Episode 28 レース会場にて
「おはようございます。お2人、体調はどうですか?」
「ゴッツ調子ええで。それに、昨日もいい感じに調整させてくれたから、身体めっちゃ軽いんよ。ええタイム出そうや」
「鮎川さんはどうですか?」
「俺もめっちゃ調子ええわ。なんやろう。今までは自分らでどうにかせかあかんかったから、ミスったりとかしたけどさ、今年は選手経験者2人がマネージャーにおるから、いろんなことを知ってるし、いろいろ助かってんで」
「それなら、結果とタイムで返してくれないと拗ねるかもしれないですね」
私がふざけて言うと、福浦先輩は笑いながら返してきた。
「そうするしかないやろ」
そう返されると、もう、何も言うことはない。あとは開場を待つだけだ。
そして、ちょうど8時になると、役員の人たちが会場の扉を開けて、ゆっくりと中に入るように促す。
もちろん、遊菜が一番前にいたから、私たちは1番乗りで会場入りすることができた。
とりあえず、1番上を取るか。そのほうが領地争いも少ないし、いろいろ揉めなくて済むし。
私がいつの間にか1番前を歩いていて、後ろに選手4人がついてきている状態。
そして、私が階段をいつまでも上がり続けているのを見て、福浦先輩が声をかけてきた。
「美咲ちゃん、どこまで登っていくん?」
「個人的には、1番上のほうが揉め事も少なくていいかなって思ってるんですけど……」
そう答えると、福浦先輩も鮎川さんも「あぁ、なるほどね」と納得してくれたみたいで、客席の中で1番高いところまで来た。
「ここでええやろ。アップ前のええ運動にもなるし」
「美咲ちゃん、そこまで考えてたん?」
少し息を切らしている福浦先輩が私に聞いてくる。
「いえ、運動は副産物です。ただ、下を見てください。強豪校の席取り合戦がすごい勢いで始まってますよ。これを見て、下に行きたいって言えます?」
目下では、強豪校同士による席取り合戦が熱く繰り広げられていて、何とかして選手・マネージャー・監督・コーチに座ってもらおうと陣地を確保しようとしている。
もちろん、弱小校の私たちがそんな中に入り込んだとしても、強豪校の圧力でどかされることだろう。それなら、最初から1番上を陣取り、余裕をもって観戦するほうがいいに決まっている。
ということで、1番上に来たわけ。もちろん、まだほとんど上は占領されていない。前で近くで応援したいからだろう。
「よっしゃ、ほんならアップ行ってくるか。早い目に泳いどかんと、とんでもないことになりそうやし。美咲、荷物番の代わりにして悪いけど、頼んでええ?」
「気にせんでえええよ。それに、みんなアップに行くんやし、うちしかここに残らへんしな。そうなるのは必然やし、1年の仕事やしね。とりあえず、ゆっくり泳いで来いや」
すまんな。そういうと直哉は、ビニールバックをリュックから取りだし、そのまま階段を下りて行った。遊菜もほとんど一緒の行動をとって、階段を降りていく。
「美咲ちゃん、本当にお願いしてもええん?あれやったら、うち、レース昼からやし、一緒におんで」
ずっと私を1人にすることを心配してくれたのか、福浦先輩は優しい声をかけてくれるけど、今は、正直50メートルプールに慣れてほしいって言うのが本音の一つ。ここは気にせず行ってもらおう。
「福浦先輩も行ってもらっていいですよ。タイムが出ないからって、50メートルプールに体を慣らさないとしんどくなりますよ。私のことは気にしないでいいので、行っちゃってください。鮎川さんもレースは序盤にあるわけやし、ゆっくり感覚をつかんできてくださいよ」
「ええの?……ほんならお言葉に甘えるけど」
そういうと、まだちょっと気になるのか、遠慮しながら自分のスイムグッズを持って階段を下りていく先輩2人。その姿を見送ると、1度場内を見渡す。
……それにしても、すごい人の量。全員が全員、今日のレースに出る選手というわけじゃないんだろうけど、それにしても多い。たぶん、この会場の座席、全部埋まるくらい入るんじゃないかな。なんて思う。
福浦先輩たちが階段を下りて行ってほんの数分後。下から見たことのある風貌の人が昇ってきた。最初はだれかわからなかったんだけど、あと4列くらいかなってところまで来た時にわかった。
「おはようございます、長浦先生」
「おっ、おはようさん。伊藤だけか?」
「選手4人ともアップに行ってます。全員来ていることは来ています」
「そうか。ほんならええわ。あっ、せや。これな。プログラム。先週の地区大会、なんかしとったらしいから、今回もいるんかなって思って先に持ってきたわ。ほんでから~、なんでこんな高いところとったん?席取り合戦に負けたんか?」
まぁやっぱりそこが気になるよね。普通はそうよね。階段の近くとか、入り繰り付近を取るよね、普通。
「席取り合戦に負けたわけとはちゃうんですけど、巻き込まれたくなかったんで、最初からここにしようと思ってました」
「そうか。ほんなら、先生めっちゃしんどいけど、まぁええわ。この高い、俺に仕事はないから、ここでゆっくり見させってもらおうわ。ええやろ?」
うん。断る理由は一つもない。しいて言うなら、一緒に荷物番をお願いしたいくらい。
そんなことを思っていると、長浦先生は通路から数えて6席目のところに座った。
そこの間は、選手4人の荷物がどっしりと置いてある。
「そういえば、今年はどうするんやろうか?」
長浦先生は場内を見ながらつぶやく。




