Episode 53 私の高校初レース
「おう、行くよ。ありがとうな」
直哉はそういうと、自分が持ってきたものの使わずじまいだったマットを片付けて階段を上っていく。
私もそのあとを追うようにして、自分が使ったマットを拭いてから倉庫に片づけ、同じように階段を上っていく。
プールサイドには、すでに出場する10校の生徒が集まっていて、開会式直前だということもあり、プールでは誰も泳いでいない。
いつもなら、きれいなプールも、日焼け止めが溶けているのか、ちょっと白く濁っていた。こんな中で泳ぐのは、ちょっと気が引けるな。なんて。
そこから、淡々と開会式が進み、部長の緊張した選手宣誓に成海先輩たち3年生が笑いをこらえきれず吹きだしていた。
「あいつ~、おいしいところを噛みよって。あとで散々言うたろ」
ものすごい笑顔で言う鮎川さん。こりゃ、夏休みの間は、ずっといじられるだろうな。なんて思いながら、長浦先生がする注意事項を聞き流していた。
5分ほどもなかった開会式のあと、リレーに出る選手が招集され、成海先輩に肩を叩かれながら並んでいた。
「ほんまに、どんだけ遅れてもええから、フライングだけは堪忍してな」
ホント、緊張を解いてくれているのか、プレッシャーをかけてきているのかわからない。幸いなことに、同い年の遊菜が天真爛漫な笑顔で召集の時間も楽しんでいて、その顔を見るだけで、ちょっと気が楽になる。
「それじゃあ、女子のメドレーリレーは移動してください」」
招集係の長浦先生に促され、私たち4人は、リレーで泳ぐ3レーンに。
7レーンある扇商のプールだけど、両端の1レーンと7レーンは空きレーンにして、レースでは使わないようにしていて、最終組が1人になるようだったら、1レーンに組み込んでいる。
「プログラムナンバー1番、女子200メートルメドレーリレー1組の競技を行います」
気付けば、そこまで来ていたか。と思っていると、短い笛が鳴っていた。
あわててゴーグルをして前を見る。
本体は薄い紫、ゴムひもが黒のレース用のミラーゴーグル。そして、うっすらと紫に染まった視覚。久々の感覚だ。
「咲ちゃん、楽にな。うしろにはうちもおるけん」
なんとも心強い言葉だ。なんていうか、後ろにこれだけ心強いメンバーがいると、ファーストスイマーも安心するだろうな。
そんなことを思いながら、静かに水の中に入り、スタートバーを握り、壁に足をつける。
コース台が小さいのもあって、必然的に握るスタートバーも短い。ちょっと飛びにくいかなって感じるけど、スタートにトラウマが残る今の私にはほとんど関係ないようなもの。
「よーい」
この言葉で久しぶりに記憶がよみがえる。スタートの仕方も少し忘れているけど、感覚だけは残っている。ここは感覚に頼るしかない。
スタートの合図が鳴ったのは聞こえた。だけど、やっぱりって言うくらい身体が動かなかった。
完全に出遅れて、隣のレーンが飛んだのすら横目で見えてしまった。
……もう、どうなってもいいや。背中を打ってもいいや!レースはスタートはしている。思い切って行ってやれ!
そう思って、昔の感覚だけを頼りにスタートしてみる。
目をつむって背中打ち覚悟で斜め上に飛び出す。
……ちょっと背中を打った感覚もあったけど、なんとかスタートできたって言うほうがいいかも。
パッと目を開けると、ちょっと霞んだ視界の先に紫色に染まった青空も見える。これだけ素直に見えるなら、ちょっとテンションが上がる。
そうなれば、もう、後悔しないように全力で飛ばしちゃおうか。
そう思うと、少し流し気味だったバサロキックを少し強く打ち込み、加速を促し、浮き上がってくる。
まぁ、最初の25メートルは最下位で折り返していくだろうな。なんて思うと、少し悔しくなってきて、少し強めにキックを打ち込み、ストロークも気持ち強めに掻いていく。
飛ばす感覚が懐かしく感じた私は、行けるところまで飛ばすと決めて、ピッチを上げていく。
そして、最初のフラッグが見えて、ラスト5メートルと把握。そこから3回ストロークして、ひっくり返ってからクイックターン。
壁をしっかり蹴った後、イルカのようにバサロキックを打ちこむ。
……ん?今チラッと、隣の選手が見えた気がする。気のせいかな?
まぁ、私は楽しんで泳げたらそれでいいし。なんて思いながら、ラストまでグイグイと飛ばしていく。
ラストクォーターは、もう考えることもなく、泳いでいき、ラスト5メートルのフラッグが見えて、頭から水中に潜り、距離を測る。
あと2回。そう思って掻いてから、また頭から水中に潜り、ラストの距離を測る。
そして、さらに2回掻いてから最後にもう一度頭から潜りタッチを合わせる。
フィニッシュと同時に、押し寄せる波の向こうに黒い影が飛んでいく。ブレの成海先輩が飛んで行ったのか。
何て言うか、久しぶりの光景。メドレーを泳いだ後って、こんな感じだったなぁ。なんて、ちょっと感傷的になる。
やっぱり、スタートは壊滅的だった美咲さん。
それでも、周りを気にしないで自分のペースで泳いだ結果……