11.餃子の町・宇都宮
ある日うちの息子が、帰って来るなり急にランドセルから「社会」の教科書を取り出して私に言った。
「ママ、餃子の町があるって本当!?」
餃子消費量日本一を標榜する自治体は、全国に結構あるものだ。
教科書を確認すると、どうやらその「餃子の町」とは「宇都宮」であることが判明した。
「あるよ。餃子の町で有名な宇都宮だね~」
「ママ!僕、ここ行きたいッ!」
「えー……」
待ってくれ。宇都宮は電車に乗るか、高速道路を使わないと行けない距離だ。そんなにひょいっと行ける場所ではないのだ。
「遠いよ。餃子ならどこでだって食べられるじゃん」
「でも、餃子の町なんでしょ?多分、すごいいっぱい餃子屋さんがあるんでしょ?」
「まあそうだけど……」
「僕、大きくなったら中国に住みたい」
「はい?」
話が意外な方向に大きくそれた。
「僕、とにかく餃子が好き……宇都宮に住めなかったら、中国に住みたい。本場だから」
もはや意味が分からないが、彼はそれぐらい餃子に心酔しているのだろう。
何を隠そう、息子は餃子がめちゃくちゃ好きだ。
特に私が昼にラーメン、夜に餃子を作った土日祝日など「人生で一番いい日だった」と感じ入っているほどなのだ。ラーメンと餃子があれば他に何もいらないと言わんぼかりだ。お前は中国に行け。
「中国はやめとけ~?日本のアニメが自由に観られなくなるよ?」
「じゃあ宇都宮行きた~い!!」(ジタバタ)
こんなに宇都宮に行きたがっている小学生は、恐らく世界で彼ひとりぐらいであろう。
まあ、確かに行こうと思えば行ける距離ではあるが……
夕飯時になり、夫と娘にも宇都宮の話を振った息子だったが、二人ともまるで興味がなさそうだった。
「餃子を食べにわざわざそんな遠出するの?」
「あたし別に餃子好きじゃない」
がっくりしていた息子だったが、そこに餃子の町がある限り、負けてはいられない。
「でも、うちから宇都宮の間に温泉いっぱいあるよ」
どうやら彼はネットで栃木県の温泉情報を拾っていたようだ。温泉、と聞いて夫と娘の反応が変わった。
「温泉かぁ~」
「あたし温泉好き〜」
「いいでしょ?餃子食べた後に、温泉なんかどう?」
へー、やりおる。
息子のプレゼンは、果たして──!?
夫が言った。
「まあ、たまには遠出してもいいか。連休中、やることないし」
やったー!と飛び上がる息子。よかったね。
そういうわけで一家は餃子を食べるべく、初めての宇都宮に向かった。
宇都宮で餃子を食べるとなると、方法は様々だ。
息子は「宇都宮餃子マップ」なるものを事前にダウンロードし、美味しい餃子店を品定めする。
結局、彼が選んだのは独立店舗ではなく、ドン・キホーテの地下にある総合餃子施設「来らっせ」であった。
ここに行けば、様々な店舗(その数、およそ30店以上!)の餃子を一気に食べることが可能なのだという。店舗間を移動することなく、有名餃子店のスタンダード餃子が全部食べられるのだ。餃子好きの息子にとってはとんでもない楽園であろう。
口コミなどを見ると、休日はめちゃくちゃ混むので、開店一時間前には到着し、席を予約する必要があるという。
先ほどは宇都宮に行きたがっている人はいない、などと言って申し訳なかった。訂正しよう。宇都宮に行きたい人、実はめっちゃいた。
コインパーキングに車を停め、ドン・キホーテの地下に入って行くと、既に整理券が発行され、予約を受け付けていた。この時点で結構な予約が入っている。恐るべし宇都宮!
何もすることがないので、とりあえず一家で「餃子の顔出し看板」に顔面を突っ込み写真を撮っておくことにした。
看板と一体化して餃子となった息子は、もはや恍惚とも思える満面の笑みを浮かべていた。余りにいい笑顔だったので、私が即スマホの待ち受けにしたほどだ。
それでもやることが尽きてしまったので、次は餃子ショップに寄ってみた。
ここではなんと、有名店の冷凍餃子が売られている。だからもし人がいっぱいで店に入る時間がなくても、ここで冷凍餃子を買ってしまえば家でも簡単に食べられるという寸法だ。そう、痒いところに手が届く町。それが宇都宮。
それでもやることがなかったので、我々は上階のドン・キホーテに行ってみた。とりあえず何でもないシャープペンシルを、来たついでに買う。
それでも時間が余ったので再び地下に戻ると、そこはいきなり人でごった返していた。
開店時間が近いらしく、店員が予約した客を順番に並ばせているのだ。私たちも慌てて「予約」列に加わった。
そして、待ちに待った開店の時がやって来た──
店員さんが予約番号を叫ぶ。
「1番2人席でお待ちのお客様ぁ!」
周囲を見渡すが、いない。番号を呼んでも来ない予約客が続出していた。トイレにでも行っているのか?買い物でもしているのだろうか?とにかく店員さん頑張れ、超がんばれ。
「35番、4人席でお待ちのお客様ぁ!」
私たちの番が回って来た。勢い勇んで入店し、席に着くなり5店舗ぶんのスタンダードな餃子と四人分のご飯を一気に注文することにする。
ここは全ての店が餃子屋さんで出来たフードコートである、と言えば通じるだろうか。店舗ごとに会計を全部先に済ませ、店員さんがテーブルに持って来てくれるのを待つスタイルだ。注文は全て夫に任せた。
餃子が届く間に、卓上の備品を確認して行く。水は、あらかじめ冷水用魔本瓶が用意されているのでそれをコップについで飲む。宇都宮餃子のタレ、醤油、酢などが卓上にあり、どれをどの配分でかけるかによっても餃子の味が変わってしまうので、皆慎重に選んだ。餃子とひとことで言っても、意外に奥が深い。
特に驚かされたのは「ラー油」だ。実は店ごとに独自の進化を遂げた「ラー油」があり、その店の餃子はその店のラー油をかけるといっそう美味しくいただけるらしいのだ。これも、宇都宮に来なければ永遠に知らないことであったろう。
そして──ついに、テーブルの上に餃子が並べられた。
皿がはみだしそうなほどテーブルが餃子で溢れかえった光景を見て、息子は「最ッ高!」と洋画の吹き替えみたいな声を上げた。
ひとつひとつ、全員で味を噛みしめて行く。驚くなかれ、見事に全部味が違った。「餃子なんてどれも一緒だろう」などと侮ってはならない。店舗ごとに、しっかりと味に特徴があった。
更に大人に嬉しい情報としては、ここではお酒も飲めるのだ。私は人生で初めて、宇都宮のサラリーマン達に激しい嫉妬の念を抱いた。
しかも、餃子のお値段はどれもリーズナブルである。観光地さながらの値段上乗せ、という罠がない明瞭会計なのもいい。早い、安い、美味い。そんな観光地があるんだね、宇都宮──
あっという間に餃子は食べ尽くされた。全員がぐったりと、餃子の余韻に酔いしれた。
息子はうっとりと言った。
「またここ来たい」
今日こそは他のみんなも意見が一致したであろう。
「ああ、美味しかったな」
「また食べに来たいね」
「あたし早く温泉入りたい」
よしっ。
来年も行くぜ、宇都宮!
私が個人的に一番好きになったのは、生姜のたっぷり入った「香蘭」の餃子でした。皆様もぜひ!




