2.無限オーガニック・スナック〝海藻〟
和歌山県、某市。
暇を持て余した者から海や川に出て行き、どんな奴とも遊んでやるのがこの県の子どもたちのルールだ。
幼い私は勝手に家を飛び出し(昭和☆)、海に出て泳いでいた。自然と仲良くなった子どもたちと遊んどあとは、疲れを取るために皆いったん岩場へ上がるのだった。
疲れた私たちが休憩中に食べるのは、岩場にくっついた「岩海苔」だ。
腰を落ち着けたらまず、岩にくっついている岩海苔を探す。海岸各所に「岩海苔スポット」があって、それを指でつまむ。
そんで、海で洗う。
そして食う。
これがなぜかたいそう美味いのだ。泳ぎ疲れた体に、岩海苔の旨味と滋養が染みわたる。
当たり前の話をすると、海は美味しい。
海水は人間の体が求めている、絶妙な塩加減なのだ。
しばらくもぐもぐとスナック的に岩海苔を食う。
そして体が納得すると、また泳ぎに出るのだった。
この岩海苔の美味しさは侮れなくて、意外にも大人がビニール袋を手にかき集めている時がある。彼らは家に持って帰って食べるのだという。無限に湧き出る無料のオーガニック・スナック。それが岩海苔なのだ。
和歌山県の海岸には、ほかにも無限に湧き出るスナックがある。
そう、天草だ。
「〝そう〟とか言われてもわけ分かんなくて困る」
と言う読者に説明すると、要は「寒天の素」となる海藻である。
「天草取りに行こか」
祖母にこう言われたら、長丁場を覚悟しなくてはならない。
お年寄りは海藻スポットに詳しい。
日傘を差しながら一緒に海岸へ向かうと、無数の天草が海に打ち上げられている──
まずはそれを二人でバケツいっぱい拾う。
家に帰ってそれを水で洗うと、ざるなどに広げて干す。
余分な水分が落ち、乾いたらひたすら天草をみじん切りにする。
このみじん切りが地獄だ。下手したら何時間も刻み続けなければならない。
腕がへとへとになる頃、ようやく包丁を置くお許しが出る。
あとはそれを湯に入れて煮るのである。
煮続けたものを濾してバットに空け、しばらく待つと固まり始める。
完全に固まったら、「寒天」の完成である。
この一連の作業で私は「寒天クックって偉大だなぁ」と思い知った。年に一度催されるこの祖母の海藻教育は、文明に甘やかされ、世の中を舐め切ったキッズへの洗礼といったところであろう。
天草から作った寒天は微かに海の香りがして、デザートには明らかに向いていなかった。
祖母は寒天を押し出してところてんにする。
酢を加えた出汁に入れ、ありがたいおやつの完成である。
子ども心にあまりそそられないおやつだったが、大人になった今なら分かる。
寒天クックの作り出すつるんと食感を鼻で笑うほどの、強力な歯ごたえ。
海藻特有の磯の香。
時間をかけたという自負による、謎の満足感。
それらが合わさって、あれが至高のところてんになるのだ。
どんな料亭にも出せない〝本物の〟寒天である。
あれを一度食べたらほかの寒天は食えなくなる──
──などということはない。
あれを一度体験すると、あの苦労が全て吹き飛ぶ「寒天クック」を、むしろ崇め奉るようにあるのである。
世の中のあらゆる「固まる粉」に憧れと畏れを抱き、その便利さを届けてくれた食品会社開発部に足を向けて寝られなくなるのだ。
みなさんも一度、天草から寒天を作ってみて欲しい。
軽く一日が飛ぶから。貴重な一日が。