第五十七話 学園生活
校庭で魔神に出くわした時から、どんなことをしてでもアイツを倒すつもりでいた。
しかし、どうしても運に左右されてしまう要素があると知って、今となってはその気持ちも萎えてしまっている。
特定の技を連発されてしまえば倒せないと攻略本にもハッキリ書かれているので、今のまま大人しくしていてくれるなら関わりたくないところだ。
アイツは49層のキーパーでもあるから、ダンジョンの攻略も止めなければならない。
もし向こうから仕掛けてきたときは、命をかけた運ゲーをせざるを得なくなってしまう。
それだけはやりたくないところだ。
そしてもう一つ懸念しているのは、一条にライバル視されるようになってしまったことである。
勝手に二学期の中ボスに設定されてしまったような感じで、迷惑極まりない。
俺が中ボスになってしまったら、それはもう俺がわざと負けない限りはゲームオーバーにしかならないというのに、いったいなにを考えているのかという話である。
攻略階層にして三十層近くも離れているのだ。
どうあがいたって、今の一条が勝てる見込みはない。
世界の命運を握るこの世界の主人公だというのに、勝手にゲームオーバーになるような真似をされてはこっちとしても困るのだ。
俺は授業が終わったら、生徒会室でも行ってみるかという気になった。
ダンジョンに行く必要もないので、ゲームのイベントでも体験しようかという気分だった。
よっぽど追い込まれた状況にでもならない限り、これ以上の攻略は身の破滅を招くだけであるから、こうなってしまうともう遊んでいるよりほかにすることがない。
となれば華やかな学園生活を送ることでも目指してみようかと考えた次第である。
ところが、悲しいかな華やかになりそうな予感は微塵も感じられなかった。
なんとなく華やかという言葉から連想して、花ヶ崎が思い浮かんだ。
それでなんとなく視線を向ければ、真面目に授業を受けていた彼女と目が合って、なにが気に入らないのか怖い顔で睨まれてしまう。
授業中によそ見をするなとでも言いたいのだろう。
さすがに高校生活も二度目となれば、真面目に授業を受ける気にもなれない。
俺はため息をつきながら、長い長い授業をなんとかやり過ごした。
「よしッ、それじゃダンジョンに行こうか」
授業終了のチャイムと同時に、神宮寺が椅子の上で思いきり伸びをしながら言った。
成績はそこまで悪くないらしいが、こいつはいったいどんな気持ちで授業を受けているのか、後学のために聞いておきたいところである。
「ええ、そうね。行きましょうか」
と言ったのは音無だ。
涼しい顔をしているが、相変わらず表情はない。
花ヶ崎の強張った感じとは違って、音無には本当に表情がない。
今日は一度も表情が変わったところを見ていないくらいだから、レベルの違う無表情だ。
「ちゃんと自分のレベルとか把握してるのか」
思わず心配になって声をかけてしまったが、音無は涼しい顔して言った。
「ええ、大丈夫よ。問題ないわ」
大丈夫だと言われても、ぜんぜん大丈夫そうだと感じないところが不思議である。
レベルが上がってくれば心をとり戻すイベントもあるらしいが、やはり主人公と組むことが必須条件になるのだろうか。
なんだかこのまま放っておくのも悪いような気がした。
レベルだけなら、あれだけ向上心のある神宮寺と組んでさえいれば達成できそうな気がする。
「ちゃんと飯とか食ってるのかよ。顔色が悪いぞ。本当にそんなんでダンジョンに行くのか」
「平気よ。でも、本当は貴方と一緒に組みたかったの。花ヶ崎玲華でもいいわ」
さすが研究所が造っただけあって、レベルの情報も完全に把握しているようだ。
あまり迂闊に関わるのも考えものである。
「そ、そのうちな」
「ええ、お願いするわ。私、あなたのような人がタイプなの。覚えておいて」
音無はまったく感情のこもらない声でそう言った。
きっと、そのように言えと研究所の奴らにでも言われているのだろう。
まさかの色仕掛けもできるタイプの人工生命体である。
「ほら、そんな奴にかまってないで行くよー」
神宮寺に呼ばれて音無は行ってしまった。
本当に大丈夫だろうかと、その小さな背中を見送りながら考える。
さて、俺は花ヶ崎を35層に届けたら、生徒会室にでも行ってみる事にしようか。
そんなことを考えていたら、花ヶ崎が言った。
「怒らないで聞いて欲しいのだけど、今日はあんまり気分がのらないのよね。どうせレベルも上がらないのだし、そろそろ立ち回りとかも学んだ方がいいと思うの」
これはあれだろう。
単に飽きているから、行きたくないというようなことを遠まわしに言っているのだ。
ただ10秒おきくらいに魔法を放つだけだから、つまらなくなってしまったのだ。
「なにを言ってるんだ。それでどれだけの利益が失われると思ってるんだよ。パーティー全体の利益なんだぞ。それはお前もわかってるだろ」
「それはそうなのだけど、今日はちょっと行きたくないカモ……」
花ケ崎は遠慮がちにそんなことを言っている。
カモじゃねえよという話だが、こうなってしまったら何を言ってもダメそうだ。
多少の心苦しさは感じているようだが、サボるつもりでいるのは間違いない。
夏休みの間だけで、ビルが立つほどの金を稼ぎだしたというのに、気分次第でやりたくないなんて言い出すとは何事だという話である。
「本当に恵まれた状況なんだぞ。あんなところで安全にレベル上げのできる奴が、世の中にどれだけいるんだよ。それを飽きたから行きたくないなんて言い出したら罰が当たるぞ。感謝の気持ちを持って取り組むべきだ」
なぜ俺は自己啓発セミナーじみた説得を、花ヶ崎相手にやっているのだろうか。
もはや俺としては自分の安全も確保できたし、金稼ぎくらいしかやることがないのだ。
「そんなに怒らなくてもいいじゃない。話し相手もいないし、とにかく暇なのよ。あそこから降りて、下でやった方が気分がまぎれるというものね。今日はそれでやってみようかしら」
「危険すぎるだろ。なにかあったらどうするんだ」
いくらなんでも花ヶ崎は、プレイヤースキル的なものが圧倒的に足りていない。
本当にレベルだけ上げたにすぎないのだ。
ただでさえ純メイジのソロは難易度が高いのに、事故が起こらない方が不思議なくらいだ。
「私には召喚もあるのよ」
俺の言い分に、花ヶ崎は不満そうに眉を吊り上げながら言った。
だとしても危険すぎることには変わりはない。
それでも俺が納得しないような顔をしていたら、花ヶ崎はそれが気に入らないらしかった。
「大人しく金だけ稼いでいてくれよ」
「そう。あなたは私のことを、仲間ではなく金づるだとでも思っているのね。よくわかったわ。今日は綾乃たちとやるから、あなたも好きにするといいわ」
拗ねてしまったのか、一方的にそれだけ言って花ヶ崎は行ってしまった。
まあ神宮寺がいるような階層なら心配する必要はないかと、俺は生徒会室に向かった。
対抗戦に出て欲しいらしいが、人前で戦うようなことは気を使うから嫌なのだ。
なんと言って断ればいいのか、今から気が重い。
対抗戦は、北海道、大阪、熊本から、各学校の代表が桜華学園にやってくる。
その中でも北海道は日本海軍の基地もあり、その中に作られた士官学校から精鋭がやって来るらしい。
ダンジョンの作り自体はそれほど差がないし、出るモンスターにも違いはない。
なので関東の攻略情報をそのまま使って、軍の精鋭が29層まで攻略したそうである。
生徒会室のある事務棟に行くためにいったん中庭に出ると、一年の女生徒が上級生に絡まれている場面に出くわしてしまった。
絡んでいる男子生徒は制服の下に着ているシャツが高級そうなので、たぶん男二人はどちらも貴族なのだろう。
本当にろくでもない奴らを日本中からかき集めてきたような学園である。
のどかな昼下がりにいったい何をしているんだと思うが、これは結構深刻な状況だった。
女生徒の方に後ろ盾がないと、貴族相手ではいいようにされてしまう可能性が高い。
じつにふざけたシステムがまかり通っている。
なんと声をかけるべきか迷っていたら、不意に背中をつつかれた。
ふり返った先にいたのは、西園寺だった。
俺は助かったと思って、西園寺が助けに入るのを待ってみたが、なぜか彼女はいつまでたっても動こうとする様子がない。
俺が三人を指差して、助けてやらないのかという仕草をすると、西園寺は首を振った。
「私の家は、しがない子爵家です。ですので、あのような御方にお声がけすることはためらわれます。あの女生徒は何も悪いことをしていません。高杉さんが助けてあげられないでしょうか」
「お前に無理なら、俺に何ができるんだよ」
「あの背の高い方の男性は侯爵家です。高杉さんが何故かお断りになった、29層攻略報酬の爵位は侯爵位ですから偶然にも同じということになりますし、高杉さんが気後れする必要はないのではありませんか。現在は特例を除いては与えられることのない特別な爵位です。それと花ヶ崎様は伯爵家ですので、彼女のお力をお借りすることもできません」
あんなことをしているような奴が、花ケ崎よりも高貴な生まれらしい。
ということは、アレが六文銭の連中と同等ということになる。
「だけど今の俺は、土百姓以外の何物でもないぜ」
仮面でも付けてくればなんとかなるかもしれないが、ここから更衣室は遠い。
それに仮面姿で、学園の中なんぞを歩き回りたくはない。
どうしようかと思っていたら、二人の男は女の子の手首を掴んで無理やりに人目がないところに連れて行こうとするではないか。
「あっ、連れ攫われてしまいますよ」
「えっ、おっ。──おい、そのくらいにしておけよ」
西園寺にせかされて、焦った俺はノープランのまま声をかけた。
本当にろくでもないことになった。
まあいいか。
いざとなったら六文銭の名前でも出しておけばなんとかなるだろう。
「なんだお前は。俺が誰だかも知らないのか」
二人の視線がこちらに向けられたので、俺は顔をうつむきがちにして言った。
「知るか。その娘から離れて、どこかに行くなら見逃してやる」
目の前には石畳の地面しか見えないので、自分の足に向かって凄んでいるような、間抜けな奴に見えないかと不安になってくる。
誰がそんな奴の言うことなど聞くというのだ。
なんとかすると言ったって、結局のところ俺が頼れるものなんて暴力しかない。
きっと素直には引いてくれないだろうから、この場を収めるには斬り飛ばすしかないのだ。
だったらなるべく早く、それこそ顔を覚えられる前にやってしまったほうがいい。
「どれだけ思いあがってたら、この俺様にそんな口が利けるようになるんだろうな。こんな娘一匹のために命までかけるつもり──ヘブッ」
この世界の住人は頑丈だと高を括っていた俺は、全力で斬り飛ばした。
しかし、やってしまってから後悔する。
本当に気絶状態で済んでいるのだろうか。
どう見ても、樹木にへばり付いた肉片にしか見えなくなってしまっている。
まさか勢いで二人も殺してしまったかと、一瞬だけ泡を食ったが、どうやら大丈夫な様子だった。
「それでは、私はあの二人を治療しますから、高杉さんはこの場所から離れてください」
この世界の住人である西園寺が、あの二人を生きているものとして扱っているのだから、おそらく生きているのだろう。
あんな状態でも、追加でダメージを受けなければ回復魔法で復活するのだ。
「よろしく頼むよ」
「はい。それにしても目にも留まらぬ早業でした。やはり高杉さんは力を隠しておられるのですね。夏休みのトーナメントでも全力は出しておられませんでした」
「まあな。まだしばらくは隠しておくつもりだから、勝手に言いふらすなよ」
「そんなことはいたしません」
西園寺はちょっと憤慨したように言った。
彼女が持っている商人としての規範については、かなりの信用が置けるようになっているので、それ以上は何も言わず、俺はすぐにその場を立ち去ることにした。
助けた女の子は、既にどこぞへと消えてしまっていた。