第六十七話 表彰
その日の朝は、布団の中に潜り込んできた音無に起こされて目が覚めた。
レベル上げを手伝ったことで攻略本にあった好感度イベントが起こってしまったようだ。
「なにをしているんだ」
「夜這いという風習を試しているの」
薄暗い部屋の中、端末を確認すると時間帯としては夜ではなくもはや早朝である。
それに好感度イベントとは名ばかりで、まったく好感度の高さは感じられない。
きっと研究所の奴らにでも言いくるめられてやっているのだろう。
研究所はアンロックのような魔法まで研究しているので、ドアの鍵などに意味はない。
「悪いが、そういう気分じゃないな」
「そうなの」
驚くほどの聞き分けの良さで音無は俺の布団から出て行った。
このゲームは複数の女の子が同時攻略可能だったから、本来なら断る理由などない。
しかし何も知らずに研究所の言いなりになっている彼女に手を出すほど鬼畜にはなれない。
断られた音無は気にする素振りもなく、俺のベッドから出ると脱ぎ散らかしていた服を身につけ始めた。
ひどく痩せていてあばらの浮いたその身体には、健康的な要素が一つもない。
きっとダンジョンで得られるステータスが無かったら、日常生活にも苦労していただろう。
下着を身につけるのに苦労している後ろ姿は、なんだかとても不憫なものに映った。
「そんなに見られていたら恥ずかしいわ」
それは本心であるらしく、そう言った音無の頬は赤く染まっている。
俺は慌てて視線を逸らした。
「悪い」
「高杉君はどんな女の人が好みなのかしら。参考に聞かせて欲しいの。やっぱり花ヶ崎玲華のような女の子がいいのよね」
なんと答えたものだろうか。
参考と言っているから、おそらくそれを目指すつもりなのだろう。
花ヶ崎も痩せすぎなくらいだから、どうせならもっと健康的な体を目指して欲しいものである。
よくよく考えてみると、クラスにいるのは二次元的なスタイルの美少女ばかりだから、どいつもこいつも栄養失調に片足突っ込んだようなのしかいない。
俺は思いつく中で一番健康的なやつの名前を出した。
「天都香とかいいんじゃないか」
「そうなの。参考になるわ」
そう言って立ち上がった音無は、いつもの制服姿に戻った。
そしてまたあとでと言い残して俺の部屋から出て行った。
俺であっても条件を満たせば、こういったイベントが起こるということは驚きである。
義務的過ぎてまったく嬉しくはなかったけどな。
なぜか全校集会で俺は神宮寺や音無とともに表彰を受けた。
クラス内で噂になっていたところ、それが新村教諭の耳に入ってしまったためだ。
20階層突破という校長の言葉にどよめきが起こったが、士官学校生たちだけは醒めたような目で壇上の俺たちのことを見上げていた。
士官学校組に負けないくらい俺も冷めた気分だったし、音無は喜びもしなかった。
しかし士官学校組にとっては、見た目よりは危機感を覚えているはずである。
ゲームだったら20層くらいで大げさなという感想にしかならないだろうが、現実となった世界では小細工抜きで攻略出来たら偉業と呼べるレベルだ。
少し目立ちすぎなきらいも感じるが、考えてみれば悪くない判断だったと思える。
本来のシナリオでは一条たちが18層に近づいたあたりで、ダンジョン内の抗争は自然と落ち着いているはずだった。
それがそうなっていないのは、たぶん俺が伊集院響子の暗殺を止めてしまったことが関係しているのだろうと思われる。
そして俺がパンドラを倒しても抗争は終わらず、さらなる悪化を招いた。
本来なら軍に見放されていたであろうパンドラは、一条たちに負けた時点で18層からの撤退を余儀なくされるはずだったのだ。
大手ギルドが健在のままシナリオが進んでしまっていた矛盾が原因だろう。
これで一条のギルドに注目が集まれば、軍の暴走も少しは収まってくれるかもしれない。
ただノワール健在のままでは軍の目的は達成されていないし、一条たちのギルドもそこまで大きくなりようがないので、これからどうなるのかわからないところである。
それでも神宮寺が20層を突破したことで、軍も少しは一条のギルドに関心を持つはずだから、パンドラの動きも抑えてくれるのではないかと思う。
そうなれば軍も一条たちに接触を図るのではないかと思われた。
軍や研究所に関わらなくともシナリオを進めることはできるが、それでは結構な縛りプレイになってしまう。
上位クラスを開放するためには、中位クラスの情報を複数持っていなければならない。
最終クラスに関してはDLCで追加されたおまけ要素の部分も多いので、なくともゲームをクリアすること自体は可能となっている。
だから一条たちには、なんとか上位クラスまではたどり着いて欲しい。
「チッ、20層の敵を倒したくらいで浮かれやがって」
教室に戻ってきたところで、わざわざ俺たちに聞こえるように速水が言った。
「あら、このくらいは別に大したことじゃないわ」
速水の声が耳に入ったのか、クラスメイトに質問攻めにされていた音無がわざわざ振り向いてそう言った。
たしかに彼女にとっては大したことでもないだろう。
もともとシナリオの最終段階からパーティーに入り、無茶なパワーレベリングでも十分に通用するような性能を持たされているのだから、20層くらいでどうこうということはない。
俺が手助けする必要すらなかったかもしれない。
この短期間にレベルもクラス内の上位になっているし、すでに性能だけなら一条も上回ってしまっているはずだから、いかにいい加減な調整のされたキャラであるかわかる。
「マジですごいじゃないの。そこまでだとは思わなかったわ。東京組もやるわね。上官たちの間でも、このクラスだけは別格だと言っていた理由がわかるわ。とりあえず、おめでとう」
葉山は笑顔で俺に向かってそんなことを言う。
速水とは違って、特に焦っているような印象は受けない。
本当に喜んでいるような感じだった。
「大したことじゃない」
「へー、そうなんだ。でも気をつけなよ。これで目をつけられることになるからね。──って言っても、あまり気にしてない感じか。今回は桜華学園に危機感を持たせるのが私たちの役目でもあったんだよね。だから対校戦はどんなことをしてでも勝つつもりでいるんだよ」
「勝てるといいな」
そんなのはもう俺のスケルトンが阻止すると決まっているのだ。
かなりハードなパワーレベリングで鍛えているから、士官学校生に負けることは考えていない。
たまたま強い召喚スクロールを手に入れたことにする作戦だった。
「馬鹿にしちゃって、どうなっても知らないからね。ああ見えて速水は一年で選抜組に抜擢されるほどなんだよ。士官学校生の中でも頭一つ抜けてるからね。うかうかしてると彼女を取られちゃうかもよー。狙ってるんだってさ。面倒なのに目を付けられちゃったね」
そう言って、葉山は後ろにいた花ケ崎の方をチラリと見た。
どうしてみんなそういう勘違いをするのだろうか。
よくわからないが、こいつらにまつわる面倒事ももうすぐ終わりになる。
「大会は明日だろ。終わったらすぐに帰るのか」
「まあね。任務もうまくいったことだし、私たちとしてはもう用事が済んだも同然だから」
そう言って、葉山は自分の席に帰っていった。
士官学校生では唯一、彼女だけが俺たちの20層攻略を喜んでいるような感じがする。
大会当日は休日になるらしいから、俺としては寮で寝ていた方がマシだった。
「デバフなんてのはね、気合で跳ねのけるのよ。見た目が不気味なだけで、死神なんて大したことなかったよ」
俺は馬鹿な自慢話をしている神宮寺が机に座っている自分の席についた。
「そんなことができますのかしら」
「気合ではちょっと無理」
「まあ、最初はかなり厳しかったんだけどね。あっ、そうだ。明日の大会は見に行くからね。ぜひとも勝ってよ。キミが負けたら20層を攻略した意味が無くなっちゃうよ」
やはり一条に20層攻略は無理だったらしく、俺が代表になることについて何かを言ってくるということはなかった。
まずはパンドラのカズに勝たなければ18層でのレベル上げもできないし、その上で20層台を攻略するのは時間的に無理があったのだろう。
「お前は自分のレベルのことしか考えてなかっただろ」
「それでも負けたりしないでよ。せっかく見に行くんだからさ」
「私も応援に行きますわ」
「私も行くから」
音無までが見に来るつもりでいるようだ。
だけどそんなに席が余っているだろうか。
個人戦に出る竜崎と二階堂は注目度が高いので、見に来る生徒は多いだろう。
速水の方は大会を前にしても気負ったような様子は全く見られなかった。
今も伊藤と佐藤の二人を相手に、よくわからない話で盛り上がっている。
「ということは、速水殿は特殊部隊への所属を希望しているというわけですか」
「ああ、まずはレンジャーを志願するつもりだよ」
「おお、陸軍ですか。意外ですね」
「対テロ戦とか人質救出とかをやりたいからな。戦争中でもないのに海軍を選ぶ理由もないだろ。俺はとにかく実戦がやりたい」
「なるほど、なんとなくわかるような気がします。まあ、日本の場合テロと言っても、ほとんどは罪を犯した探索者でしょうけどね。人質事件だって滅多に起こらないし」
「まあな。それにしても最近は探索者の質が下がりすぎだぜ。特に東京はひどいな。ダンジョンの高層なんて、まるで無法地帯かと思うほどだ。六文銭があんなに引退しちまったあとじゃ、こうなるのも仕方がねえことなのかもしれねえけどよ」
「我々も卒業後は空挺を志願する予定です」
「そっちは選抜が厳しいらしいぞ。よくやるよ」
伊藤も佐藤も、そっち方面に明るいらしく話が盛り上がっている。
伊藤と佐藤の二人も軍に就職したいようなことを前に言っていたのを聞いたことがある。
攻略本によれば、暗殺者や侍のような対人に特化したスキルを使いこなすのが軍人系NPC特有のビルドだそうである。
大剣を使う速水は、軍としては探索者として育成しているはずだから、たぶん彼の転属願いは通らないと思われる。
旧日本軍に特殊部隊があったとは思えないから、たぶん新しく創設されたのだろう。
この世界の陸軍と海軍はそういった特殊作戦部隊を複数持っているそうである。