Episide 101 申し子の悩み
「お疲れ。やること全部化け物やな。誰が予選2組から大会新記録出して優勝すんねん」
「俺かて焦っとるわ。こんなところまで来るとは思えへんかったし、自分でも未知の世界に入ってしもうたとか思ってるわけやし。まぁ、そんな話は置いといて、ライン、えらいことになっとんな。さっき通知見たら100とか入ってたわ」
「うち、150は行ってたで。ほとんど中学とか高校の水泳部関係者やわ。こんなに入ったことないからびっくりしてるわ」
そう言って遊菜は自分のスマホを取りだし、いろいろ見たのか、両手が素早く動く。
「うわっ、300まで増えてる。中学の時のグループラインが大荒れしてる。全部返さなあかんやん」
そこから遊菜の両手は、目まぐるしく動く時間が少しだけ続いた。
「大神、夜に時間あるんやから、そのときやりゃええやろ?今せなあかんか?」
「そう言う直ちゃんは返さんでええの?」
「俺は夜やるわ。いまはまだダウンもしてへんし、腕に乳酸が溜まってるのも事実やし、これを先に流したい。明日もレースあるんやから」
「そう言われてみればそうやな。明日のことを優先せなあかんな」
少し浮かれ気分だった遊菜だけど、直哉の意識の高さにつられてか、そんな雰囲気がピタッとなくなり、自分の荷物を片付け始めようとする。
「先生、賞状って預けとってもええ?こんなんなると思ってへんくてさ、必要最低限の荷物しか持って来てへんくてさ」
「おぉ、かまへんで。まさか、こうなるとは思えへんかったけど、大きめのカバン持ってきといて正解やな。ホテル着いたら返したらええか?」
「そうやね。賞状は手元に置いときたい」
「了解。ほんなら後で返すわな」
長浦先生はそう言うと、2人から賞状を預かり、自分のバッグの中に入れ、直哉たちが自分の荷物を片付けるのを見守った。
「直哉、悪いんだけど、先に出ててええ?ちょっと前の雰囲気に耐えられへんわ」
「うおん?……あぁ、そういうことやな。わかった。また追いかけるから、見えるとこおってや」
直哉は、チラッと前を見た後、いろいろ事情を察してくれたのか、了承してくれ、先に私は階段を降りて、会場の外に出る。
やっぱりダメだ。嗚咽を聞いちゃうと、記憶が戻ってきちゃう。これは、しばらく残るかもしれないな……。
「扇原商業のマネージャーさんかしら?」
そんな声が聞こえて、パッと顔を上げると、そこには、見覚えのある人がいた。……誰だっけ?……胸元に八大三郷と宮武という刺繍。それを見た瞬間、私の頭は一気に覚醒した。
……嘘っ!?宮武選手!?なんでこんなところに!?
「あっ、はい。そうですけど……」
「あら、すごく落ち着いているのね。水泳をしている人はみんな私のことを見て驚くものだと思っていたけど」
なんていうか、びっくりしているから声が出ないって言うのはある。
これが出待ちをしているだとか、何かしら約束して出会えたとかなら、騒いでしまうのもわかるんだけど、いきなり向こうから声をかけてきたわけだし、なんなら、無名にもほどがある私に直接声をかけてくるんだから、声にならないって言うだけある。
「あっ、いや、そういうわけやなくて。なんていうか、いきなり、本人が目の前に来はったから、ビックリはしているんですけど、声にならへんっていうか、なんていうか……」
「そういうことね。いきなり話しかけてごめんね。ちょうど出口付近を歩いていたら、扇原商業って文字が見えてさ。追いかけてきちゃった」
「直哉と遊菜ですか?」
私が直接的に聞くと、ちょっと首をひねってから、「どっちかと言えばあなたかな」なんて言われた。
「うち……ですか?」
「そう。あの子がいろいろ話してくれたのよ。『今のうちがあるんは、マネージャーのおかげだ』ってね。で、どんなことをしているのか、少し話を聞きたいなって思って」
そう言う魂胆か。ただ、私はフォームチェックを多く入れているだけ。それが宮武選手に合うかどうかなんてわからない。それでもいいんだろうか?
私が話そうかどうかと迷っていると、何を察したのか、宮武選手が話を続けてきた。
「あの子には言ったけど、私、スランプなのよね。自分では認めたくないんだけど。で、半フリに優勝した男の子に『楽しめないと女神に見放されるよ』なんて言われたけど、素人の言うことなんて。って思って、意地になっちゃったのよね。そんなので速くなるなったら、みんな速くなるって」
まぁ、言いたいことはわかる。初耳だとなおさら。でも、深い意味があることを後でみんな知るのよね。
そこに気づけるかどうかでいろいろ変わってくる。……と思っている。
「でも、目の前でその教えを守ってる2人が優勝した。それなら、少し話を聞いてみてもいいかなって思えてね。今の私、いろいろ試しているけど、まったくもってうまくいってなくて、この際、優勝者の話を聞いてみようって思って。正直、今の私、藁にもすがる思いなのよね」
それで遊菜に話を聞いて、私のことを知ったのか。
「正直なことを言うと、全部は教えられないです。企業秘密があるんで」
私の感覚は、教えてもいいかなって思いながらも、いろんなことが頭をめぐり、躊躇する。
だけど、教えてもいいかなって言う意味合いを持たせたいがために、ちょっとわざとらしさを含めて言ってみる。
もちろん、バサロ・ドルフィンキックのことだ。そんなの、ここで教えたら、たぶん、宮武選手のフォームは崩壊する。
それだけリスクがあって、まず、短期間で習得できるはずがないものを教えるわけにはいかない。それに、フォームを崩して、さらに調子を崩したら、責任なんて取れない。
ただ、もし、教えるとするなら、オフになった後、フォームをイチから作り変えるって話になれば、私のドルフィンキックを教えるかもしれない。




