第三十九話 神宮寺の槍
「どうしてそのリングが自分向きだと断言できるのかしら」
筋力と敏捷につゆほどもステータスを振っていない花ケ崎は、すでに精神の値が500を超えている。
それなのにヴァンパイアがドロップしたリングを欲しがって駄々をこねているのだ。
必要なものは必要な人が装備するという事を、最初に言い出したのは自分だというのにである。
「もうお前のワガママには付き合いきれない。今日こそ懲らしめてやる」
「あらそう。楽しみにしているわ。あなたって本当に口だけよね」
細い手で口元を上品に隠しながら花ケ崎が笑っている。
「どうして俺のことを下僕だなんて説明したんだよ」
「またその話を蒸し返すのね。そう言わなかったらまわりが納得しないからよ。下僕にしたと言ったら、誰一人疑わなかったわ。あなたの顔と評判に説得力がありすぎるのが悪いのね。そういうことなのだから、もはやその件に関しては自分を責めるべきだわ」
俺の顔を下僕顔だと言いたいらしい。
ゲームのキャラになったことで、サブキャラとはいえ顔だけは前の人生より何倍もイケメンになって、少なからず浮かれていた俺に向かってそんなことを言い放ったのだ。
まるで冷や水を浴びせられたような気分である。
こいつは自分の容姿に不満を持ったことなど一度もないし、俺のような悩みなど想像もつかないに違いない。
というわけで、花ケ崎と別れた後、俺はCG回収ポイントに向かうことになった。
夜の9時過ぎ、寮の窓から飛び出して暗闇に覆われた中庭を抜ける。
最初のポイントは、女子寮の12階にある外壁の一つだ。
わざわざこのためだけに上忍のクラスまで開放してきたから、垂直な壁も障害にはならない。
すぐさま外壁に取り付くと、目的の穴をめがけて一目散に登り始めた。
穴は光が漏れていて簡単に発見することができた。
なにかパイプでも出ていたのだろうが、それを取り外したまま穴を埋めずにいたのだろう。
そんな感じの穴から光が漏れている。
なんだか心臓がバクバクしてきて、初めてボスに挑んだときよりも鼓動が速くなっているような気がした。
なにが起こるのか知らないが、間違いなくこの穴は魔力を秘めている。
俺が意を決して穴を覗き込むと、脱衣場のようなものが見えた。
目の前には、すりガラスの引き戸のようなものが見えている。
おいおい、これではただの覗きではないかと、自分のやっていることに怖くなった俺が穴から視線を外そうとしたその時だった。
すりガラスにすらっとした細身の人影が映ったかと思うと、ガラガラと引き戸があけ放たれて、神宮寺の裸体が現れた。
すぐに二ノ宮まで現れる。
「いやー、やっぱりお風呂は玲華ちゃんたちのところのに限るよね。早くしないと次の人たちが来ちゃうよ」
そう言って、神宮寺が花ケ崎に手招きしているのが見えた。
あと一秒だけ監視しようかなとか考えた時に、後ろでガサリと音がして、俺は凄いスピードで振り返った。
しかしそこには何もない。
視線を離してしまってから、少しだけ後悔が押し寄せて来た。
攻略本には二回目に覗き込んだら即ゲームオーバーと書いてあったのだ。
というからには、この場所を離れるよりほかにない。
というか、神宮寺の裸を見てしまったではないか。
なんの恨みもないというのに、すごく悪いことをしたような気がする。
二ノ宮に関しては見たくもないし、見られてざまあみろとしか思わないが、神宮寺はただの被害者だ。
というか、これでは更衣室を覗いただけの、ただの性犯罪者ではないか。
俺は意気消沈しながらその場を後にした。
その夜は神宮寺の裸が夢にまで出てきて、次の日は教室で目も合わせられなかった。
それにしてもこのCG回収ポイントは何なのだろうか。
日付を変えれば3回まで使えるらしいが、ただの犯罪以外の何物でもない。
しかもこれ、一番最低な奴だよ。
そんなものを信じたがために、図らずも俺は性犯罪者になってしまった。
あんな穴を覗き込んだ時点で説得力はないが、俺はラッキースケベ的なハプニングが起こるもんだと思っていたのだ。
しかしこんなことで俺の復讐心は満足しなかったので、次の日も違うポイントに向かう。
もう、ただの性犯罪者になり下がってしまったのだから、これ以上失うものもない。
つぎは階段の踊り場に設置された窓だ。
覗き込んだら、今度は花ケ崎と神宮寺が前の方から階段を下りてくるところだった。
パンチラスポットのようなものかと思ったら、いきなり神宮寺が目の前ですっ転んだ。
「痛たたた」
とか言いながら、神宮寺は俺の目の前でM字開脚している。
俺はもう目の前で起こったことが怖くなって、8階の高さから飛び降りるとわき目もふらずに、その場を走り去った。
そしてもう二度とCG回収ポイントは使わないと心に誓った。
なぜなら神宮寺は下着すら身につけていなかったからだ。
「やっぱり、いい武器は見つからないね。あきらめようかな」
今日も俺の机の上に座る神宮寺が言った。
「そんな簡単にあきらめるな。俺が一緒に探してやる」
意図せずして犯罪者にはなってしまったが、まだ被害者は一人だけである。
償いをすれば罪が消えるわけじゃないが、罪は償わなければならないだろう。
自己満足だとはわかっているが、自分の心を軽くするためにも罪滅ぼしはしておきたい。
神宮寺が育てば、それだけ主人公の助けにもなるかもしれないし、それで変なエンディングが回避されるなら言う事なしだ。
「どういう風の吹きまわしなのかな。ちょっと怖いんだけど。もしかして私の好感度とか狙いだしたわけ」
当然ながら神宮寺は、急な俺の心変わりに不信感をあらわにする。
どう思われたとしても、一番いい槍を与えてやらなければならない。
俺にはそれだけの責任がある。
「いい槍が眠ってそうなところがあるんだよな。偶然見つけたんだ」
「眠ってる? 売ってるんじゃなくて、眠ってるの? 意味がわからないんだけど」
問題は帰属アイテムだから、こいつを直接連れて行かなきゃならないところだ。
しかも研究所の地下に連れて行かなければならない。
日付を一日間違えただけで、人体実験用のモルモットとして一生飼い殺されるような、恐ろしい目に遭う場所である。
「そうだ。ちょっとお宝がありそうな場所を見つけたんだ」
「それってキミなりのデートの誘いとかじゃないよね」
「んなわけあるか」
俺たちは校門前で待ち合わせて、小さな森の中に入った。
すでに時刻は夜の7時を回っている。
「こんな人気のないところに、男の子と二人でくるのは怖いんだけど」
鬱蒼とした森の中を歩きながら神宮寺が言った。
席順を見る限り、こいつは一条よりもリスクを取ってダンジョン探索をする女である。
「へえ、お前にも怖いものがあったんだな」
「キミには怖いものなんてなさそうだよね。よくそんなに飄々としてられるもんだよ」
まわりと関わらないようにしているだけなのだが、神宮寺からはそう見えているらしい。
「そんなことはない。いつも教室で心を痛めてるよ」
「玲華ちゃんがついてるのに、誰がそんな酷いことを言うのさ。ああ、狭間かな。彼は玲華ちゃんのこと好きなんだから仕方ないよ」
「なんでそんなことがわかるんだ」
「どれだけ鈍感ならそんなことにも気づかないの。だいたい教室の男子は、多かれ少なかれ玲華ちゃんのことが好きじゃん。告白までしたのは狭間だけらしいけどさ。でも安心して、狭間の告白は断ったってさ。そばにいた沙希ちゃんの話では、一緒に日本を支配しようって言ったらしいよ。他の人は、さすがにもうみんな諦めただろうしね」
たしかに花ケ崎の人気は凄い。
すれ違った奴ら誰もが振り返るような美人だ。
「どうしてあきらめるんだよ」
「はあ、キミって本当に馬鹿なんだね」
俺の神宮寺に対する評価と、神宮寺の俺に対する評価はまったく同じらしい。
馬鹿だから恐れ知らずなんだと思っていたくらいである。
「お前に馬鹿って言われると、当社比で三倍くらい傷つくな」
「はあ?」
「まあいい。ついたぞ」
錆びて金網部分が半分もなくなっている空調ダクトの排気口がそこにはあった。
俺たちは、錆びていつ壊れるかもわからないような空調ダクトの中を進んで研究所内に侵入した。
地下室とは言っても半地下らしく、すでに地下一階エリアに入っている。
「顔、上げないでよね。っていうか絶対に見てるでしょ。もう最悪だよ。こんなことなら先に入るんじゃなかった。私のお尻を見たくてこんな場所に誘ったんじゃないよね。だとしたらキミって救いようのない変態だよ」
ただの性犯罪者になり下がった今の俺では、その言葉に反論することもできない。
「フッ、そうかもな」
そんな短いスカートをはいている方が悪いのではないかと思うが、俺は自嘲気味に笑っただけで、なにも言わずに視線をさげた。
その時、錆びついて脆くなっているダクトの下部が壊れだして、神宮寺が落ちそうになったので、俺はその足首を掴む。
ここはCG回収ポイントではないはずなのに、なぜか俺の前にはそんなような景色が広がっていた。
「マジで最悪だよ」
「我慢してくれ。もう少しの辛抱だから」
俺はぶら下げるような形になっていた神宮寺をゆっくり降ろして、自分も研究所内に降り立った。
「よく空調ダクトの入り口が壊れてるなんて知ってたね」
「古い建物だからな。錆びて外れかかってたんだ」
「ここは資料室なのかな」
うずたかく積まれた段ボールの山を見渡しながら神宮寺が言った。
「そうらしい」
段ボールからは紙がはみ出ているから、本当に資料室かなんかなのだろう。
俺は迷いもせずにいくつかの扉を抜けて、目的地の地下倉庫を目指した。
すぐに暗証番号付きの扉が現れ、番号を入れたらちょっと広めの地下倉庫が現れる。
まずは目当てのものではないアイテムを回収し、最後に一番手前に置かれていたやたらと豪華な箱を前にする。
「そんなの勝手に貰っちゃったらやばいよ。なに考えてるのさ」
「それより、この箱はちょうど槍が入っていそうな大きさじゃないか」
俺がそう促すと、神宮寺はちょっとためらったのちに箱に手をかけてその蓋を開いた。
箱から槍を取り出したら、槍には針金でタグが付いていた。
外部で入手する武器は、鑑定に出さずに済むように性能の書かれたタグが付いていることが多い。
そんなタグなど見るまでもなく、それは虎徹の性能を上回るような武器だ。
蜻蛉切(SS)
経験値増加20% 弱体化 HP割合ダメージ5% ダメージ闇属性化 追加ダメージ+150
弱体化デバフは三回まで蓄積し、最大30%敵のステータスを弱体化させる。
帰属アイテム
まるで悪魔が取り付いたみたいな性能の槍である。
どうせ帰属だから売ることはできないし、神宮寺に持たせるくらい構わないだろう。
大ダメージが出せるようなものじゃなく、チマチマレベルをあげるには最高の性能となっているから、いかにも神宮寺向きだ。
「絶対にヤバイ、絶対にヤバイよ。こんなの盗んだら命まで狙われちゃう」
「だけど、もうお前しか装備できないんだぜ。ありがたく貰っとけよ。さっき資料を読んだけど、研究所はこれを使って悪だくみをしてたんだ。それを阻止したんだと思っておけばいい」
タグを確認する前に、神宮寺はすでに素振りなんかしていたので帰属済みだ。
そんな悪事を資料なんかに残してるわけがないが、これを盗み出さないと研究所が悪さをするのは本当のことである。
「ふ、ふざけないでよ。本当に命を狙われたらどうするのさ」
「もう用は済んだんだ。ガタガタ言ってないで、さっさと逃げようぜ。俺たちが侵入したなんてわかりっこないんだ。ビクビクしてる方が怪しまれるぞ」
「もしかしてキミって、こういうことに慣れてる?」
「こっちだ。ついて来い」
「あっ、誤魔化した」
逃げながらも、はっきりと言っておかなければならないことがある。
「今日はたまたま警備が留守になる日だったんだ。次に同じことをしても捕まるだけだから、絶対にやるんじゃないぞ」
捕まれば人体実験のモルモットにされる。
まあ普段の警備は厳重だから、入り口に近寄ることさえできない。
研究所の受付嬢と懇意にしておけば、重役がやってくるという今日の日付を入手することができる。
とはいえ日付だけわかっても、その日に忍び込めるなんて普通はわからない。
「なんだか盗賊稼業みたいで格好いいね。心配しなくても大丈夫だよ。頼まれたってこんなことはもうしないから」
「わかってるならいい」
なんとか入ってきたダクトを抜けて、研究所の裏にある森に出ることができた。
ここまでくれば学園の敷地内は目と鼻の先である。
戻ってきたことで、さっきまでビクビクしていた神宮寺も息を吹き返したようだった。
「ふ~、それにしてもなんだか疲れちゃった。まさかこんないいものが手に入るなんてね。こんな槍を手に入れちゃったら、高杉よりも強くなっちゃうかもしれないよ。信じられない性能だよ。これもキミが下心で私を誘ってくれたおかげだね」
これから俺よりも強くなると言っている時点で本音が漏れている。
そのことに神宮寺は気が付いてない。
「下心なんかない」
「あれ、そうなの。じゃ、これはお礼だよ」
そう言って神宮寺はスカートをまくり上げた。
もうさんざん見たというのに、そのしぐさの方になぜかドキリとしてしまう。
神宮寺はなんちゃってとか言いながらダンジョンのある方へと走り去った。