第一話
「――これより、フェルディナンド家の処刑を執行する!」
処刑台の上には三人の男女が並んでいた。三人とも後ろ手に縛られ、逃げ場はない。
壮年の男はきつく目を閉じ、唇を硬く結んでいる。その隣で、妻は静かに涙を流しながら絶望に顔をゆがめていた。
だが――彼らの子供だけは違った。少年は笑っていた。憎悪に満ちた群衆でさえ思わず息を呑むほど、慈愛を宿した美しい笑みで。
「この一族は固有魔法――召喚を悪用し、アリアスタ王国との戦争において無数の召喚者を戦地へと駆り立てた。しかし自らは一度たりとも戦場に立たなかった!」
審問官の声に合わせ、観衆は口々に罵声を浴びせる。
「召喚者を隷属魔法で縛り、奴隷として使い潰した挙句――」
言葉を重ねるごとに、怒号は熱を帯びていく。
それが真実か否かなど、誰も気にしていなかった。審問官も、群衆も。
「さらには召喚者を王城に送り込み、我らがバンフォレスト王の暗殺まで企てたのだ!」
広場は一層の憎悪に包まれ、審問官の顔には恍惚と嗜虐が入り混じった笑みが浮かぶ。
「長き戦争を乗り越え、アリアスタ王国と和睦を結ばんとするこの折に、卑劣なる一族を断罪する――それこそがバンフォレスト王国の総意である!」
観衆は沸き立ち、歓声とも罵声ともつかぬ叫びが空を震わせた。
「よって、元当主ローランド、その妻エリザベス、そして子フィアン――国家反逆罪により、家名を取り潰した上で死刑に処す!」
夫妻が涙を流し、悔恨と怒りに顔を歪めても、少年だけは笑っていた。
観衆は「恐怖に狂ったのだ」と思った。だが違う。少年は最後まで慈しみを込めた笑みを絶やさず、最も大切な人の名を口にして息絶えるのだ。
「――フィアン」
処刑人が剣を構え、振り下ろす。
一撃で死ねることはなく、両親の悲鳴が血に沈むまで繰り返された。
それでも少年は命乞いをせず、幾度刃で貫かれようとも笑みを崩さず、最後の瞬間まで――「最愛の名」を呟き続けた。
※※※
「先ほど、刑は執行された」
バンフォレスト王国第一王子ヴィンセントは、地下牢の鎖に繋がれた少年にそう告げた。
うつろな目の少年は、頭を上げる気力もないのか、瞳だけで彼を見上げる。
「これで、お前の親族も、使用人も、フェルディナンド家に連なる者は一人残らず死んだ」
侮蔑を込めた声にも、少年は無反応だった。
「国王暗殺まで企てたと罪を着せられた一族の最期は――憐れで、無様で……。貴族とは思えぬ惨めな死に様だったぞ」
王子の笑い声が牢に響く中、少年がかすれた声で問う。
「……あいつは、どうなった」
「ん?」
「弟は……どうなったんだ」
「お前の代わりに処刑されたさ。気が違っていたのだろうな。処刑台の上で、死ぬまでずっと気味の悪い笑みを浮かべていたぞ」
その瞬間、少年は鎖を引きちぎらんばかりに暴れ、ヴィンセントへ殴りかかろうとした。
一瞬だけ怯んだ王子だったが、拳が届かぬと知るや、再び侮蔑の眼差しを向ける。
「存在を隠され、身代わりとして生かされていた弟は役目を果たした。称えてやれよ、哀れで愚かな弟を!」
「ヴィンセント! お前を殺す! いや、お前だけじゃない! この王国を必ず滅ぼす!」
「不敬だぞ。まあ、無様に死んだ家族に免じて許してやろう」
「殺してやる! 必ず……!」
少年の罵声を背に、ヴィンセントは続ける。もはや独り言のように。
「アリアスタ王国が提示した休戦条件がフェルディナンド家の処刑とはな。よほど召喚魔法が恐ろしいと見える。此度の二十年の休戦期間で兵力を増強すれば、奴らを圧倒できると進言したのだが……陛下はお前を保険として生かす道を選んだ。だがな、フィアン。お前は保険ではなく爆弾だ。お前が生きていると知れれば、アリアスタはすぐに攻め込んでくるだろう。本当なら、影武者の弟、シニフィエと一緒に死ぬべきだったんだ」
「……絶対に許さない。お前らを、一人残らず……!」
「牙を剥くのはわかりきっているのに、なぜ陛下は生かしておくのか……。だが、私が王位を継ぐときが、お前の終わりだ。それまでは、この地下牢で腐っていろ」
ヴィンセントは踵を返す。
残された地下牢には、少年の怨嗟と弟を偲ぶ嗚咽だけが、いつまでも響き続けていた。
※※※
どれだけ月日が流れたか。フィアンにはわからなかった。
彼を支えていたのは、ただ憎悪だけだった。
ある日、普段は極力接触を避ける看守が牢に入ってきた。
――とうとう、第一王子が即位したのか。ここで殺されるのか。
そう思った瞬間、看守は無言で鈍器を振り下ろした。衰弱した体では避けられず、頭を打たれたフィアンは意識を手放した。
気づくと、後ろ手に縛られたまま馬車の中に転がされていた。
殴られた頭がずきずきと痛む。だが久々に感じる外気が、かすかに意識を冴えさせた。
床の木の感触は、石牢の冷たさに比べれば温かい。
同乗している見張りは二人。鎧には双頭の鷹の意匠――第二騎士団の紋章。
魔法と剣術に秀でた精鋭揃い、王族直属でも屈指の騎士団だ。
その監視から逃れるのは不可能に近い。だが、ひとつだけ方法がある。召喚魔法で呼び出した異世界人に騎士を無力化させることだ。
フィアンは神経を研ぎ澄まし、召喚魔法を使える隙を探った。
だが数日が過ぎても、手を解かれる機会はなかった。
食事は流動食を流し込まれるだけ、排泄も垂れ流し。都度、洗浄魔法で処理される。
召喚魔法に必要な印を結ぶ両手は、一度も自由にならなかった。
それでも収穫はあった。騎士たちの会話で、自分が幽閉されてから六年が経っていると知ったのだ。
地下牢では太陽も時間も失われ、月日の流れを測ることはできなかった。
――家族が死んでから六年。牢で無為に過ごしたことは悔やまれる。だが、十歳で復讐に走っても無駄死にするだけだったろう。
今こうして成長した身で脱出の機会を得られたのは、僥倖かもしれない。
ただ――何のために運ばれているのか。どこへ向かっているのか。
それがわからない。目的地に着くまでの猶予もわからず、焦燥だけが募った。
召喚した異世界人が「外れ」だったらどうする。僕に従わなかったら――。
不安は尽きない。だが行動しなければ、状況は変わらない。
さらに数日が過ぎた。監視はむしろ厳しくなっている。目的地が近いのかもしれない。
このままでは脱出の機会を失う――そう思った刹那、馬車が急停止した。
慣性で体が投げ出され、背を強く打つ。
騎士たちもバランスを崩した。
「何があった!」
御者に叫ぶ声と同時に、轟音。暴風が馬車を吹き飛ばし、二、三度転がった末に横倒しになる。
すでに馬車は原型をとどめていなかった。フィアンは外へ投げ出され、土に転がる。
痛みに顔を歪めつつ目を開いた彼の視界に、巨大な影が飛び込んできた。
――ドラゴン。
深紅の巨体は馬車の何倍もの大きさ。翼を広げれば、昼の光を遮って世界を暗く塗りつぶす。
どうしてここに。北大陸ならともかく、人が住む土地にドラゴンが姿を見せることなど聞いたことがない。
御者は馬車の残骸に押し潰され、すでに絶命していた。
だが二人の騎士はまだ健在だった。彼らは、ここにいるはずのない存在に一瞬あっけにとられたが怯むことなく剣を抜き、巨体へ立ち向かう。
――しかし。
精鋭の名を誇る第二騎士団の武勇とて、ドラゴンを討ち倒すには程遠い。刃は鱗に届かず、逆に鋭い爪に切り裂かれ、無残に大地へと散った。
フィアンは目を逸らすことができなかった。恐怖に体が凍りつき、声すら出ない。
ドラゴンは爪にこびりついた血を一振りで払い落とすと、その紅い瞳をフィアンへと向ける。
咆哮。天地を震わせる声に、フィアンの全身が強張った。
――死ぬ。
だが、その瞬間、生存本能が恐怖を上回った。
縛られた腕のまま這いずり、やがて足をもつれさせながらも立ち上がり、森の中へ駆け込む。
背後から迫る気配はない。
ドラゴンは追ってこなかった。