7.フランスのフランスパン
うーん、マズい。
新婚旅行先のフランスで、夫と私は会話には出さずとも同じ思いを抱いていた。
芸術の都、パリ。
世界三大料理である「フランス料理」発祥の地でもある。
なのに、ふらりと入ったフランス料理の店が驚くほどマズかったのだ。
ステーキを頼んだのだが、まるで靴底のように固い。
まさかのまさか、ナイフで切ることすら出来ない。
かじってもかじっても噛み切れない。
渡仏一日目にして歯茎が先に死にそうだ。
この緊急事態を受け、日本語が通じない国であるのをいいことに私たちはすぐさまこう話し合った。
「ホテルに帰ったら、持って来たカップラーメンを食べよう」
幸いにも、事前に「フランスでフランス料理を毎日食べるのは胃もたれして大変ですぞ」という情報を得ていた私たちは日本から大量のカップラーメンを持ち込んでいたのだ。
フランスの洗礼を受けた私たちは、その日の夕飯をカップラーメンで済ませた。
フランスにはおしゃれなカフェがたくさんある。
外観は、歴史を感じさせてくれて本当に素晴らしい。だが、これといった情報もない私たち旅行者には、たった五日という期間でこの中から美味しい店を見つけられる気がしなかった。
「フランスにカップラーメンを持って来てよかったなぁ」
結婚したばかりの男女が辿り着くには、余りにも悲しい結論だった。
だが幸いにも、私たちの旅の目的はフランス料理ではなかった。
私たちのお目当ては……
そう!「美術館」だったのである!
メインはもちろん、ルーブル美術館。他にもオルセーやオランジュリー、ポンピドゥーセンターなど、かの国は美術館に関して枚挙にいとまがない。
「食の都・パリ」を捨てた私たちは、「芸術の都・パリ」に舵を切った。
芸術さえ見られれば、食事はカップラーメンでいい。
そう結論付け、我々は目を楽しませることに邁進するのみとなった。
しかしながらルーブル美術館に一歩足を踏み入れると、カップラーメンを作る場所などない。
昼食はどうしても外食に頼らざるを得なくなった。
ルーブル美術館には何ヵ所か喫茶店がある。
何度か通りがかったが、どこも意外と空いていた。
ふと「マズいからではないか」という予感が二人を襲ったが、背に腹は代えられない。
私たちは館内の喫茶店へと足を踏み入れた。
昨日と同じ失敗を繰り返さないように、肉類は頼まないことにする。
二人は、一番安いカスクート(フランスパンに具材を挟んだもの)とエスプレッソのセットを注文した。
腹が膨れれば、それでいい。
半ば諦めムードで軽食を注文したのだが──
出されたカスクートを齧って、二人は声もなく互いを見つめ合った。
な、なんだこれは……
めっちゃくちゃ美味しい!
パンって、こんなに美味しいものだっただろうか?
エスプレッソを飲む。
うそっ。コーヒーって、こんなに美味しいものだっただろうか?
正直、全く予想だにしていなかった。
フランスのフランスパンって……めっちゃ美味しい!
よく考えたら、当たり前だ。
日本人の主食である「お米」と同じように、フランス人は「パン」が紛れもない主食だったのだ。
二人は確信した。
フランスは、パンの国だ。パンなら絶対に外れがない!
それからというもの、二人はフランスのパンの虜になった。
幸い、どの美術館の中にも喫茶店があり、必ずサンドイッチやカスクートなどの軽食セットがあった。
私たちはパンを注文した。
街中でパン屋を見つけては、パンを買った。
コーヒーもとても美味しかった。どうやら彼らは私たちがよく飲んでいるアメリカン・コーヒーではなく「エスプレッソ」の方を特に愛しているようだった。確かに、エスプレッソの濃い味はパンによく合うのだった。
旅行最終日。
私たちは機内食がイマイチであることも把握していたため、シャルル・ド・ゴール空港内でも帰りがけに喫茶店に入り、パンとエスプレッソを注文した。
これがフランス最後の晩餐である。
あの時は惰性で注文したパンとコーヒーのセットだったが、今の二人は明確な意思を持ってパンを注文している。
シャルル・ド・ゴール空港のパンも、めちゃくちゃ美味しかった。
二人はフランスのパンに心惹かれながら日本へと舞い戻って行った。
その後。
「新婚旅行でフランスに行った」と話すと、誰しもが「フランス料理食べた?」と私に聞いてくるのだった。
私は首を横に振り、悠然と答える。
「ううん、パンばっかり食べてたよ」
相手はそれで「貧乏旅行だったのか」と察するようなのだが、私としては「一番美味しいものを一番多く食べた」と話したつもりだ。
どんなに高いものを食べようが結局、その国で主食とされるものが一番美味しい。
ああ、フランスに行ったらまたパンが食べたいなあ〜