第七十話 戻ってきた日常
「お兄様からの情報だと、軍は貴方から手を引くことにしたそうよ」
深夜に呼び出されていつもの屋上にやってきたら、機嫌のよさそうな花ケ崎にそう言われた。
「どういう意味だ」
「VIP用の観覧席からは戦いぶりがよく見えていたということではないかしら。よほど怖がらせたらしいわね。いったい何を見せたら日本軍が恐慌状態になるというのかしら」
「なんの話だよ」
そんなシナリオがあっただろうか。
力を認められたら色々と手助けしてくれるようになるはずなのだが、変なシナリオのフラグでも立ててしまったのだろうか。
俺の記憶ではここで協力してくれるようになるか、協力が後回しにされるかの分岐しかなかったはずである。
「なんでも、あの男には絶対に手を出すなという通達まであったそうなの。いったい何を見せたというの。まあ、なんとなく想像はつくのだけど」
戦闘中にクラスチェンジするという荒業は使ったが、そのことではないだろう。
あれ自体はかなり練習が必要だったわりに、クラス自体にスキルがついている最上級クラス以外でやっても意味が薄い。
DLCで追加されたクラスは使ったが、そんなの見た目ではわからない。
「どうだろうな。瞬歩のことを言ってるのか。まあ見ようによっては瞬間移動みたいに見えることがあるかもしれないけど、あれはただの移動スキルだ」
瞬間移動なんて、相手が使えるとわかっていれば戦闘において特に脅威ということはない。
回避できないスキルの方がよっぽど脅威度は高い。
そもそもあれは飛び道具対策というだけのスキルである。
しかし本物の瞬間移動なんてものを使われた日には、情報面においてすべて筒抜けになってもおかしくないと考える判断はあるかもしれなかった。
「それだけでも十分なのではないかしら。だいたい貴方には、あの天地を切り裂くような攻撃があるのだもの。それだけでも十分すぎるわよ」
攻撃が敵に当たった時に出るダメージエフェクトは威力に比例した表現になる。
俺のスキル発動はすでに5段階目のエフェクトが出るようになっていた。
花ヶ崎が言っている天地を切り裂くうんぬんはそのことだろうと思われた。
「どうかな。近代兵器の方がよっぽど派手だぞ」
「それに貴方には魔法も効かないと学園の三年生が証言したそうね。軍の倉庫を覗いたのも良くなかったかしら。あれでかなり警戒したそうなの」
それを話したのは藤原とかいう竜崎に絡んでいた貴族だろう。
そういやそんなこともあったな。
ずいぶん昔の話だが、そんなとこまで調べられていたらしい。
だったら冗談のつもりだった48層攻略あたりのことだって調べられていてもおかしくない。
「だけど倉庫荒らしはお前の仕業だろ」
「向こうはそう思っていないということね。一瞬でそんなことまで嗅ぎつけられたなら、情報が洩れていると感じてもおかしくはないでしょう。タイミングが良かったのね。かなり大きな組織が関わっていると思っているのかもしれないわ。仮面の男に続いて、また二刀流の男が現れたんですものね。しかも新しい二刀流は前よりも強いのよ。軍が全滅を恐れたとしても無理はないわ。でも良かったわね。これで余計なことは心配しなくてもよくなりそうじゃない」
なにも良くはない。
勝手にシナリオから離脱されてはこちらの予定が狂ってしまう。
しかし考えてもみれば、これはもともとのシナリオの方にも無理があったというものではないだろうか。
49層のキーパーボスを目の前で倒されて、素直に協力しますとなるのは無理がある。
「まあ、そういうことならそれでもいいか」
俺がそう言ったら花ヶ崎が大きなため息をついた。
こいつがあわてていないのなら、それほど深刻な事態にはならないはずである。
「そう、貴方がいいならそれでいいわ。それでは解散にしましょう」
お休みなさいと言って、花ケ崎は俺に背を向けて屋上から出て行った。
軍が手を引くと言うのなら、勝手に東京の探索者を排除するのもやめてくれるだろう。
これで関東のダンジョンが少しでも平和になってくれるのならそれでいい。
俺はそのことに少しだけ安堵しながら女子寮のビルを飛び降りた。
朝起きて端末の電源を入れたら、新着メッセージの数が90件を超えている。
誰も部屋まで来なかったのは誰も俺の部屋番号など知らなかったのだろう。
食堂で朝食を食べていたら魔人殺しというワードが聞こえてきてうんざりする。
校舎に行こうと寮を出たところで神宮寺たちの待ち伏せに遭遇し、さらにうんざりした。
なぜか隣には二ノ宮までいる。
「魔人を倒したのは君ってことで間違いないんだよね」
「まあな」
「た、高杉は黒仮面様とは別人ということで間違いございませんわよね!」
二ノ宮から鬼気迫る顔でそんなことを言われる。
なぜか顔が赤い。
そういえばこいつには裸で迫られたことがあったっけ。
「別人だよ」
「ほ、ほらね。だから違うって言ったでしょ。沙希ちゃんの早とちりだよ」
「そ、そうなのですか。安心しましたわ」
「だって高杉は二刀流じゃないもん。もし高杉が黒仮面様だったら私の初恋がけがされちゃうよ」
と言ったのは神宮寺である。
なんと似合わない台詞だろうか。
「黒仮面の中身は男だと思うけどな」
「はあ? 私が男に見えるって言いたいわけ。町一番の美少女と言われてた私に向かってよくそんなことが言えるよね。20層のことがなかったら槍の錆にしてるとこだよ」
「それにしても、よく魔人なんてものを倒せましたわね。あれはいったい何なんですの」
「さあな」
「まあ高杉の攻撃力だけは凄いからね。きっと、まぐれで倒したんじゃないの。もしくは魔人とか言っても弱かったとかさ」
「そんな馬鹿なことありえませんわ」
「凄く強かったよ」
俺はこいつらの相手をするのも面倒になりながら言った。
女子寮の前まで来たところで、花ヶ崎と音無が下に降りてきた。
「ごきげんよう。こんなところで何をしているのかしら」
「あら、花様。ごきげんよう。今、高杉に昨日の武勇伝を聞いていたんですのよ。こんな拾い物をするなんて花様は先見の明がありますわね」
「え、ええ、私も鼻が高いわ。よくやったわね、貴志」
「ああ……」
まだその設定は生きていたのか。
そのままいつもの四人で歩き始めたので、俺は少し距離を取ってその後ろを付いていった。
昇降口の近くまで来ると、速水がつっ立っているのが遠くに見える。
俺たちに気付くなり真っすぐこちらに向かってきた。
俺がまた何か言われるのかと思ったが、速水は花ヶ崎の前までやってきて立ち止まった。
どうやら俺に用事があるわけではないようだ。
「ちょっといいか」
「なにかしら」
横からでも花ヶ崎の顔が強張ったのがわかる。
いつもの人見知りを発揮しているだけだろうから心配するようなことではない。
むしろこんなふうに男からアプローチされることには慣れているはずだ。
いや、やたらと身分が高いからそんな経験もあまりないのだろうか。
「急な命令で今日中に帰らなくちゃならなくなっちまってよ。その前にどうしても言っておきたいことがあってさ」
「まさか愛の告白をする気ではございませんわよね。身分というものを考えたことがあるのかしら。いくら何でも無礼というものよ」
なぜか俺はいけ好かない二ノ宮の言い分の方を応援したい気持ちになっている。
「そんなの知るか。ごちゃごちゃ言う奴はみんな実力で黙らしてやる。いつかは六文銭でさえも超えてみせるよ。そうすりゃ誰にも文句は言わせねえ」
「そういうのは越えてから口にすべきですわ」
「チッ、うるせえな。お前には関係のない話だろ。それよりも花ケ崎さん、こんな卑怯者の雑魚じゃなくて、俺を仲間にしてくれないか。そしたら学校なんかやめてこっちに残ってもいい」
卑怯者の雑魚という時、速水は明らかに俺に向かって言っていた。
まあなんとでも言ってくれればいい。
そんな台詞は聞き飽きてる。
「貴方、軍からの連絡事項は読んでいないのかしら」
確かにそうだ。
こいつは気絶していたから、あの決勝戦のあとで起こったことを知らないのだろう。
軍からは俺に関わるなとの命令が出ているはずだし、こいつにだって連絡は行っているはずだ。
気絶したまま朝を迎えて、周りから今日帰るとだけ教えられて直情的に動いているのだろうか。
「なんのことだよ。それよりも返事を聞かせてくれ。俺ならいつかは新層のキーパーボスだって倒して見せる。反対する奴はみんなぶっ飛ばしてやるよ」
24層くらいでみんなぶっ飛ばせるわけがない。
何年もダンジョンに籠ってる奴らの中にはもっと上がいるのだ。
「悪いのだけど、お断りするわ」
と花ヶ崎は静かに言い切った。
「どうしてだよ。まさか俺よりもこんな卑怯モンの方がいいとか言うんじゃねえだろうな。おい、嘘だろ。実力じゃなんもできねえ、こんなカスがいいのかよ」
花ヶ崎が何も言わないのを見て肯定と受け取ったのか、俺だけやたらとひどい言われようである。
「言いすぎだぞ」
と言ってみたが、俺の言葉など誰も聞いていない。
「話はもう終わったわ」
「待てよ!」
花ヶ崎がそう言って立ち去ろうとしたら、速水はその肩に手を置いて引き留めた。
その後のことはよく覚えていないのだが、花ヶ崎が悲鳴を上げたのと同時に俺の手には抜身の日本刀が握られていた。
速水の姿はなくなっていた。
何が起こったのか確認していたら、なんだか焦げ臭いにおいがする。
よく見たら正宗の刀身に引っ付いていた速水だったものが燃えていた。
「あっち!」
俺は正宗を振って火を消した。
どうやらやってしまったらしいが、この世界なら速水はまだ生きているだろう。
花ヶ崎には背中を向ける形になっているが、なんだか怖くて振り返ることができない。
「あれー、おかしいなあ。気がないふりしてたのに、嫉妬でついつい手が出ちゃったのかなぁ」
背後で神宮寺の嬉々とした声がする。
なんて嫌な奴だろうか。
俺は振り返ることもできずに、速水に回復魔法だけかけてその場を後にした。