Episode 191 新シーズン
あっという間だった競泳のシーズンが過ぎて、シーズンオフも過ぎ去った。この1年は本当に一瞬だった。
その一瞬の中に、私の中ではいろいろあったと思っている。
幼なじみの原田直哉が高校記録を更新して、同級生の大神遊菜が大会記録を更新して、それぞれインターハイで優勝。
この成長速度は、私を、そして、競泳界を驚かせた。
直哉は中学時代に全国大会を経験しているけど、予選で下から数えたほうが早く、遊菜に関しては、近畿大会に出るのが精いっぱいだった。
そんな2人だったけど、夏が終わってみれば、インターハイ優勝。それぞれ50メートル単位の自己記録を2~3秒も縮めた。
もちろん、それだけのタイムを縮めようとするのには、かなりの努力が必要で、50メートル単位でこれだけのタイムを縮めようとするなら、年単位の時間が必要になっただろうけど、記録を縮めた期間は、たった3か月。
そりゃあ、もう、周りを驚かせたよね。
インターハイを優勝で飾って終わったとしても、まだキャリアを積み上げることができる国体があった。ただ、それでも直哉も遊菜も国体には出なかった。
理由は、部員のみんなと楽しく部活として泳ぎたいからって言ったから。
渡井からすると、とんでもない理由で、自分の成績とキャリアを棒に振った。それでも、自分の成績よりも、今しかない一種を楽しんでいる。
とは言いつつも、直哉は、ひとりだけこっそりと日本選手権に出場して、自分の今の立ち位置を確認していたけどね。
「おっはよ~!……って、咲ちゃんだけ?直ちゃんとか遊菜ぴはまだ来てないの?」
ここで、屋上のプールに来たのは、同じ水泳部の鈴坂香奈ちゃん。この子はバック(背泳ぎ)専門の選手。
親の都合で関東から引っ越してきて、1年生からこの高校で高校生活を送っている。
そんな香奈ちゃんも、私の手腕でものすごく伸びた選手のひとり。
もちろん、香奈ちゃんだけじゃなく、ほかの選手や、引退していった先輩たちも最後の1年で伸びたという選手が多かった。
そのことから、扇商水泳部の選手・マネージャーからは、”コーチ”や”先生”と呼ばれることもあるけど、とある人からは、”スーパーマネージャー”と呼ばれている。
その”スーパーマネージャー”という称号のおかげと言うべきか、おかげのせいと言うべきか悩むところだけど、ちょっとした騒ぎがあった。
騒ぎの発端は、いわゆる弱小校とか無名校と呼ばれるこの高校から原田直哉と大神遊菜の2人が自己ベストをシーズンインからたった3カ月で3秒以上も縮め、インターハイ優勝するまでほぼ専属でマネジメントしたから。
もちろん、これだけじゃ騒がれることはほぼない。騒がれたとしても、選手の2人にスポットライトを浴びるだろう。
私にもスポットライトが流れてきた理由は、”水の申し子”という異名を持つ、宮武花梨選手がテレビのインタビューで実名は伏せたものの、私のことをしゃべったから。(詳しくは『Episode 133 ちょっとした騒ぎ』を見てください)
宮武選手は、そのインタビューで直哉や遊菜のことを多く話していたみたいだけど、切り取られて光ってしまったら、私はまだ表姿を隠せたものの、後ろ姿は見られた。
それが競泳界を中心に広がって”扇原商業にスーパーマネージャーがいる”ということが知られるようになってしまった。
それでも私はなんとか雲隠れをするようにこそこそと動き回っているおかげか、いまだに私がスーパーマネージャーだということは知られていない。
……おっと。話がそれた気がする。とりあえず、話しを目の前に戻すか。
「おはよ。まだ2人とも来てへんわ。もう少ししたら来るんとちゃうかな。うちは、先に準備だけしたかったから先に来ただけやし」
「そうなんだ。私も手伝おうか?」
「別に気にせんでええよ。ゆっくりしとき。年に一度のお楽しみやねんから」
「そう?それじゃあ、お言葉に甘えて。にしても、日陰は冷えるね~。着替えて日向ぼっこしようかな」
「遊菜が来る前までにしときや。あの子が来たら何されるかわからんで」
「まっさか~。まぁ、確かに夏場なら普通に水を掛けられるけどさ。まだどこにもきれいな水がないんでしょ?それなら大丈夫だよ」
そう言われて、遊菜の夏場の練習前の行動を思い出す。
確かに、着替えて更衣室から飛び出してきて、シャワーを軽く浴びてからプールに向かってから派手にダイブする。
それはもちろん、いつものことで、私たちとしては、あまり気にならない。
だけど、そこから体の固さを取るためにゆっくり泳ぐものの、その距離はだいたい75メートル。
つまりは、ターン側からダイブしてスタート側に向かって泳ぎ出し、2回ターンしたあとスタート側に戻ってくるんだけど、その2回目のターンで派手な水しぶきを上げたり、そのターンで水を掛けたりということをしている。
あと、遊菜伝説に限って言えば、プール掃除のあと、この学校では時間いっぱいまで遊ぶんだけど、普通、1年生って先輩にちょっかいかけることはあまりしないよね?
だけど、遊菜は、選手兼マネージャーの福森愛那とともに、きれいなプールの水をバケツにすくい、そのバケツをプールサイドに上げたあと、上から「そーれっ!」とか言って振りかけたり……。
これに関しては、当時の3年生のほかにも、もちろん、1年生にも遊菜のイタズラの餌食になっていた。
まぁ、それはたぶん、この部活の雰囲気だからこそできることなんだろうなって思ったよね。
「にしても、今年もなんとかリレーを組める人数が揃ったねぇ~」
「なんとかな。それに、男子はフリーリレーの競争を、女子も愛那が選手に戻ったし、リレメンは男女ともに競争になりそうやけど」
「それでもいいじゃん。それだけで面白くなりそうじゃん。私も愛那っちと争うことになるだろうし、私はいいと思うよ。だけど、噂によると、いたる部活で人員不足になりそうって話らしいね」
「らしいね。ほとんど吹奏楽とバスケ、あとは軽音楽やろ?やっぱ、青春って感じの部活が人気だよね」
「私としては、どの部活に入っても、その子の青春なのは変わらないけどね。私も水泳部に入って、青春って感じがしているし。まっ、とりあえず着替えてくるわ」
そういうと、香奈ちゃんは部室に入っていった。
さて。私ももう少し準備をしてから、全員が来るのを待とうかな。




