Episode 208 昼のレースに備えて
そして、お昼ご飯を食べ終わると、自分のスイム用品を持ってプールに向かうことにする。
次のリスタートの直前までは、プールでウォーミングアップをしてもいいということもあり、今のうちにフリーの感覚を確認しておきたいっていうのがひとつ。
あとは、やっぱり、泳ぎに来るかわからないけど、沙良ちゃんの様子を見ておきたいっていうのもひとつ。
マネージャー兼選手って、思った以上にやることが多いな。改めてそう思う。
自分のコンディションも確認しないといけないし、周りの選手のコンディションも気にしないといけないし、マネージャーとしての仕事もある。
ただ、今に関しては、マネージャー陣の数が一定数いるから、なんとか手分けしてどうにかなっている。そんな印象があるかな。
私としては、このあとのリレーを泳いだら、選手としての活動は終わり。そこからはマネージャーとしての仕事が残っているだろうから、それもやって、今日が終われたらいいかな。
「あっ、咲ちゃん。ええところにおった。ちょっとさ、うちのドルフィン見てくれへん?なんか、ちょっとバランスを崩してんのか、今日のレース、全然進んでない気がしてさ」
「オッケー。やけど、うちもアップしたいからちょっとだけな」
「さんきゅ~。助かるわ~。タイム落としっぱなしやったら、精神的にかなり来るからさ。それに、みんな最初に測った時より伸びてるやろ?さらに気まずくてさ」
「まだうちがおるやん。とんでもないタイム残してさ」
「いや、咲ちゃんはマネージャーやん。やから、言い方は悪いかもしれへんけど、タイムが落ちるのは必然的なことやん。やから、正直、咲ちゃんは気にしてるんやろうけど、うちのテンションが上がってけぇへんねん」
「あぁ、なるほどね。うちのことはほぼ無視やねんね」
「ちゃうやんか~。そういうわけとちゃうって!そら、咲ちゃんもすごいと思うで。ほぼ1年泳いでへんのに、あんなタイム出すとかさ。うちが咲ちゃんの立場やったら絶対無理やもん」
「まぁまぁ。そんな冗談はさておいてさ。とりあえず、キックだけでクォーター2本行ってみてや。後ろからついて行くから」
「了解。ほんなら行くで」
そういうと、遊菜はいつものように壁を蹴り、ドルフィンキックをして進んでいく。
そして、軽く50メートルを泳いだ遊菜と私。それだけでなんとなくわかった。
「遊菜~、また膝が曲がってるわ。たぶん、股関節が固くなって、大きく動かそうとしてるんかわからんけど、膝が曲がってるわ。あと、膝から動いてないってのもあるわ」
「あ~、オー……ライ。そこか。ほんま、咲ちゃんに見てもらうのが一番の特効薬やわ。ほんま、いつもごめんな」
「ええってことよ。それがマネージャーの仕事やしね。あとは、うちやね。15くらい出せたらええかな」
「15出たら十分やろ。愛那っちなら25くらいやろ」
「さぁ、どうやろ。とりあえず、アップするわ。20分くらい泳ぐつもりでおるけど」
それだけ言うと、軽く壁を蹴って、感覚をつかむためにゆっくりと泳ぎ始める。
正直、レースを1本バックで泳いでみただけど、まだまだキャッチからプルの感覚はまだあまりよくない。それに、まだドルフィンキックも感覚があまりよくないと感じている。
レースでバサロキックをしていたときも楽しくは感じていたけど、よくよく考えると、進んでいた感覚はないなぁ。なんて思っていた。
「う~ん。やっぱり、感覚が戻らへんなぁ~。しかも足パンパンやわ。このあとは、ちょっと軽く流すか」
たった3週間で全部戻ってくるわけがないか。そんなことを思いながら、もう一度壁を蹴って軽い力で泳ぐ。
それでも泳いでいるうちに、こんな感じだったかな。みたいな良い感覚に一瞬だけなる時があるのよね。
その状態が一瞬だけじゃなくてずっと続いてくれたらいいのにな。なんて思いながら、すいーっと泳いでいく。
「なんや。意外と調子よさそうやんか」
床に足をつけたとき、直哉がプールサイドから声をかけてきた。
ただ、しゃがみもしないから、私の首はほぼ90度傾け、直哉の方を見て話す。
「ある程度な。ただ、まだ感覚が掴まれへんところはあるけどな」
「そうか?バックのときもそうやったけど、お前やったらどうにかなるやろ。ましてや、ミスったとしても、バックアップ要員が1人おるんやから」
「バックアップ要員って……。まぁ、周りから見たらそうなるんやろうけどさ、引き継ぎミスしたら一番ヤバいやろ。ましてや、愛那とはバックとバッタを合わせるばっかりで、フリーなんか、ほとんど合わせてへんのに。そこが不安なところやな」
「まぁ、どうにかなるわ。気張らずに行けや。……よっと」
直哉はそれだけ言って、スプラッシュをほとんど立てずに、私の上を飛び越えて泳ぎだした。
相変わらず、きれいなフォームやわ。本当に惚れ惚れする。もちろん、そのフォームを身に着けたのは、私の助言から始まり、本人の努力があってのこと。
そして、私の上を飛び越えて行った姿。スローモーションのように見えて、その姿にも惚れ惚れした。
さて。私はもう少しだけ泳いで感覚を取り戻すことに優先順位を置くか。
そこからだいたい30分ほどくらいかな。結局、予定した時間から少しオーバーしたものの、感覚は泳いでいる間にある程度戻ったような気がする。ただ、周りから見たらどうかなって感じ。やってみないとわからないけどね。
そして、そのまま、ある程度身体をタオルで拭いた後、招集待ちの集団に紛れ、遊菜たちと合流する。
「咲ちゃん、感覚もかなり戻って来てるんちゃうん?さっき泳いでる姿を見とってもええ感じに見えたけど」
「どうやろうな。それなりかなって思うけど、ある程度戻ってると思うわ。というか、信じたい」
「まぁ、リレーの時、あんまり振るわんくてもうちがおるから、あんまり深く考えんと行こうや」
「そうですよ。ここでのリレーはわたしもあまり気にしませんし、わたしもできるだけバックアップするつもりでいますから」
気付けば、私と愛那、沙良ちゃんの話の間に遊菜が入ってきた。
「あんたは自分の泳ぎに集中しぃや。バックアップは3人まとめて面倒見たるから。愛那っち沙良っちもそうやで。うちはリレーのときはなんも気にせぇへんから、自分の泳ぎに集中しぃや」
「お~ら~い」
この愛那の気の抜けた返事に、私と遊菜の緊張が少し融けた。そんな気がした。
「ほんまに、なんていうか、愛那っちが折ってくれてよかったわ。堅い雰囲気を全部柔らかくしてくれるんやから。うちからしたら、マジでありがたいわ」
たしかにそうなんだよな。普段なら、優奈もゆるゆるで無邪気と癒し担当になるんだけど、大会の日になると、それは一転。
遊菜は本気モードになって、女子メンバーは、大会の日が近づくにつれて、ほんのりぴりつきだす。そんな中、愛那だけでもいつも通りなら、周りの雰囲気がかなり柔らかくなる。
もちろん、マネージャー時代からそうなんだけど、意外と愛那が選手復帰してからも、いいことが続いている。
チームとしても、効果は絶大。女子はほとんどみんなタイムが似ているから、リレメンに愛那を入れておくのが、一番引き締まると思っている。
「咲ちゃん、だいぶリラックスできてるやん。さっきまでの堅い顔はどこいったんよ」
「さぁね。どうやろう。愛那効果とちゃう?愛那の緩さでリラックスされてるんちゃう?」
そんな話をしていると、一瞬で招集の点呼も終わり、あとはレースを待つだけ。
だけど、朝に比べてそんなに緊張していない。それくあいレース魔の感覚に戻ってきたって言う証拠だろうか。それならありがたいんだけど。
「そしたら、2組の選手は移動してください」
しばらく興奮気味だった愛那をなだめながら、時間だけが過ぎ、先に泳ぐ1組のレースはラストスイマーに変わっていた。
それに気づいた時、少し緊張しているな。そう感じた。




