10
迫り来る魔の手。
外は燦々と輝く太陽に照らされていて、木陰で風にでも当たりながら空を眺めていると、つい昼寝でも初めてしまいそうな陽気に満たされていた。
朝の喧騒は過ぎ去り、聞こえてくるのは鳥の鳴き声。
平和そのもの。あれだけ激しい毎日を過ごしていただけに、このぬるま湯に浸かるような時間はこころさえも解してしまう。
だから、俺は完全に油断していたのかもしれない。
「っ、止めろ! 止せ!」
後退ろうとして右腕に痛みが奔る。
そうだ。あの総合実技訓練から二日ほど経過したものの、俺の身体は未だに負傷を抱えていた。外傷はかすり傷くらいだが、内側がややマズい。レントゲンやMRIなんかが無いだけに詳しくは分からないが、この二日間ほどまるで身体が動かなかった。
このまま動かないなんてことはないよな、と不安になるくらいで。
「…………ふふっ」
そんな所にこの襲撃だ。
せめて魔術だけでもどうにかならないか……!? 駄目だ、ほんの少し青い風が吹いただけで紋章すら形成されない! このままでは!
既に俺は自らの守りをほとんど喪失していた。
最後に残った唯一の砦、ここを落とされるともう後がない。
既にアリエスが屋敷を出発しており、今までのような介入は望めない。使用人もこの時間は、買い出しや普段使わない場所の掃除なんかで呼び出すのは難しい。こういう時にこそ俺を手助けしてくれる筈のメルトが、まさか……。
「自分が何をしようとしているのか分かっているのか!? 正気に戻れメルト!」
「ご安心下さい。私は正常です」
「君は錯乱している。昨日はごく普通だったじゃないか!?」
「先日はアリエス様が休日で、ずっとお屋敷にいらっしゃったからです。ですが今なら……他の使用人も氷室の大掃除でしばらく出てきません。助けを呼んでも無駄ですよ?」
「何故このようなことをする……!」
「必要だからです」
「俺はそうは思わない」
「動かないで下さい。すぐに終わりますから」
そう言ってメルトは俺へ手を伸ばす。
正しくは動けない俺の腰元へ。そこは人体の急所だ。色々なものが詰まっている! させる訳にはいかない! 俺はかつてそうしたように、強固な意志を以って右腕を動かし、彼女の浅黒い手を掴む。痛みはあったが、今ここで動かなければ全てが水泡に帰す!
「今ならまだ引き返せる。止めるんだメルト!」
「いいえ、今しかありません」
「主人の命令が聞けないのか!?」
「いかにハイリア様と云えど、これはその意志を超越してでも成し遂げるべき義務です」
そう言って彼女はやんわりと俺の右腕を解くと、そっと寝台の上へ乗せる。口元にはやわらかな笑み。それが何処か悪魔じみて見えるのはこの状況故なのか。
メルトさん、なんかすごく楽しそうなんですけど……?
やがて彼女の魔の手が、俺に残された最後の砦へ手を掛ける。動けない俺はただそれを見送るしか出来なかった。
ガチャ、
「忘れ物をしてしまいました。お兄様、改めて行って参ります」
突如として顔を出したアリエスに対し、メルトの動きは驚くほど素早かった。
おそらく気付かれてはいないだろう。脱がせた衣服を掛け布団の下へ放り込み、上半身をはだけていた俺の首元まで覆い隠す。そして自分は傍らの椅子に腰掛け、あたかも最初からそうしていたかのように楚々とした表情でアリエスを迎えていた。
そして、仕えるべき人物を見て、慌てたように立ち上がる演技も完璧だった。
やがてアリエスは去っていった。
取り残された俺たちは、先ほどの空気が霧散したのもあって、お互い顔を赤くして沈黙する。しかし、悲劇を回避するには今しかない!
「メルト!」
「は、はいっ!?」
「何か果物が食べたい。新鮮なものだ。今朝採れたばかりのものを市場で買ってきてくれ。俺は一秒たりとも待てない。さあ今すぐ出発し、じっくり吟味してくるのだ!」
「畏まりました!」
ふふふ、この数ヶ月で刻み込まれた俺への忠誠には逆らえまい!
最初から強固な意志と使命感を用意していなければ、メルトは最早条件反射のように俺の言葉に従う。多分。アリエスの登場はそれらを一度リセットするのに素晴らしい効果をあげた。
大慌てで部屋を出て行くメルトを見送って、ようやく俺は一息をつく。
いや待て、今の俺、パンツ一丁なんだけど……?
メルトサーン。
戻ってきてとりあえず服だけでも着せてくれませんかー?
駄目だった。
※ ※ ※
療養というのは、この世で最も過酷な仕事だ。
暇があれば本を読みたがる俺は、どうにもただ時間を過ごすというのが苦手だった。なにかをしていたい。けど、身体がまともに動かない今、俺には側頭部に芽生えた痒みを掻いて消してしまうことすら出来ない。
いや、流石に全く動けないということもないんだが、動かすと滅茶苦茶痛い。そして治りが悪くなるからと施療士に警告されている。仕方ないので頭と身体をやんわり捻って側頭部を枕へ押し付けた。これも痛いが腕を動かすよりはマシだ。
「はぁ……」
痒みは消えたがやることがなくなった。
そういえば捕虜に対する拷問の一種に、なにもさせない、というのがあるらしい。景色が見えず、時間が停止しているかのように変化のない空間でただただ過ごす。人との会話は勿論、暇つぶしの手段もなく、状況が静止し続けるという拷問。
中にはコレが最も過酷な拷問であると語る人もおり、早ければ三日で発狂するそうな。
いかん、この思考はあまり良くない。
逆だ。逆を考えよう。
そうだ。拷問に対する効果的な方法は、頭の中でモノ作りをすることらしい。
想像するのは何でもいい。一般的なのは船らしいが、別に家でも架空の世界でも構わない。ディティールは当然として、その目的やテーマなんかも踏まえて出来うる限り詳細にイメージするのがいいらしい。
達成は当然ながら頭の中に快楽を生む。こだわり、作りこめば作りこむほどに意識は集中して楽しくもなるし、なにより時間の経過が早い。
イメージするのは極力好きなモノがいいらしいから、俺はアリエスを思い浮かべた。
…………いかん、既に完成されているアリエスをどう弄ればいいのか分からない。
っく! 神はなんという残酷を俺に与えるのか! サブキャラに過ぎない俺には拷問への対策さえ許さないというのか!?
いや違う、発想を変えるんだ。アリエスという素晴らしい天使を元に、それを包む衣服を着せ替えていくというのはどうだろうか。
ふむ。とりあえずは翼を付けよう。天使だからな。
一時間後。
「ッハ!?」
あまりの神々しさに我を忘れていた。
なんという組み合わせだ……! アリエスと翼、たったそれだけで世界から一時間が消えた! いや、あまり続けていると徐々に時間が長引き、やがて俺の持つ時間の全てが奪われてしまうんじゃないだろうか!?
これは拙い……俺はなんという恐ろしい想像をしていたんだ。
よくよく見れば寝台の傍らにカートがあり、切られた果物が乗っている。
「ふむ……」
コレの意味する所は、メルトが戻ってきて、俺の指示した通りに果物を食べさせてくれていた、ということだろう。駄目だ。完全に記憶がない。しかし服は着せていってくれなかったらしい。何故だ。
幾らか腹が満たされているのを感じながら、俺は部屋の扉がノックされたのを聞く。
現れたはメルトだ。
彼女は丁寧に礼をし、俺の顔を見てほっと胸を撫で下ろしたようだった。ここまで表情を見せる姿は昨今珍しい。余程心配なことでもあったんだろうか。
「なにかあったのか?」
俺が問い掛けると、メルトはいつもどおり楚々とした表情に戻り、美しく通る声で客が来ていることを告げた。その名前に、俺は意外を感じつつも部屋へ通すよう言った。
横になったまま会うのもなんだが、それほど気を使う相手でもない。
「しっ、ちゅ、し! 失礼しましゅっ!」
噛みっ噛みでやってきた、栗色のくりくりした髪の少女に、俺は思わず笑う。
ジークたちとの戦いでは、俺の隊でクレア嬢に続く二の太刀を努めてくれた優秀な『剣』の術者、もといデコイだ。既に名前も覚えているが、彼女のことはくり子でいいだろう。名前にもくりがあるしな。ちょっと長いし。
そしてくり子は、制服を着ていた。
「横になったままで悪いな。こうしているのが一番回復も早いらしいんだ」
「いえ! ハイリア様におかれてはおひがらも良く!」
「落ち着け、意味が分からんぞ」
指摘すると途端にくり子は泣きそうな顔になった。
頭の巡りはいい癖に妙な所で不器用な少女は、とりあえずこちらへ来て座れと言った俺に従い、小柄な身体をがちがちと動かしながら椅子に座った。
「よし。そこの果物、食っていいぞ」
「わあ、ありがとうございますぅ!」
一瞬で普段通りの状態を回復させたくり子は、手掴みで切り分けられた果物を食べ、食べ、食べ尽くした。
「ごちそうさまです!」
う、うん、食べていいって言ったしな。
しかし数分放置で貪られるとは予想だにしなかった。まあいい食べっぷりだったから、見ていて面白かったが。
餌付けすると楽しそうなタイプだな。
などと失礼なことを考えつつ、俺はくり子が果物の味に恍惚としている状態から戻るのを待つ。
一時間後。
「それでですね」
「長かったな!?」
思わず待ってしまった自分にも驚いたが、何事も無かったかのように喋り出すくり子に一番驚いた。
くり子は頭の上に三つくらいはてなを浮かべて首を傾げた。しかも本人に自覚無しだった。まあいい。メルトなら幾つか予備を買ってきてるだろうから、帰りに同じ物を幾つか持たせてやろう。
「大丈夫ですかハイリア様?」
おい、俺を可哀想な人を見るような目で見るんじゃない。お前だお前。
「おつかれなんですねぇ」
メルトサーン、お客様お帰りでーす!
っく! というかくり子、妙にやわらかい表情で……俺には妹しかいないからはっきりとは言えないが、なんというか、おねえちゃんスマイル?
いやそうか。入隊時にある程度の経歴は申告させているし、怪しい人物には調査もさせる。他小隊からの間諜ということもあるし、貴族の令嬢なんかも一緒に居ると、その辺への気遣いは当然だ。
小隊の主メンバーへ加えるにあたって、俺も彼女の経歴には目を通した。
「お前は……フーリア人との戦争で両親を亡くしているんだったな」
あまり褒められた話題じゃなかったが、どうしても聞いておきたいことがあった。
「はい」
くり子は気にした様子もなく頷くと、こちらが言い淀んでるのを見て言葉を続けた。
「戦争孤児でした。教会に拾っていただいて、けどそこも戦争で焼かれて、そんなことを繰り返しながらこの国に来ました。まあ、ずっと一緒に逃げてきた子も大勢居て、私は年長さんでした。ただ大人の後についていくと、怖い目に合わされることもありますから、自分たちで逃げ道を考えたりしたんですよ。えへん」
すまない、とは言えなかった。
彼女は今、己の誇りを語る目をしていた。そう出来るだけのものを、彼女は俺と会う前から積み重ねていたんだ。
「この学園には、神父様に後見していただいて入学しました。卒業後には十年ほど軍で無償奉仕することが義務付けられています」
少し、いやかなり気持ちの悪い話だが、こういうことは珍しくない。
デュッセルドルフ魔術学園は軍との繋がりもある準軍事教練校だ。かつて新大陸の最前線で戦っていた人間が学園長を務めていることもあって、貴族も平民も容赦なくぶちこんで学ばせているが、当然兵士を確保するための現実的な方法が幾つも取られている。
まず、字が読めない人間は徹底して使い捨ての兵として鍛え上げられる。中には優れた能力を見込まれて上の座学に参加する者も居るが、ほとんどの場合は卒業後に即前線だ。しかもその期間は、俺たち普通の生徒が四年間であるのに対し一年間だけ。
「そういえば、字は書けるんだったな。どこで覚えた?」
この国、というよりこの時代の人間の識字率は高くない。歴史と照らしあわせても精々が二割三割だろう。三本角の仔羊亭でも、雇われの女達には字を図形として覚えてもらった。
「逃げている時に……やっぱり字が分からないと困ることが多かったんです。地図は滅多に手に入りませんでしたし、持ってる人を見かけたらこっそり覗きこんで記憶して、そうやって逃げてきました。あ、字はその途中で拾った小説から学びました。最初はさっぱりだったんですけど、看板とかの文字は大体の意味は分かりますし、そこを当てはめてこんな感じかなーって。何度も何度も繰り返し読んで、新しく覚えた単語を加えていくと物語が全く別のものになったりして」
…………は?
「まあ、そんな風に、適当に学んだものですから、今でも覚え違いをしてる言葉があったりして、皆に笑われちゃうんですけど」
いや、確かにくり子の書いた文章にはたまにおかしな単語が交じる。それを俺自身、彼女のおっちょこちょいな部分だと笑っていたのだが……。
「その、小説は?」
「いつも持ち歩いてるんです。ちょっと待って下さいねー」
くり子は肩に掛けていた鞄からがさごそとやりながら、古ぼけた本を取り出す。とても汚れた、ボロボロな本だ。
「あはは、汚い本なんですけど、大切なモノなんです」
それは、戦争という俺の想像を絶する環境を共にしてきたことを感じさせるものだった。単純な汚れとは違う。幾つもの蓄積されたような、三本角の仔羊亭にあるような汚れだ。
「お前は凄いな」
素直な感想だった。
だがくり子は驚いて目を丸くして、どうして褒められたのかも分からないようだった。
「一つ、聞いてみたいことがある」
「はい?」
「フーリア人のことを、お前はどう思う?」
問いかけて、思わず目を瞑ってしまった。
何かを意図したつもりはなかったが、それでもこの純朴さを感じさせる少女に、少しでも昏いものを見たくなかったのかもしれない。目を開けた先、くり子は俺を見てくしゃ、と微笑んだ。
「私、メルトさんのこと好きですよ。フーリア人さんのことも、怖い人っていう印象がずっとありましたけど、よく知らないだけです。戦争をしてれば、自分の知る人以外は皆怖いです」
「……そうか」
なんだか今日は、くり子に圧倒されてばかりだ。少し悔しいから頭をくしゃくしゃとしてやりたいが、生憎と身体が動かない。
「まぁ、それでも卒業したら十年は戦うことになるんですよね。そうなる前に、戦争が終わったらなぁ、なんて考えたりしますけど、難しいですよね」
俺は彼女の名を呼んだ。
「はい」
「卒業後、いや、今からだ」
「……えっと?」
言った。
「俺に仕えろ――――お前が欲しい」
するとくり子は口を半開きにしたまま固まり、みるみる内に赤く染まった。ちょっと不安なくらい固まっていたから心配して言葉を重ねようと思ったら、プシュー、と煙が立ち昇った。
「へっ? は、ぁ……え? 欲し……、え!? ぇ、ぇぇぇぇええええええ!?」
顔を真っ赤にしたままくり子は後ろへひっくり返った。おい、スカートがめくれ上がってぱんつが丸見えだぞ。しましまか。
しばらくモロ出しにした後、正気を取り戻したらしいくり子がおずおずとスカートを掴んでぱんつを隠した。俺も流石に女の子の下着を凝視するのは憚られて目を背けていたが、姿勢を変えるにも限界がある。
「え、えっとですね!?」
「お、おう」
ガタガタと転がっていた椅子を立てなおして座るくり子。ぱんつ丸出しが余程恥ずかしかったのかやたらと裾を気にしているが、その動作はむしろ逆効果だ。
真っ赤な顔はそのままで、視線が定まらないままあっちを見たりこっちを見たり。ふと目が合った途端目がうるんで、それを自覚したんだろう、顔を両手で覆った。
ふむ、何か反応がおかしい気がする。
俺は妙なことを言ったのか? まあ仕えろなんて学生同士じゃまず言わないだろうし、驚かれることは予想していた。
くり子の能力は稀有なものだ。独力で言語を解読する頭脳。戦争を体験し、それを己の誇りと出来る強さと真っ直ぐさ。安直な憎しみではなく、視野の広い感覚を当然と身に付けている。
そして共に過ごした時間を考えても彼女は信用できる。
彼女を、フーリア人を駆逐することしか考えていない軍の、使い潰しの部隊へ取られるなど我慢ならない。諸処の問題は家名と金で解決出来るし、なにより彼女はクレア嬢らのような貴族とは違うから、誘い入れるに障害が少ないからな。
クレア嬢もいい所のお嬢さんだから、もし部下にくれなんて親元に言えば、大笑いしながら入籍させられる。それはまあ色々と困る。
俺にはもっと手足となる人材が必要だ。
それはジークとの戦いを終えた後、何よりも強く思った。
もしあの戦い、俺に負傷もなく当日を迎えていれば、間違いなく俺はアローヘッド隊形に固執しただろう。皆の能力をアテにはしても、すべての決着を自分自身でやるつもりだった。頼るつもりはあっても、心底委ねることを考えていなかった。
そんな状態であのジークに勝てたとは思えない。下手をすると真っ先に落ちていただろう。
負傷し、毒の影響で満足に戦えなかったからこそ、俺は皆に頼りきりとなり、彼女たちが応えてくれた。
そういうことを思い知った。
そして、それら勝利が戦いに出た四人のみならず、小隊の全員が居たからこそ達成できたのだと、そう思えた。
もっと仲間が必要だ。
学園が用意した枠組みではなく、利害関係ではなく、俺自身に理由を見出してくれる者。そういう意味では仲間と呼んでもいいんだが。
顔を赤くして身悶えするくり子を眺めながら、改めてどうしようかと思う。
「……ぁー、別にメルトのようにメイドの格好をしろとは言わん。むしろ、お前はそのままでいい」
「そ、そうですね! 私も初めてがメイド服というのはハードルが高いので、やっぱり制服で! ちょっとだけ憧れてたりしましたし!」
いや、初めてもなにも……服装に気合入れすぎだろうくり子。なんだ、俺に仕える時の服装がそんなに気になるのか?
まあ、何か妙な感じはするが、
「受け入れて貰えるか?」
「は、はい! ハイリア様にはずっと憧れてました! 最初はカッコイイなぁって思って、でも話してみたらすっごく優しくって! 訓練でお屋敷に泊めていただいていた時も、真っ直ぐな人なんだなぁってクレアさんと良く話してました! 戦ってる姿を近くで見て、もっともっとカッコイイなぁって思いました!」
「はは、そこまで言われると少し照れる。あぁそうだ。だったらまずメルトを呼んできて貰えるか? 彼女が居たほうがいいだろう」
「い、いきなり三人でですか!?」
「ん? まあ、今後はもっと増やしていく予定だが……そうだな、やはり信頼という意味ではクレア嬢も捨てがたい」
「クレアさんまで!? しかも増やしていく!? ハイリア様は一体何をしようとしてるんですか!?」
「それをこれから教えてやる。緊張することはない。いつも通り、楽にしていろ」
※ ※ ※
一時間後、俺の話を聞き終えたくり子はなぜか死んだ魚のような目をしていた。
隣のメルトに尋ねる意味で視線を送ると、びっくりするくらい冷たい目で見られた。やめろ、その目はちょっとゾクゾクする。
「あー、そういえば……仕えろとか……言ってましたね。後ろの言葉に気持ちが向き過ぎて記憶から飛んでました…………あは、あはははは」
かなり小さな声でぼそぼそと喋っていたからよく聞こえなかったが、彼女なりに今の話を纏めてくれているのかもしれない。
くり子は大きなため息をついて顔を俯かせた。じっと考えこむような間に、少しだけ不安が過ぎる。
今話した内容が外に漏れるだけで俺は終わりだ。
それだけ彼女を信用し、明かしたつもりだったが、やはり言い過ぎな部分はあったかもしれない。かつて彼女は俺に対し、話しやすいと言ってくれたが、俺もくり子が相手だとかなりリラックスして話せる。気を付けなければいけないとは思いつつ、つい、だった。
「分かりました。ハイリア様にお仕えします。十年の軍人生活も嫌でしたし、今の話を改めて考えて、いいことだと私も思います。それに……ううん、だから」
くり子は俺の手を取り、寝台の脇に膝を付いた。にこりと笑って、ふざけるように自分の頭に手を乗せる。くりくりした髪の手触りは、とても柔らかで気持ちよかった。
「今日からよろしくお願いします、私のご主人さまっ」
それから立ち上がると、手を握ったまま俺に顔を寄せ――
その時部屋のドアノブが激しく回される音がした。前後に揺さぶり、開かない、開かない、と音の主が動揺する様子が聞き取れた。
――頬に感じたやわらかな感触と、耳元で告げられた「大好きです」の一言に、俺は思わず赤面していた。
ガチャン! ガチャン!
すまない。話の内容が内容だけに、鍵はしっかり閉めてあったんだ、アリエス。
メルトサン「…………」
二章は早回しだった一章の代わりに、序盤はゆっくり各キャラを掘り下げて進む予定です。




