Episode 147 直哉の決勝
思い切り手をタッチ板に叩きつけるようにしてフィニッシュした遊菜。
ノンブレスで突っ込んでいたこともあって、ちょっと酸欠になったのかな。
いつものように、バックのスタートバーにぶら下がったと思えば、ガボッと水中に潜り、しばらく浮いてこない。
これがいつもの流れって言うのもわかっているし、学校のタイムトライアルでもよく見せることだから、扇商水泳部(私たち)からしては、特に違和感のない行動。
まぁ、初めて見る人はびっくりする人が多いんだけどね……。
『新記録のお知らせをいたします。先ほど第5コースを泳ぎました大神さん、扇原商業は25秒81の今大会新記録を樹立いたしました』
遊菜の記録は、今までの大会記録をコンマ6ほど更新するほどの好タイムだったらしく、さすがだな。という声が扇商のいたるところから漏れる。
ただ、本人は聞いていないだろう。いつものことで、タイムを確認していないだろうし。
それでも、見えないとしても、後ろを振り返ってタイムを見る努力はしてほしいかなって思ってしまうのも事実。今日に関しては、ある程度度の入っているゴーグルをしているんだから。
「うわぁ。ほんまにやりよったで。ようこれだけ実力が開く中で自分のペースでレースしたな」
「とは言いつつも、今の遊菜のタイム、かなり抜けてるけどね。インターハイからコンマ6も遅れてる。目標になる選手がおらへんかったからペースが崩れたんやろうな」
「またえらい理由やな。でも、今までハイレベルなレースをしてたからしゃあないんやろうな。って思ってまうよな」
それでも、女子の中で一番速い選手なのは変わらない。ただ、遊菜はタイムに満足いかないだろうなぁ。なんて思いながら、スプリットブックにタイムを書き込み、続いて直哉のレースの番になる。
さて。直哉はさっきの遊菜のレースを見てどう思うのか。
自分は気分を入れ替えてレースに臨めるのか、それとも、少し乱れて、インターハイよりタイムを落とすか。どうだろうか。
正直、私はこれがどんな影響を及ぼすのはかわからない。本人たちの気持ち次第だからって言うのもあるけど、周りの環境もあるだろう。
遊菜みたいに前半を抑えて、後半勝負って言う選手は、とくにこういうのが顕著に出る。
直哉は、どちらかというと、遊菜とは逆に前半型だけど、こっちも面倒くさい性格をしている。
ターンの時点であまりにも後続と離れすぎていると、少しだけ手を抜いてしまうという悪癖がある。それさえどうにかなればいいかな。なんて思いながら、場内アナウンスを聞いていた。
『第5コース、原田くん、扇原商業』
「原田~!行けえー!」
とんでもない扇商の選手・マネージャー陣の声が響き、扇商のスタンドは大盛り上がり。
まぁ、それは仕方のないことだと思うんだけどね。
さすがに、インターハイ覇者の遊菜と直哉が予選で圧倒的な差を見せつけて暴れ倒しているんだから、弱小校に分類される扇商も、この時ばかりは盛り上がってもいいんじゃないかなって思ってしまうよね。
そして、女子のレース同様、男子もいつもと同じ感じで笛が鳴り、それぞれがスタートの準備をする。
直哉は直哉でいつも通りだ。
「ほんまにあいつのスタート。どこ行っても変わらへんな」
「ほんまに。短い笛の間は、微動だにせぇへんのに、長い笛が鳴った瞬間、いつの間に準備してんってくらい早いもんな」
まぁ、確かに、いつも後ろでじっとしているからって言うのもあるけどさ、それだけ集中力を高めているってことだしさ、私はそれでスタートがうまく行くならと、何も言うことはしない。
「よーい」
選手10人がスタート台に乗り、こちらもすでに構える選手、構えない選手が分かれる中での出発合図員の声。
この声でスタートの構えを取り、身体を後ろに引く選手、そのままの姿勢をとる選手。それでも変わらないのは選手10人全員がクラウチングスタートの構えを取っていること。
まぁ、これが一番早いスタートの仕方なんだから、何も違和感はない。逆にスタンディングでスタートする選手の方が目立つかもしれない。
まぁ、八商大会は、初心者でも出られる大会だったから、スタンディングでスタートする選手も多かった。それは仕方のないことだし、いきなりクラウチングスタートを練習するより、断然、こっちのほうが安全って言うのもある。
どっちにしろ、腹打ちは覚悟の上だけどね。
そんなことを思っていると、スタートの合図が鳴り、私は視線をプールから電光掲示板に移した。
たぶん、水中のことは選手自身が一番わかっているはず。それなら、私が見る必要はなく、タイムを少しだけ気にしたかった。
スタートのときのリアクションタイムはコンマ7か。いつも通りっちゃ、いつも通りだけど、これでよくインターハイを制したよな。まぁ、あのときはリアクションタイムもコンマ65はあったけどさ。
おそらく、遊菜のタイムを見て、ちょっと気を抜いたかな。
さすがに、気を抜いたからと言って、致命的な遅れになることはないんだろうけど、たぶん、タイムはイマイチなところになるんじゃないかなぁ。なんて思っている。
まぁ、その予想は当たってほしくなかったものの、当たってしまうのが相場ってところ。
キックもストロークもいつもと変わらないように見えるけど、たぶん、インターハイのときより、若干ストロークピッチが遅い。それに伴って、キックもタイミングが狂っているのか、伸びはあるんだけど、力強さが一瞬だけ欠ける。
そのせいもあるのか、タイムはイマイチ伸び切らず、大会記録は更新したものの、22秒98と少しふがいないタイムでフィニッシュしていた。
フィニッシュした後の直哉は、自分のタイムに満足いかなかったのか、少しだけ首を横に振り、ひょいっと軽い力でプールサイドに上がり、ダイビングプールに姿を隠した。
なにより、それを物語るのは、新記録のお知らせが流れている間に、スタスタとダイビングプールへ行った姿だろうか。
普通なら、歓声に応える場面だろうけど、そんな素振りすらしなかった。まぁ、それはそれで直哉らしいって言ってしまえばそれっきりなんだけど、それでもなんだか、ちょっと直哉の雰囲気に違和感を持ってしまった。
あとで直接聞いてみようか。どうせ、朝の決勝が終われば、1時間ほど休憩時間に入る。レースが続く直哉でもご飯を食べに戻ってくるだろう。
そんなことを思いながら、まだもう少し続くレースを見ていた。




