Episode 204 緊張するな……。
「中で開会式が始まったみたいです。そろそろ準備を始めたほうがいいかもしれませんね」
少し遠慮気味に声をかけてきた優奈ちゃん。ストレッチをしている私や直哉に気を使ったみたいね。
「うん、ありがとう。ほんなら行ってくるわ。お留守番、頼むな」
「はい。が……楽しんできてくださいね」
少し違和感を抱くかもしれないけど、これは、扇商の今年の掟のひとつで、レースやトライアルに行こうとする選手や残している選手に「頑張れ」とお疲れ様」とは言わないようにって、直哉が決めた。
というのも、「頑張れ」って言う言葉は他人事に聞こえるし、「お疲れ様」っていうのは、まだレースがあるのに気持ちが切れるから。と直哉がね。細かいことだと思うけど、楽しむ気持ちを上げるため、落とさないためにと無理やり部員を理解させた。
「よっしゃ、行こうか。存分に暴れようや」
すでに直哉は楽しみつつも、戦闘モードへとスイッチが入っている。
私も、戦闘モードまではいかなくても、気持ちのエンジンをかけはじめようか。そんなことを思いながら、またむわっとするプールに向かう。
場内にはすでに多くの人が集まっていた。もちろん、選手やマネージャーなんだろうけど、少なからず、応援に来た人もいるんじゃないかな。
「さすが、小さい会場やのに大量の人やな。うちのマネージャー、どこにおるかわからんで」
遊菜が人の多さに茶々を入れる。その声はいつも通り呑気なもので、私を安心させるひとつの材料になっている。
「そしたら、5レーンの扇原商業、伊藤さん、稲葉さん、福森さん、大神さん。はい、オッケーね。ほんなら、フィナ見せて~。はい、オッケー」
招集の先生に点呼をしてもらい、腰辺りにあるフィナマークという公式マークを見せる。
このフィナマーク。話せば少し長くなるけど、何年か前に、いわゆる高速水着という特殊素材を使ったウェアが登場して、世界記録や各国の記録が大量に更新され過ぎたことを世界水泳連盟が問題視して、「さすがにそれは、選手の実力じゃないだろ」という意見が出た。……かどうかわからないけど、いかんせん、選手じゃなくて、水着の実力だろうという声もあって、世界水泳連盟(FINA)が規制を作り、規制に沿った素材を使った水着にQRコードをつけて、このウェアを着た選手だけに公認記録として残しますよ。という制度が現れた。
それは、日本でも当然のように採用されるわけで、このQRコードに似たマークが貼られてなければ、どれだけ速く泳ごうが、世界記録を更新しようが、ただの参考記録扱いになって、歴史に名前を刻めない。
日本でもまだ高速水着時代の日本記録がまだ残っていたんじゃないかな。そんな気がするけど、詳しくは、それぞれで調べてほしいかな。
「咲ちゃん。楽にな。顔、みたことないくらい強張ってんで」
プールの方を見ていた私に遊菜が声をかけてきてハッとした。
「すんごい顔してたな。そんなに緊張する?」
「やっぱり、昔の記憶がね。それで選手からマネージャーになったって言うこともあるし、まだやっぱり、精神的外傷がまだ言えてない分、まだ怖いって言うか、どうなるんやろうって」
「別にミスったって文句なんか言わへんし、代わりに出てもらえるだけでもありがたいって言うのに。それに、うちの師匠やしな」
「や、やめてや。めっちゃ恥ずかしいやん」
人前で堂々と言えるこの度胸。相変わらず遊菜は怖いもの知らずだ。まぁ、“スーパーマネージャー”って言われないだけマシか。なんて思いつつ、さらに続く遊菜の話を聞く。
「だって、うちのドルフィンキックは咲ちゃん直伝やし、スーパーマネージャーの咲ちゃんがおらんかったら、今の内、どうなってるかわからんかったのに。とりあえず、怖いとか、ミスったらどうしようとか、考えんとさ、直ちゃんが言うてたやん。楽しんでいこうや」
「せやで、咲ちゃん。これくらいのレースやったら気負うことないんやしさ。それに、次の大会に進むことなんて考えんでええしさ。楽しもうや」
ほんと、この2人に乗せられたら怖いものなしだな。そう思えると、少し気が楽になる。
「それでは、2組は移動してください」
招集係の人に促されて、自分たちが泳ぐ5レーンに。まだ前の組のレースは終わってないから、盛り上がりはまだある。
しかも、前の組は、強豪校が揃う1組のレース。まぁ、応援の声があるのもわかるか。
そんな雑音をシャットアウトして、集中しようとする。




