Episode 31 遊菜の過去 part2
こんなやり取りがあった数日後、みんなが出ることのできる大会が目の前だというのに、遊菜は練習を無断で休んだ。
一度たりとも休んだことがないうえに、どれだけ暗い顔をしていても、1番乗りで来ていたのに、誰も遊菜の姿を見ていないと言う。
この日の練習終わりに、私は遊菜の家に行った。だけど、呼び鈴を押しても誰も出てくることはなかった。
そのときは、夏休みだったこともあり、急な外出があったんだろうな。と思っていた。だけど、あくる日、またさらにあくる日も遊菜は来ず、結局、しばらく部活を休んだ後、大会の前日に顔を出した。
正直、周りのみんな、とくに女子は、5日ぶりに顔を出した遊菜の姿を見て安堵の表情を浮かべていた。これでリレーが本気のメンツで泳げるって。
やけど、私だけは素直に「お帰り」といえなかった。
その顔は笑顔を浮かべていたものの、わずかにひきつった表情をしていたから。
府大会が終わっていからほぼ1か月。まだ立ち直れていない遊菜を見て、さすがに頼りにならないと思ってしまったのか、遊菜の姿を見ても何も言えなくなっていた。
なにより、練習前のミーティングが終わって、みんながプールの中に入ろうと散り散りになったときの遊菜の顔は、引きつった笑顔から暗いままに戻っていた。
さすがに大会前だから、この日は泳いだけど、練習していなかったこともあったのか、見ただけでわかるほど、本調子とは遠い泳ぎ。
顧問の先生も、遊菜なら大会になったらテンションもボルテージも上がると思っているのか、声をかけることはなかった。
「遊菜、部活終わったらちょっと付き合って」
たまたま同じレーンで泳いでいた私は遊菜に声をかけた。
暗い顔からさらにちょっと嫌そうな表情を一瞬浮かべたけど、何かを悟ったのか「わかった」とだけ返ってきた。
そして、部活が終わって、クラブTシャツに学校指定の短パン姿で下校する途中、近くに小さな公園のベンチで2人並んで座った。
「遊菜、まだ、どうしたらええかわからへんの?」
ちょっと遠慮するようにいうと、遊菜は、あのときの暗い声のまま答えた。
「せやね。どうしたらええかわからんし、気持ちをどう持っていったらええかもわからん。明日になってももしかしたらこんな感じかもしれへんし。近畿にも進まれへんかったっていうのがたぶん、一番堪えてるんやろうけど、やっぱり自分でももうわからへんねん」
ここまで長引くとは正直思ってもいなかった。だけど、私はこれ以上の言葉を出すことができなかった。
「ほんま、うち、どないしたんやろうな。なんやろう。明日のレースもとんでもないことになりそうや。そんな気がしてしゃあないわ」
部活に来る前よりさらに暗くなる遊菜。
結局、暗い表情の遊菜は、翌日からの大会でボルテージもテンションも上がることなく、レースをしても、個人、リレーともに、目も当てられないくらい散々な結果で終わってしまった。
さらに遊菜はレースが終わった直後くらいから、自分の結果が信じられないのかふさぎ込んだ挙句、お盆休みが明けてからの練習に来なくなった。
そして、それは、夏休みが明けてからもずっとそうだった。
だけど、変わったことがひとつあった。
遊菜が水泳部の部員と話さないどころか、目も合わせなくなったこと。
最初は気のせいかなと思っていたけど、誰が話しかけようとしても、遊菜は席を立ってどこかに行ってしまう。昼休みのご飯のときに話しかけようとしても、チャイムが鳴った瞬間、お弁当を持ってどこかに行ってしまっていて、水泳部の誰もが遊菜と話せなかった。
そんなとき、放課後にたまたま忘れ物を取りに部室に行く途中、更衣室の屋根に上ってボーっとしている遊菜を見つけた。
そして、私に見つかった遊菜も逃げようとしていた。
「待って!」
その声をかけるのが精いっぱいだった。
それでも遊菜はどこからか逃げようとしていたけど、私も部室の屋根によじ登り、逃げようとする遊菜の手を掴む。
「待ってや。ちょっとだけでもええから話しさせてや」
そういうと、遊菜が逃げようとする腕の力が弱くなる。あきらめたのかわからないけど、逃げることはしなかった。
「誰にもここにおるとか言わへんから」
「なんで水部を避けとるかやろ?聞きたいのは」
「それもあるし、いろいろうちから聞きたいことが山ほどある。先に、なんで水部を避けてるんかが聞きたい」
「そんなもん、簡単やん。うちが話したくないだけやし、みんな、うちのこと嫌いやろ?今までエースやった人間が、こんな堕落して、チームに迷惑かけてるんやで?しかも、それで市大会もチームで入賞できひんかった。うちが立ち直ってたら、6位くらい行けたんちゃうん?みんな思ってるんやろ?やけど、あんな結果やったから……」
どうやら、遊菜は責任を感じているみたい。
だけど、誰1人そんなことを思っていなかった。
「アホちゃうん?」
「アホやで。こんなんしかできひんアホやで」
私が言う「アホ」と遊菜が言う「アホ」は多分意味が違っている。
「言うとくけど、みんな、遊菜のせいにしてへんで。みんな自分らが遊菜を助けられたらよかったって言うてるで」
「そんなアホな話あるかいな。何人かはそう思っとったとしても、何人かは、うちのこと恨んでるやろ。市大会もうちが立ち直っとったら、チームで入賞もできたかもしれへんけど、それすらなかった。みんな気にしてへんって言うても、それも、部長の真理が聞いたからみんな遠慮したんやろ?」
「……1年の子が聞いて回ってた。それを報告してくれたわ」
「そんなん、その子が気を使っただけやろ?どうせ、うちは邪魔もんやってんから」
遊菜がそういうと、乾いた音が鳴って遊菜は左頬を抑えていた。私が遊菜の頬を平手打ちしたからだ。
「いつまでそんなん言うてんの?言うとくけど、みんなお世辞で言うてるんちゃうで!女子も男子も、遊菜のお転婆さにどんだけ助けられたか。きっつい練習もあんたが率先して笑いながらケロッとして、みんな疲れ忘れて、練習しとってんで?そのこと気づいてる?たぶん、気ぃついてないやろうな。あんたは素でやっとってんから」
それだけ言っても、遊菜は私と目を合わさない。
「真菜、あんた、うちに推薦が来たこと、羨ましいとか言うてたやんな?」
唐突に話題を変えてきた遊菜。そのことに少しびっくりしながらも、私は覚えていると言った。
「それさ、期待されてるってことやろ?今のうちがこんな状態で推薦された学校行ったらどうなるかくらいわかる?」
遊菜の声は、リスのような顔からは想像できないくらい低い声で、一瞬別の人がしゃべっているのかと思ったくらい。
「嫌いになりかけてる水泳をさ、無理やり続けて何になる?周りの期待は単なる自己満でしかないわけやろ?勝手に期待されるのも辛いんやで。やから、正直、白澤先生が大会直前になっても、うちに何も言わへんかったやろ?期待しとったんやろ?たぶん。うちが復調することに」
何かを含んだ言い方をしている遊菜。だけど、その意図が読み取れない。だけど、今のままだと、この言い方、水泳をやめるって言っているようなもの。
「どんな意図があるかわからんけど、やめるん?もったいなくない?」
「それ。もったいないって何?うちにもっと活躍してほしいって期待やろ?それに耐えられへんって言うてんねん」
ダメだ。こりゃ、やめる勢いだな。
「ごめん。別にそういうわけやなかってんけど、でも、今まで笑顔で泳いどったのに、楽しくなくなったからやめるって、何やろうなって思って」
「もうええやん。うちはやりたくないからやめるだけ。もう、水泳部に顔は出さへんから、好きにやったらええよって。伝えたって」
遊菜は私の横を抜けて去ろうとする。
「遊菜、明日、部活の引退式やから。ちゃんときぃや。誰も、あんたを迷惑なんて言うとる子、誰もおらんから」
行けたらな。私が期待する答えをくれる前に、遊菜はするするっと私の横を抜けていった。
その翌日、遊菜は、盛大に開かれた部活の引退式にも姿を見せず、それ以降も、水泳部の子たちと絡むこともほとんどなく、卒業を迎えた。




