表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/13

第ニ章:沈黙の教室と、金曜日の審判

異国での「損失」を取り戻せ。父・泰三の命により、明美の生活は一分の隙もない受験マシーンへと変貌する。

しかし、教室に渦巻くのは「国立教授の娘」というレッテルへの無自覚な嫉妬と、友情を裏切りへと変える凄惨な序列意識だった。

「涙は、非効率の産物だ」と言い切る父。透明人間として扱われる教室。逃げ場のない二つの戦場で、明美は声を上げずに泣く術を覚えていく。心を氷で塗り固めた先に、果たして救いはあるのか。

登場人物

茉莉まつり

明美の小学生時代のクラスメイト。帰国直後で孤立しがちな明美に、唯一「等身大の友人」として手を差し伸べる明るい少女。


転校初日、明美の机の周りには幾層もの人垣ができていた。

「ねえ、お父さんテレビで見たよ!」「英語喋ってよ」「やっぱり家ではステーキとか食べてるの?」

浴びせられる好奇心に息を詰まらせる明美の隣で、一人の少女が軽やかに笑った。


「みんな、やめなよ。明美ちゃんが困ってるじゃん。……ねえ、明美ちゃん。みんな興味本位なだけだから、気にしちゃダメだよ。あなたは、あなたなんだから」


それが、茉莉との出会いだった。茉莉は明美を「教授の娘」ではなく一人の友人として扱い、海外での苦労話を「大変だったね」と等身大の共感で受け止めてくれた。明美にとって、茉莉は日本で出来たはじめての友達だった。


しかし、一年後。中学受験が近づくと、教室の空気は重く淀んだ。

廊下に貼り出される「学力等数ランキング」。能力によって生徒をSからDまで選別する残酷なシステム。


ある朝、明美が茉莉に話しかけると、彼女は筆箱を整理する手を止めず、隣の女子と喋り始めた。

「ねえ、昨日のSクラスのテスト、難しすぎたよね」

「……茉莉ちゃん? おはよう」

明美の声は無視された。茉莉は冷ややかに鼻で笑った。

「別にいいじゃない、あの子は。どうせ『お父様』が国立の教授なんだもん。私たちの必死な努力なんて、最初から馬鹿にしてるわよ」


その日から、茉莉は明美を透明人間として扱い、机に誰かが近づくと「有名人と仲良くなりたいわけ?」と鋭い棘を刺すようになった。


金曜夕食報告会

家庭もまた、戦場だった。泰三が定めた「金曜夕食報告会」。

重厚なダイニングテーブルで、泰三が銀のナイフで肉を切り分けながら促す。

「今週の成果を報告しなさい」


智樹は「学年一位」を当然のように報告し、航は「テニス部選抜」を軽やかに報告する。

そして、明美。

「……塾の判定はAでした。でも、学校で……茉莉ちゃんが、急に……」

明美が声を震わせると、泰三の眉がピクリと動いた。

「明美。感情という不確定要素に時間を割くのは、最も愚かな浪費だ。君が今優先すべきは『進学校合格』という成果だけだ。それ以外のノイズは遮断しろ」


「でも、お父様……」

「明美」

泰三の声が一段低くなる。怒号よりも恐ろしい、絶対的な拒絶。

「私が聞きたいのは、君の感傷ではない。来週、Sクラスのトップ層に食い込めるかどうかの『見込み』だ。私の娘として、その程度のこともできないのか」


明美は、味がしなくなったステーキを喉に押し込んだ。

その夜、自室へ戻りカバンを開けると、ノートに茉莉の筆跡で大きく書き殴られていた。

『死ね。エリートの出来損ない』

明美は声を上げずに泣いた。受験が終われば終わる、地獄は終わる。そう信じて、心を厚い氷で塗り固めていった。




本作を最後までお読みいただき、ありがとうございます。

帰国後の明美を待ち受けていたのは、異国の地よりもさらに複雑で鋭い、同調圧力と序列の檻でした。

「自分は何者か」という問いよりも、「自分はどのランクか」という答えが優先される教室。そして、食事さえも報告の場に変えてしまう父・泰三の支配。

ノートに書かれた呪詛を一人で見つめる明美の孤独は、実は形を変えて、今の私たちの社会にも存在しているのかもしれません。彼女が塗り固めた「氷」が、いつか自分を凍らせるためではなく、大切な何かを守るための盾になることを願っています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ