第六十五話 手伝い
20層に入った神宮寺は、こいつ大丈夫なのかと思うほどびびって小刻みに震えていた。
少し後ろを歩いていた普段と変わらない様子の音無に、俺はそれとなく聞いてみる。
「いつもこうなのか」
「そんなことないわ。今日はちょっと様子が変よ」
まあ20層が危険だということはずっと周りに言い聞かされてきただろうし、それも当然の反応なのかもしれない。
一応は俺も話を合わせておいた方がよさそうだ。
「やっぱり玲華ちゃんも連れてくればよかったかな。帰ってくるまで待てばよかったよ」
「レベルをあげたいんだろ。だったら三人がベストだ。腹をくくってやろうぜ。怖いのは俺たちも同じなんだからさ」
「そ、そうだよね」
「私が先頭をやるわ」
そう言って、音無が先頭に歩み出た。
音無がどのくらいタンクとしての性能があるのかは、まだこの目で見たことがない。
しばらくふらふらと歩いていたが、さっそく死神のような敵が現れて音無は何も言わずにいきなり敵に向かって走りだした。
俺も刀を抜いて音無の半歩後ろにつける。
神宮寺も俺のあとをついてきた。
「本当にちびりそうだ」
雰囲気を盛り上げるために俺はそう言った。
「平気よ。攻撃は私が受けるわ」
眼前に迫ったリーパーは、いきなりレベルダウンの呪いを音無に入れた。
しかしそれは音無のパッシブアビリティである人工生命体によって打ち消される。
音無は無造作に剣を振り上げると、容赦なくリーパーを切りつけて敵のターゲットを取った。
それに合わせて、俺と神宮寺も前に出て敵を取り囲む。
いきなり音無が敵の攻撃を食らって、吹きあがった血煙が俺の顔にかかった。
間髪入れずにハイヒールを入れて、俺はリーパーの攻撃を何度か刀で弾き返し、音無と神宮寺が一通りの攻撃を入れたところを見計らってから薙ぎ払いを放つ。
そしたら、リーパーはきりもみしながら吹っ飛んでいって、壁にぶつかったところでアイテムに変わった。
「た、倒したの」
神宮寺が目をぱちくりさせながら俺にそう聞いてきた。
俺は驚いたのが表情に出ないように気をつけながら、重苦しい口調で言った。
「どうやらそうらしい」
「ていうかさ。やっぱり君の攻撃力、どう考えてもおかしいよね」
リーパーの奴が弱すぎるのだ。
こんなにも弱かったかと、俺にとっても意外だった。
最初に戦った時はソロだったこともあって返り討ちにされている。
「まだ一体目だぞ。油断するな」
俺は神宮寺の言葉を流して、そう言った。
「ちょっと待ってよ。絶対におかしいじゃん。敵が変な風に飛んでいったもん」
「べつに普通だろ。おかしなことなんてない」
ツバメ返しで倒せば敵はすぐに消えてなくなるのだが、なぜか通常攻撃だと攻撃力に応じた動きになるので、不自然なほど敵が飛んでいってしまう。
どちらで倒したほうが不自然でないのかは難しいところだ。
「そうよ、おかしなことなんてないわ。よくあることよ。変なこと言うわね」
音無は俺を庇ってそんなことを言っている。
首が離れそうなほど斬りつけられたばかりだというのに、いつもと同じ無表情である。
研究所の奴らも情報を抜いていることは知られたくないから、こうして音無が俺を庇ってくれているのだろう。
俺の情報を洩らす気がないのはありがたいが、不自然さだけは隠しきれていない。
「そうなのかな。なんかおかしいんだよね。でも、これなら大丈夫そうじゃない」
神宮寺が変なフラグを立てたせいで、次はリーパー三体が同時に現れた。
当然ながらすべてのターゲットを音無が取れるわけもなく、俺と神宮寺にもレベルダウンの呪いが入れられて、しっかりと10レベルも下げられてしまった。
レベルを下げられた神宮寺が攻撃を受けて、真っ赤な傷口がその腕に走る。
かすっただけだというのに、さすがにレベルを下げられた状態では一撃の重さが尋常ではない。
回復のタイミングだけはミスれない俺は、ほぼすべての攻撃を食らいながら戦うことになった。
これはちょっと安易に考えすぎていたかもしれない。
戦いが終わって端末を確認した神宮寺も顔を歪ませている。
「結構ヤバかったな」
「めちゃくちゃすぎるね。ここまでステータスをさげられたら、普通はダメージなんて入れられないじゃん」
「バフが消えてもいいなら、呪いは俺が解除できるぞ」
「MPがもったいないからいいよ。この槍なら、呪われていてもダメージを入れられるみたいだし、バフが無くなっちゃったら攻撃をかわせないよ」
「そうね。私も必要ないわ。私に呪いは効かないみたいなの」
「き、効かないって……」
音無は神宮寺の言葉に反応もせず、次の索敵にかかる。
俺はあくびをかみ殺しながら、その後に続いた。
「ビビらされたわりに大したことなかったな。リーパーもちょろいぜ。やっぱり神宮寺のその槍が強いんじゃないのか」
「そ、そうなのかな」
「そうよ。槍がいいのね」
無邪気な顔で音無が俺の言葉を肯定するから神宮寺も反論できないでいる。
音無は食べていたサンドイッチを置くと、缶コーヒーのタブを開けて俺にくれた。
今日の昼飯は音無が持ってきたものである。
研究所の奴らが作ったものだろうから、いちおう毒無効の指輪を装備してから食べている。
昼食の後はだんだんと神宮寺が本調子になってきて張り切り始め、俺たちはろくに休憩も取れないまま敵と戦い続けた。
MPが常にカツカツなので、言うほど俺の方にも余裕はない。
20層台を3人で攻略しているとなれば、この世界ではもはや英雄レベルの異業と言ってもいい。
北海道の士官学校生の一件さえなければ、ニュースになってもおかしくないくらいだ。
現に、ノワールは大々的に宣伝していたしな。
次第にレベルも上がって来て神宮寺も最初ほどのダメージは受けなくなった。
今の神宮寺は怖いものなしだろう。
「そろそろ帰らないかしら」
探索のペースに、多少うんざりした様子の音無が言った。
彼女に喜怒哀楽の感情が出るのは相当にレアだ。
うんざりはしているようだが、それでもやはり感情がちょっと薄いような感じだ。
「そんなもったいないこと言わないでよ。でも危険な階層だし無理はよくないかな。明日もあることだしね」
「そうだ。俺だってもう疲れたぜ」
「よくそんなだらしないことで、そこまで強くなれたよね」
神宮寺が呆れたような視線を俺たちに向ける。
俺たちはそこで切り上げて、地上まで戻ってきた。
帰りに18層を通ってきたが、誰一人として俺たちに話しかける奴はいなかった。
「今日はとっても有意義だったわ。これもあなたのおかげね」
「そりゃよかった」
「私も信じられないくらいレベルが上がったよ。これでもう北海道の人たちにでかい顔はさせないからね。それにしても、あのくらいで誰も攻略できなくなるものなのかな」
その日はダンジョン前で別れたが、次の日も朝早くから迎えが来る。
昨日と同じように18層を抜けようとしたら、またパンドラ連中に絡まれた。
こいつらも20層を攻略したなんて信じられないのか、今日になったら根掘り葉掘り聞いてこようとしていた。
「おい、どうしてまだ生きてるんだよ。本当に20層に行って無事だったのか」
「お前らどんなクラスを開放してるんだよ」
「うるさいなあ。そんなの答えるわけないでしょ。こんなに雁首そろえて20層にも行けないなんて情けなくないの」
神宮寺の馬鹿にしたような言葉にもパンドラ連中は何も言い返せない。
20層で安定してしまえば、18層で得られる経験値とは桁が違ってくる。
だから、もはや神宮寺たちにとってパンドラは脅威になりえない。
一日とは言え、格上狩りと格下狩りではその経験値差は100倍以上も開くのだ。
これで一条たちものびのびとやれるようになるだろう。
そして休みが明けたところで、全国から対抗戦に出場する選抜組が学園にやってきた。
そいつらは他のクラスに配置されたので、Dクラスは休み前と変わらない。
花ケ崎も月曜には実家から帰ってきた。
「高杉と蒼ちゃんのおかげかな」
週明けの教室内でひとしきり自慢した神宮寺が、自分の椅子だと勘違いしている俺の席に腰かけながらそんなことを言っている。
あまり吹聴して欲しくないが、こいつを黙らせる方法はない。
「それは本当なんですの。真っ当にやっていては絶対に攻略不可能だって聞きましたわよ。20層と言えば、死に神に魂を刈り取られるだけの場所だと聞きましたもの。あれに勝てるのは100年に一度の天才だけという話ですわ。ギルド単位でも、六文銭以外で倒したなんて、聞いたことがありませんもの」
「つまり私たちは百年に一度の天才なんだよ」
「よかったじゃないの。大したものね」
と言いながら、花ケ崎は俺のことを睨んでいる。
きっと神宮寺の嫁ぎ先の心配でもしているのだろう。
「次はヒーラーも育てたいから、洋子ちゃんあたりを連れて行ってやりたいかな」
「私なら、そんなところは絶対に御免ですわね。話を聞いているだけでも生きた心地がしませんもの。でも高杉はまた強くなられたんですのね」
「停滞気味だよ」
神宮寺の自慢話を聞いている速水の顔にも焦りの色が見える。
これは悪くない傾向だろう。
あいつらだって自分たちの力だけで攻略したわけじゃないし、そもそもそんな実力も才覚もない。
ところがこのクラスにいるゲームヒロインにとっては、20層くらいなら初期ステータスだけのゴリ押しでも何度かやっているうちには安定することもあるのだ。
そんな格の違いを見せつけられてしまえば、絶望するなという方が無理な話だ。
そのあたりの設定の理不尽さには俺だって舌打ちの一つもしたくなった過去がある。
まあ俺の場合はなみの理不尽さではなかったが。
しかし主人公である一条までもが、打ちひしがれたような顔をしているのはなぜだろうか。
まさかこいつが逆境に弱いとか、そんな設定はないよな。
本来のシナリオなら、主人公が攻略階層でクラスメイトに負けるなんて展開は存在しない。
負けたとしても、それはシナリオ上の都合で外部の生徒に負けるくらいである。
まわりの奴らを助けたいなんて言っていたくらいだから、まさか自分たちが助けられる立場になるなんて思ってもみなかっただろう。
だが、いくら神宮寺でも対校戦までに北海道組を抜くのは不可能だ。
となれば、やはり対校戦は俺が出なければならない。