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小さなひかり

作者: 310

 わたしはその日、私のまわりに散らばっているたくさんの『悲しみ』を拾い集めて、神様のところへ行きました。

 すると神様は言いました。


「どんなにたくさんの悲しみも、幸福とかえることはできないのです」


 神様はまぶしく、そしておごそかに私に告げました。

 そういうわけですから、わたしはおとなしく家へ引き返すことしかできなかったのです。


 わたしは諦められなかったのです。

 机の引き出しを開け、戸棚の中を探し、床の下までのぞきこみ、今度はわたしのまわりにある、ありとあらゆる『しあわせ』を手に、また神様のもとへ行きました。

 といっても、それは片手で握れるほどの、本当に少しの量にすぎなかったのですが、それでも私にとっては大切で、その手に握られた小さくかがやく『しあわせ』がなければ、生きていけないような気がするほどのものだったのです。


 わたしは神様のもとにつきました。そしてその『しあわせ』を神様にさしだすとき、わたしはなぜか神様の顔を正視することができなかったのでした。

 わたしは恥ずかしかったのです。誰もがほしがる『幸福』と交換するのに、おまえはたったこれだけのものしかもっていないのかと、神様に言われる気がして。こんなものがおまえにとっての精一杯の宝物なのかと、その優しいまなざしの奥底で見透かされているような気がして、わたしは恥ずかしくてその顔を見ることができなかったのです。

 けれどわたしの心の奥では、ほんの少しの希望の灯火が燃えていました。もしかしたら神様は、その底知れぬ優しさで私をつつみ、わたしを抱き、わたしのごときか弱きものを哀れんで、その持てるものの中から、たったひとつの『幸福』を取り出して、私に与えてくださるかもしれないと、密かに念じていたからです。

 静かに時が過ぎました。その間、わたしは拳を握りしめ、額からは汗がにじむのを感じていました。

 わたしは祈るような気持ちで神様の言葉を待ちました。

 しばらくすると、神様は言いました。


「どんなにたくさんのしあわせも、幸福とかえることはできないのです」

「・・・・・」


 わたしは耳を疑いました。その答えが以前とまったく同じだったからです。わたしはもう何が何だか分からなくなり、何も信じられないという思いと、やっぱり、という諦めの気持ちで、心がいっぱいになったのです。

 わたしがあれほど大切に思っていた『しあわせ』が、神様にとっては『悲しみ』と同じ価値でしかないのだと思うと、わたしは神様の大きさを知るとともに、残酷さをも知った気がしたのです。


 いま私の手の中でかがやく小さなひかりは、以前とは確かに違うものでした。なぜなら以前はあれほど暖かく、優しく思えたそのかがやきは、いまはもう何の価値もない、何の役にもたたない、わたしをむなしく惨めにさせる意味しか持たないものになっていたからです。


 わたしはその帰り道、わたしの中に夜が訪れるのを感じていました。自分はもう決して神のもとを訪れることはなく、わたしの中で神は死んだのだと自分に言い聞かせていました。

 わたしはいつの間にか自分がどこにいるのか、どこへ向かっているのかもわからなくなっていました。


 気がつくとそこには傷ついた人々がおり、うめき声をあげて這いつくばり、恨みの瞳で私を見上げるのでした。

 彼らもまた、わたしと同じように神に裏切られ、打ちのめされて、長い間終わりのない苦しみと、誰に向ければいいのかもわからぬ憎しみを抱いているのだと、わたしには一目でわかることができました。

 彼らは、まるで諦めることになれ、これから訪れる人生の長さに脅えているようでした。

 そこは地獄でした。そしてこの地獄に堕ちてきた新参者を、いわれのない狂気のまなざしで見上げる彼らに、自分の明日を見るようで、いずれ遠くない未来、わたしのまなざしもこんな胡乱なものになり、すべてをうらやましく思い、いつか誰からも相手にされず、気がつきもされず、心は生きたまま腐り果てていくのだと思うと、私には彼らが不憫でいとおしい者に思えてしかたがないのでした。


 わたしは彼らのひとりに近づくと、その歯もなく、何も着ていない、背骨やあばら、関節の形ひとつひとつがはっきりとわかるほどにやせ細った、骸骨のようなその男を強く抱きしめました。男は一瞬おどろき、そして脅え、じたばたと手足をばたつかせ、恐怖にひきつったような悲鳴をあげましたが、やがてわたしが危害を加えるものでないと知ったのか、それとも体を動かす気力も体力もなくしてしまったのか、あらがうのをやめました。

 わたしが彼の瞳をのぞくと、今にも飛び出しそうなおおきな目玉で、わたしを見るでもなく見つめていました。

 わたしはふと思いつき、ポケットの中に無造作に投げこんでいた『しあわせ』を、その男の細く乾いた手の上に置きました。なぜなら、わたしにはもう必要のないものに思えたからです。

 彼はびっくりしたように、脅えたように硬直して、その手の上で小さくかがやくあたたかなものを、どうすればよいのかわからないといった様子で、自分の手のひらと私の顔を交互に見ました。

 わたしは、わたしの心の中で、何かがうごめくを感じていました。わたしは彼の手のひらにそっと自分の手のひらを重ね、それをのせたままふるえる彼の手を、ゆっくりと、それを壊さぬように握らせてやりました。

 彼は信じられないというように、やはり硬直したままでしたが、やがてその手の中のぬくもりが自分に与えられたものだと理解して、その絶え間なく震える手を、そっと、本当にゆっくりと自分の胸元に引き寄せ、それがなくなってしまわないか確かめるように、何度も開いては閉じ、開いては閉じするのでした。

 そして彼がもう一度わたしを見たとき、その瞳からは、もうたった一つの憎しみも恨みも、見出すことはできなかったのです。

 彼は私に何かを伝えたいらしく、何度も口をぱくぱく動かしましたが、うまく言葉が出てこないようでした。でもわたしには彼が何を伝えたいのかわかる気がしました。彼の瞳から涙があふれていたからです。


 ふと気づくと、わたしのまわりにはたくさんの人々が集まってきていました。そして私のポケットには、まだ『しあわせ』が残っていました。

 わたしはそのひとつひとつを彼らに配っていったのです。彼らは皆、泣きながらそれを受け取りました。

 そして、なぜかわたしも泣きました。

 不思議なことに、ポケットの中の『しあわせ』がなくなればなくなるほど、わたしは満たされてゆくのでした。

 ・・・・神様の存在を、深く感じずにはいられませんでした。


 わたしはいてもたってもいられなくなって、神様のもとへ駆け出しました。

 神様はいつもと同じようにそこにたたずんでおられましたが、わたしは夢中で語りかけました。興奮して、今おきたことをひとつ残らず伝えたのです。

 神様を恨んだこと。彼らと出会ったこと。『しあわせ』をすべてなくしてしまったこと。

 わたしはもう目をそらしませんでした。

 そしてわたしはもう一度いいました。


「わたしに幸福をください」


 わたしはたくさんの人と、それをわかちあいたかったのです。そしてそれによって、また満ち足りた気持ちになれるなら、わたしはそれでいいと考えていました。

 しばらく、神様は私を見定めるように、その光の中から静かに私を見下ろしました。わたしは向けられたその視線を、そらすことなく見つめ返しました。

 やがて神様はいいました。


「あなたはすでに その術を手に入れました。そしてあなたの心の中には、それよりも大切なものがあるのです」


 いい終わると、私を光で包み、わたしの心に何かを託して、どこかへ消えてしまいました。 


 わたしはそこに一人になりました。

 神様がいなくなっても、悲しくはなく、寂しくもありませんでした。私の心の中には『それよりも大切なもの』があるのですから。


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