Episode 57 個人一発目の本気レース
「美咲ちゃん、ほんまごめんな。なんか無理にリレーを泳がせてしもうたみたいで」
「気にしてないですよ。いろいろ危なかったんですけどね」
ちょっと冗談混じりに言ってみたけど反省している素振りを見せているから何にも言うことないけどね。
「とりあえず、次の1バック、全力で行きましょうね」
「なんか、美咲ちゃんに言われると、脅迫に感じるわ」
そんな話をしていると、女子の1バックに出る選手は移動するように言われ、開始20分で2度目のレース。
たぶん、またスタートでは飛び出せないだろうけど、どうにかなると思っている。
正直、トップフィニッシュしなくていいって言われているもんね。だから、フライングだけしなかったらそれでいい。
それくらいの余裕がないと、やっぱり泳げないよね。
笛が鳴ってゆっくりとプールに浸かる。
人によっては、気合やらなんやらでドボンとはいって、頭まで一気に浸かる人もいるけど、私はそんな下品なことはなしない。
自分のレーンを荒らさないようにゆっくり使って、静かに頭まで潜ってからゆっくりと準備する。
なんだか、ぎこちない感じもするけど、私はこれが一番落ち着く。
長い笛が鳴ると、私も、一息ついて、ゆっくりと壁に足の裏をつける。
そして、スタートの合図が鳴るけど、相変わらずスタートできない。1秒ほど遅れてようやく飛びこめる。
だけど、スタートしてしまえば、あとは気分にのせて泳ぐだけ。
ただ、やっぱり、タイミングがとれずの状態からバサロは少しきつい。
鼻に水が入らないように、少しずつ息を吐き出しながら、浮き上がっていくけど、現役を引退してからほぼ1年。肺活量は小さくなっている上に、タイミングが取れずに飛び出しているものだから、吸い込む息の量が少なくて、現役の時より短い距離で浮上。
自慢のバサロキックは、打っていくつもりで入るけど、かつてのような姿を見られるのはしばし封印ってところかな。
それでも、周りは気にせず泳いでいくか。なんてのんきなことを思いながらもしっかりと、テンポよく泳いでいく。
そして、ラストターン。
少し調子に乗りすぎたのか、もう息が続かない。
ターンしてから、たった5メートルで急浮上。
ターンの勢いを全部殺すような感じで浮き上がると、乳酸が溜まりにたまった腕を必死に回す。
さすがにちょっと調子に乗りすぎたな。なんて思いながら、最後まで必死にあがく。
そんなことしても、あまり変わらないようにも感じるけど、まぁ、自分がどの位置にいるかわからないからこその足掻きよね。
さて。ラスト5メートル。フラッグも見えたし、一度頭から潜り、距離を確認。そのあと2回掻いてからもう一度確認して、ラスト2回掻いて、タッチを合わせる。
一息ついてから、ターン側を見ると、まだ何人か泳いでいる選手がいる。ただ、酸欠になりかけていて、何レーンが泳いでいるのかわからない。
とりあえず、今の感覚だと、35秒は確実にかかっているはず。ファーストハーフも50くらい。
後半のためにと、少しセーブしたけど、衰えた身体には、セーブしただけまだましだったけど、これにあと200がついて回るんだから、まぁ怖いよね……。
200に関しては、ビルドアップの感覚で行くほうがいいかな。とは言いつつも、男子との一騎討ちだから、気にしなくてもいいんだろうけど……。
とりあえず、扇商のいるエリアに戻るか。
「ほんま、美咲ちゃんのスピードは異次元よね。まったく追いつけへんかったわ」
「まったくダメですよ。スタミナも戻ってないですしラストはへばりすぎて、全力出せなかったですし、泳ぎきるので精いっぱいでしたし。唐突に言われて、1日泳いだだけじゃ、まったく感覚戻らないですよ」
そこまで言うと、棚橋先輩は苦笑いを浮かべてチームの方に歩いていった。
その後ろを私もついていって、身体をある程度拭いてから、チームのシートが敷いてあるところに座り、遊菜からスプリットブックをもらう。
「お疲れさん。まさかの優勝やで。咲ちゃん速すぎやわ」
「もう限界やで。前半から飛ばしすぎて、ラスト25が死にかけやってんから」
「それでもやで。ラストこそ追い付かれかけとったけど、やっぱ、バサロの加速がまじすげぇわ」
大興奮の遊菜だな。こりゃ、さらにテンション上がって、いいタイムを出してくれそう。
「200は正直、勝負とは思ってへんし、泳ぎきれるかどうかやし」
「それは行けるやろ。咲ちゃんなら泳ぎきれるって。それにひとりやろ?問題ないって」
やっぱり、普段から練習している選手は楽勝のように感じるよね。こうなるんだったら、私もちょっとずつ泳げば良かったなって思う。
もう、今となっては後の祭りなんだけどね。




