序章:引っ越しと初めての違和感
安アパートに越して三日目の夜だった。二階建ての木造、外廊下は歩くたびぎしぎし鳴り、手すりの錆は夜露で赤黒く滲む。蛍光灯は一本おきに点滅して、虫がぶつかるたび床へちぎれた影を投げた。
ドアを閉めれば匂いが層をなし、湿った柱、古い畳、誰かの味噌汁、階下のインスタントラーメン。壁は薄く、笑い声も咳もため息も溶け合って、他人の生活と自分の生活の境界が曖昧になる。だが大学まで自転車十五分、家賃は破格。南向きの窓が一つ、夜は黒い額縁になって向かいの建物を切り取る。
机の上には課題のプリントが広がっていた。数式はほとんど理解できず、赤点すれすれの答案しか返ってこないのはわかりきっていた。ノートの端には授業中に走り書きした落書きの跡ばかりが増えていく。
ため息をついて首を回したとき、向かいの窓に「僕」が映っていた。反射だと決めかけたが、椅子から立ち上がった僕の後、数分遅れて向こうが立つ。
首を傾げれば、数分遅れて同じ角度。
肩をすくめ、手を挙げ、笑ってみる。
どれも遅れて再生される。録画のズレのようだった。
胸の奥がひやりと冷え、眠気は跡形もなく消えた。