Episode 30 遊菜の過去 part 1
「ほんならそろそろ戻るわ。お互いに頑張ろうな」
「せやね。ベスト出さんともったいないし。なんなら、ここ突破せんと全国なんか夢のまた夢やし」
遊菜ちゃんがそう熱く言うと、真理ちゃんは少しだけ何か考えるようなそぶりを見せてから「そやね」とだけ返して階段を下りて行った。
「遊菜ちゃん、ちょっとトイレ行ってくるわ。その間、荷物番を頼んでもええ?」
「オーライ、任せとき」
遊菜ちゃんはそれだけ言うと、私が自分のカバンに上に置いたプログラムを手に取り、眺め始めた。
これなら大丈夫だな。と思い、直哉にも一応、お手洗いに行くことだけを伝えて、さっきの真理ちゃんを追いかける。
歩いて降りていたからか、十分に余裕をもって追いつくことができた。
「後ろからごめんなさい。さっきの遊菜ちゃんの話、詳しく聞かせてもらっていいですか?」
後ろから声をかけられたことにびっくりしたのか、驚いた顔を見せた真理ちゃん。だけど、状況を理解したのか、観客席の出入り口を出てすぐのところで立ち止まってくれた。
「いきなりすいませんでした。私、遊菜の中学の時の同級生で廣岡真理といいます。今は城東高校に通っています」
城東高校か。たしか、ここは水泳部の部員が多いって聞いたな。そんなところに通っていたら、まぁ、人数制限の話はわからなくはない。
「うちは伊藤美咲って言います。遊菜ちゃんの同級生やから、別にため口で構いませんから。で、昔、遊菜ちゃんに何があったんですか?」
「そういうことなら、言葉使いは崩させてもらうな。遊菜は、さっき見て安心したんやけど、中学の時からずっとおてんば娘って感じだったの」
それは、プール掃除以降、私も知った。
「もちろん、周りを巻き込んで盛り上げてくれるし、男女関係なく巻き込んで突っ走るタイプやったし、部活の中では男子を差し置いて、1番の存在で、女子からもあこがれの的やったんやけど……」
ここからは、ずっと廣岡さんの話が続く。
そんな遊菜は、いつも府大会までは順調に行ってたんですけど、近畿大会の壁というのがやっぱりでかくて、初出場の2年で近畿大会に出場しても予選落ち、3年の時に関しては、何もかもうまく行かず、府大会止まりだったんです。
もちろん、府大会の決勝に残ること自体、私たちから見てもすごいことですけど、やっぱり、本人は、目標にしていた全中にかすりもしなかったというのが一番堪えたんやと思うんです。
大会が終わった後、日に日に元気がなくなっていく遊菜を必死に周りも盛り上げようとしてましたけど、全中の日が近づくにつれ、遊菜のテンションは下がっていって、周りにも影響が出るくらいに。
さすがに部長やった私も見てられなくなって、たまらず声をかけたんです。
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「遊菜。ちょっといい?」
「なに?」
今の遊菜に、前までの覇気が一切感じられない。今でも全中にいけなかったことを引きずっているんだろうか。
「あんた、まだ府大会のこと引きずってるん?」
「行きたかったけどしゃあないよ。うちの実力不足やもん。やけど、今年こそつかめるかもって思っとってんけどなぁ」
遊菜はずっと遠い目をしている。最近はずっとこんな感じで、正直に言って私たちの士気にも影響が出始めている。
いつまでも気を遣う1・2年生。気軽に話しかけることができない3年生。男女問わず。顧問の先生も「いい加減切り替えろ」とは言うものの、上の空。
練習にも身が入らないみたいで、いくつか遅いコースで悠々と泳いでいる姿を頻繁に見る。ダッシュメニューや少しきついメニューも手を抜いている。
確かに、悔しかったのはわかる。だけど、そこまで堕落することはないんじゃないの。と思いながらも、エースの遊菜に気を使って、私も言い出せなかった。
「あんたさ、いい加減にしぃや。いつまで全中行かれへんかったことをうじうじしてるん?いろんなところから推薦も来てるんとちゃうん?そんなんでええん?」
正直、遊菜に推薦が来ていること自体うらやましい。私も必死に頑張っているけど、そんな話はなく、自分の学力に合わせて志望校をどこにするか絞っているところなんだから。
「正直、推薦もどうでもええかな。期待されてるってことやろ?そんなに期待されてもうち、応えられる自信なくなったわ」
間延びした答えに私は少し落胆する。
こんな遊菜を見たくはなかった。そう思っていると、乾いた音が響き渡った。
私の右手もヒリヒリしている。そして、遊菜は左のほほを押さえている。その姿を見た瞬間、私が遊菜のほほをビンタしてしまったことに気づいた。
「あっ……。ごめん。そういうつもりやなかってんけど……」
「わかってるよ。真理はそんなんする子やないもん。わかってる。うちのこのうじうじした態度にイラッと来たんやろ?みんなに言われてるよ。部員の一部から『やる気ないんやったらやめたらええやん』とかの陰口をたたかれてることも知ってる。殴られてもなんも言われへんよ。うちからは。やけどな、どうやって立ち直ったらええんかわからんねん」
遊菜の顔はどこかさみしそうだった。だけど、そんな遊菜に私からかける言葉を見つけることができなかった。
冷たい空気が2人の間を通り過ぎるのも感じた。
そして、気付けば、遊菜は私が差し出して掴んでいた縄を自分から離すように部室に入っていった。




