな馬鹿野郎! また一緒に朝まで連れまわすからな!」


 あぁ。


 勝ったと言っても魔術無しの取っ組み合いだ。

 いくら成長してもお前達の経験豊富さには舌を巻く。

 連れて行かれた先が色町とも知らなかったし、俺はまだ潔白のままだ。

 また腕を上げることが出来たのは貴方のおかげだ。喜んでおごらせてもらおう。

 貴方は酔うと泣き出すから、確かに誰か付いていないといけないな。


 改まった言葉なんて必要ない。

 ただ、思いつく言葉を放り投げる。


「世話になった。また会おう」


 そうして見上げた空には、高い高い樹が聳え立っていた。


     ※   ※   ※


 内乱から三ヶ月が経過していた。

 王都はすっかり活力を取り戻し、日々様々な人や物が出入りし、政治も順調に回り始めている。


 途中、花束を買って王都の西地区へ向かった。

 あの大きな樹は王都のどこに居ても目に入る。


 王都北方に出現した大樹の正体は表向き秘匿され、しかし緩やかに浸透していった。

 ティア=ヴィクトールという少女の名は伏せられたまま、あの内乱で本国から正式に破門を言い渡されたイルベール教団による、不完全な聖女の再臨によるものだと。


 最初は困惑と疑念、しかしティア自身が言っていたように、そこから広がる根に触れると、狂気じみた女の声に晒され多くの者は数日に渡って寝込んでしまうという事件を度々起こした結果、何かしら神なる者の意思は感じるが、伝承に語られるセイラムとのあまりもの違いから悪魔の類を呼び寄せたのだと言われるようになった。

 日々大きくなり続ける大樹、畏怖を篭めて神樹と呼ばれるソレへの対処はホルノスのみならず進められている。

 他国のことと放置していると、ホルノスが飲み込まれた頃にはもう手が付けられなくなっている。出来るのならば自国を汚染される前に、ホルノスという水際での食い止めを、と。


 しかし遠い地から話を聞きつけてきた者たちには、やはりセイラムに違いないという意見もあるようで、時折巡礼者が王都へやってくる。


 陛下は俺の話を信じてくれた。

 ただ具体的な対応を行うにはまだ足りない。

 何か大きなキッカケが必要なんだ。


 そう思う時、ビジットを思い出す。

 アイツが見せたようなことをするべきなのか、それとも、早まろうとした俺を止めてくれたくり子の言うように居るべきなのか。


 あの時決断できなかった俺たちは、未だその答えを出せていない。


 出来るのならば、そうは思っても、今や国を背負う立場になった陛下は、いずれ決断を下してしまうかもしれない。

 また先を行かれる訳にはいかない。思いつつも、迷いは消えなかった。


 人通りの途切れた道を行くと、靴が真新しい石畳を踏んだ。

 王都の西地区は、あの内乱で最たる激戦地になった場所だ。

 前線を押し上げつつ橋頭堡を築き続ける俺たちの後背、本隊との連絡線を保持するべく近衛兵団が無数の屍を積み上げた場所。

 奴隷たちの宿舎なども戦いの最中に破壊され、多くの脱走者も出したという。

 そこが今、綺麗に更地となって、集団墓地が築かれている。


 入り口ですれ違った老夫婦が俺に気付いたようだったが、なにも言わず通してくれた。


 墓地へ入ると、真っ直ぐ歩いた位置にマグナスの墓がある。

 遺体は王墓の近くに納められたというから、こちらは一般の人たちでも彼を偲べるようにと遺骨分けがされたのかもしれない。

 内乱から三ヶ月も経っているのに、未だに献花の途絶えたことがない。

 道中に連なるのは、戦いの中で死んでいった名のある者たちの墓だ。

 その向こう、


 墓地の中央に一際大きな石碑がある。

 無数の名が刻み込まれた石の壁をゆっくりと眺めていく。


「……特別扱いは良いと、言ったんだがな」


 きっとこの名前がどこにあっても、見失ったりはしなかっただろう。

 それでも、離れ離れで居るより、皆が寄り添ってくれている方が安心する自分も居る。


 石碑の中央、区切られた一角に連なる名前へ指先を触れさせた時、胸の内から刃で貫かれたような痛みを覚えた。

 滴り落ちるのは血ではなく、涙だったけれど。


「駄目だな……、何度来ても、こうなってしまうか」


 冷たい石に触れている筈なのに、不思議と指先に熱を感じる。

 この向こうに居る皆が、触れてくれているのだと、そう思うのは間違いだろうか。


「どうすれば、いいんだろうな」


 一人一人へ問い掛けるつもりで、ここだけで許す弱さで、こぼしていく。


 けれど弱さも、ある少年の名へ触れた時だけは、自分に許すことが出来なくなる。

 それは息苦しいものではなく、背を押されるような気持ちで、


「エリック。凄いな、お前は」


 全てを求め、果たしてしまった。

 未だ俺の越えられない壁を越えて、たとえその先で倒れてしまったのだとしても、お前は確かに約束を果たしたから。


 求めることも、そうだと宣言することも、怖ろしくてたまらなかったに違いない。

 背を向けて陽だまりへ戻ることも出来た筈なのに、迷う俺の背を押してお前は往った。

 弟のように感じていたのに、もう随分と先を行かれてしまったよ。


 膝を屈したりはしない。


 弱さを許しても、胸を張って戦い抜いた者たちの前で膝を折るようなことはしたくなかった。


 指先を落とし、一歩、二歩と下がる。


「次に来るのは、おそらく夏季長期休暇が始まってからだ」


 今あの神樹の周りでは、オスロ率いるカラムトラがティアの『魔郷』を援護するべく陣を敷いている。

 早ければ冬の終わりには、下手をすればあの戦いの直後からセイラムとの戦いが始まってもおかしくなかったのを、ティアはそこまで時間を稼いでくれた。オスロまでもが素直に感嘆し、活動に力が入っていた。シャスティの派遣してきた巫女たちとも協力して割り出した期間だ、間違いはないだろう。

 王都復興が優先にはなってしまったが、王都守備隊主導の下で神樹周辺を取り囲むように長城が築かれつつあり、巡礼者との衝突も多いと聞く。


 冬が終わり、春が来る。

 その春を越えて夏へ。


 やるべき事は山とある。

 ビジット作った道と、ティアの稼いだ時間を、陛下や皆と共に行く。

 少しでも多くの戦力をかき集め、少しでも戦力の質を上げるべく、既にプランは出来上がりつつある。


 一つ事に留まっている暇は無い……。


 しばし、お別れだ。

 きっとまた会いに来る。

 背を向けた時、空から何かが落ちてきたのを見つけ、手に取った。


 羽だ。仄かに黄色の輝きを帯びた羽だった。



『あの日、貴方に引き留めて貰って、僕は――』



 振り返りそうになる自分を押し留め、この背に負った命の重みと、暖かさに歯を食いしばる。

 手の中の感触は声と共に霧散した。


 ただ前を向いて、


『ありがとう』


 風を纏い、風と共に、


「いずれ、また会おう」


 進んでいく。


    ※   ※   ※
















































 時計の音を聞く。

 陽は落ちて、蝋燭の灯もとうに消えた。


 荷物は纏め終わっている。

 明日には王都を出て、デュッセンドルフへ向かわなければならない。

 それはアリエスに同行する事になっている彼女も同じ筈で、けれど無視することなんて出来ずにいつまでもこうしている。


「メルト……」


 艶やかな黒髪へ触れ、頭を撫でて、梳かしていく。

 寝台も使わず、部屋の片隅で、板張りの床と壁の冷たさを感じながら、じっと彼女を抱いている。

 冷え切った肌と、開くことの無い瞼へ触れて、恐怖に駆られる自分を慰めるようにして頭を撫でる。


 三ヶ月前だ。


 内乱が終わって間もなく、彼女ではなく、姉のフィオーラからの言葉で知らされた。


 どうして今まで気付けずに居たのだろうか。

 不調は何度も目にした。仕方がないと理由を察したつもりでこじつけて、深く切り込むことを怠った。

 頻繁に寝坊をし、休みを欲する彼女が自発的に望んでくれるのならと、普段心配になるくらい自分を律している彼女だから、良い傾向だなどと思い上がっていた。


 こうなる前、初めて俺に知られた日も、メルトは自分の身に起こる変化に震えていた。


 怖ろしくて当然だ。

 苦しんでいて当然だ。


 何度も何度も調べた。


 脈拍がない。

 呼吸がない。

 熱がない。


 今の彼女は、間違い無く死んでいる。

 そして朝、また彼女はいつものように息を吹き返すのだ。


 朝に蘇り、夜に死ぬ。


 それを永遠と、おそらくはデュッセンドルフで神父に貫かれ、フロエの手で蘇らされた日からずっと続けてきた。


「メルト。起きろ……メルト」


 発覚して以来、出来うる限り彼女とこうしている。

 お互いの都合がつかない時はフィオーラが、おそらくはこの事実を早期に知っていたアリエスの計らいの下、俺たちは会い、死んでいく彼女を抱いて、朝までの時間を過ごす。

 こうしていると安心すると言われたから。

 床で過ごしているのは止めてくれと、困った顔で言われてしまったのに、寝台のやわらかな感触がどうしても受け付けなかった。


《――――――――――――》


 またか。


《――――決心はついた?》


 もう何度目になるだろう。

 幾度も俺の窮地に現れては、この手を引いて、助けてくれていた声。


 身じろぎ一つしないメルトを抱いたまま、暗闇の中で呟きを溢す。


「最近はよく出るじゃないか。未来はとんと暇と見える」


《あぁ流石に気付くよね。じゃあいい加減私が誰かも分かってるんだ》


 それがお気楽で、なんでもない声であったなら、八つ当たりの言葉をぶつけられたのだろう。

 なのに彼女はとても苦しそうで、今にも泣きそうな声をしていたから、


《もう随分とこっちに近付いてきたから、内乱を終えて、こっちを作る因子が増えてきたから、記憶にだって残るようになってきたんだ》


 おかげで考える時間が出来た。

 推測に過ぎなかった事への裏づけが現れ、徐々に確信へと変わっていった。


 何故、ジークを始め、リースやティアや、他の者たちの力が俺の知る物語より強まっていたのか。

 原因もなく湧いて出る物事なんて無い。

 魔術は、セイラムによって歴史を左右するべく分配される力だ。

 おそらく力の根源は、伝承に語られるセイラムへ加護を与えたという運命神ジル=ド=レイル。

 彼女はそこへ人々を『繋ぐ』事で力を与えている。

 もし魔術の力を左右できるとすれば、それは術者本人の意思と、セイラムによる意思……本人すら無自覚に得た力であるなら答えは一つになる。

 だからセイラムが何らかの目的で俺を阻んでいるのかとも思ったが、事態が逆転するほどに彼らは俺の力となってくれた。

 セイラム以外に、セイラムと同質の力を扱える人間は限られている。


 俺と、もう一人、


「君……だったのか」


《ご名答》


 悲しげな呟きの主の名は、



「フロエ=ノル=アイラ」



 無言の響きが闇へ落ちる。

 今まで、時に明るく声を掛けてきた時もあった。

 きっとそれはいつもの演技で、だからこそ察してしまう。


「俺は……お前を生かすことは出来ても、救うことは出来なかったのか」


《救われる訳ないじゃない……》


「ジークは」


《こっちの未来じゃ生きてるよ。でも、後悔し続けてる。あれを生きてるって言えるのかな》


 フロエを生かし、ジークを生かし、それでも届かなかった。


「何故……!」


 怒りすら湧き上がった。

 あれだけの命を犠牲にしてきてっ!

 あれだけの人々を苦しみ落としてっ!

 出来る出来ると言葉ばかり勇ましく張り上げてっ!


 それでも届かせることが出来なかったのか……!!


「俺の何が悪かった……!? 未来を知るなら教えてくれ! 俺はどうすればいい!?」


《分かってるでしょ。どうしてそうなったか。どうして、私が貴方へ語りかけているか。たかが先に起きることを知る程度で何かを変えられるなら、そもそもハイリアはアナタにすらなってないんだから》


 俺が……?


《アナタの知る四つ……五つの未来で、いつだって幕間に消えていった人が居るよね》


 声は言う。

 喜劇を語るように、無理に笑って、それが俺の為になるとでも思って、


《リース。ティア。この二人とジークの歩んだ未来で、私はセイラムを封じる器になった。アリエスとの未来では、私は死んじゃったみたいだけど。だから彼が身代わりになった。同じ器としての能を持つ、ハイリアが。それ以外の未来では、どうすることも出来ず器となって眠る私を見送って、その後悔を過去の自分へ送ったけど、幼い頃から十分な調整を受けていた私とは違って、ハイリアは不完全だったから、新大陸丸ごとを道連れにする必要があった。その時点で、ハイリアの抵抗は途絶えていたの》


「何を言っている……」


《それでもどうにかしようと抗った。自分の行いがセイラムの注意を引いて、更なる危険が迫ると分かっていて、今までの破片ばかりな蓄積が無になると分かっていて、新たな可能性を求めて、アナタに託した。うん……確かに私は生かされたよ。ジークも、五体満足で生きてる。アナタは引き連れた大軍勢でセイラムの眷属を打ち倒して、この世界を彼女の呪縛から開放した》


 なら、それでいい筈だ。

 この上ない吉報だ。

 近付いていると言った。

 このまま進んだ先に成功があると、揺れ動く未来ではあるだろうが、確かに届くのだと。


 どうして、そう言ってくれない。


 どうして、笑っていてくれないんだ。


《出来るわけないじゃん……!!》


 叩き付けられた声は、砕けたガラスのようで、


《ごめん……。全部、私のせいだ。私の力が足りなかったから、私がもっとアナタの声を聞いていたら……、あんなことにはならなかった》


「何が起きた」


 いや、もう分かっている。

 なのに問わずにはいられなかった。

 自ら口にする事なんて出来なかった。

 それが彼女を傷付けると分かっているのに、自分へ向けた短剣を渡すようなことを、してしまった。


《不完全だった。未来の、他の未来から伸びたセイラムの手で蘇生は不完全になって、彼女は生と死を合わせ持つようになった。私の力じゃ、どれだけやっても彼女の生を支えられなかった……! セイラムを倒しちゃいけない……! 今の彼女はセイラムによって生かされてる! だから――ッ》


「それが今まで積み上げてきた全てを裏切るものであってもか……!」


《アナタは十分頑張ったよ。十分過ぎるくらい、頑張ってきたよ。だから世界はセイラムの呪縛から解放されて、力強く未来を求めて進んでいってる。私たちだけが取り残されてるんだよ……私たちだけで良かった筈なのに…………アナタを、巻き込んで》


「違う……俺が望んだんだ。俺が望んで、勝手に進んできた」


 だからどうか、笑っていて欲しい。

 そう言いたかった。

 救われたのだと安心し、ジークと共に歩んでくれるのならそれで良かった。


《ありがとう》


 なのに彼女は泣きそうな声で言う。


《十分だよ。こんな私を、あんなにも強く想って戦ってくれた人が居る。それだけで十分過ぎる。もう、抱えきれないくらいなんだから……だからさ》


「その先を言うな」


《だから、私は救われたから、今度は、アナタ自身を救ってあげて》


「救われてなんていない……!」


《それだけが私たちの望み。後はそっちの私とジークに任せて、アナタの笑顔を取り戻してよ》


 一方的に話を打ち切って、繋がりが絶たれたのを感じる。


 もう、記憶にだって残る。

 不確かだった会話の内容も、今までのことも、全て思い出せる。


 冷たくなったままのメルトを強く抱き締めた。

 それはまるで、彼女へ縋るようで、


「っっっっぁあ――!!」


 目覚めることの無い姿を、いずれ来る未来の光景として思った途端、張り裂けんばかりの想いが喉を突いて出た。



 これより先、集め得る全戦力を以ってセイラムを迎え撃つことで、彼女の時代を終わらせることが出来る。

 既に大きな干渉を受けており、セイラム自身も他の未来からの援護を受けているとするなら、未だ確定とは言い難いものの、兆しは確かにあるのだろう。


 ジークを生かし、フロエを生かす。

 そういう未来を作り出すことが出来る。


 しかしその影で、セイラムによって生かされていたメルトが、奇跡の消失と共に――――死ぬ。



「メルト」


 身を揺すり、声を掛ける。

 未だ月は高く、陽は昇らない。


「メルト…………っ、声を、聞かせてくれ……」

































 第三章、完。



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