第七十一話 攻略済み
「まさかキミがそこまで強かったとはね! 冗談じゃなかったんだ。アイツは私が治しておくから安心して!」
昇降口に入ると葉山がそんなことを叫びながら俺の横を走り抜けて行った。
そういえば、なぜかコイツだけは最初から全部わかっていたかのような所がある。
いったい何が見えていたのか知らないが、速水の心配は必要なさそうだ。
もしかしたら葉山は軍のやり方がそんなに好きではなかったのかもしれない。
教室まで行って自分の席に鞄を置いたら、そのまま教室にいるのも嫌だったので俺は屋上に上がることにした。
屋上は朝だというのにあまりに暑くて、とても長く居られるような環境ではない。
いくらなんでも日差しが強すぎた。
なんだか花ヶ崎と顔を合わせるのが気まずいので、このまま授業をサボってしまいたくなる。
無事に50層台が解放されたのだから、そっちの攻略を優先してもいいかもしれない。
いったい葉山には何が見えていたのだろう、なんて考えながら時間を潰していたら背後で扉の閉まる音がした。
「こんなところにいたのね」
ギクリとしてふり返えると、にやけている花ケ崎と目が合った。
急いで視線を逸らし、そのまま無視を決め込むことにする。
「あれー、おかしいわねぇ。女に興味のないはずの貴志君は嫉妬なんてするはずないのになぁ。どんな気まぐれを起こしたのかしらねぇ」
本気かよと思って振り向いたら、思ったよりもドヤ顔の花ヶ崎の顔がそこにはあった。
ただ慣れないことをしているからなのか、その顔は赤く染まっている。
天使のような姿かたちの少女が顔を赤く染めているというだけで、この世のものとも思えない可愛さがあるからたちが悪い。
「どうして逃げだす必要があるのかしら。あなたは何も悪くないのよ。お兄様にあれだけきつく言われていたというのに、私ったら貴方まで虜にしてしまったわ」
無視を決め込むつもりでいたが、さすがにそんなことを得意気に言っている花ケ崎を見たら何も言わずにはいられなくなった。
「んなワケあるか。俺は登校の邪魔だったからアイツを斬り飛ばしただけだよ。それにお前の家来だとかいう設定もあったしな。肩に手を置くような輩は、徹底的に痛めつけるのが貴族社会のルールだろ」
そんなルールあったかしらと言って、花ヶ崎は俺の顔を覗き込んでくる。
まだ得意気な顔でいる花ケ崎を見ていたら、懲らしめなければという使命感が湧いてきた。
しかし得に名案は浮かんでこない。
なのでやはり無視を決め込もうと北海道組がバスに荷物を積み込んでいるのを眺めていたら、花ヶ崎は俺の隣にやってきて手すりにもたれかかった。
「さっきの態度はとてもそんなふうに見えなかったわよ。貴方の気持ちに気付いてあげられなかったことは謝るわ。貴志は自分のことを何も話そうともしないのだもの。わかるわけないわよ。それで一条君のことばかり気にかけているから、そっちの趣味だと思っても無理ないじゃない」
「いいかげんにしてくれ」
「それでね、提案があるのだけど。あ、貴方を私専属のボディーガードにしてあげてもいいかしら」
その言葉を耳にした途端、ついに出やがったなという心境になった。
なんでもない言葉のように聞こえるがそうではない。
この言葉は花ヶ崎にとって特別な意味を持っているので、この設問にイエスと答えれば花ケ崎ルートの攻略は完了となる。
それはつまり、こいつが俺のものになるということだ。
冷静に考えればそれも悪くないかとも思えたが、果たしてそれでいいのだろうか。
そもそも俺の状況なんて、明日の朝起きたらもとの世界に戻っていたとしても大した驚きもなく受け入れられそうな境遇である。
なのに恋人を作るなんて、いくらなんでも無責任に思える。
いや、そんな言い訳で今の状況から逃げるのはやめよう。
そんなことを言いだしたら何を言ってもきりがない。
このスタイルも良くて顔もかわいい女が俺のものになるというなら不満などあるはずがないではないか。
だったら拒否する理由などない。
なんだかうまく足に力が入らなくなってきた。
たかがゲームだというのに俺はいったい何におびえているのだろう。
しかし、こんな選択肢ひとつで本当に運命が決まるなんて信じられない。
下手をしたら人生を決めるような決断になるかもしれないのだ。
「いいだろう。専属のボディーガードとやらになってやる」
いつの間にか俺はそう答えていた。
こんな簡単に女の子を自分のものにできるなら、もういっそ攻略可能な女を全部自分のものにしてしまってもいいのではないかという悪魔の誘惑が頭をもたげてくる。
俺はその煩悩を頭を振って追い払う。
「そ、そうなの」
と言ったきり、花ケ崎は動かなくなる。
本当にこれでもうこいつは俺のものになったのだろうか。
攻略本には、ここから先は自分の目で確かめろなんて無責任な言葉で締めくくられているので、このあとに何が起こるのかは想像もつかない。
自分の目で確かめるにしても何も起らなくて、ついには俺が暑さに耐えきれなくなった。
「話が済んだなら教室に戻ろうぜ」
そのままいつまでも花ヶ崎が動き出しそうにないので、俺はそう促した。
屋上から出て冷静になって校舎の中を歩いていると、当然ながら俺は尋常ではない注目を受ける。
昨日の夜にはテレビのニュースにもなったくらいだから当たり前だ。
未成年だからなのか、俺の名前は伏せられていたそうである。
たまに聞こえてくる魔人殺しとかいう安酒みたいな呼び名はもう定着してしまったのだろうか。
女生徒がひとり犠牲になっているはずだが、その話題は聞こえてこない。
まさか魔人は架空の生徒に化けていたのだろうか。
教室に戻ってきたら、なぜか笑顔の一条に出迎えられた。
その隣には風間もいる。
「今朝の騒ぎを見たよ。あんな簡単に倒してしまうとはね」
朝の騒ぎというのは、きっと速水を斬り飛ばしたことを言っているのだろう。
「凄いじゃないか。まさか魔人なんてものに勝てるほどの実力者だったなんてね。そんな実力を隠していただなんて人が悪いなあ。昨日は興奮しすぎて寝られなかったよ」
風間がはしゃいでいるが、その様子に少しだけ不安を覚える。
本来ならば北海道組に負けた悔しさをバネにしてダンジョンダイブに励むはずなのだ。
それを俺が勝手に解消してしまって良かったのだろうか。
「俺もいつかは高杉のような高みにたどり着いて見せる」
一条はこう言っているのだから心配しなくても大丈夫なのだろうか。
俺の不安をよそに、二人は俺の活躍を自分のことのように喜んでくれている。
しかしこうまで全力で受け入れられてしまうと、なんだか逆に気まずい。
「頑張ってくれ」
「ああ、君のことを誤解していたことはこの場で謝ろう」
「なにか隠しスキルでも見つけたのかと思っていたんだ。でも、そんなレベルじゃなかったね。純粋に攻略が早いだけだとは思わなかったよ。僕らはひどい誤解をしてたみたいだ」
「別に気にしてない」
ならばこれからもダンジョン攻略を頑張ってほしい。
一条にはギルドに入らないかとも誘われたがそれは断った。
それで切り抜けたと思っていたら、周りから話しかけられてどうにも教室内は居心地が悪い。
それでも我慢して授業を受けていたら、休み時間になって花ケ崎が立ち上がり言った。
「お手洗いに行くわ」
そうかよと聞き流したが、ふいに屋上での約束を思い出す。
よく考えたら、こいつは教室内でお手洗いに行くなんてことを言い出すような奴ではない。
ボディーガードになったのだからついて来いということが言いたいのだろう。
しかたなく立ち上がると、俺はトイレのある校舎の外れまで付いて行った。
もう攻略済みとなったはずなのに、こんなことに付き合わせるばかりで、この女にはいっこうに俺のものになる気配がないな。
まだシナリオが続きそうな感じがする。
ここで待っていなさいと言われて、言われた通り廊下で待っていたら瑠璃川がやってきた。
「アンタ、いくらなんでも強すぎるわよ。絶対に24層よりも下に行っているわよね。怪しいと思って、アンタに渡されたリングと指輪を鑑定に出してみたのよ。そしたら、まだ発見されたこともないSレアだと言われたわ。これは、どういうことなのよ」
そう詰め寄ってきた瑠璃川はどういうわけか顔が赤い。
もう攻略階層なんてばれても構わないような気がするが、これ以上騒がれても面倒だ。
しかしコイツを騙すのは神宮寺のような奴と同じわけにはいかない。
「どうして何も言わないのよ。こんな高価なものをくれるなんて、もしかして私に気があるの」
「まさか」
どうしたらそういう解釈になるのかわからないが、口先だけで誤魔化すのも無理そうだ。
ついでに、こいつのことも攻略してみるか。
少しは素直になるかもしれないし、実験台として瑠璃川は適任なように思える。
それに攻略本にあった攻略済みという言葉の真意を確認しておきたい。
俺はアイテムボックスの中から魔人の落としたリングを取り出した。
アスラのリング(SS)
HP+1000 MP+500 究極魔法使用可 ダメージ軽減+50
強そうに見せて俺の低い魔力では究極魔法も意味が無いし、花ヶ崎は最終クラスに就けば使えるようになるからまったく必要のないアイテムである。
究極とは言っても使用MPが多くて、魔力強化バフが無いと威力もないという魔法だ。
魔人のドロップアイテムについては、すでに俺の端末に貴族連中から都内に家が買えるような値段で複数のオファーが来ているから、売るのは難しくないはずである。
こいつの希少性を考えれば、もっと値がついてもおかしくない。
「やるよ」
そう言って俺はリングを投げ渡した。
「こ、これって昨日の魔人が落としたアイテムじゃないの。いったい何を考えているのよ」
「金に困ってるんだろ。だったらそれを売ればいい」
瑠璃川の実家は借金があって、貢いだ金額が一定を上回れば攻略できるというキャラである。
だからこれで条件を確実に満たしたはずだから瑠璃川ルートも攻略済みになったはずだ。
はたしてこいつは俺のものになったのだろうか。
胸か尻でも触ってみれば確認できそうだが、どうもそういう事をしてみる勇気は湧いてこない。
意を決して刀の鞘でもって、呆けている瑠璃川のスカートをまくり上げようとした。
瑠璃川は下着が見える寸前でひらりと身をかわした。
「さ、最低! さては私のことを金で買おうというつもりなのね。このロリコン野郎!」
そう言って、俺にリングを投げつけると瑠璃川はどこかへと行ってしまった。
この実験で確定したことは、やはり攻略したというだけで即俺のものというわけではないようだ。
そして個別ルートに入ったからと言って、抜けだすことが不可能なようすもない。
それでもまだ不確かなことは多いので、やはりこういうことは伊藤か佐藤にでも聞いてみるのが手っ取り早いように思えた。
ゲームでもあの二人は仲良くなればアドバイスをくれるようになるらしいから、放課後になったら漫画研究会にでも顔を出してみよう。
「今、何をしていたのかしら」
ぞっとするような声がしてふり返ったら、見たこともないような顔をした花ケ崎がそこに立っていた。
「た、ただの実験だよ。勘違いするなよ。別にやましいことはしていない」
「そうかしら。校内で堂々と売買春をしようとしていたようにしか見えなかったわよ」
「だ、誰がそんなことするか」
「そうなの。だったらそのリングは私が貰っても問題ないかしら」
それでアスラのリングは花ヶ崎に取り上げられてしまった。
たったこれだけのやり取りだというのに、なんだかひどく疲れた。
しかし立ち回りの悪い花ヶ崎にはもっと防御寄りのリングが必要だろう。