Episode 144 福浦先輩のお願い
朝に予選がある競技に関しては、午前中に決勝競技までやってしまうようで、午前競技の決勝レースが始まろうとしている。
初っ端は女子の2個メからか。リレー競技は決勝最後の競技になっているから、午前中最後に組み込まれている。
これに関しては、どの大会もそうだからなぁ。
決勝種目に関しては、どこか公式大会に似た雰囲気で選手の紹介がされる。
さすがに、私が実際に見たインターハイみたいにはいかないのはわかっていて、すでに、入場している選手の名前と所属学校を紹介されていく。
『第8コース、福浦さん、扇原商業』
そう。バッタとフリーをばかりやっていた福浦先輩だけど、『高校最後だから』と個メにエントリーしている。
まぁ、もう1種目は1バタなんだけど。
それでも、個メに行くとはお思っていなかったから最初こそビックリしたものの、でも、それは本気だったらしく、いつものメニューが終わったあと、愛那と私を巻き込んで残って練習していた。
ここで練習の成果を存分に見せてほしいな。なんて思いつつ、福浦先輩のレースを見守る。
「よーい」
いつもながらに染みついたこの単語。
さすがに体が強張ることは少なかったけど、それでもまだ、ふとした瞬間に身体が強張ることがある。
そのたびに、「うちのレースとちゃうから」と言い聞かせて身体の力みを取ろうとする。
私の中では、過去の出来事と思っていても、精神的外傷は身体がしっかりと覚えているんだな。なんて思ってしまう。
過去に比べたら、頻度はさすがに減ったよ?それでもまだなるって言うんだから、どうしようって話よね。
そして、いつもの電子音が鳴ると、レーススタートの合図。これが決勝競技の火蓋を落とす。
もちろん、いつものように我先にと飛び出していく選手10人。
この飛び出しがいいか悪いかでレースが決まるほど短距離でもない。むしろ、選手それぞれの得意不得意が顕著に出る種目。
たしか、6月にあった地区大会で鮎川先輩が出たのがそれだったはず。
鮎川先輩も福浦先輩もタイプは似ている。
バッタ、フリーが得意でバックが不得意。ブレは休憩のように使うといったような感じ。
もちろん、中には、バッタは流して、バックとブレで勝負、ブレとフリーで勝負、バックとフリーで勝負。みたいな、おそらく十人十色の種目なんじゃないかって勝手に思っているくらい。それくらい個性が出る種目。
まぁ、余計にその個性が顕著に出るとするなら、4個メがその代表だろうか。海外のトップ選手でもそれくらいは出るしね。
さて、話はレースに戻って……。
福浦先輩は、飛び出した後、得意のバッタで豪快に進んでいく。ただ、やっぱり、タイム的には、地区大会を突破するくらいでもちろん、扇商女子の中では速いほうなんだけど、今津高校の2人、毛馬高校の2人、八雲西の2人の次という構図になっている。
勝手に監督目線になるけど、得点がもらえる8位以内には入ってほしいな。って思いはあるものの、地区大会を突破し、中央大会に出た選手が上記の6人以外に2人いることはわかっている。
その選手たちより先にフィニッシュできるかどうか。
「咲ちゃん、福浦先輩から頼まれてることあるんやけど、ちょっと協力してもろうてええ?」
「どないしたん?」
「ブレを我慢して少しだけピッチたいから、声出ししてほしいって言われてんねん。さすがに声でかいうちでもこの声量には勝たれへんから、一緒に出してほしんよ。それに、咲ちゃんが出せば、他の人らもついてくるんとちゃうかなって」
なるほどね。策士だね~、愛那も。
「りょうかい。やるだけやろうか」
「さんきゅ、助かる」
「あと、伊丹くんに指笛お願いしてみたら?記録会の時、場を盛り上げようと、ピィピィ吹いてるから。福浦先輩も聞きなれた指笛ならさすがに聞こえるでしょ」
「あ~、せやな。了解」
ちょっとせわしない扇商サイドだけど、うまくいくはず。
私は、選手たちがいいタイムが出るのであれば、なんでもするつもり。それくらいの意気がないと、インターハイへ連れていってほしい。っていうお願いは聞けないでしょ。
ちょっと脳筋なところが垣間見えるところはあるものの、それはご愛敬と言うことにしておいてほしいかな。なんて思ったり。
そんなことを思いつつ、レースはあっという間に、最初のバッタを過ぎていく。
トップの選手は30秒を少し割るくらいの速いタイムで飛びこんでいき、福浦先輩は、ほんの少しセーブしたのか、34秒台で突っ込んでいく。
このちょっとしたセーブがどうなるかってところだけど、バック・ブレで少しでもタイムを縮めようとする努力なのか、はたまた50mの感覚が抜けてばてただけなのか。ちょっとそのあたりはわからないけど、それでもタイムは34秒台の7番手。
ここから苦手な2種目が入ってくる。これでどこまで我慢できるかってところかな。
だけど、そういう風に思うのはナンセンスだったみたい。
バックは私が教えた基礎的なことを難なくこなしていく姿を見て、少しだけ感傷深くなってしまった。
「伊藤、福森から聞いたんやけど、指笛吹いたらええんか?」
ちょっと感傷深くなっている私に、伊丹くんが声をかけてきた。
「せやね。ブレで福浦先輩の手が掻き始めのタイミングで吹いてほしいかな」
「またムズイお願いの仕方やな。まあええわ。やるだけやってみるわ」
「うん。お願いね」
「ほんなら、邪魔にならんように上から吹くわ」
それだけ言うと、伊丹くんは階段をひょいひょいと登っていった。
確かに、インターハイとか人の多いレースだと、周りがそもそもうるさくて、あまり気にならなかったけど、これだけ人が少ないんだ。余計に響くだろうな。なんて思っていたら、福浦先輩もバックを泳ぎ終わり、ブレへと移っていく。




