#64 憤怒は渦巻く
時間は少し遡る。
迷路のようにパイプ群が走り、コンテナやタンクなどが所狭しと設置されているコンビナートの敷地を、ベルジェンニコフとレイラ―は歩いている。まるで連行されるような感じだ、2人を取り囲むように3人の男たちが歩いているからだ。一行はプレハブのような建物の前で止まった。
「ここだ」
增蛇がそう言いドアを開け、中に入って行く。残りの者たちも全て後に続いた。
『地下か』
彼らは階段を降り、地下の通路――メンテナンス通路のようなところ――に入った。
『フム、通信は可能、上空の部隊との回線も遮断されていないな』
思考通信で会話を続ける。
『お粗末だね、ホント。こーゆぅ拠点って、電波遮断くらいするもんだけどね』
『金はあるはずだから、設備の設置は可能だろうが、そういう発想はないのだろう』
『非合法活動するというのなら、そんくらいの用心しろっつーの。アタシらみたいなのが来なくても、同業他社なんかの襲撃とかもあるんじゃないの?』
『〈大度〉は沖縄南部では抜きんでた勢力だからな、手出ししようなんてのはいないのだろう』
『それでこんだけのどかなのかね? ま、アタシらとしてはやり易くて有難いけどねぇ』
ベルジェンニコフとレイラ―はそんな会話をしながらも、周囲への注意を怠らなかった。電波放射などが探知される可能性はないと判断できたので、数種類の観測波を放射し、施設内の透視探査を開始した。
「むぅっ」
レイラ―が呻き声を上げた。男たちが訝しげ彼女を見る。
『顔に出すな。こいつらが気取るとは思えんが、いらん注意を引かせるな』
ベルジェンニコフが注意した。それでレイラ―は無表情を装うのだが、あまり上手くいっていない。
『くそぅ……大佐、ビンゴだよ。“現在進行形”だ』
レイラ―の“耳”には、“声”が聞こえていた。同時に激しい打撃音が。それと同時に粗い映像が視覚野に形成され始めた。
『右斜め前方、2時の方向、30メートルほど離れたところに倉庫のようなスペースがある。そこに何人かの姿が確認できる……くっ』
『落ち着け』
レイラ―たちは音響センサーを作動させていた。それが捉えたデータを脳内極微電脳が解析、映像として彼女らの視覚野に投影したのだ。電磁輻射情報と違い粗いものだが、状況の確認には十分なものだった。
『クズどもめ!』
レイラ―たちははっきりと確認した、そこで行われていることを。
絶え間なく続く打撃音は、人が人を殴る音だった。極微電脳の解析ソフトは映像を構築、その光景が視覚野に投影された。
10人ほどの者たちが横1列に並んでいる、全て10歳に満たない子供ばかりだ。彼らは酷く緊張しているのか、まるで硬直したみたいに起立し続けていて動こうとしない。そんな彼らの周囲に数人の大人が監視するように立っていた、いや実際に監視していたのだろう。時折、姿勢を乱す子供がいたが必ずと言って大人の誰かがその子供を叩いて――いや、殴ると言った方がいいか――いたからだ。そして頭を掴まれ、前を見ろ――と言われていた。言われた子供は泣きながら、目をその“前”に向ける。
その先で繰り広げられる光景に、レイラ―は怒りを憶えるのだ。
若い男――20代後半か――が7歳くらいの少年に馬乗りになって殴っている。何度も何度も、繰り返し殴り続けていて、少年の顔は大きく腫れ上がり変形してしまっていた。もう意識がないのか、ぐったりとして動かなくなっている。それでも男は殴るのを止めない。子供たちはそんな光景を無理やり見せられているのだ。
何かの粛清か? それとも“遊んで”いるのか? いずれにせよ、おぞましい光景だ。
レイラーが動き出そうとしたが、ベルジェンニコフが制した。僅かな動きなので周囲の男たちには気取られていない。
『大佐、あの少年が――!』
ベルジェンニコフは頷く。
『今、部隊にビーコンを送った。間もなく司令たちが突入してくる』
『しかし、あの少年には……間に合わない!』
ベルジェンニコフは首を振り、目線を下げた。
『我々の最も優先すべき目的を忘れるな』
『見捨てろというのか? 今、あの少年を助けられるのはアタシらだけなんだよ!』
『作戦を台無しにするつもりか? 今動くと、幹部連中に知られて逃げられるかもしれんのだぞ。分からんのか? それでもあくまでもやるというのなら、私はお前を処分しなければならない』
ぐっ――という呻き声が肉声として漏れる。またしても男たちがレイラ―を見た。
『落ち着け、幹部連中を押さえればこの組織は瓦解する。そうすればより大勢の子供らが助けられるのだ』
でもあの少年は……レイラ―の胸は張り裂けんばかりになっていた。
結局レイラ―はベルジェンニコフに従った。2人は静かに男たちと共に地下の通路を歩き続けた。
――胡馬椰亢樰というのか……許さんぞ、クソ野郎!
レイラ―は少年を暴行していた男の個人情報を検索していた。
「ボス、連れて来ました」
ノックの後、開けられた扉の向こうの光景を見て、レイラ―たちは些か驚いた。殺風景この上ないメンテナンス通路の果てに、こんな豪勢な装飾の部屋があろうとは……驚いたというより呆れたというのが正確だったのかもしれない。
天井にはミラーボール、部屋の中央には真っ赤なシーツの円形ベッド、部屋のあちこちにライオンやら虎やらの金色の彫刻が置かれている。
『昔、ラブホテルってのがあった。そんな感じ』
棒読みのような言い方でレイラ―は呟いた、思考通信の中で。彼女は以前記録映像で〈ラブホテル〉なるもののを見たことがあるので知っていたのだ。ベルジェンニコフは特に反応しなかったが、表情の中に呆れている感じが僅かに現れていた。
『こいつらの品性が滲み出ているな』
ベッドの前に2人の男が立っていた。小太りの四角い顔の50代後半の男と、30代半ばの背の高いくせ毛の男。レイラ―は2人の名を意識に浮かべる。
――鮠鈹厭廉……逸廼芳養吐……
その顔は自然と歪んでいた。
「もういいぞ、お前らは下がれ」
鮠鈹の命令の後、男たちは軽く会釈をして部屋から出て行った。部屋の中にはレイラ―たちと大度エコロジーのこの幹部2人が残された。
「これはまた上玉だな。店のキャスト紹介グラビアを見た時は確かにイケる感じだったが、実物はそれ以上だな。ああいうのは大抵“盛る”もんだが、これは大ヒットだ」
50代後半の男――鮠鈹の言葉、ニヤニヤ笑っていて、涎が出かかっている。レイラ―は目を顰めた。
「あの“ババァ”、こんな上物仕入れていたなんてな、結構やるじゃねぇか」
――“ババァ”? ああ、アタシらが無理やり協力させた売春宿の女将のことか……
救助隊は今回の作戦に当たって現地のとある売春宿を利用した。そこは大度の男たちがよく利用していたところだった。圧力をかけてベルジェンニコフとレイラ―を高級娼婦に仕立てて、潜入させたのである。
隣の背の高い男――逸廼が首を振った。
「ンじゃまぁ、俺はこれで」
そう言って部屋を出て行こうとする。鮠鈹が彼に話しかけた。
「なんだよ、いらねぇのか? こんだけの上物、滅多に味わえねぇんだぜ? お前も楽しんでいけよ」
「いいんだよ、そーゆぅのは」
それだけ言い残し、外に出て行ってしまった。
「全く困ったもんだ」
鮠鈹は肩を竦めつつ、2人に目を向けた。
「あいつはよ、小さい子にしか興味がないんだよ。ホントしょーもねぇ奴さ。こんな上物にも勃たねぇなんてな!」
ベルジェンニコフが口を開く。
「ロリコンなのね」
鮠鈹は指を立てて「チチチ」と言った。
「――と言うより、ペドフィリアと言った方がいいな。あいつは小さい子をいたぶり犯すのが大好きな変態なのさ」
首を振るベルジェンニコフ。
「それで、あの人は今からそれをやりに行ったのね?」
「だろうな。倉庫で舎弟どもがガキを見繕っていたはずだし、その中でも選りすぐったのを――」
鮠鈹は最後まで言い終えることができなかった。その両目は大きく開かれ、口はОの字に開かれている。彼の目は下に向けられる。その先、股間に女の脚が突き刺さっているのが見えた。
「レイラ―、まだ早いって!」
ベルジェンニコフは頭を押さえていた、困ったものだと言いたげに。
「きっ――」
鮠鈹は叫びかけるが声もまともに出せなかった。白目を剥いて倒れた。レイラ―によりかかるような形になったが、彼女は無慈悲に突き飛ばす。仰向けにベッドの上に倒れていった。
「お前は2度とできないよ。今日で男は卒業さ」
レイラ―は冷たく言い放った、軽蔑に満ちた眼差しを送りながら。鮠鈹は何も応えない、完全に気絶している。その股間は真っ赤に染め上げられていたが、どうなったのかは明白だ。
「ンじゃ大佐、アタシはペド野郎を追う」
レイラーは背を向けた。ベルジェンニコフは溜息をつきつつ言う。
「全く、部隊の攻撃が始まってからにすべきなのに」
「フン、部隊は今さっきコンビナートに降下したじゃない。地下にも潜入しているよ。もうすぐ制圧が始まる。倉庫から始めるよう要請してよね」
そう言い残し、部屋から出て行った。
『逸廼の行先は分かるのか?』
ベルジェンニコフは思考通信を送る。即座にレイラ―の返信が来た。
『奴の発した化学物質の特定は済んでいる。それに足跡などの熱紋もはっきり見える。追跡は容易だよ』
ハードメカニクスの彼らには電磁輻射系や音響センサー以外にも固定装備として化学分析装置を持っている。人体は有機化合物であり、活動する以上何がしかの生化学物質を周辺環境に放出する。僅かなものでもレイラ―たちハードメカニクスは分析でき、特徴を判定できるのだ。つまり何者が放出したものかが特定できる。レイラ―は逸廼の行先を正確に追跡できた。
そうか――と応え、ベルジェンニコフは通信を終えた。そして彼女はのびたままの鮠鈹に視線を送る。
脂汗をかき、細かく痙攣を続ける意識不明の男の姿がそこにある。股間を染める赤い領域が更に拡がっていた。簡易的な遠隔探査を行ったが、バイタルの極端な悪化が確認できた。
「放っておいたら、遠からず死ぬな。全くレイラ―の奴、思い切り蹴り上げたからな……いや、メカニクスだし、最高出力を出したら人体爆散だったか。いちおう加減したが、男を壊すには十分だったな」
言いつつベルジェンニコフは鮠鈹の身体に手をかけ、俯せにした。
「うむ、コネクトターミナルはあるか。情報通り電脳化はしているな。ではお前らの業務記録などを見せてもらうぞ」
首筋に四角いソケットのようなものがある。これは脳内極微電脳と外部メディアとを繋げるインターフェイスの役割を果たす。ベルジェンニコフは胸の谷間からマイクロタブレットを取り出し、ケーブルを伸ばして一端をソケットに差し込んだ。続いて別の一端を自身の首筋の皮膚に接触させる。
「我々の外部メディアとのインターフェイスは皮膚を通して任意に接続させるもの。お前らみたいなソケットタイプと違って簡単に他者による接続を許すものではない、物理的にね」
そう言いながらも彼女は鮠鈹の極微電脳から抜き出される情報に意識を向けていた。
「施設管理記録、光熱費動態、人事管理、売買取引記録、顧客情報……なるほど確かに皇国にも手を伸ばしていたか……」
レイラ―は走り出していた。その顔には焦りのようなものが現れている。
「くそっ! あいつ!」
目が通路床面に向けられる。強調表示された足跡が映し出された。逸廼の化学物質が残る足跡、熱紋も同一人物によるものだと判定されている。それは1つのドアのところで消えていた。その先を赤外透視探査する。2人の人影がレイラ―の脳内視覚野に映し出された。1人は大きなものだが、もう1人のものは小さい。その小さな人影に大きな人影が覆い被さっているのが確認できた。意味するものに、レイラ―の心は揺さぶられた。
「やめろぉっ!」
絶叫と共にレイラ―はドアを蹴破った、そして固まった。
男が小さな子供の上に圧し掛かっていた。2人とも全裸、男はその股間のモノを子供――まだ5歳くらいの少女に――――
そのままの姿勢で男も固まっていた。大きく見開かれた目は、今しがたドアを破壊して飛び込んで来た女に向けられている。
「な……お前はさっきの……」
それきり言葉が途切れる、事態が呑み込めないのか、口をパクパクさせたまま身体を硬直させている。
「うぅー!」
すると男の下から呻き声が聞こえて来た。男に組み伏せられている女の子のものだ。それを見た瞬間、レイラ―の怒りは頂点に達した。
「このペド野郎ぅぅっ――――!」
突進、殆ど瞬間移動的な高速移動。男――逸廼には何が起きたのかまるで分からなかっただろう、左腕に激痛が走ったと思いきや、次の瞬間ドアの近くの壁に叩きつけられていたからだ。
「かはっ」
そのまま床に崩れ落ちる。ただ意識はまだあり動くこともできるのか、何とか立ち上がろうとしていた。
「このっ……この……」
レイラ―は言葉を満足に繰り出せていない。怒りが大きすぎてまともに喋れなくなっているのだ。
彼女はふと気づいて傍らに目をやる。女の子が両手を胸の前に合わせて、小さく丸まって震えている。その両脚の間から血が流れているのを見た時、再び怒りが爆発した。
――ペド野郎っ! こんな小さな子に、何てことを――――!
その時、大きな爆発音が聞こえ、床が激しく揺れた――部隊による制圧開始の報が脳内極微電脳に送られた。揺れは大きく、女の子は放り出されるように転がってしまうが、レイラ―が素早く動いて掴んだので頭などを打つことはなかった。
「大丈夫?」
女の子は応えない。凍り付いたような目をレイラ―に向けるだけだった。
レイラ―は大きく息を吐き、心を落ち着けた。そして目をドアの方向に向ける。そこにはやはり凍り付いた目をしてレイラ―を見る逸廼の姿があった。レイラーはゆっくりと女の子を壁にもたれかけさせ、立ち上がる。そして逸廼の方に歩いて行った。逸廼は金縛りにでも遭っているのか、全く動かなかった。ただ目はレイラ―に釘付けになっていた。レイラーは逸廼の真ん前まで来て彼を見下ろした。明らかに怯えた目が彼女に返ってきている。
「こんな下らん下種野郎に……あんな小さな子が……!」
目線が下がる、股間に注がれた。白い粘液が見えた、その瞬間――――
「こんなもんんんっ――――!」
レイラーは“それ”を思い切り踏みつけた。続いて絶叫が室内を木霊した。
「レイラ―!」
ベルジェンニコフが駆け込んで来た。彼女は光景を目の当たりにして、言葉を失った。そのまま室内を確認、部屋の隅で震える女の子を見つけた。彼女はその女の子の方に歩み寄り、優しく話しかけた。
「もう大丈夫」
ゆっくりと抱きかかえ、ドアに向かった。だが足を止め――――
「まだ殺していないな。その前に情報を抜き出せ」
冷たい響きすら感じさせる声で、レイラ―に命じた。そのまま出て行く。レイラ―は何も応えず、足元で気絶して痙攣している男を凝視していた。




