Episode 116 Naoya side ほんまは無視したい
「おっさん、こいつの高校の先生か?」
「あ、あぁ。ただ、外部コーチじゃけ、普段のこいつの態度はプールでしか見んから、ここまでひどいやつとは思っとらんやった。たしかに嫉妬深いところはあるけど、ここまでとは……」
どうやら、このおっさんも、こいつがここまでアホや言うことは知らんかったみたいやな。
「とりあえず、今はええわ。俺らかてレースに集中したいから。ただ、こんな揉め事起こしてるんやから、棄権させるよな?」
「い、いや、3年で集大成のレースじゃけ。許してやってくれんか?……厳原!何ぼさっとしとんじゃ!さっさと上がらんけ!」
そんなこと言われてもな。はらわた煮えくりかえったままやから、許したくはないんやけど、まぁ、コーチがこれほど威厳のあるおっさんやったら、信じてはええかなって思ってるかな。
「もうええわ。あんたらは信用できひんからな。とりあえず、このあとなんもちょっかいかけへんって誓えるんやったら、俺からはなんも言いません。大神もそれでええやろ?」
「しゃあないからな。それでかまへんよ。そのかわり、なんかやってくるんやったら、うちらかて容赦せぇへんからな」
「あぁ、それは約束する。本当に申し訳なかった」
それだけ言うと、厳原と呼ばれた男子選手とコーチはその場を立ち去っていった。
「ほんま、あいつだけは絶対許されへんで」
まだまだ大神は怒り心頭で、落ち着く様子はなかった。
「とりあえずツーツーラフ行くか。落ち着かせてメニューに戻るで」
「オーライ」
どうやら、まだ怒ってるみたいやな。声にまだ怒りが残ってて、いつも以上に低い。
ほんま、ここまで声の低い大神は初めてやから、マジで怖い。
そんなことを思いながら、メニューにはなかったツーツーラフで気持ちをリセットさせようとした。
ただ、この判断がよかったんかわからんけど、1本目を泳いでみたところで大神の顔を見ると、かなり落ち着いているようにも見える。
正直、これだけで大神の気持ちが落ち着くとは思ってへんかったから、半分ラッキーなところはあるやろうな。そんな感じやわ。
ここからメニューに戻して、俺らの調子も整えていくか。
そんなことを思いながら美咲からもらったメニューをこなし、サブプールから上がり、招集に向かうことにする。
「ほんなら、まとあとでな。とりあえず、2日目も楽しんでこうや」
「せやね。もちろん、上に行くつもりではおるけど、楽しめればオールオッケーやね」
そう言いながら大神は俺に向けてグータッチを求めてきた。
そして、更衣室を通り抜けてから、招集のスペースの隅の方でストレッチを始める。すると、同じように俺の横で大神が真似をするわけとちゃうけど、ぐにゃ~っていう効果音がぴったりなほど、柔らかさを見せつけながら柔軟をしている。
えへへ。と笑う顔は緊張せぇへんようにしたいんかわからへんけど、少しばかり無理しているようにも見えた。
「お前のことやから『わかってる』とか言いそうやけど、無茶はすんなよ」
「当たり前やん。そこまでやるほどうちはアホとちゃうで」
そんなことを言う大神はケラケラと声を上げながら笑った。
今のところ、無理をしているってこてゃないんやろうとは思うけど、レースが近づいてきてどうなるかってところなんやろうな。なんて思いつつ、俺も緊張をほぐすようにいろいろ身体を動かす。
「それでは女子100メートル自由形予選の招集を始めます」
しばらく大神と談笑しながらストレッチをしていると、思ったより時間が経っていたようで、招集を担当する役員の声が聞こえてきた。
「よっしゃ、ほんなら行こか」
招集役員の声が聞こえてきた瞬間、大神のスイッチが入ったのか、笑顔なのは変わらへんけど、ぐにゃんぐにゃんやった表情が一気にキリッとなった。
俺としては、大神のスイッチが入ったなって一瞬でわかるくらいやった。
「気張らず、楽しんでけよ」
俺はそれだけ言って拳を大神の方に向ける。
その大神は「もちろんな」とだけ言って、同じように拳を当て返してきた。
レース前の儀式みたいなもんになって来てるけど、こうせな落ち着かへんところがあるんかなって思いながらも、いつも拳を向けている。
それを今回もやっただけやねんけどなぁ。なんて思いつつ、まさか、2回もぶつけられるとは思っても思ってへんかったから、ちょっとビビったけど、まぁ、ええか。と思いつつ、俺もしれっと招集の集団の近くによる。
どうせたぶん、この後すぐに招集があるやろうからなんて思ってな。
そこから俺も少ししてから、男子の招集の声がかかり、俺も招集の点呼を受けて、待ち列の中に加わる。
その間にも、レースはゆっくり進みながら、そのたびに俺の順までも近くなってくる。
それでも、自分の心配よりも、大神の心配の方が勝ってる気がするけど、当の本人は、前の組にいて、プレッシャーもあまり感じてへんのか、意外とのほほんとしていた。
それを見て安心する一方で、それを見たなら、今度は自分が緊張してくる。
確かに、昨日に一発、優勝という肩書きを掲げることができたけど、それは正直、たまたまやと思ってるくらい。
スタートひとつ、浮き上がりひとつでゴロッとタイムが変わるスプリントレース。それがたまたまうまく行っただけやと思ってる。
まぁ、それもしっかり調節して、何も違和感がなかったから、飛ぶような感じで突っ込んでいただけやと思っている。
いろいろ考えるところはあるやろうけど、今回はマジな方で勝負になるやろうと思っている。
ターンで多少ミスったとしても、後半が強ければ、挽回もできるやろうと思ってるし、むしろ、俺の場合は、どれだけ後半が我慢できるかってところやろうけど。




