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そして捧げる月の夜に――  作者: あわき尊継
第三章(下)

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   クレア=ウィンホールド


「あらら、死に損ないが無理すっから」

 頭部の将来が不安そうな近衛兵団の男が軽くマグナスの敗北を言ってのける。

 慣れない地域の、しかも街道が封鎖されていた為に山道を闇雲に進もうとしていた私たちを見付けて導いてくれたのは彼だ。実の所、家を飛び出す前に数度会った事のある男だった為にすぐ身元の確認も出来た。あの時私はただの小娘、彼もはっきり言えば権威主義の阿呆だった訳だが、お互い変わったものだとそれだけは思う。

「生きていると思うか」

「死んでたって突撃命じてくるぜあの人」

 そうか、ならば問題あるまい。


 とりあえずこちらも突っ込まないことには始まらない。

 見たところ見事に敵からの包囲を受けて、突破を試みているが突き破るには至っていない様子。

 幸い私たちが居るのは包囲の横合いだ。包囲の横合いとはなんぞやと言われるだろうが、丸く敵を囲っていたとしても指揮を執る本陣というものはある。そこから見た場合の横合いだ。


 高らかに鳴り響く角笛の音が心地よかった。


 角笛を吹き鳴らすのは木笛の演奏が趣味だという『弓』使いのダット先輩だ。ちゃっかり隣に陣取っているオフィーリアが居て、それを狙ったらしいセレーネがにやにや笑ってウィルホードの背中を引っぱたいている。彼の婚約者と言われるセイラが即座に間へ入ろうとするが上手くいかず後ろであたふたしていた。少し離れて一人じっと戦場を睨みつけているのは、頑固者のクラウドだ。


 見渡せばいつもの顔がある。


「さあ好機ですよおクレアさんっ」


 最近近くにいないと落ち着かないクリスを見て頬が緩んだの束の間、入り乱れる戦場を見渡し心躍る自分を感じた。


「包囲を狙う両翼の先端、そして中頃には熟練者が多く配置されますが、間の部分はとても脆いです。私たちが詰めればこちら側の包囲をしている相手は内の反乱軍側と私たちからの挟撃を受け――それは彼らから見れば今度は自分たちが包囲を受けているように思えてしまう。加えて言えば、突破を仕掛けている先頭には精鋭の近衛兵団が集中している代わりに、やっぱり縦列の中ごろは戦い慣れの無い兵が多い筈。包囲の半ば、閉塞による不安で士気の下がっている彼らを私たちで鼓舞するんですっ。側面からの包囲突破まで始まれば、相手は対応しきれなくなってきます!」


「分かった。突っ込めばいいんだよな」


「最近クレアさんの頭の中がどんどん後退してってる気がします…………」


 いやいやちゃんと理解はしているぞ。

 でも具体的な内容に対して具体的な内容を考えるのは私じゃなくて、実際に動いて前線を動かす者でいい。私は具体的な内容を理解しつつ大方針を定めて皆を引っ張る。大変なことは大変なことをするのが好きなクリスみたいな人に任せて、将帥は楽しく愉快に戦場を動かすのが一番楽しいだろう。


「お花畑ですね」


「ふっ、父への説得(きょう・はく☆)も済んでいるからな、この戦いが終わったらハイリア様へ婚姻を申し込もう」


「あーっ、だめっ、二重の意味で絶対だめですそれっ!」


 何故かハイリア様が戦いの前に旗を掲げてはいけないという指南を過去したことがあるらしい。

 普通自らを示すべく常時掲げているものなのだが、きっと深い意味があるに違いない意味はクリスが理解しているからいい。


「しかし家名を失った今、ウィンホールドの家格を得るというのは中々おいしいぞ?」

「手段を選ばなくなった乙女の厄介さ!」

「ハイリア様は恰好いいからな。いろんな女が言い寄るのは理解出来る。だが言っておくぞ、最後の最後、同じ墓に入るのは私だ」

「これはもしや話に聞くヤンデレ一歩手前では……」


 さあ気分も乗ってきたところで戦争だ。

 クリスは好機とも言っていたが、状況はそれほど優勢でもないだろう。

 おそらくこの会話を聞いている周りへの配慮でああ言ったに過ぎない。


 だが、


「知ったことか」


 にやりと嗤う。


「私は勝ちたい。有利だとか不利だとか、そんなことは関係ない。勝つんだ」


 無茶で無謀は今に始まったことじゃない。

 それでもついて来たのなら、覚悟は出来ているんだろう?

 さあ私は突っ込むぞ。死にたくなければいい手を考え、実行に移していけ。勢いだけならつけてやる。


「進めェ!! 敵の包囲を食い破りっ、勝利を掴め!!」


 なだれ込む!

 

    ※   ※   ※


   ビジット=ハイリヤーク


 じっと目を閉じていた。

 喧騒を切り離し、意識を静かに、僅か仰いだ空への感慨を仕舞いこみ、息を吐いた。


 もう、マグナスの敗北を喧伝したところで大きな意味はない。

 多少の動揺は買えるだろうが、相手の奮起の方が遥かに早い。


 学生小隊、とクレアは名乗ったらしい。


 こちらにも若いのが混じってるとはいえ、全員が若者、学生たちで固められた部隊の参戦が齎す効果はおそろしくデカい。


 腰の引けた連中も、ガキが命懸けで戦っている中、逃げ惑ってなんていられないだろうし、こちらは子ども相手に手が鈍るヤツまで出る。

 突破を仕掛けてくる近衛兵団を抑えるのと同じくらい重視していた、敵中心部の低迷が打ち破られる。


 じっとこちらを見詰める目がある。

 宰相の監視、奴らの思惑を図ろうとした自分を即払い除け、号令を放つ。


「撤退を――っっ!!!」


 咄嗟に身を倒した。


「がっ、ぁ……!!」


 男の湿ったうめき声。監視の一人のものだ。

 『盾』は使えない。いや、使うことは出来るが、この状況で身動きを大きく制限される『盾』の使用は危険だと感じた。


「衛兵! 侵入者だ!!」


 別の誰かが叫び、動く気配があった。

 複数名。捉えきれない。出て行く影もある。だが、足を止めた者も居た。


「っっ!? ビジット!?」


 驚いていたのは侵入者の側だった。

 薄汚れた黒の服装。手には魔術ですらない短剣と、腕部に固定した単弓。先端には毒が塗られているだろう、光の具合が微妙に違っていた。


 俺の名を読んだ、よく知る相手へ、ちょっとばかり気まずい思いが浮かび上がってくる。

 構えていないところへの不意打ちは対応に困る。


「よおジン、珍しい所で会うな」


 ジン、学園でハイリアの結成した小隊に最初期から加わっていた男で、俺の女遊び友達だ。

 一つ上だったが、ハイリアとは別で昔からの馴染みだからか、それともお互い位なんてもんを失った後で再会したからか、気安く接してはいたんだが。


 足音の一つが背後で止まる。

 軽く視線を送ると垂れ目の男が愉しげに笑っていた。


「ヘレッド、お前もか」

「裏切りか」

 こいつは元々ハイリアや俺からも一歩引いていたからか、そう断じることに躊躇は無かった。

「……まあそんなとこだ」

「ビジット! 嘘をつくな!」

「ジン、少なくとも今は敵だ。しかも敵の指揮をしていた。ここで仕留めることには大きな意味があるんじゃないのか」

「判断をするのは俺だ」

 強く言った後、敢えて作ったらしい逃げ場へ監視や他の連中が追い立てられていくのを見送って、改めてこちらを見る。

「ビジット、妹さんを人質に取られているんだろう? それはこちらでなんとかする。あからさまに反抗するのは難しいだろうが、今後は俺たちと密かに渡りをつけて協力し合えば――」


「ルリカはハイリアが連れ出した。人質はもう居ない。俺は俺の意思でここに居るんだよ」

 

 交わった視線が固まっていたのも数秒、ジンは首元に下ろしていた布で口をすっぽり隠し、


「引くぞ」

「ああ」


 駆け込んできた兵に向けてヘレッドが何かを投げつける。

 それはすぐさま魔術を行使した彼らには傷一つ付けることも叶わなかったが、起きた爆発は大量の煙を撒き散らし、視界が塞がれる。驚きにひっくり返る兵をかすかに見た。


 晴れた時にまだ居座っているほど間抜けでもないだろう。


 なるほど、と思う。

 クレアが現れるよりも早く、ああいうのが先行して狙いを定めていた訳だ。

 撤退後は入れ替わりも警戒すべきだろう。こちらの隊長格がいくらか狩られていてもおかしくは無い。 


 今やハイリアに率いられるのでもなく、あの日、膝を折ったクレアを筆頭に………………随分と、大きくなりやがって。


 こっちも負けては居られない。

 戦いの結果は決戦の場に至るまでの過程こそが勝敗を分けるという。

 その片鱗をようやく掴みかけてきた。


 もう一度空を仰いで、背を向ける。


    ※   ※   ※


   クレア=ウィンホールド


 「我々の勝利だァッ!!」


 レイピアを振り上げ、勝ち鬨をあげる。

 逃走していく敵軍を見送り、頬に付いた泥を左の手の甲で拭う。


 遅れて、物凄い音の圧が背後から押し寄せてきた。

 振り返れば、腕を振り上げ、がむしゃらに叫ぶ人々が遠い彼方まで連なっている。

 どれだけ居るのかさっぱり分からない。一千? 二千? もしかしたら一万を越えるのか?


 それら全てが、この身へ注目し、呼応し、共に勝利を喜んでいるのだと思うと、不意に涙が滲んできた。


「おおおおおおおおおおおおおっっっっ!!!」


 誤魔化すように叫ぶ。

 また吹き飛ばされるんじゃないかと思えるほどの声が叩き付けられ、胸の奥が興奮で熱く滾っていくのを感じた。


 あきらかに、これまでの私と、今の私を思えば過分な評価だろう。

 ホント、勘違いなんだ。

 私はどうしようもなく臆病で、誰かから評価を受けるのが怖くて、あの背中に隠れて、厳しさと堅さの鎧を纏ってなんとか今日まで生き延びてきた小娘だ。

 この結果だって、ついてきてくれた皆が居なければ絶対に手に入らなかった。

 今や剣の腕なら私より強い者は居る。指揮だって、敵への理解だって、もっともっと出来る者が居る。


 それでもここに立つ自分が居ることを誇りにしよう。


 私、クレア=ウィンホールドがこの結果を勝ち取ったのだと、堂々たる宣言を放とう。


「クレアさん」

 傍ら、私以上に汚れた恰好のクリスが言う。

「分かってる。敗走する敵への追撃だな」

「はい。ただ、既に追撃は近衛兵団が部隊を再編しつつ行っているようです。私たちはこの後、敵を押し返した先で陣取る場所を確保すべきです」

「遅れてくる反乱軍側の本隊を迎え入れる為に?」

「…………そうですっ」

 外様のままではいられない。

 牛耳ろうなどとは思わないが、今後大きな発言権を確保し、やがて合流するだろうハイリア様の立場を強くする為にも関係性を調節必要はあるのだと思う。


 しかし近衛兵団の底力には呆れる他無い。

 団長のマグナス=ハーツバースは倒れたと聞いた。

 なのにああも変わらず軍勢が動き、敵を追い詰めている。

 まあ、隊長不在という点では私たちも同じなんだが、目の前でハイリア様が倒れても尚、その声に後押しされることもなく動けるかと言われると、受ける衝撃を想像するだけで不安になってしまうのも確かだ。

 この戦いの中、彼らから学ぶものは多いだろう。


「それで、マグナス……卿? を倒した相手というのはどうなった」

「情報収集に人は出してますけど、まだ何もかも未確認です。今はとにかく動くこと、それがこの勝利を最大限生かす方法ではありますが」


 音を聞く。

 打ち上がる鏑矢と、多くの視線が動く気配。


「……来たな」


 炎だ。

 まるで木から木へと強風に煽られ燃え移るように、凄まじい勢いで突破してくる者が居る。


 こちらも迎え撃つ。

 既にレイピアは手にしている。赤の魔術光を燃え上がらせ、腰を落とす。片手で制し、クリスを下がらせる。近衛の長を倒した相手に彼女を庇いながらでは戦いようも無い。


 敵は十名にも満たない少数のようだった。

 こちらは高所を取り、数百からなる人の壁がある。

 だというのに勢いは衰えない。鬩ぎ合い、歩が止まるかと思えば追従する一人が味方を生かす壁となって先へ導く。おそらく、最初はもっと数が居た筈だ。同時に、遠めでも彼らの姿というのは見て取れる。


 イルベール教団。

 ならば、アレを率いる者の名もおのずと知れる訳だ。


 来る……!


「『盾』張れぇぇええええっ!」


 号令に従って、学生たちが横陣を組んで魔術を発動させる。

 灰色の魔術光。『盾』による巨大なタワーシールドがまさしく壁となって突撃を阻む。


「傘張れえええ!」


 あの神父が、『盾』の表面を駆け上がってくるという話は聞いている。

 その対策として考案されたのが、傘だ。


 大盾の上部に、表側へ向けて覆いかぶさるように新たな盾を張る。

 二つ目の盾はねずみ返しとなって彼の行く手を遮る筈だ。リース=アトラのようにほぼ垂直な崖を駆け上がるような者は『剣』の使い手にもそこそこ居るという。盾の表面を、反射の攻撃を発動させないまま登ってこれる者がそう居るとは思わないが、流石に天井に足をつけて逆さに走れる者はいないだろう。

 そして予想外の事態を前にすれば、足は僅かながら止まる。


「閉じろぉぉおおおおっ!」


 今度は背後。

 こちらが陣取っている場所へ突っ込んできたのだから当然だ。

 敢えて突破される際に身を隠した『盾』の術者が、今度は背後から彼らの行方を阻む。

 前後左右、すべてをねずみ返しの大盾で囲ってしまえば、いかに神父といえどこれ以上の突破は出来ない。


 しかしやはり、相手も無茶をしてきたようだ。


 吹き上がる青い風。


 突破を仕掛ける人員に『槍』の術者を加えてきた。

 当然魔術は使っていなかった筈だ。無防備な術者を守る為にどれだけ犠牲を出しただろう。速度からして、その術者は背負われるなりで運搬されてきたということか。


 だがそれさえも予測済みだ。


「『弓』ィ構えぇぇぇぇええええ!」


 大盾の裏を足場に、『弓』の術者が飛び乗って内部を狙う。『剣』を倍数、護衛に当たらせてある。

 『槍』の魔術発動は遅い。仮に出来たとしても、十からなる矢の雨を食らって無事ではいられまい。


「放てェ! 番えて次ッ、一点射! …………放てェ!!」


 二射、三射と浴びせかける。

 いかに『剣』が『弓』に有利と言っても、複数人から一斉に射掛けられたら全てを回避し切るのは難しい。

 一点射とは、彼ら弓隊を仕切る者の指定した個人へ向けて全員が一斉に矢を放てという指示だ。一対一では回避されてしまう。一体二でもまだ怪しい。三人、四人と加えても手練れなら対応してくる者も居る。元はアリエス様の部隊で考案、実施されていたもので、彼女の指揮の元で行われるこの攻撃は極めて機能的に、効率的に敵をそぎ落としていく。あれには少々及ばないが、まあ十も居れば敵を減らしていくことも可能だろう。


 『剣』は、『盾』で囲ってしまえば出ることが叶わない。

 『弓』による攻撃も、数を増やせば回避し切れなくなる。

 一人に対して動員する数が多すぎるが、あの神父を放置するよりずっとマシだ。


 彼がどれだけ優れた『剣』の術者であっても、『盾』の魔術を切り裂くなどできない。

 それはもうイレギュラーだ。


 号令を引き継ぎ、一歩下がって思考する。


 これで終わりか? と。否。



「伏せろクレアァァァアアアアアア!!!」



 思考より早く身を伏せた。

 何が起きているかなど考える必要は無い。そういうのは任せている。ただ強烈に胸の奥へ響く剣戟が頭上で弾けたのだ。


「っぁあ!」


 声が、少年の、よく知る声が近くに来た。


「そのまま横に転がってとりあえず逃げろっ。とにかく身を隠せ!」

「ヨハン!?」

「おうよ!! 隊長殿でな、なくっ、て……わるかった、なァ!!」


 再び剣戟が鳴り響き、けれど圧倒的な気配を伴って刃が私を襲ってくるのが分かった。

 身を弾き飛ばすように逃げた。無傷だ。それは私の動きが良かったからではなく、あの攻撃を逸らす者が居たからで。


「よおクソ神父……こんな時まで女に目移りなんてつれねえじゃねえかよ……っ」


「この勢いを止めるには彼女を害するのが一番だったので。えぇ、お望みとあれば、少年の願いを聞き入れるくらいは致しますとも」


 立ち上がり、対峙する二人を見る。


 虐殺神父。

 そして、ヨハン。


 おそらく神父は最初からあの突撃を仕掛けてきた部隊には居なかったのだろう。あるいは途中で抜け出したか。

 どちらにせよ私たちが何らかの備えをしていると呼んだ彼は、味方を囮にすることでこちらの注意を集中させ、自分は影から私を狙うつもりだったということだろう。ヨハンの合流が遅ければ、私もどうなっていたか……。


 視線を別へ。教団を囲う『盾』は未だ交戦中。仮に再配置しようとした所で、この位置ではなけなしの味方を刈り取られてしまう可能性が高い。


 ならば私はヨハンの言うとおり身を隠し、再び神父が襲ってきた時に素早くあの囲いを展開できるよう準備をしておくべきだろう。最悪見せ掛けでも良い。アレの準備が整っていると思えば、もう神父も追撃をしてこれない。こうしている間も、離脱さえ困難になっていくのだから。


「ヨハン!」


 神父と向かい合うヨハンは応えない。

 あの男を相手に他所事へ気を使う余裕などないのだろう。だが、聞こえてはいる筈だ。


「ここは任せる! 死ぬなよ!」


 駆け出した。

 つい先ほどまで勝利を謳っていたとは思えない始末に笑みがこぼれた。


 まあ、それだけが理由だとは限らないんだが。


    ※   ※   ※


   ヨハン=クロスハイト


 ちくしょうが。


 こんな言葉を、嬉しく呟くことがあるなんて思わなかった。


 クレアが、あの他人にビクビクしていた女が、別れたあの日より頼もしく感じる。


 悔しいんだよ、本当の所はよ。

 学園へ入ったばかりの頃、やりあったあの訓練の時じゃ、間違い無く俺の方が上だった。

 こっちはガキの頃から剣を振ってきたし、ろくでなしだったが師匠みたいなのも居た。魔術(こいつ)だけには自信があったんだ。身分なんか知るか、敵が増えるなんざ怖くもねえ。その根拠は、この世のクソ溜めから生まれてきた自分と、腕っ節だけだったってのに。


 隊長殿とだって、あの時はまだ戦えてた自信がある。

 なのに気がつけばすっかり配下になって、どんどん腕を磨いて伸びていくクレアを見てもそんなものかと焦りさえなかった。

 くりくりのと入れ替わりだと言われた時だって、あぁそうかとか、そんな程度だ。いつもクソアンナとやかましくしてるセレーネなんぞは、隊長殿のひいきだとかって騒いでたってのに、あのアレ、あいつ、ノート=ジークン? まあそんなヤツへの対策にあれこれ必要だと説明された時、俺に任せろとは言えなかった。


 ちくしょうが。


 今は違う。

 もっともっと強くなりてえ。

 あの人の剣だって、胸張って言えるくらい、いんや、使う側が誇りに思えるくらいの使い手になる。

 だってのにクレアのあの振る舞いだ。

 剣の腕だって立つ癖に、あれだけの人間を使って、結果を出してやがるんだからよ。


 ちくしょうがっ!


 今目の前に居るのは、化け物みたいに強い『剣』の術者。

 勝て、とは言われなかった。そのことを屈辱って思おう。

 次向き合った時は、俺がこのヤロウを倒してくれるって、そう皆が思えるようになろう。


 あァくそったれがっ! 嬉しいなんて思ってる場合じゃねえだろう!


 経験は積んだ。

 前よりずっと、俺は強くなってる。

 ここでその自信を確かにする。


「しかしよアンタ、血まみれじゃねえか」


 勝敗なんて今の時点で決してるんじゃないかと思えるくらい、神父は左肩から大量の血を流してやがった。

 返り血もあるんだろうが(その二つはある程度までなら見分けがつく)今に倒れ伏したっておかしくない出血だ。あの状態で、ここまで突破してきた。

 あぁ、だから油断なんてしねえ。


 踏み込む。


 右へ。相手からすれば負傷した左側へ。

 弱みは見せた方が悪い。勝ちにいくなら、例え腕試しだろうと弱点狙いに躊躇なんてしねえ。


 振り抜く。前へ。飛ぶ。


「っ、届いてねえ!」


 すれ違い様の一撃を狙ったはずだ。

 間合いは良かった。図体のでかいヤロウに対して、身体の小さい俺はド近距離での動きに分がある。動き易い筈だ。だから肩や肘や手首、閉所での斬り合いで相手の一瞬先をいけるよう工夫も特訓もした。

 だが今の一撃、確かに入ったと思った攻撃は、炎の影さえ斬れやしなかった。


 斬り合いを続けるのは危険だ。

 腕は間違い無く相手が上。

 相手に攻撃をしようと思わせないまま勝つのが一番良い。

 攻撃に失敗したのなら、反撃が来る前に距離を取る。それで、間合いの主導権を取り続ける。


 振り返る。詰めてきた。だが来ることを前提とした身の返しだ。捌け、


「ヨハンくん!!」


    ※   ※   ※


   アンナ=タトリン


 飛び出してた。

 邪魔だから来るな。

 そうはっきり言われたのに。

 実力もないのに。皆みたいに目標だって立てられず、ただ付いて回ってるだけの私なのに。

 崩れ落ちたヨハンくんと、それを静かに眺める神父さんの間に割って入った。


 なにがしたいんだろう、私。


 でも、言葉が流れ出た。


「お願いしますっ! ヨハンくんを殺さないで! わっ、わたしが、身代わりにっ、なる、から!」


「っっっざけんなクソアンナ!! ぁ、っく……! 勝手に、俺の負けを認めてんじゃねえっっ!!」


 でも、ヨハンくん、立てないよね。

 思いっきり身体斬られてたのは私だって見たもん。

 魔術の腕がいまいちな変わりに、治療の知識は頑張って覚えた。それだって中途半端だけど。

 致命傷、かもしれない。でも、とにかく血を止めれば、まだ助かるかもしれない。

 私は皆ほどちゃんと見えないから、もしかしたら、結構浅いのかもしれない。

 ただこのまま戦い続ければ、きっとこの神父さんみたいに一線を越える。生きているのか死んでいるかも分からない人になる。


 いやだよ、ヨハンくん。

 生きててほしいもん。

 また一緒に、馬鹿みたいに話して笑って、我が侭言われたり、したいもん。


 あぁでも、私が死んだら無理かー。

 まあ仕方ないかな。


 一番嫌なことは、これでなんとかなるかな?


 ねえ神父さん。


「…………いいでしょう。貴女という贄を以って、この戦いは終わらせましょう」


 振り上げられた剣より、殺到する皆より、見ていたい人が居た。

 神父さんに背を向けて、なんとか立ち上がろうとするヨハンくんの頭を撫でる。

 それだけでもう顔をあげてられなくなるんだから、無茶はしないでほしいな、まったく。


「ヨハンくん」

「ア――」


「勝ってね」


 あぁ、返事、しとくんだった――




 

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