第四話 {御心ざしのほどは見ゆべし}
志月道において最高峰の人員による高度の大浄術の直後、出仕たちは全員ではないものの、肉眼で本物の黄龍を見た事実への冷めやらぬ興奮から口々に見学の感想を囁き合っていた。
「すげえ、すげえ!!俺、本物の龍を見た!!しかも金ピカの!!」
「ね、金ピカだったね!凄い迫力だったなぁ」
「えっ、えっ、みんな黄龍様が見えたの??私何も分からなかった」
「うーん。気配と音は分かったんだけどなぁ……」
皆の私語に乗じて優子も秋輝に感想を話そうとしたので、秋輝は彼女を静止させ、貴堂の教示に耳を傾けるように諭した。皆は貴堂の声を邪魔しないように話していたが、貴堂からすれば話している途中に私語が飛び交っているという点ではマナー違反として変わらない。貴堂が眉をひそめて口を開こうとした瞬間、別の場所から怒号が飛んできた。
「静かにしなさい!!」
皆が一斉に肩を跳ね上げさせ、貴堂の背後にいる男に注目した。皆の視線の先にいたのは、黄龍に引けを取らぬ厳格な金色の狩衣を着た行者、君月眞宗であった。
「君たちは、志月大社の鳥居をくぐり、袴を履いた日から、既に俗世の人間ではありません。常に修行をする身である自覚を持って行動しなさい」
出仕たちはすっかり黙り込み、声も、音でさえ立てる者は一人もいない。眞宗は敬語で最大限丁寧に話しているにもかかわらず、その言葉には雑念を消し飛ばし意識を統制する力があった。
「良いですか。修行者にとって、己の師範は最も敬うべき存在です。師の教えを遮って私語を交わすなど、無礼極まりないことです。二度とそのような態度をとらぬよう、慎んで精進しなさい」
出仕一同が一斉に堅く返事をするのを聞き届け、眞宗は先程の般若のような気迫が噓であったかのように静粛な空気を纏い、音なく去っていった。
貴堂は、去っていく眞宗の背に頭を下げると、出仕たちの方へ向き直り、説明を再開した。
「社に戻ったら、今回の祈祷について詳しく解説をする。皆、帰る準備をしなさい。ヘリが来るまでは休憩とする」
ヘリの到着までは一時解散となり、皆は一気に肩の力が抜けた。今は自由時間であるにもかかわらず、皆はどこかしんみりとしている。雑談をする者もいるが、無意識にか声が抑えられていた。
「秋輝、秋輝!さっきはうちが喋るの止めてくれてありがとうな」
物静かな出仕一同に紛れながら、そこそこ目立つ声量で優子が感謝を伝えた。
「はは。みーんな、すっかり落ち込んでもうてるなぁ。まあ、しゃーないよな。あの憧れの斌之公が初めてうちらに掛けた言葉が、厳しいお叱りの言葉やったんやもんね」
そう言って秋輝の顔を覗き込んだ優子が不思議そうな声を上げたので、秋輝はどうしたのかと尋ねてみた。
「秋輝はさ、平気そうやんな。若干笑ってるし」
「えっ」
優子に意外なことを言われ、秋輝は両手で自分の口端を触り、漸く自分が微笑んでいたことを自覚した。
「どうして笑っているんだろう、僕……」
「なんで、なんで?聞かせてや」
好奇心旺盛な優子は、秋輝の笑顔の理由が知りたくて仕方ないらしい。秋輝は自分自身の心を探った。何故、嬉しそうに笑っていたのか。何故、眞宗の堅実な姿を見て安心したのか。
「なんだか、懐かしく感じたんだ。……変わってないなって思った」
「眞宗さんが?」
「うん」
秋輝の心からの回答に、優子は更に首を傾げてしまった。そんな優子をよそに、秋輝の視線は自然と眞宗の方を向いた。
「優子ちゃん、ごめんね。ちょっと先輩と話してくるね」
「あ、うん。いってらー」
優子はもっと聞きたいことがあっただろうに、秋輝を止めずに素直に送り出してくれた。秋輝は彼女の優しさに感謝をしながら、眞宗のもとへ足を進めた。
「先輩」
「……秋輝。さっきは怒鳴ってすみません」
まさか開口一番に謝られるとは思っていなかった秋輝は、驚いてしまった。
「どうして謝るの?みんなの為に言ってくれたんだよね?」
眞宗は少し下げていた頭を上げ、答えた。
「これは出仕たちへの謝罪ではありません。貴方への謝罪です。貴方はちゃんと静かに貴堂さんの話を聞いていましたから」
なんて誠実な人なんだろう、と秋輝は思った。だから、彼の心を安心させてあげたかった。
「大丈夫。僕は先輩の怒る姿を見て、なんとなく安心したんだ。理由は自分でも分からないけどね」
そう言って微笑みかけると、眞宗の眉が微かにピクリと動いた気がした。
「あれ、そういえば。けっこう離れていたのに、僕が喋っていないことが分かるなんて凄いね」
「……いえ、なんとなくです。秋輝ならあのような時、どう行動するかがなんとなく分かっていました。強いて言うとすれば、“信じていたから”でしょうか」
互いに知り合って数日であるにもかかわらず、そのような信用を寄せるのは摩訶不思議なことである。それに、両者とも相手への“なんとなく”の感情を既に持っているとは、これまたなんとも奇妙な縁だと、秋輝は思った。
そうしていくつか会話を交わすと、他の行者と話していた平土龍聖が眞宗の横に戻ってきた。
「眞宗様。そちらは?」
「ああ、龍聖。彼は姫廻秋輝。一応、今年入った出仕です」
「一応……?」
「一応」、という言葉に疑問が湧いた龍聖と秋輝だが、眞宗に紹介に預かった為、二人は軽く会釈をしながら自己紹介をした。
「初めまして。姫廻秋輝です」
「平土龍聖だ。職階は禰宜。よろしく。…………君の年齢は?」
何故だか聞きづらそうに年齢を聞かれ、秋輝は少し戸惑いながらも素直に答えた。
「十五です」
「年は同じだな。行者としては俺の方が階位も職階も上だが、眞宗様が君を丁寧に扱っている手前、俺だけが偉そうにするわけにはいくまい。故に敬語は不要だ」
確かにこうして面と向かっていると、秋輝も自分と龍聖が同年代のような気がしてきた。遠くから眺めていた時は、彼の常に眉間に皺が寄っている顔と、武人然とした風情が、彼を実年齢よりも少し上に見せていて気付かなかったのかもしれない。
「分かった。よろしくね、龍聖君」
「ああ」
龍聖ががっちりとした右手を差し出してきたので、秋輝もそれに応え、雄々しい握手を交わした。
「そうだ、先輩」
「何ですか」
秋輝は、見学していた時からずっと気になっていたことについて触れてみることにした。
「トンネルの浄化が終わった後、黄龍を呼び出すまでに時間がかかっていたね」
「ああ、それは……」
眞宗がトンネルの遥か向こうに目を向けながら事情の説明を始めた。
「ここから少し先の道路沿いに、祠がありました。天人の縄張りに龍の通り道を無断で設置することは、どの天人かによっては怒りを買いかねません」
秋輝は「なるほど」と深く納得した。基本的に龍道とは非常に善い空間だが、天人や他の上位存在の領地につくるとなると、人間で喩えるところの不動産侵奪罪となる。
「祠に入っていたのは高灼天でした。高灼天は厳しい方ですし、私が説得しても認可してくださらないことは目に見えていました。故に、好麗天に降りてきていただき、高灼天を説得するようお願い申し上げたのです」
好麗天については、秋輝も昔、鶴姫に話を聞いたことがある。好麗天は極めて美しい天女で、月《天界》では謂わばアイドルのような存在である。彼女の真言を唱えるだけで他の男性の天人方は非常に喜ぶのだ。それゆえ、男性の天人の機嫌を取る必要がある場合に、好麗天の出番が多い。
「高灼天は、最終的に許してくれたんだね」
秋輝が笑んでそう言うと、大人しく二人の会話を聞いていた龍聖は秋輝の言葉遣いが引っ掛かったようで、口を挟んできた。
「秋輝。天人様は、我々修行者にとって目指すべき貴い存在だ。眞宗様は志月道総本社の大宮司であり、生きながらにして天人である【生天人】に最も近い存在であらせられる故に対等に接することが許されているが、出仕であるお前が……」
そこまで言って、龍聖の川の如く止まらぬ説教は眞宗に止められてしまった。
「龍聖、ありがとうございます。ですが、秋輝は良いのです」
龍聖は驚愕のあまり、一瞬眉間の皺が完全に消えてしまった。君月眞宗という生真面目で堅物の男が、死んでも言わないことを口にしたからだ。即ちそれは、目上への非礼を容認する言葉である。
「斌之公。お話し中に申し訳ございません。あちらで今後の予定についてお話ししたいことがあります」
駆け寄ってきた行者が眞宗を呼んだ。
「私は他の者と話があるので、これで失礼します」
眞宗はそう言うと、未だに口が僅かに開いたまま固まっている龍聖に声を掛けた。
「龍聖。これから秋輝とは長い付き合いになるでしょうから、この機に親交を深めてみてはどうですか?」
それだけを告げると、眞宗は返事も待たずに足早に離れて行ってしまった。
「…………」
「…………」
気まずい。少なくとも秋輝の方はそう思っているのだが、先程から真顔になってしまっている龍聖の心情が全く読み取れない。
「あの……龍聖君?」
「お前は何者なんだ……?」
龍聖が真顔のまま問い掛けてくる。
「只の出仕ではないだろう。でなければ、眞宗様がここまで入れ込む理由が分からない」
そう問われ、秋輝は龍聖を怒らせてしまったのだろうかと思った。しかし────
「志月大社に入る前から、何かしらの修行に携わっていたのか?」
秋輝の目には、心なしか龍聖の両目がキラキラと輝いているように見えた。
「答えてくれ。あの聖人君子・聡明叡智の眞宗様に認められているお前は、一体どのような経歴を積んできたのだ?……いや、それ以前に、眞宗様とはいつから知り合いなんだ……?」
「経歴は特にない。ただ、小さい頃から“こっち側”の存在には触れてきたし、供養もお祓いも、妖怪退治もしたことがある。あと、せんぱ……眞宗様とは本当に数日前に知り合ったばかりなんだ。僕の経歴なんて知らないと思うよ」
秋輝の回答に、龍聖は怪訝な表情をした。
「つまり、眞宗様はお前の人柄も実力もほとんど知らぬままお前に肩入れしていると?」
「分からないけど、どこかの世で会ったのは確かだ」
再び眉間に皺が寄ってしまった顔を見て、秋輝は話題を変えたいと望んだ。
「話が変わるけど、いくつか質問してもいいかい?」
「……いいだろう。何でも聞け」
そう答えた龍聖の顔と声には、「お前が評価に相応しい人間か見定めてやる」と目を光らせた鬼が宿っているように感じた。
「君はやはり、平土家直系の人だよね?」
その質問に、龍聖はほんの少し胸を張った。
「ああ、そうだ。何故分かった?」
「名前に『龍』が入ってる」
「……最低限の知識はあるようだな」
「うん」
秋輝が他意なく返事をすると、龍聖の表情から少し険しさが消えた。
「龍と特に縁が深い平土家の人間は、皆戒名を授かる際、必ず龍の字が入る。志月道に少しでも関心がある者であれば知っていて当然だがな」
龍聖は、上に向きがちだった顔を正面に戻し、真っ直ぐに秋輝を見て話すようになった。
「他に質問はあるか」
「天人の家系は、どうして存在を隠蔽されているの?」
「───天人の血を引く者は、生まれついての才色兼備や長寿が多い。その上、現世で修行の頂点に達した場合、生きたまま肉体を持つ天人……生天人となり、何百年も生きられる」
────その特性は、平凡な人間から多くの嫉妬を買う。
「これもまた、一般社会での混乱を避ける為なんだね」
「そういうことだ。まあそれも、眞宗様が偉業を成し遂げ、生天人になられるまでの話だがな。生まれつきでただ高貴なだけの存在は妬まれるが、実際に多くの人間を救ったという実績さえあれば、皆が認める。天人の家系のことも近々明るみになるだろう」
龍聖は遠い目をしながらそう言った。
「では、もう一つだけ。どうして門主方のことを少宮司と呼んではいけないの?」
秋輝は、貴堂が先日話していたことへの疑問の答えを龍聖に求めることにした。
「ああ……。それについては、俺も他の門主方に直接聞いてみたいぐらいなんだが……」
龍聖は目線をやや落とし、腕を組んだ。
「父上が言うには、『少』という字が小物っぽくて気に入らんのだと」
「プライド、かな」
「ああ、どうやらそうやらしい。別にどうでもいいだろうと思ってしまうがな」
そう話しながら、龍聖はずっと秋輝の後方を睨んでいる。秋輝は先刻からそうしている彼が気になり、自身も後ろを振り返った。
────少し離れた距離から、出仕の何人かがこちらを強く睨んでいる。
「さっきから、あいつらが針を飛ばしてきやがる。鬱陶しい」
彼の言う“針”とは、本当の針のことではなく、針のようにとげとげしく飛んでくる瞋りの念のことである。
秋輝は目を丸くして驚いた。それは念で攻撃をされていることに対してではなく、それに自身が気付かなかったことに対してである。
「仮にお前に、普段これを察知する才があったところで今回気付かなかったのは当然だ。俺が既に結界で遮断していたからな」
知らぬうちに護られていたとは、なんと有り難いことか。と、秋輝は彼に深く感謝した。
「護ってくれたんだね。ありがとう」
「構わん。眞宗様の命令だ」
「眞宗様の命令……?」
「それよりも、早く出仕共の集まりへ戻れ。あいつらは、お前が眞宗様や俺と話していることに嫉妬を抱いているのだろう」
秋輝は龍聖の言う「眞宗様の命令」というのが気になったが、折角彼が気を遣ってくれているので、これ以上の会話は止めておくことにした。
───────この頃から、秋輝の胸には微細だが仄暗い不安が生まれていた。




