Episode 205 遊菜の効果
「上がってくんの、えらゆっくりやな。リレーの感覚、全部なくなってそうやね」
「なくなってそうやね。やないんよ。完全になくなってんねん。ほぼ1年ぶりのレースやねんから。それに、壁が高いんやから。まぁ、思ったより泳げた感覚はするかな。バサロの調子もよさげやったし、久々にレースを楽しんだって感じ?」
「ならよかったな。やけど、やっぱり愛那っちがなぁ。まぁ、うちらが巻き返したらええんやけどな。よっしゃ、沙良っち、うちらで挽回すんで」
「言われなくてもわかってます!こんなところで躓いていられませんから!」
なんだか、沙良ちゃん、意気込みが凄いけど、そこまで気負うことなのかな?
何て言うか、何かを焦っているような感じ。そんなに焦るような場面じゃないと思うんだけど……。
とりあえず、愛那は後ろとの差をジリジリと詰められながらも、またバトンを受けとった2番手をキープしている。
でも、心配することはないかな。愛那の持ち味はここからだから。
私も最近知ったことだけど、愛那は地味に後半の方が強い。
さすがに、ロングのラップをほぼ同じタイムで刻む1年生の横山久美ちゃんみたいには行かないけど、それでもそれなりのタイムを刻む。少し後ろとの差も開けるかな。
「ハイアップ!愛那っち!ハイアップ!ハイアップ!」
テンションの上がり切った遊菜はもう止められない。さすがに暴走気味に私の横で声を上げる。
その横では、サードスイマーの沙良ちゃんが準備を始めて、すでにスタート台の上に。
そして、タイミングを取るためか、前後に身体をユラユラと揺らし始める。
初めて見たときは、独特なタイミングの取り方だなぁ。なんて思ったし、それでよくタイミングを合わせられるな。とさえ思った。
だけど、そんな独特なタイミングの取り方でちょっと独特な愛那のストロークにさえ合わせているんだからさすがだよね。
そして、愛那が戻って来て、抜群なタイミングでバトンを受けとって飛び出していった沙良ちゃん。さすがと言わざるを得ない泳ぎでグイグイと進んでいく。……
ように見えたのは、ダイナミックなフォームのせいみたい。
フォームの割には進んでいないのか?やっぱり、そういう風に見える。
さすがに、アップとダウン、ルースンメニュー以外の意図もくみ取らず、オールフルパワーで行けば、パワーはついて進むけど、それと比例して抵抗が大きくなって、フォームの割には進んでいない。お見事にやってくれたな。って思ってしまったのは秘密の話にしておいてね。
「思ったとおりの結果やな。前との差が詰まってるから速く見えるけど、(1分)5秒の泳ぎやないよな。咲ちゃんはどない思うよ」
「そうやね。遊菜の言う通りやと思う。やから、話を聞いて、メニュー通りに行けば、ベストの5秒は行けたんとちゃうかなって思う」
「ほんまもったいないよな。とりあえず、うちは楽しめるだけ楽しみますか。ほんで、いつになく動きが固いなぁ。タイミング合わせられへんやんか。少しだけ遅らせるか。別にコンマ5くらい遅れても変わらんやろ。中央とかやったら致命的なんやろうけど」
いつになく独り言の多い遊菜。もしかしたら、沙良ちゃんの泳ぎを見て、イライラしているのかもしれない。
そんなことを思っていると、遊菜は大きく腕を横に広げ、肩甲骨を動かす。
これは遊菜がリラックスさせるときの動き。緊張はしていないだろうから、かなりイライラしているんだろうな。
「ほら!ラスト!上げて!もっと上げてこいや!」
リス見たいな顔から出ていると歩も得ない檄を飛ばす遊菜。
たぶん、声は沙良ちゃんに聞こえていないんだろうけど、遊菜の本気の顔は後ろから見ていても怖い。後ろから感じる迫力も怖いのに、正面から見るとなおさら怖いだろう。そんなことを思いながら遊菜の小さくてたくましい背中を見ていた。
そして、その沙良ちゃんだけど、遊菜の鬼のような姿が見えたのか、少しだけピッチが上がったように感じる。
「あんたの本気はそんなもんとちゃうやろ。もっと成長して這い上がって来いや」
飛び込む直前、ボソッとつぶやいた遊菜。
その姿を見ていると、まだ遊菜は沙良ちゃんのことを見捨てていないな。そう感じた。
もしかしたら、自分がイライラしないためにってことなのかもしれないけど。
そして、なんとかという表現が似合うほどヘロヘロになって戻ってきた沙良ちゃん。遊菜にバトンをつないだ後は、飛んで行った遊菜の姿を振り返ってみ届けることもなく、首を傾げ、静かにプールから上がる。
やっぱり、まだ自分の泳ぎに満足できていないみたい。
だけど、マネージャーの私が言うことじゃないかもしれないけど、メニューを無視し続けた沙良ちゃんの自業自得なんじゃないかって思ってしまう。
もちろん、練習メニューに合う・合わないがあることはわかっているし、合わないってわかったら、別のメニューを作り上げる。
だけど、最初から無視をされると、合っているのか合っていないのかわからないから、その人に合わせようがない。
今回は自分で無視してメニューに無駄な負荷をかけて失敗している。それに気づかず、自分で突っ込んでいるんだから、これに関しては、私としても救いようがない。
そんな中、沙良ちゃんとは正反対で、遊菜は快調に飛ばしている。
さすがに、冬の間はほとんど泳げないから、ブランクはあるだろうけど、そのブランクすら感じさせない泳ぎを見せ、あっという間に25メートルのターン。
ターンをしてからもグイグイと前を追いかけ、折り返しの50メートルを泳ぎ切る前に追いつきそうだし、なんなら、そのまま抜いて置いていきそうな予感。
「ほんま、遊菜っちの泳ぎは圧巻やな。折り返すまでに追いつきそうやで」
「トライアルのときも、女子の中で唯一30秒台を割ってたからな。さすがやで。ほんまに」
愛那と話ながら、遊菜の泳ぎを見て、前のターンからわずか10秒ほど。
あっという間に折り返しのターンを迎え、ひょいという効果音がぴったりなほど静かに、スムーズにターンをしていく遊菜。そのままラスト50メートルに向かう。
そして、そのころには、引き継ぎの場面であった5秒ほどの差をひっくりかえし、独走でフィニッシュしようとしている。
そんな遊菜は、周りの雰囲気はまるで無視するかのように突っ込み、後ろと15秒ほどの差を空けてフィニッシュ。
「ナイスパフォーマンス、遊菜」
「はぁはぁ。きっつ。こんなきつかったっけ?頭ノンブレスで行かんかったらよかった。まだ戻り切ってへんかったわ。とりあえず、咲ちゃんも愛那っちもナイスパフォーマンスやわ。沙良っちもナイスファイトな」
「あっ、はい。遊菜先輩もナイスファイトでした」
歯切れの悪い沙良ちゃん。難しい顔をしたまま、遊菜の言葉に返答した。




