1.所さんのいるデニーズ
子どもの頃、私の住んでいた家から徒歩で行けた唯一のレストランはデニーズだった。
今ほど世の中に〝チェーン店〟というものが溢れていない時代。ファミリーレストランは街に一か所あるかないか、という感じだった。だからとりあえずファミレスに行けば、必ず知り合いに会えたものだった。
あの頃の母は専業主婦で、私という小さな子供を連れてよくそのデニーズに通っていた。
デニーズに行くと、私は必ずお子様用ホットケーキを注文した。くま?またはミッキーみたいな形に飾りつけられていて、そこにメープルシロップをかける。メロンソーダを追加すれば、私は世界で一番幸せな子どもになれた。幼い私が知っている最上の贅沢は、このデニーズお子様用プレートだったのだ。
当時は店内に新聞も雑誌も置いてあった。母はここに来ると、必ずそれを隈なく読んだ。今思えば母なりに、息抜きのために来ていたのかもしれない。
そんなある時、母が新聞を取って戻って来るなりこっそりと私に告げた。
「今あそこの席に、所ジョージ(敬称略)がいるよ」
所ジョージといえば、当時は(無論今も)大人気スターだ。
「えっ、どこどこ?」
「あっち」
私は東京の子どもらしく、大騒ぎすることなくこっそりと所さんを覗き見た。
テレビと何ら変わりない、普通の所さんがいた。
のちに知ったことだが、所さんはどうやらこの近所に住んでいるらしかった。学校などで同級生がたびたび目撃情報を噂していた。あの噂は本当だったようだ。
(有名人も、こんなところに来るんだな……)
驚くべきことに、テレビの中にいる異世界の人も、ファミレスという庶民の食事処へ一足跳びに来られるようなのだ。
しかも客は誰も彼に視線を合わせない。みな、何も隠し立てしないナシュラルな所さんに気づかないわけがない。要は、みんな客なりに芸能人に気を遣っているのだ。私はそれを眺め、いつものホットケーキを頬張りながら、子ども心に「東京は凄い街だ」と思った。同時に、私も幼いながら都民のはしくれとしてそうするべきなのだという意識を植え付けられたのであった。
またある時、デニーズで母は新聞を取って戻って来るなり私に告げた。
「くわまんがいるよ」
私は答えた。
「くわまんはいいや」
くわまんはスーパーで時々見る顔だったのでどうでもよかった。
かように東京とは恐ろしい街なのだ。