第六十四話 20層台
コンテナを写真で撮っていた花ケ崎が、端末を見ながら言った。
「お兄様に確認したら、大きさから見て大型の麻酔銃のようなもので間違いないらしいわね。かなり射程の長いものだそうよ。どうやら軍は暗殺計画を邪魔した仮面の男をまだ許してはいないようね。どうなの。これを見てもまだ、あの仮面を付けて出歩く気になるのかしら」
「でも麻酔銃なんて俺に刺さらないし、細菌兵器だって効かないはずだぜ」
最近になってあらゆる毒とデバフに耐性がある、アフロディーテのエンゲージリングなる指輪を手に入れた。
複数出ているので、花ヶ崎にも一つ持たせている。
デバフの中には熱病や感染症などといったものもあるため、細菌兵器さえ効かないと思われる。
それに銃だって効かないのに、麻酔銃の針なんか余計に刺さるわけがない。
「針ではなく液体の入ったガラス球を打ち出すらしいわ。これが効かないとなったら、次は大砲でもなんでも持ち出してくるだけよ。これでわかったでしょう。相手も本気なのよ。私がここまでして相手の本気を証明してあげたのだから、もう二度と仮面の男にはならないと約束しなさい」
べつに仮面を被る予定もないのでそれはかまわない。
「それはいいけど、お前もこんな危険なことはもうやめろよな」
「私だってやりたくてやってるわけじゃないわ。でも今日は荷物の搬入日だったから、たまたま監視していたのよ」
「それで、これからどうするんだ」
「そうね。まずはここから逃げましょう」
とりあえず軍は本気だということがわかって、とても嫌な気分になる。
次世代の探索者を育てていることからみても、どうやら軍は本当に現役探索者に対していかなる期待も寄せていないようである。
となるとノワールどころか、六文銭にだってなにをするかわかったもんじゃない。
そもそもノワールを排除してまで、次世代の探索者が育ちやすいように狩場から旧世代の探索者を排除したかったのだ。
だから次に排除されるのはパンドラになるだろうし、六文銭が狙われてもおかしくない。
そして18層のパンドラが好き勝手するようになったのも、きっと俺をおびき出すための罠かなにかなのだろうという気がした。
自衛隊とは違って、大日本帝国海軍はかなりアグレッシブな組織であるように思える。
しかしギルド同士の抗争が激しくなることで、レベル上げの原資を独占する動きは強まった。
裏目に出ているではないかと苦情を言いたくなるような状況である。
現に、一条たちのレベル上げを邪魔する結果にしかなっていない。
そのまま二人で教室に戻ることもできずに、学園内の商業エリアを歩く。
二人して授業をさぼったのだから、どう思われたとしても言い訳の余地はない。
「物理的な攻撃では倒せないからと言って、細菌兵器なんてものを開発しているとは思わなかったわ。ダンジョンの指輪は本当に毒や細菌にも効くのかしら」
「効くさ」
ゲームではそのアイテムを使って病気を治すなんてイベントもあったくらいだ。
なので効果があることは間違いない。
細菌兵器だろうとそれは変わらないだろう。
攻略本にも、この世界ではそうなっていると書かれている。
「それでは時間をずらして教室に戻りましょうか。あなたと噂になるなんて御免ですものね」
花ヶ崎はいたずらっぽい笑顔でそんなことを言う。
俺はそんなことを言われて多少なりとも傷ついている自分を発見して驚いた。
花ケ崎を先に教室に戻らせると、俺は商業エリアをほっつき歩いてから帰ることにした。
朝早くから端末が鳴り響いて、神宮寺のやかましい叫び声に起こされる。
しかたなく朝食も食べずに下に降りて、寮の前に陣取っていたフル装備の二人と合流した。
まわりにいる男子学生たちの視線を集めながら、神宮寺は寝坊した俺のことを一通り責め立てた。
さすがにヒロインが二人も教室の外でそろっていると、悪い意味で目立ちすぎる。
無抵抗に聞いていたら神宮寺のお説教はすぐにやんだ。
「あっ、そうだ。最近出たんだけど、俺は使わないから、これは音無に貸してやるよ」
そう言って、俺はアイテムボックスから出したカイトシールドを音無に渡す。
魔法ダメージ軽減の付いた、売りに出せば都内に家が買えるくらいの値段がするやつだ。
「そうなの。ありがとう。大切にするわ」
「蒼ちゃんばっかりずるくない」
「そんなことないわ。私はかわいいのだから、プレゼントくらいもらっても不思議ではないのよ。きっと彼は私に気があるのね」
研究所の奴らはこいつに何を教えているのだろうか。
部屋に閉じこもって研究ばかりしているような奴らは、対人関係に問題があるようだ。
「そんなんじゃない」
「あら、そうなの」
「そうだよ。そいつは玲華ちゃんにぞっこんだからね」
「だっ、誰が、あんなブス」
反射的にそう答えた俺を見て、神宮寺がニヤリと笑った。
それは本当に俺のことを面白がっているような、実にいやらしい笑みだった。
「それ、かわいく感じられすぎて憎たらしいから、ブスって言っているようしか見えないよ」
なんだか見透かされているようで、俺は言葉に詰まった。
それを気取られたくなくて、俺は神宮寺から視線を逸らす。
「でも、私にも気があるはずよ。だってプレゼントをくれたんですもの」
音無の方はまだそんなことを言っている。
間違いなく研究所でそういうふうに教えられているのだろう。
「お前はちょっと研究所の奴らの言葉を鵜呑みにし過ぎだな。少しは疑問を持った方がいい」
「私は研究所と何の関わりもないわ」
音無はいつもなら考えてからゆっくりと発言するのに、その台詞だけはめちゃくちゃ早かった。
たぶん、この返し方は練習していたものと思われる。
「浮気なんかしてたら、私がチクっちゃうからね」
「もういい。さっさと行くぞ」
俺は話を切り上げて、ダンジョンの入り口がある中庭に向かった。
前衛三人なのでダンジョンを降りるのだけはべらぼうに早い。
こんな歩いて数分程度のところに地獄のような環境が広がっているのだから不思議だ。
7・8層ではどこの部活か知らないが、円陣を組むようにパーティーを配置して狩りをしているやつらがいた。
そんなのを横目に通り過ぎながら、俺たちはさらなる下を目指す。
10層からは学園の生徒も少なくなり、手下を連れた貴族たちがちらほらいるくらいだろうか。
そして15層を越えたら、一般の探索者だらけになる。
やたら年季の入った装備を身につけて、朝早くから狩りに精を出していた。
17層では一条たちがやっているそうだが、今は姿が見えない。
そして18層に足を踏み入れた。
「こんなところにガキどもがなんの用だ。なんだ、こないだの奴らじゃないか。ここは立ち入り禁止だって言っただろ」
階段を降りたところにいたのはパンドラのヒール奴隷こと、プリーストの回復役だ。
俺たちの足音を聞いて飛び起きたので、また抗争じみたことをやっているのは間違いない。
最近ではノワールも通るだろうから、そのあたりの見張りも兼ねているのだろう。
「素通りするだけよ。こんな階層に用はないわ」
脅すような相手の態度に怯むことなく、神宮寺はあっさりとそう言ってのけた。
その言葉を聞いて飛び上がるように驚いたのは相手の方である。
「馬鹿言ってんじゃねえ。この先に何があると思ってんだ。ボスと20層台しかねえぜ。死にに行くようなもんだ」
その男を無視して歩きだしたら、パンドラの幹部連中がぞろぞろと集まってくる。
その中にはカズと呼ばれるリーダーの男も当然のようにいた。
こいつら、本当にレベル上げにだけは熱心な連中だなと感心してしまう。
なにもこんな時間からやることもないだろうに、労働時間だけは本当に実直だ。
「おいおい、まさか下に行くつもりかよ。美人なのにもったいねえ。最後に俺たちの相手でもしていってくんねえか。どうせ死んじまうんだからよ。もったいぶる必要もねえだろ」
と言ったのはカズである。
下卑た視線を向けられても、神宮寺はいっこうに怯まない。
15層より上では、こんなふうに絡まれるのも珍しいことではないのだろう。
「まっぴらよ。他に用がないなら、自分の持ち場に戻ったらどうなの。通行料を取りたいってわけでもないんでしょ」
神宮寺は平気で煽るようなことを言い始める。
今日の俺は仮面を付けていないので、大っぴらに斬り合いをするわけにもいかない。
花ヶ崎とも約束してしまったので、仮面はアイテムボックスにすら入れていなかった。
いざとなったら二人の手を引いて逃げるしかないか。
「まあいい。行かせてやれ。死にたいってんなら好きにさせればいいさ」
急に興味もなくなったように視線を逸らし、カズは仲間に向かってそう言った。
仲間の方もどことなくあきらめたような雰囲気がある。
「次に通る時は話しかけないでよね。その時はやっつけちゃうから」
「生きていられたらな。そんなことを言う奴は今までにも何人かいたが、そん中に生きてる奴は一人もいねえよ。ここを三人で通ろうなんて奴はそういうことになるんだ。間違いなくな。こっから先はそういう場所だぜ。そんな奴らには俺たちだってそれなりの敬意を払ってんだ。好きにすればいい。そんな歳で死に急ぐ必要もねえだろうに。どうしても行きたいなら大人数で行くべきだ。それでも危険なことに変わりねえがな」
どうやら、本気でこちらのことを気遣って止めようとしているらしい。
ゲームヒロインのステータスなら無駄な寄り道をせずにビルドを組んで、18層でちゃんとレベル上げをしていたなら無理なくいける階層である。
しかしスキルにも漏れがあって、効率よくクラスチェンジできないこっちの人にとっては、とてもじゃないが足を踏み入れることができない階層なのだろう。
道を空けてくれたので俺は周りを観察しながら歩いたが、軍関係者の気配は感じられなかった。
あのでかい細菌兵器を隠しておけるような場所もない。
俺たちはパンドラの連中に見送られながら19層へと降りた。
この階層のボスは足が速いので、こんな場所で立ち止まっているのは危険なのだが、先頭を走っていた神宮寺は急に立ち止まって動かなくなってしまった。
「どうしよう。急に怖くなってきちゃった」
神宮寺がぽつりとつぶやくように言った。
いくらこいつが無鉄砲の命知らずでも、さすがにそうなってしまうのは仕方がないか。
「俺だって怖いさ。でも、ここだって安全じゃないぞ。さっさと移動しようぜ」
俺は話しを合わせながらも先に進むように促したが、神宮寺は顔を青くして前に進もうとしない。
「こんなところにまで付き合ってくれるのは、蒼ちゃんと高杉くらいだよ。二人には本当に感謝してるから」
あらたまってそんなことを言われると、俺まで本当に怖くなってくるからやめて欲しい。
危険などないとわかっていても雰囲気とかそういうので怖くなってしまうことはある。
「気にする必要はないわ」
音無はいつもと変わらない調子で、なんの気負いも感じてはいない様子だ。
感情がまだそこまで育っていないのか、それとも感情が薄くなるように造られているのか知らないが、その雰囲気と相まって存在感まで希薄な感じがする。
まあ、こいつは俺のレベルやステータスを知っているのだから怖がる訳がない。
神宮寺の方には、まだためらう気持ちが残っていたようで少しだけ安心した。
「蒼ちゃんは才能があるし高杉だって攻撃力だけは凄いから将来は有望だったのに、こんなことに付き合わせちゃってなんだか悪いね。それにしても二人とも全然怖がってないんだね。そんなのおかしいよ」
「いや、今にもちびりそうだよ。だけど、ここはボスが出る階層だぜ。世間話は階段を降りる前に済ませておいてくれよ」
「怖いに決まっているわ。だって普通はそうなんですもの。私は普通なのよ」
音無はいつもお決まりの言い訳を口にする。
「普通の奴はそんなに普通の部分を強調しないぞ」
「そうなの。参考になるわ」
俺たちのやり取りを見て、神宮寺はハハッと力なく笑った。
それで気を取り直したのか、それでやっと動く気になった神宮寺はゆっくりと進み始めた。