第三話 裏切り者たちのための舞台は整った。さあ、君たちが主役の絶望劇を始めようか。
復讐の幕は、静かに、しかし確実に上がった。
僕が描いたシナリオ通りに、主役たちは破滅の舞台へと自ら歩を進めていく。まるで、見えざる糸に引かれた操り人形のように。
第一幕:間男の社会的抹殺
全ての始まりは、一本のUSBメモリだった。
僕がわざとデスクの上に無造作に放置しておいた、例の次期大型プロジェクトに関する「極秘資料」が入ったUSB。莉緒奈が僕の書斎を掃除する際に、それを目にするであろうことは計算済みだった。
「ねえ、奏佑。これ、大事なものじゃないの? デスクに置きっぱなしだったよ」
案の定、莉緒奈は心配そうな顔でUSBを僕に手渡してきた。僕はわざと焦ったふりをする。
「うわっ、危ないところだった。ありがとう、莉緒奈。これが外部に漏れたら、俺のクビが飛ぶところだったよ」
「そ、そんなに大事なものなの?」
「ああ。会社の未来がかかってる、絶対に他言無用のデータだ」
僕の言葉に、莉緒奈の瞳が一瞬、複雑な色を帯びて揺らぐのを、僕は見逃さなかった。彼女の心の中で、僕への罪悪感と、西園寺への愛情(だと彼女が信じ込んでいるもの)が天秤にかかっているのが手に取るように分かった。
そして、その天秤がどちらに傾くかも。
その夜、莉緒奈が寝静まったのを確認してから、僕はPCでUSBへのアクセスログを確認した。
深夜2時17分。ファイルがコピーされた記録。
ご苦労様、莉緒奈。君は完璧に、僕の期待に応えてくれたよ。
もちろん、彼女が西園寺に渡したデータは、僕が巧妙に細工を施した「罠」だ。一見すると画期的な企画案に見えるが、その根幹部分には実現不可能な技術的欠陥と、予算計画における致命的な矛盾が隠されている。少し調べれば分かる嘘を、僕はさも本物のように飾り立てておいたのだ。
数日後、運命の役員会議が開かれた。
僕が企画案のプレゼンを終えると、待ってましたとばかりに西園寺が立ち上がった。
「待った! 織部君のその企画案には、重大な欠陥がある!」
彼はそう高らかに宣言すると、役員たちに向かって自信満々に語り始めた。その手には、莉緒奈から得た情報を元に作り上げたであろう、彼自身の「改善案」が握られている。
「私が提案するこちらのプランこそ、会社の未来を担う真のプロジェクトです! 織部君の案など、児戯に等しい!」
得意げにプレゼンを進める西園寺。だが、彼の言葉が進むにつれて、会議室の空気は徐々に冷え切っていく。僕が仕掛けたデータの欠陥に気づくこともなく、彼はただただ雄弁に、自らの墓穴を掘り続けていた。
プレゼンが終わった時、会議室は静まり返っていた。やがて、社長が重々しく口を開く。
「……西園寺君。君は、自分が何を言っているのか、理解しているのかね?」
役員たちから浴びせられるのは、失笑と侮蔑の視線。そこでようやく、西園寺は自分が道化を演じていたことに気づいたようだった。彼の顔から、みるみる血の気が引いていく。
「こ、これは……何かの間違いで……」
だが、もう遅い。
追い打ちをかけるように、僕はとどめの一撃を放った。
「西園寺、お前、このプロジェクトの情報をどこから手に入れた? 俺のPCからデータを盗んだんじゃないのか?」
「なっ……! そ、そんなことは……!」
僕の告発に、会議室は騒然となる。
そこへ、タイミングを見計らったように人事部長が部屋に入ってきた。
「西園寺君、君に話がある。情報漏洩の疑いとは別に、複数の女性社員からのハラスメント被害の訴えと、取引先との不適切な金銭授受の疑いが報告されている。少し、別室で詳しく聞かせてもらおうか」
もちろん、それらは全て氷室さんが事前に調査し、僕が適切なルートを通して会社にリークしておいた情報だ。西園寺の周囲に張り巡らされた蜘蛛の巣が、一斉に彼に絡みついた瞬間だった。
彼は顔面蒼白のまま、なすすべもなく人事部の人間によって会議室から連れ出されていった。その姿は、まるで断頭台へと引かれていく罪人のようだった。
結果、西園寺蓮は懲戒解雇。彼の会社員としての人生は、その日、完全に終わった。
第二幕:婚約者の絶望
頼りの西園寺が破滅したという報せは、すぐに莉緒奈の耳にも入った。週末、僕がリビングで寛いでいると、彼女が血相を変えて部屋に飛び込んできた。
「奏佑! 大変! 西園寺さんが……西園寺さんが、会社をクビになったって……!」
その狼狽ぶりは、もはや恋人の危機を憂う女の姿そのものだった。僕は静かに立ち上がり、震える彼女の肩を優しく抱きしめる。
「落ち着いて、莉緒奈。大丈夫、僕がいるから」
「う……うう……」
僕の腕の中で、莉緒奈は安堵したように泣き崩れた。
そう、大丈夫だ。大丈夫、君はこれから、僕が用意した最高の絶望を味わうことになるのだから。
僕は彼女をソファに座らせると、リビングのローテーブルの上に、一冊のファイル――氷室さんが作成した、完璧な調査報告書――を広げた。
「これは、何……?」
涙目の莉緒奈が、怪訝そうにファイルを見つめる。
僕はその表紙を、ゆっくりとめくった。
一枚目。西園寺と莉緒奈が、高級レストランで楽しそうに食事をしている写真。
二枚目。二人が腕を組み、ホテルのエントランスに入っていく写真。
三枚目。スマホのメッセージ履歴のスクリーンショット。『奏佑には悪いけど、やっぱり蓮さんが好き』『愛してるよ、莉緒奈。あんな男から、必ず君を奪ってみせる』――そんな甘い言葉の応酬。
莉緒奈の顔から、急速に色が失われていく。
「な……んで、こんなものが……」
「まだあるよ」
僕は無慈悲にページをめくる。
最後に出てきたのは、音声データの波形が印刷された紙だった。僕はスマホを取り出し、再生ボタンを押す。
『莉緒奈なんてただの駒だよ。奏佑からプロジェクトリーダーの座を奪うためのな』
スピーカーから流れてきたのは、紛れもない西園寺の声。友人との電話で、莉緒奈を嘲笑う、あの録音データだ。
『結婚? まさか。手に入れたらすぐに飽きるって。ああいう承認欲求の塊みたいな女は、ちょっと優しくすればすぐ転がるから楽でいいよな』
音声が途切れると、部屋は死んだような静寂に包まれた。
莉緒奈は、信じられないというように、虚ろな目でスマホと僕の顔を交互に見ている。
「……これが、君が僕を裏切ってまで選んだ男の正体だ」
僕は、氷のように冷たい声で言い放った。
「そして、君が裏切った男は、君の知らないところで、君を地獄に突き落とす準備を着々と進めていた。――僕の職業、まだ教えていなかったね。表向きはIT企業の会社員。でも裏では、人間関係の『終わり』を演出する仕事をしている。人はそれを、『別れさせ屋』と呼ぶ」
僕が告げた事実に、莉緒奈の瞳が見開かれる。恐怖と絶望が、その美しい顔を醜く歪めていく。ようやく、全てのピースが繋がったのだろう。西園寺の破滅も、この調査報告書も、全てが僕によって仕組まれたことだと。
「あ……あ……」
声にならない悲鳴を上げ、彼女はその場に崩れ落ちた。
「ごめんなさい! ごめんなさい、奏佑! 私が、私が馬鹿だったの! 寂しかったのよ! お願い、もう一度だけ……もう一度だけチャンスをちょうだい!」
彼女は床に這いつくばり、僕の足にみっともなくしがみついてきた。その姿は、かつての華やかさの欠片もない、哀れな敗残者のそれだった。
僕はその手を冷たく振り払い、一歩後ずさる。
「もう遅いよ、莉緒奈」
僕は左手の薬指にはめられていた婚約指輪を静かに抜き取ると、彼女の目の前で、それを無造作にゴミ箱へと投げ捨てた。
カラン、と乾いた音が、彼女の心の砕ける音と重なった。
「これは、君たち二人に贈る、僕からの最高のプレゼントだ。君たちのための、最高の破局の演出だよ」
僕は、人生で最も美しい笑顔を浮かべて、彼女に最後の言葉を贈った。
「おめでとう、莉緒奈。君は今日、全てを失った」
僕の言葉を合図にしたかのように、莉緒奈の絶叫が、静まり返ったタワーマンションのリビングに虚しく、そして長く響き渡った。




